十九章
第十九章 キュデルのシンボル
壊れた柱の隙間から水が噴きだした。容赦なく噴きつけてくる水を全身に浴びながら、赤い竜は大きく口をあけ、尖った牙をのぞかせて悲痛のままに鳴いた。
白濁していた目が、赤く黄色味をおびたものになり、閉じられていた視界がひらけた。今まで失っていた視力を取りもどしたのだ。色のある鮮やかな世界が目の前に映しだされた。どれほど、この景色を渇望していただろうか。六角柱からふきだす水がつくりだす美しい滝の様や、ウケイの陸地でこちらを不安そうに眺めている人々の姿。遠い昔に諦めたものが、この目にうつっていた。
けれど、赤い竜の瞳から苦しみのあまりに涙がこぼれた。
視力を取りもどした代償に、竜を縛る魔術式が自由を奪い。その身体に秘められたものすら奪おうとしていたのだ。竜は荒い息を吐きながら、大きすぎる身を捩じった。力ない叫び声だけが、とても深い窪みに反響した。
「この姿、どこかで見たぞ」
ルーネベリは言った。
「どこだ……?」
「見覚えがあるのですか?」
「思い出せ」と、ルーネベリは赤い頭を掻き毟った。
様々な記憶が脳裏をよこぎっていく。倒れたガーネ、ラン・ビシェフの小屋、神殿に立つ紫水の姿、白い煙、明美につれられた暗い部屋、晩餐会。いや、違う。もっと最近に見た気がする。神殿から都にもどり、城に戻る途中で……。
「そうか!」と、ルーネベリは膝を叩いた。
「城の壁画だ」
はっきりとは見ていなかったが、壁画に竜らしきものが描かれていたのをルーネベリは思い出したのだ。都人が城の頂上を見上げて、「おっ、おい。あそこに女の子がいるぞ」と叫んだ。だが、ルーネベリは人々の視線を無視して、城に引き返そうとした。
「誰かいるようですよ。えっ、どこへ行くのですか!」
「ついてこいミース」
ルーネベリはミースの腕を引っ張った。
すでに城の中にいた都人たちは、外の騒動を聞きつけ、今度は城の外へと走りだした。すっかり冷静さを失い、指導者もないものだから、どうしていいのかもわからず。ただ、起こる出来事にいちいち反応しすぎていた。誰かが止めなければいけないのだが、隣の人につづけとばかりに、外へ出ようとする人の流れはとまらなかった。都人を掻きわけて、城の中に入ると、ルーネベリとミースは壁伝いに歩き、あるところまで行くと立ち止まった。
背中を押され、ミースは壁にへばりついた。ルーネベリは壁に大きなごつごつとした手をにつけた。
「これだ、これ」
ミースは顔を上に向け。 ルーネべリの手の下で、影に隠れた絵を見ようと、目を凝らした。朱色の線が描かれたそれは、光に包まれた巨大な竜に人々が手を伸ばして崇めている絵だった。水の世界に伝わる歴史と、竜神の伝説の一部だった。
ミースは目を開いて言った。
「この姿、まるで……」
「あの竜にそっくりだろう。まったく気づかなかった。青い竜をわざわざ朱色で描いていることに」
「そうですね。でも、これは遥か昔に存在した竜神ではないのですか?」
「ここに描かれているのは、きっとそうだろう。だが、こうも瓜二つなのはおかしいと思わないか。あんなに巨大な竜なら、皆知っていて当然だろうが。見ただろう?竜が現れたとき、都人たちは心底驚いていた。はじめて見たからだ」
ミースは頷いた。
「だが、あの穴は何だろう。竜はどこから来たんだ」
「あの穴はきっと、地下に通じる道だと思います」
ルーネベリはミースを見下ろした。
「お前、あの穴が何か知っているのか?」
「はい。シュミレット様に時の置き場のすぐ近くまで連れていっていただいたとき、桂林様が柱に手をあてたのです。おそらく、その場所が、竜の出てきた場所と同じかと」
「時の置き場?」
「時の置き場の傍には竜の巣があったので。もしかしたら、あの大きな竜はそこにはじめからいたのでは?」
壁絵を見て、ルーネベリは首を横に振った。「あそこに今行けるのは、先生と桂林様だけだ」と一人呟いた。
「ミース。人間とは種の異なる竜が、長い歳月の末に人間になると思うか?」
ミースは首を横に振った。
「わかりません。偶然、進化したのかもしれませんし」
「いいや、偶然でもありえない。進化しても、竜が人間になることは不可能だ。竜の持つ細胞組織と人間の持つ細胞組織はまったく異なるからな。どうあがいても、竜は人にはなれない。……だが、事実は物語っている。竜族と呼ばれる人は存在している」
「何が言いたいんですか?」
「唯一、例外があるなら、それは管理者だ。竜神という竜が白黒の球体からエレメント世界にやってきたとき、すでに管理者と呼ばれる別の存在があったとして。その管理者が人間なら、竜が人間と化したことも十分に頷ける」
「どういうことですか」
「竜族が崇める竜神とやらは、管理者を食ったんじゃないか」
「えぇ?」
「水竜が温厚な性格だったとしても、竜神がそうだとはかぎらない。もともと、獣だ。人間を食おうとしても、不自然じゃない」
気づけば、忙しく都人が外にでていったせいで廊下はほとんど人の姿がなく、がらんとしていた。城の外で、忘れていた人々のざわざわとした声が遠く聞えてきた。竜に驚き、戸惑う人々の声が。
ルーネベリは壁の全体をみるため、数歩後ろにさがった。
「もし、食われた管理者があの少年僧だったなら、何らかの理由で奇力になったのかもしれない。それをデルナ・コーベンたちに知られたのか。それなら、あの竜は桂林様だ」
「桂林様?」
「どういうわけか、竜の姿に戻ってしまったんだろう」
「ですが、パブロさん。竜族は冰力を持っているから魔力がきかないと宿屋の主人が仰っていました」
「あくまでも俺の考えだが、管理者の血肉を体内に色濃く取り込んだ竜は、冰力を失ったんだ。管理者の体が時の石と繋がっていると考えると、管理者を食った者には、管理者と同じ役目を課されるのかもしれない。人間の姿になったのは、元いた管理者の影響だろう。灼力の膨大な力が関わっているなら、竜の肉体を人間の肉体へと変化させてもおかしくはない。竜族の先祖は新たな管理者となった竜神なのだろう」
「あなたの仰るとおりなら、竜族の者なら誰でも竜になることができ。管理者になれるということになります」
「都人たちの話を聞いていると、竜とは一線を置いた考え方をしている。それは、自分たちが竜とは別物だと言っているのとたいしてかわらないだろう。管理者でない竜族は冰力をわずかに持つかわりに竜姿を失った。それに対して、桂林様は冰力を失い、竜に戻ることができた。――決定的な違いは何だ?」と、ルーネベリは首を傾げた。
「私が質問しているんです」
「そうだな。管理者とは一体何だ?」
「時間だよ」
二人は振り返った。
いつのまに掘ったのか、床にあいた穴からシュミレットの小さな身体が半分、這い出てきた。黒い髪は砂にまみれ、ローブが汗と泥で汚れきっていた。いつになく、みすぼらしかったが、本人はとても疲れてきった顔していたので、とてつもない重労働をしてきたのがわかった。
「先生!」
ルーネベリもミースも、ぽかんとシュミレットを見ていた。まさか、こんなところから賢者が戻ってくるとは思わなかったのだ。ルーネベリは一瞬息を飲んで、穴まで駆け寄り。シュミレットに手を差しだして、その怪力でシュミレットを軽々と穴から引きあげた。地上にあがってきたシュミレットは、ルーネベリに「ありがとう」と言うなり、へなへなと床に座り、鼻についた泥をぬぐった。
「やれやれといったところだよ。まさか、生き埋めにされるとは思ってもいなかった」
ミースはシュミレットに駆け寄り、うやうやしく跪いた。
「ご無事でなによりです。シュミレット様」
「あぁ、ミースもいたのだね。状況はどうなっている?」
「はい。あの、さっそくで申し訳ないのですが。お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「ついさっき、時間と仰ったのは何のことですか?」
「それなら、ルーネベリが管理者は何かと呟いたから、僕が時間だと答えただけのこと。まぁ、正確には、時間の一部なのだけれど」
「管理者が時間?」
ルーネベリは誰にも聞えない小さな声で「あの少年僧もそう言っていたな」と言った。どうやら、その辺りのことについて、賢者は詳しいようだ。ルーネベリはシュミレットの話に耳をすませた。
「時の石を管理する理由はさっぱりわかっていないけど、管理者は時間を有する者だと昔からいわれてきたんだ。管理者の座につくと、生涯、時の石を管理する。球体の外に出ることもできないから、不自由な生活を強いられている。かわいそうな人たちだよ」
「それでは、同じ祖先を持っていても、管理者になれない人がいるのはなぜですか?」ミースは言った。
「管理者になる一族っていうのは、管理者が代々受け継いできた要素が多いんだよ。逆に、管理者になれない人は、受け継がれる要素が少ない」
「なるほど、そういうことですか」
「あの、もっと、わかるように言ってもらえますか?」
「だからな、管理者になれない者は、管理者に必要な要素をすべて受け継いでいないんだ。竜から人間に化した後、管理者でない竜族は、人間であるという要素と冰力を持っていたという要素だけを代々受け継いできたんだ。だから、竜には戻れない」
シュミレットはミースに言った。
「管理者の持っている要素の一つに灼力があるんだよ。時の石は灼石でできているからね。管理者には冰力なんてものは、必要なかったのだと思うよ」
「それでは、魔力によって灼力を奪われたらどうなるのですか?」
「管理者の持つ灼力っていうのは、特殊なんだ。そもそも管理者の身体は時間の一部だからね、身体から身体へ時間を渡すことはできるけど、はじめに灼力を持っている方は時間を抜かれると、死んでしまう」
ルーネベリがシュミレットに手を貸して言った。
「でも、先生。それ以前に、灼力を魔力で抑えるなんてできませんよね」
クスリと、シュミレットは笑った。
「今回の件を仕掛けた人物は、なんてずる賢いのだろう。君はもう時が動きだしたことに気づいているのだろう?」
「はい」
「時が動きだしてまだ半日も経っていない。この世界はゆっくりと元の時間の流れにのろうとしているんだよ。でも、元の時間の流れにのるまでは、この世界の時はとても不安定きわまりない。管理者の身体が竜になったのはそのせいだよ。しかも、管理者が竜になると見込んで、弱みに付け込んで、時の石に注いだ魔力を桂林様の身体に送り込んだんだ。なんて、ずる賢いんだろう」
「やはり、あの赤い竜は桂林様ですね」
「赤い?」
「地下から青い竜がでてきたんですが。魔術式のせいか、青い竜がいきなり赤くなったのです。それを見て、どうも見覚えがあると思って、ここまで来たのですが……」
ルーネベリは壁画に描かれた竜を指さした。
「なるほどね、今、外にいるんだね。都の状況はどうなっている?」
「酷いありさまです。水竜が民家を壊したせいで、火事が起こり。赤い竜、桂林様は魔術式にかかって苦しんでいます」
「都については大丈夫。建物はすべて元に戻る」
「どうして、そう言いきれるのですか?」と、ミース。シュミレットは「時術師を呼ぶからだよ」と言った。
「それじゃ、俺が今から時術師を呼んできますよ。まぁ、ミースに城で会うまでは、そのつもりだったのですが」
「さすが、ルーネベリ。頼んだよ」
シュミレットはルーネベリの背を叩いた。
「ところで、先生。生き埋めになったって言っていましたが。どうかしたのですか?」
苦笑い、こめかみを指一本で掻きながらシュミレットは言った。
「桂林様が竜になって外に出て行ってしまったせいで、僕は時の置き場で生き埋めになったんだ。時の石の傍にいたおかげで、すぐに時の置き場は元通りにはなったけど、土砂に埋もれて死ぬかと思ったよ」
うっかりしていたと、シュミレット。ミースは言った。
「それじゃあ、シュミレット様はどうやってここまであがってこられたのですか」
「賢者の特権さ」
「今回は、少し使いすぎてしまった」と、シュミレットは不本意だとでも言いたげにぼやいた。
「特権?」
首を傾げるミースにルーネベリは肩に腕をまわして、「あまり気にするな」と言った。賢者様の秘密を知ったら、後々どうなることやら。知っているからこそ、ルーネベリは気をきかせてそう言ったのだ。けれど、そんなことなんぞつい知らず、なんだか蚊帳の外に置かれているようで、ミースは顔をしかめた。
「さぁ、外にでよう。竜になった桂林様を元に戻さないとね」
シュミレットが言った。
自身の屋敷に寄っていた玉翠は、剣を片手に城へ急いでいた。外に一歩出るまで、都の異変に気づきもしなかった。城を留守にしたばかりに、こんなことになってしまった。この世界の軍師であるのに、なんて情けないことだろうか。
幸いなことに、紫水は円城が預けている。円城のことだ、天音と共に紫水を安全な場所に避難させているだろう。他に行き場などない都の民は、城に逃れているはず。「最悪の状況にさえ、なってなければいいのだが」と思いながらも、潰され燃えさかる民家の横を走りながら、冷や汗が全身にどっと沸いた。
玉翠の頭上を通り、水竜の群れが城の方へと向っていた。
ルーネベリは城にある空間移動の部屋へ向い、シュミレットミースは城の外へと出た。
外では、都人がヒステリックに騒ぎだしていた。不思議な現象が起こったのだ。
柱にしがみついている赤い竜の身体と、少女の身体、魔術式と魔術式が白い光によってつながっていた。赤い竜は激しい痛みに呻いた。青い光が、赤い竜から少女の身体へと流れていった。まるで、少女が赤い竜の命を吸っているかのように……。
少女の小さな目が薄っすらと開いた。
しばらく姿が見えなかった水竜の群れが、城の屋上いる少女めがけて体当たりしはじめた。けれど、少女は避けようともしなかった。少女の周りには、壁でもあるかのように、水竜が少女に身体をぶつけようとするたび、水竜の身体は跳ね返った。草木に飛ばされ、地面まで吹き飛ばされようとも、身体が動くかぎり、水竜たちはすぐに上空まで飛び立ち、少女に立ち向った。
「ガーネ」
屋上を見上げたミースは、「どうして、こんなことに……」と、絶望的に言った。
シュミレットは屋上に立つ、ガーネの背中に炎のようなものを見た。魔力が風にふきつけられ勢いを持った火のように、大きく激しく踊り揺れていた。シュミレットのほかに、誰一人見ることはできないが、あきらかに魔術式があそこからでている。たまりに溜まった魔力が、竜を殺そうとしている魔力が本性を現したのだ。
シュミレットは手のひらほどの魔術式をつくり、肩眼鏡のしていない裸眼にかざした。繊細な黄金の瞳が、ガーネのローブの下に隠れた肌を見せた。未発達の、幼い背中。その背中には、時術式と魔術式のふたつの術式が背中に描かれていた。そして、その右端にはなにやら模様のようなものまであった。
「力を奪う魔術式二つに、空間移動の術式一つ。最後の方位を示しているかのような紋様は、キュデル派のシンボルか」
ミースは何のことかと振り返った。
「手の込みようからみて、操り師デルナ・コーベンの仕業だろうな。あぁ、ダビ様になんて言い訳しよう。そもそも、僕の話に耳を傾けるような人じゃないから。あの人は、昔から苦手なんだよなぁ」
シュミレットは両手のひらを、ガーネと悶える赤い竜に向けた。
雨の季節、紫や青いあじさい綺麗です。
このまま、この涼しさつづけばいいなと思いつつも
冷夏になると困ることばかり。
一つぐらいいいことあると、いいな。
次回、更新近日中……