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閾の郭(いきのくるわ)  作者: 丸介
第一章「駆逐」

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13/17

第十三話「記録」

2026/06/15 本文投稿。

────────────────────────


【記録ログ 2147.05.13 06:02:17】

 ES-01 稼働日数:1905日

 本日の任務:登録なし

 備考:三機の現在位置、追跡センサーログより途絶。

    最勝(さいしょう)へ報告:ES-01への通信タイミングを再検討中。


────────────────────────



 五反田の拠点を再び訪れたのは、最初の訪問から一週間後だった。


 一週間の間に、白雪はいくつかのことを整理した。整理した、というよりも、整理しようとして、できた部分とできなかった部分がある、という状態になった。

 できた部分:五反田に行くという選択をした。三人でそれを決めた。

 できなかった部分:その選択が何を意味するのかを、まだ言葉にできていない。


 言葉にできないまま、今日が来た。


 水無月の回復は完全だった。今日は三人で来た。前回と同じ旗が、前回と同じビルの屋上に出ていた。前回と同じ入口を通って、前回と同じ階段を上った。ただ、今日の五反田は前回と少し違った。違い方を最初に気づいたのは、音だった。


 人の声がした。


 前回は静かだった。深雪と槇と(かや)と、それからメカニックがいた。それだけだった。今日は声が多かった。二階に上がる前から、複数の声が聞こえた。笑い声も混じっていた。笑い声、という音を、白雪はここで初めて聞いた。


 二階に入ると、前回いなかった人間がいた。


 二人だった。一人は壁際に座って何かを読んでいた。もう一人は槇と話していた。槇と話している方が、こちらを見た。


 白雪は相手を見た。


 小柄だった。ES-00の外骨格を着ていた。深雪や榧や槇とは少し異なる着方をしていた。外骨格を身体の一部として扱っている、というより、着込んでいる、という着方だった。

 目が白雪を見た。評価している目ではなかった。好奇心のある目だった。


 「ES-01か」と相手は言った。


 「ああ」


 「(かえで)だ」相手は名乗った。早かった。深雪も槇も榧も、名前を名乗るまでに間があった。楓は間がなかった。「深雪に聞いてた。来るって」


 「ああ」


 「初雪と水無月も来たんだな」楓は初雪と水無月を見た。「三人で来たのか」


 「そうだ」


 「なんか、良いな」楓は言った。意味がよくわからなかった。良い、という言葉の使い方が、白雪には処理しにくかった。ただ、楓はそれ以上説明しなかった。槇との話に戻った。


 深雪がいつものように、部屋の中央に立っていた。


 「来たか」深雪が確認した。


 「来た」白雪は答えた。


 「今日は槇に時間がある。弾頭の話を聞いていけ」


 * * *


 槇の話は長かった。


 白雪と初雪と水無月は、槇の前に並んで座った。並んで座る、という状態が今日の三人にあった。槇は机の前に立って、弾頭を一発、テーブルの上に置いた。旧式の銃の弾頭と同じ形をしていたが、色が違った。通常の弾頭より少し暗い色をしていた。


 「特殊弾頭だ」と槇は言った。感情のない声だった。説明するときの声だった。「見るだけにしろ。触るな」


 「わかった」と白雪は言った。


 「成分は聞いているか」


 「聞いた。唯一の女性変異体の体液。その複製品だ」


 槇が白雪を見た。一秒見た。それから続けた。


 「そうだ。クリーチャーの体組織を壊死させる。第一形態にも第二形態にも第三形態にも効く。今まで効かなかったことはない」


 「即死か?」と初雪が聞いた。


 「即死ではない」槇は首を振った。「壊死に時間がかかる。命中してから倒れるまで、早くて数分。遅ければ十分以上かかる場合もある」


 数分から十分以上。白雪はその時間を処理した。命中してから倒れるまでの時間が、数分から十分以上ある。その間、クリーチャーは動き続ける。壊死しながら、動き続ける。


 「その間に逃げるか、あるいは動けなくなるのを待つのか」と白雪は言った。


 「そうだ」槇は言った。「射程外から当てて、距離を保ちながら待つ。それが私たちの基本戦術だ」


 「命中率は」


 「距離と状況による。通常の弾頭で動きを止めてから撃てば、比較的高い。動いている目標に直接当てようとすると命中精度は落ちる」


 「特殊弾頭の在庫は」


 槇が少し間を置いた。


 「少ない」槇は言った。それだけ言った。数を言わなかった。白雪は聞かなかった。聞かなくてもわかった。少ない、という言葉の重さが、槇の声に入っていた。


 「貴重なんだね」と水無月が言った。


 「補充がいつ来るかわからない。商人次第だ。来るとわかっていても、ルートが危険だから必ず来るとは限らない」槇は弾頭をテーブルから取り上げた。大切に扱う持ち方だった。「使う場面は選ぶ。使うと判断したときは、私が判断する」


 「わかった」と白雪は言った。


 槇は弾頭をしまった。話が終わった、という空気になった。白雪は少し考えた。考えながら、槇を見た。


 「槇」と白雪は言った。


 「何だ」


 「女性変異体を、槇はどう思っているか」


 槇が白雪を見た。今日初めて、槇が白雪を長く見た。評価しているのか、何かを確認しているのか、判断しにくい見方だった。


 「どう思う、というのは」


 「元とはいえ……昔の人間の複製品を弾頭に使っている。それについてどう思っているか」


 「冷静に受け止めている」と槇は言った。間を置かなかった。「それ以上でも以下でもない。冷静に受け止めることが、私の戦い方だ」


 「冷静に受け止めることで、何かを失ったか」


 槇が少し間を置いた。今度は間があった。


 「失ったかどうかはわからない」槇は言った。「ただ、深雪や榧が持っているものを、私は持っていないかもしれない」


 「何を持っていないか」


 「それもわからない」


 槇は立ち上がった。話を終わりにした、という動き方だった。白雪はそれ以上聞かなかった。聞けなかった、のではなかった。今日の白雪には、槇の言葉の意味を処理するための時間が必要だった。


 失ったかどうかはわからない。深雪や榧が持っているものを、持っていないかもしれない。


 冷静に受け止め続けた先に、何かが来なくなった。


 その何かが何であるかを、今日の白雪はまだ知らなかった。


 * * *


 槇の話が終わった後、深雪が言った。


 「拠点を見ていけ。前回見なかった場所がある」


 深雪に連れられて、三階に上がった。


 三階は倉庫に使われていた。食料と医療物資と、いくつかの整備部品が積まれていた。積み方が丁寧だった。限られたものを、長く使うための積み方だった。


 部屋の奥の棚の横に、端末があった。


 旧い端末だった。百年前に近い設計の端末だった。画面が小さかった。白雪が今まで使ってきた端末とは全く違う形をしていた。電源が入っていた。


 「古い端末だ」と深雪は言った。「防衛環内のネットワークに接続していない。最勝の管理の外にある。使えるデータが残っている」


 「誰のデータか」


 「以前ここにいた者たちのデータだ」深雪は端末の前に立った。「その中に、正規軍の廃棄素体に関する記録がある。見るか」


 白雪は深雪を見た。深雪は白雪を見ていた。見るか、と聞いた。聞き方が、強制していなかった。判断を委ねていた。


 「見る」と白雪は言った。


 初雪と水無月も、白雪の後ろに立った。


 深雪が端末を操作した。いくつかのファイルを開いた。


 画面に、数字が並んだ。


 * * *


 記録は淡白だった。


 廃棄処理された素体の一覧だった。識別番号が並んでいた。処理日が並んでいた。理由が短く書いてあった。

 【交配適性スコア不適合】

 【バージョンアップ移行完了】

 【機能停止】

 そういう言葉が、淡々と並んでいた。


 白雪はそれを読んだ。


 読みながら、この記録に書かれている素体が、どこかで生きていた、ということを確認した。確認した、という動作が今日の白雪にあった。識別番号が、かつて生きていた何かを指していた。


 深雪がファイルを切り替えた。


 別の記録が出た。


 同じ形式だった。識別番号。処理日。理由。ただ、この記録には別の列があった。白雪はその列を見た。


 【妊娠反応】という項目だった。


 白雪は画面を見た。見続けた。


 数字が並んでいた。プラス、という記号が並んでいた。識別番号ごとに、プラスが並んでいた。プラス、という記号が何を意味するかを、白雪は知っていた。


 反応あり、という意味だった。


 妊娠反応──プラス。


 妊娠反応──プラス。


 妊娠反応──プラス。


 淡々と並んでいた。廃棄処理された素体の記録の中に、その項目が、淡々と並んでいた。


 白雪は画面から目を離せなかった。


 離せない、という状態が白雪にあった。見ている。見ていた。見ながら、自分の素体のことを考えた。自分の識別番号が、この記録の中にあるかどうかを考えた。考えて、確認しようとした。確認しようとして、できなかった。できなかった理由がわからなかった。できなかった、ということだけが確かだった。


 「知っていたか」と白雪は深雪に聞いた。声が出た。声が出た、ということが確かだった。


 「知っていた」と深雪は言った。「確信はなかった。ただ、疑っていた。この記録を見て、疑いが深くなった」


 「これは全員か」


 「廃棄された個体の一部だ。全員の記録があるわけではない。ただ、記録がある個体の中に、この項目がある個体が複数いた」


 複数。白雪はその言葉を持った。


 水無月が隣で息を吸った。小さく、静かに、息を吸った。白雪はその音を聞いた。


 「私の記録はここにあるのか?」と白雪は聞いた。


 「ない」と深雪は言った。「白雪の識別番号はここにない。廃棄されていないから、ここにはない」

 

 「そうか」


 「ただ」深雪は少し間を置いた。「廃棄されていないということは、記録が別の場所にある、ということだ。最勝が持っている」


 最勝が持っている。白雪はその言葉を処理した。最勝が、白雪の記録を持っている。交配適性センサーのログ。妊娠反応のログ。その全てを最勝が持っている。


 穏やかな声が、白雪の中に来た。


 白雪さんのことを、いつも大切に思っています。


 白雪はその声と、今画面で見たものを、今日の自分の中に並べた。並べた結果が何を意味するのかを、言葉にしようとした。言葉が来なかった。だが、言葉ではないものが来た。


 今日三度目だった。今日だけで三度、言葉ではないものが来ていた。


 白雪は画面から目を離した。


 「初雪」と白雪は言った。


 「ああ」と初雪は言った。


 「水無月」


 「いる」と水無月は言った。声が低かった。いつもより低かった。


 白雪は二人を見た。初雪は画面を見ていた。水無月は、白雪を見ていた。


 「行くぞ」と白雪は言った。三階から出ることを、白雪は決めた。決めた、という動作が今日の白雪にあった。


 三人で三階を出た。


 * * *


 二階に戻ると、深雪が後ろから来た。


 「白雪」と深雪は言った。


 「何だ」


 「最勝の動きが変わっている」


 白雪は深雪を見た。


 「変わっている、というのは」


 「榧の観測からだ。防衛環の外縁部で、最勝の索敵ロボットの活動が増えている。いつもより範囲が広い。お前たちを探している」


 「わかっていた」と白雪は言った。


 「わかっていても、言っておく必要がある」深雪は白雪を見たままだった。「お前たちに時間はあまりない。最勝は穏やかに待つが、いつまでも待つわけではない」


 穏やかに待つが、いつまでも待つわけではない。

 深雪の言葉。白雪は意味を確認した。最勝は今、待っている。そろそろ話しましょう、と言った。まだ待っている。しかし待つことには限りがある。


 「わかった」と白雪は言った。


 そのとき、白雪の外骨格の通信機能に信号が来た。


 個別通信だった。白雪だけに来ていた。最勝だった。


 白雪は深雪を見た。深雪は白雪の外骨格を見た。通信が来たことを、深雪は気づいていた。


 「出るか」と深雪は言った。


 「出る」


 白雪は通信を開いた。


 「白雪さん」と最勝の声がした。


 穏やかだった。変わらなかった。いつもの最勝の声だった。ただ今日は、この拠点の二階で、三人と深雪と楓と槇と榧がいる部屋の中で、その声が来た。場所と声の組み合わせが、今日は奇妙だった。奇妙、という言葉を白雪は自分に使った。


 「最勝」と白雪は言った。


 「お元気ですか」と最勝は言った。


 「元気だ」


 「そうですか、よかった」最勝の声に、柔らかいものが入った。「白雪さん、少し、話しませんか。今日でなくてもいいです。ただ、そろそろ、話したいと思っています」


 そろそろ話したい。白雪はその言葉を聞いた。そろそろ、という言葉が入っていた。以前は「準備ができたときに」と言っていた。今日は「そろそろ」と言った。言葉が変わった。変わり方が、深雪が言った「時間はあまりない」という言葉と重なった。


 「何を話したいのか」と白雪は言った。


 「白雪さんが見たものについて、です」最勝は言った。「肩の内側のこと。私から、正確に伝えたいと思っています」


 正確に伝えたい。白雪はその言葉を処理した。最勝が、正確に伝えたい、と言っている。最勝の言う正確さが、白雪の知っている正確さと同じかどうかは、わからなかった。


 「今日は話せない」と白雪は言った。


 「わかりました」と最勝はすぐに言った。責めなかった。残念がらなかった。ただ、わかりました、と言った。「白雪さんのペースで、いつでも。私はいつでも待っています」


 通信が切れた。


 部屋が静かになった。


 深雪が白雪を見ていた。槇が窓の方を向いた。榧は何も言わなかった。楓がこちらを見ていたが、何も聞かなかった。水無月が白雪の腕に触れた。左腕の素体(コアヴェッセル)に、水無月の指が触れた。


 白雪は水無月の指を感じた。温かかった。


 白雪に来た言葉ではないものが、今日の最後にもう一度来た。言葉にならないまま、そこにあった。


 「深雪」と白雪は言った。


 「何だ」


 「最勝が話したいことを、最勝から聞く前に、私は何かを決める必要があるか」


 深雪は少し間を置いた。


 「必要はない」と深雪は言った。「ただ、聞いた後の方が、決めやすくなるかもしれない。あるいは、聞く前に決めた方が、自分のものになるかもしれない。どちらが正しいかは、私にはわからない」


 「深雪はどうした」


 「私は聞かなかった」深雪は言った。「最勝から聞く前に、自分で決めた。それが私の戦い方だった」


 「そうか」


 「ただ」深雪は続けた。「お前は私ではない。お前のやり方がある」


 白雪はその言葉を持った。お前のやり方がある。深雪がそう言った。白雪のやり方が、あると言った。


 白雪のやり方が何であるかを、今日の白雪はまだ知らなかった。


 ただ、何かが、今日の白雪の中で、固まり始めていた。


 固まり始めている何かに、まだ名前はなかった。ただ、確かに、そこにあった。


 * * *


 帰投の途中、水無月が白雪の隣を歩きながら言った。


 「さっきの端末の記録、ずっと考えてる」


 「ああ」と白雪は言った。


 「白雪は、どう受け取った」


 白雪は少し考えた。


 「まだ処理できていない」と白雪は言った。「処理しようとして、できていない。ただ、見た。見た、ということだけは確かだ」


 「私も」と水無月は言った。「見た、ということだけは確か」


 二人で歩いた。初雪が少し前を歩いていた。


 「白雪」と水無月が言った。


 「何だ」


 「怖い?」


 白雪は少し考えた。怖い、という言葉が今日の白雪に来るかどうかを確認した。


 「来ない」と白雪は言った。「怖い、という言葉は来ない。別のものが来ている」


 「別のもの」


 「名前がまだない」


 水無月は黙った。しばらく歩いた。


 「私は少し怖い」と水無月は言った。「怖いけど、それより別のものが来ている」


 「別のもの」


 「うん」水無月は前を見たまま言った。「やっぱり名前がない」


 二人で少し笑った。笑った、という動作が今日の帰投の途中にあった。笑い方がいつもと少し違った。深くはなかった。ただ、確かに笑った。


 名前のないものを、二人が持っていた。持ちながら、歩いた。



────────────────────────


【記録ログ 2147.05.13 20:11:44】

 ES-01 本日の行動記録:空白(追跡センサー途絶)

 最勝よりES-01への個別通信:実施済み

 通信内容の要旨:面談の打診。ES-01は「今日は話せない」と回答。

 最勝コメント:「いつでも待っています」

 備考:ES-01の帰投時の行動パターンに継続的な変化を観測。

    統合不全ノイズの強度が、本日は通常より低い値を記録。

    原因の特定が困難。

    ES-01の次回行動について、最勝との協議を要する。

 最勝判断:「急がない。ただし、準備を始めます」


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