百章 巡り会い
第百章 巡り会い
ふわりと景色は変わり、侍女シフェはランプを片手に暗い冷たい廊下をゆっくりと歩いていた。肌寒さに震えながら、歯を微かに鳴らしていた。とても恐ろしいのだろう、響く自身の足音にさえ怯えていた。しかし、シフェは一歩一歩、彼女にとっての未知なる先へと足を進めていた。
長い廊下の先に、木の古びた扉があった。シフェは唾を飲み込んで、扉に手をかけて開いた。舞った埃に咳き込みながらシフェは暗闇の中にランプを差し出して照らした。召使いに聞いたのだろう、震えながらこの先の通路がどうなっているのかを慎重に確かめていた。
シフェは扉の向こう側へ歩きはじめた。そして、さらに暗闇が広がる階段に辿り着くと、シフェはゆっくりと壁に手をつきながら階段をおりていった。
辿り着いた先には金の扉が存在していた。
シフェは扉を見て呟いた。
「なんて美しい扉なのかしら……」
シフェは扉の奇妙な印に手を伸ばした。丸い円の中に三つの円があり、潰れた丸の中に三つの穴とそれらの中心に一つの穴がある象徴のような印だった。シフェが印に触れると、扉は開いた。
まるで招き入れるような扉の開き方だった。
シフェはランプを差し出しながら部屋に入った。
小さな部屋の中に入った瞬間、ランプの火が吹き消えた。そして、小さな部屋がパッと明るくなった。砂色の石造りの壁と床の上に上等な赤い絨毯が敷き詰められていた。侍女に過ぎないシフェの足は絨毯を踏んでおり、慌てて絨毯から離れようとしたが、どこもかしこも小さな部屋には絨毯で覆われていたため、シフェは「あっ」と叫び、慌てふためいていたが、ふと心奪われたかのように動きをとめた。
シフェは金に縁取らられた鏡を見つけたのだ。そして、そこに自分自身の姿に首を傾げた。
「美しい鏡。ーーなのに、なんてみすぼらしい姿かしら。この部屋に不似合いな、なんの力もない惨めな侍女……」
シフェは溢れた涙を拭い、絨毯の上に消えたランプを置き、部屋中を見渡して本や何かないかと探した。しかし、一目見ただけでその部屋には鏡のほかには金でできた足一本の小さなテーブルしかないのがわかる。
「何もないわ。そんな……」
がらんといた寂しい部屋だ。しかし、シフェは諦めきれず、石造りの壁をトントンと叩いて、なにか隠された部屋はないかと確認した。しかし、壁は普通の石でできているようだった。シフェは手を腫らしながらも長く叩き調べた。そして、壁づたえに鏡の近くに来た時、鏡の裏側に何かあるのが見えた。
シフェは急いで金縁の重い姿見を体重をかけて横へとわずかに移動させた。すると、鏡の後ろに隠れていた壁に刻まれた印を見た。
それは、部屋に入るときに見た扉の印とまったく同じものだった。丸い円の中に三つの円があり、潰れた丸の中に三つの穴とそれらの中心に一つ穴のある印だ。シフェは不思議にその印を見つめながら腫れて気づかない間に血が滲んでいた右手をその印の上に置いた。すると、シフェのわずかな血が印の窪みに吸い込まれるように流れはじめた。
驚いてシフェは飛び退こうとしたが、時すでに遅く、とても強い力で繋がれたようにシフェの右手はピクリとも動きそうになかった。シフェはあまりの恐怖に冷や汗を流し、ひどく怯えていた。けれど、容赦なくシフェの血は印の窪みを巡り、全ての印の間を血で埋めていった。印が完全に血で赤く染まった瞬間、シフェの右手は途端に拘束を解かれ、シフェは姿見に半身ぶつけながら絨毯の上に転げ倒れた。
シフェは血を吸われたと思ったのか慌てて右手を見ると、壁を叩き腫らした手はいつも見慣れた傷のない綺麗な働き者の手に戻っていた。手の平と手の甲をひらひらと返しながらシフェは言った。
「どうして……」
ふと気配がしたのか、シフェはぱっと顔をあげた。
シフェを見下ろしている女性がいた。
その女性は綺麗な黒い髪を腰まて垂らしていた。薄い紫色のドレスを身に纏い、仄暗い灰色の瞳をしていた。美人といえば美人だが、どこか疲れ果てたような影のある様子だった。
シフェは何やらその女性が只者ではないと感じ取ったようで、頭を下げて跪いて言った。
「……あの、どの貴人様でしょうか。誠に申し訳ございません、無断でこの部屋に入ってしまいました」
か細く掠れた女性の声が言った。
《其方が、壁に触れたのかえ》
シフェは怯えながら額を床に叩きつけた。
「申し訳ございません。どうしても、どうしても探したいものがありまして……」
《はぁ、ははは》と女性は不気味に笑った。
シフェは驚いて床に頭をくっつけたまま震えた。
《あぁ、あやつめ。我の言った通りではないか。いずれきっとこうなるのとな!》
女性はか弱そうな見た目に反して乱暴に声を荒げた。そして、女性はシフェの手を差し伸べて言った。
《怖がらせたか、愛らしき我が子よーーさぁ、おもてをおあげ》
「我が子?はい……」
消え入りそうな声を漏らしたシフェはその女性の目を合わさないように目を伏せたが。女性は首を横に振り、シフェの顎を指先で持ち上げて強引に顔を上に向けさせた。シフェは戸惑いながら女性の顔を見た。
女性はにっこりと微笑んで、シフェの頬を優しく撫でた。シフェは怯えてはいたが、なぜかその女性が愛おしげに頬を撫でるので震えがいつの間にかとまっていた。
その女性はシフェの服装やその様子をじっと見てから言った。
《かわいそうに。我の庭でもっと伸びやかに生きかせてやりたかったのに。あぁ、これほどまでに痩せ細り、身なりもなんということか……其方の運命は狂ってしまったのだな》
「運命……?」
《あぁ、なぜあの口先だけの愚か者を信じてしまったのやら。……あぁ、あれから、途方もない歳月が経ているのだな……》
シフェの目の前で女性は両目から白銀の涙をとめどなく流していた。深い後悔に沈んでいるようだった。シフェは心が痛んだのか、頬に触れる女性の手に手を重ねた。
「あの、どうか、どうか、泣かないでください」
涙を流しながら女性はわずかに微笑んだ。
《おぉや、優しい子よ。慰めてくれるのかえ?》
「差し出がましいことをしているかも知れませんが、何が悲しいのですか?」
女性は顔を顰め、首を横に振った。
《過ぎ去った歳月が長く。いかに無意味に過ぎていったことか。悲しみと恨みでこの胸は張り裂けそうだ》
「過ぎ去った歳月とは……?」
戸惑うシフェを女性は優しく抱きしめた。
《あぁ、其方は我が誰かわからぬのだな。無理もないことだ。ーー我が名はサタイン。其方の一族を産みし時と共に、もはや忘れられた女神だ》
「め、女神様……。私たちを産んだ女神様?」
《あぁ、だが、もう神とも呼べぬな。我の力の半分以上を奪われ、我はここへ閉じ込めら封じられた。我はこの世界の終焉までここから出られぬ。あの愚か者はーー神を冒涜した。その報いを受け、その報いはもう間もなく世界を滅ぼすだろう。しかし、運命はいま巡った》
「ーー女神様、あの、学のない私には何を仰っているのやら」
女性こと、女神サタインはシフェから離れて言った。
《我は予言した。我から力を奪い閉じ込めようとも、いつの日か、我が子が我の封印を解き、旅立ちを誘うとな》
「旅立ち?」
《運命は巡ったのだ。我が子よ。其方がここへ訪れた本来の理由はわかっておるが。其方の願いはけして叶わぬ》
シフェは首を傾げた。
「ーー女神様、私がなぜここへ訪れたのかわかっていらっしゃるというのですか?」
《さよう。其方は仕えている主の命を救いたく、ここへ参ったのだろう?》
シフェは跪いて乞うように言った。
「はい、女神様。私は仕えている王女様と王族の皆様を……」
《あぁ、嘆かわしや。この世界の主たる者として産みし血を受け継ぐ我が子が偽りの子を主とし仕えておったとは》
「偽り?何を仰っているのか、私めには……」
女神サタインは言った。
《しかし、時は巡った》
シフェは首を横に振った。
「時……?私めには何のことかわかりません。私は陛下方がこの地下の部屋に参られ、特別なことをされているとお聞きしました。きっと私めが知るべきことではない崇高な行いだとわかっております。ですが、私めの命と引き換えにしてでも、お仕えしてる王女様や王族の皆様の命が救われるようにと願いたく参りました。私はお優しい王女様方が救われるのであれば、どのようが犠牲を払ってもかまいません。どうか、女神様、私の願いを叶えて欲しく存じます」
床に額を強く打ちつけてシフェはひれ伏した。深くふかく慕う主のために忠誠心の厚い侍女の姿だった。
女神サタインはそんな姿を見て悲しそうな顔をした。
《哀れや。その願いはけして叶わぬ。ならば、記憶をすべて消してやることしか我にはもうすでにできぬ。過ちは過ちを生みつづけやがて崩壊をもたらすーーが、其方の運命はここでは終いにはけしてさせぬ。この身が消えるとしてもな》
手の平を柔らかくふわりとサタインが動かすと、床にひれ伏したシフェの体はまるで操り人間のように体を持ち上げられて宙に浮いた。
シフェは驚いた顔で抵抗しようとしたが、指一本動かすどころか一言も言葉を発せられない様子だった。
サタインは両手を合わせ、淡い光を放った後、最後に宙を浮くシフェ目掛けて息を吹きかけた。すると、みすぼらしかったシフェの衣服は黄金の華美なドレスとなり、首元には多いな赤い宝石のついた首飾りを身につけ、額には扉に刻まれた丸い円の中に三つの円があり、潰れた丸の中に三つの穴とそれらの中心に一つ穴のあるあの印が金の線で浮かんでいた。そして、その印は一瞬でシフェの皮膚の中へ消えて見えなくなった。シフェはハッと息を吐いたのちに、気を失った。
サタインは宙を浮いたまま意識のないシフェに向かって言った。
《其方は正当な王の血脈とし、我より生まれた子の子孫である。運命は再び我の手により変わる。この世界の滅びとは異なる運命を我の最後の力をもって新しく作り直す。偽りの世界はもはや滅びるしかない、無垢たるや存在を許された我が子さえ生き残れば良いのだ。
しかし、其方は我と出会ったことすら覚えておらぬだろう。主がいたことも覚えておらぬだろう。これから先、其方は世界とは呼べぬ禁忌を犯した者が連れた異質の船コクハ=ダラバドルでセロトの民として血脈を繋ぐ者の一人として旅立つ。異質な術を作り出し忌を犯した者たちへの罰であり、我が子の血脈がいずれ第三の偉大なる女王メウルの存在へと紡がれる。あの子は実り豊かな世界の一君主として、後世まで子孫に名を語り継がれる者となる。生まれるべきではなかった者たちはこの世界と共に滅びの道を辿るが、其方は子孫のために生きなければならぬ》
女神サタインは両手から白い光を出してシフェをその光で包んだ。そして、不意に女神サタインがこちらを向いた。まるでこちらが見えているように語りかけてきた。
「すべての理を追う者よ、もう力が残っておらぬ故に我には其方らの姿は見えぬが。感じることはできる。ここから先はこの世界がどう滅びに向かうのかを見ることとなろう。我は其方の知るサタインではない。其方らが知るであろう偽りの神サタインは我が力を奪いし抜け殻ぞ。
その昔、神と世界を失いかけ行き場を失った一族を我が世界へ迎え入れてやった。あの者たちはその恩たるやを忘れ、扉を開いて得た愚術によって、醜い舌先に我は騙され力を奪われた。我が子らは虐げられ、貧相な一族がこの世界を乗っ取った。我はただ我が世界を愛し、我が子が作り出す世界の行末を見たかっただけだが。その願いを無碍にされた愚かな神なのだ。しかし、愚かでも神は神。この世界を乗っ取った一族は我の呪いにより我と共に滅びることが決まっておる。その命が助かるのは、我が子シフェともう二人のみ。
ーー我が語ることができるのはここまでだ。其方がいずれ最後の理に辿り着く。その時、何を選ぶのか我はーー」
最後の言葉は聞こえる前に、ふっと景色が掻き消えた。
次に見えたのは崖近くの草木も生えない険しい山道だった。
その道を一頭の馬を繋いだ馬車が走っているのだが、フードを被った御者は勢いよく暴れ走る馬をいなせておらず。速度だけが速くなり、そのまま走り抜けるといずれ崖下へ真っ逆さまに落下してしまうのが明らかだった。御者は飛び降りればいいものの、あまりにも早い馬車の速度に降りるに降りれなくなっていた。
突如、馬に乗り追いかけてきた者が走りながら馬の背に立ち、暴れ走る馬に飛び乗った。そして、腰に携えた鋭利な短剣で手綱を器用に断ち切った。切り離された荷馬車は後方で緩やかに失速して行ったが、走りつづける馬は追いかけてきた者ともに角の向こうへと消えていった。
フードを被った御者は息荒くしながら、脱力してその場に垂れていた。置いて行かれた馬が嘶いた。
しばらくして、荷馬車を切り離した勇気ある者が暴れていた馬に乗って戻ってきた。
御者は足を震わせながらなんとか荷馬車から降りて言った。
「助けていただいて、感謝します」
御者の恩人はやや長い黒い髪で両耳を隠し、濃紺のチュニックに長い脚を際立たせる黒いズボンを履いていた。腰には蔦色の革の鞘に立派な剣を携え、短剣を二本その横に飾るように並んでいた。明らかに武人そのものといった出立ちだった。
若い男の剣士、いかにもそう思うところだった。馬から降りたその者は言った。
「お前、何を考えている。死にたいのか?」
「すみません……。馬を走らせるのがこんなに難しいとは思わなくて」
「馬の扱いを知らないのか。御者を生業をしている者を雇えばいいだろうが」
「ーーあぁ、その手が!」
剣士は呆れたような顔をした。
「世の習わし疎いと見えるが。どこぞの高貴な出なのだろう。節介ついでに教えてやるが。この先一人で進むことはやめておいたほうがいい。盗賊やごろつきや蔓延っている山だ。剣すら持っている様子のないところを見ると、お前一人では山を越えることは適わないだろう。ーーどうだろう?私を雇ってみないか」
「雇う?」
剣士は表情を変えずに言った。
「護衛として雇わないかと言っている。次の街までとりあえずどうだ」
「ーーそれでは困るのです。私が用があるのはこの山の山頂で、そこにとても貴重な薬草が自生しているのです。私はそこに行かなければならないのです」
「山頂か」
剣士は山を見上げて少し考えていた。
「まぁ、この山ならせいぜい山頂まで数日程度だろう。雇う気があるなら、山頂まで行き、それから次の街までの護衛をする」
「誠に連れていってくださるのですか」
「あぁ。金の分だけはきっちりと仕事はする。命を守るのだ、金貨三枚でどうだ?高貴な者なら安かろう」
「金貨三枚で良いのですか」
「もっとくれるならば頂くが?」
「金貨三枚でお願いします」
男はローブの下の手を入れて巾着を探してごそごそと動くと被っていたフードが風で少し揺れて先程まで影に隠れていた男の麗しい素顔がよく見えた。
男は慌ててフードを深く被り直した。剣士は言った。
「顔隠すなど、よほど高貴な者なのだろう。なぜ護衛を連れていない?私は助かるが」
男は不思議そうに剣士を見つめて言った。
「護衛を連れて行ける状況ではなかったのです。ーーそれよりも、私を見ても何も思わないのですか?」
「何を思う必要がある」
「……皆さん、私の顔を見て驚いた顔をされるのです」
剣士は軽く笑った。
「その見た目ではな」
「見た目?」
「鏡を見たことはないのか?」
「もちろん、あります」
「それならばわかるのでないか。それとも、私にわざわざ美しいとでも言わせたいのか?」
ローブの男は顔を真っ赤にさせた。
「いいえ、そんなことけして言わせたいわけではありません。ーーあっ、あった」
ローブの男はローブの中から巾着を取り出して、その中から金貨を三枚取り出して剣士に差し出した。
「先払いするつもりか?」
「はい?」
「ーーふっ。疎いにも程があるな。盗賊と出くわして、私が金だけ貰って逃げたらどうするつもりだ」
ローブの男は慌てふためいた。
「えぇ、逃げるのですか?」
「いや。だが、そういう輩もいるだろう」
「それは困ります」
剣士は笑った。
「馬鹿正直な奴だな。だが、運は良いようだ。私の名はルーシェ・エルオセム・プレイエムオット。傭兵の島の者だ。これから雇い主の元へ馳せ参じるところなのだが。路銀はあって困ることはないからな、こうして旅の途中で仕事を請負い移動している」
「あなたは傭兵だったのですね」
「あぁ。雇い主殿、そちらの名前は?」
「レフェレント・デ・バルです。あっーーレフェと呼んでください」
「レフェ殿か。あいわかった」
男は笑った。
「ルーシェとは女性のような名前ですね」
「そうだな。性は女だからな」
「……えっ!」
「些細なことだ。まぁ、気にするな。私は仕事はきっちりする方だ。さぁ、もたもたしていると日が暮れる。さっさと山頂に向かっていくぞ。レフェ殿、馬に乗ってくれ」
「あっ、私は乗馬ができないのです。だから、馬車を……」
「ーー仕方ない。後ろに乗れ」
ルーシェと名乗った剣士はさっさと乗馬すると、ローブを着たレフェレントの手を貸してやり後ろに乗せた。そして、自身が連れていた馬の手綱を引いてゆっくりと山道を走りだした。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
約1年ぶりの更新でしょうか。
大変お待たせしてしまいました。
今年からゆっくりと更新再開することとしました。
日常が慌ただしく過ぎていく中で
こうしてまた執筆できることを嬉しく思っております。
また次章もよろしくお願いします。
2026.1.1 佐屋 有斐




