真相の前のディナー〜羽を狩られた天使を添えて。2
Club SERAPHへ戻った頃には、空気の色が少し変わり始めていた。
俺とアスモデウスが店の裏口から戻った時には、すでにフロアの卓は半分以上片付けに入っていた。
「狭間ぁ!!」
裏方の通路から怒鳴る声が飛ぶ。
村中さんだった。
黒シャツ姿に簡易のベストを着せられ、完全にこの店のボーイに擬態している。普段のくたびれた刑事然とした雰囲気とは違い、妙に夜の現場に馴染んでいて腹が立つ。隣では田村さんが、空になったグラスをトレイに積みながら忙しなく動いていた。
「お前どこほっつき歩いてた!? 急にいなくなりやがって! こっちはお前の代わりに締めまで回されてんだぞ!」
「すみません、ちょっと……」
「ちょっとで済む顔かそれ!」
村中さんの言葉に、俺は思わず顔をしかめた。自分でも分かる。落下の衝撃とアスモデウスとの“契約”の代償で、顔色は最悪だろう。
そのやり取りを見て、アスモデウスが背後で薄く笑った。
「随分と賑やかな職場ですね」
「うるせぇ」
小声で吐き捨てる。
村中さんはそこでようやくアスモデウスの存在に気づいたらしく、露骨に眉をひそめた。
「……誰だそいつ」
「説明は後でします」
「嫌な予感しかしねぇな」
ごもっともだ。悪魔を現場に連れてくるなんて想定外にも程がある。
「今どうなってます」
俺は無理やり本題に戻した。
村中さんの表情がすぐに締まる。
「アマネはもう店を出た。代犠と一緒にアフターだ」
「っ、どこへ?」
「それが妙なんだ」
村中さんは声を潜めた。
「こっちの別班が尾けてる。普通ならそのままホテルか、代犠の行きつけか、そういう流れだろ。だがあいつら、なぜかサクラメントグループのビルの方へ向かってる」
「……アフターで?」
「そうだ。しかも二人きりらしい」
嫌な予感が、さらに膨れ上がる。
アマネの行動だけじゃない。今この瞬間に重要なのは、聖の方だ。
「聖は」
「それも報告待ちだったが」
村中さんが舌打ちする。
「お前が消えた後、一度だけ戻ってきたらしい。けどすぐ御子柴セリナに連れて行かれた」
「連れて行かれた?」
「ああ。店の表からじゃない。裏導線だ」
俺は思わずアスモデウスを見る。悪魔は腕を組んだまま、いかにも退屈そうに立っていたが、その赤い眼はわずかに細められていた。
「聖を尾けられなかったんですか」
「やろうとしたさ。けど、その時にはもう遅かった」
村中さんが眉間を揉む。
「御子柴も聖も、店を出てから足取りが消えてる。車を使ったか、系列の動線を使ったか……とにかく、今は行方不明だ」
「くそ……」
自然と奥歯が鳴る。
アマネが危ない。聖も消えた。
全部が一本に繋がりかけているのに、核心だけがまだ掴めない。
「追加情報だ」
村中さんが俺を見た。
「お前が言ってた“アマネ信者の事件”、洗い直してみた」
「どうでした」
「時系列が合わねぇ」
その一言で、俺は息を止めた。
「……どういうことです」
「聖ノエルがこの店に入る前の話なんだよ。信者に不幸が起きた一連の件は」
「な……」
「つまり、聖が直接絡んでたって線は薄い。少なくとも最初の異変についてはな」
頭の中で何かがずれる。さっきまで俺は、聖がアマネ信者への制裁まで含めて全部やっていた可能性を考えていた。だが時系列が違うなら、その前段階には別の人間がいたことになる。
「じゃあ聖は……」
「むしろ逆だ」
村中さんの声が低くなる。
「聖ノエルは、御子柴セリナが代表になってからこの店に入ってる。しかもただの採用じゃない。セリナ本人が連れてきた」
言葉が、重く落ちる。
「セリナが……?」
「調べたら、入店の経緯が妙に不透明でな。表向きはスカウトって話だが、実際には御子柴が直で連れて来た形跡がある」
胸の奥で、嫌なものが形を持ち始める。聖は犯人かもしれない。だが、もし本当にそうだとしても、それは単独じゃないのではないか。
御子柴セリナ。アマネ信者の事件が起きた時期から、すでに店の中枢にいて、宣伝部長兼SNS担当になり、今はグループ代表。
「村中さん、アマネの尾行班に連絡を」
「入れてる。返答待ちだ」
「急がせてください。もしかしたら犯人は御子柴セリナかもしれない…」
「は?どういうことだ」
そのとき、村中さんの胸ポケットの端末が震えた。素早く確認した彼の表情が、険しくなる。
「報告だ。代犠とアマネ、サクラメントグループの保有ビルに入った。まだ出てこない」
「階は?」
「上層階。正確な場所は追って確認中だと」
「行きましょう」
俺は即答した。
「待て、聖と御子柴の方が――」
「だからこそです。アマネが次の標的なら、そこに全部集まる可能性がある」
「そっちの作業終わったー?」
田村さんがトレイを抱えたまま近づいてきた。
村中さんが誤魔化そうと口を開きかける前に、田村さんは「あっ」と何かを思い出した顔をした。
「そうだ、狭間くん。これ」
「え?」
「さっきの写真。見てなかったでしょ」
そう言って田村さんがスマホの画面を見せてくる。そこに映っていたのは、さっき中央卓で撮られたアマネの写真だった。
シャンパンタワーは正面からやや左。主役の笑顔が最も映える位置。その隣で白銀に輝くヘブンリー・ドロップ。背景の光量まで計算し尽くされた、あまりに完成された一枚。
「相変わらず御子柴さん、写真撮るの上手いっすよねぇ」
田村さんが感心したように言う。
「サクラメントの売れっ子の写真、だいたいセリナさんが撮ってくれるんすよ。構図とか角度とか、全部こだわってて。やっぱ宣伝部上がりの人って違うなぁ」
「……今、なんて?」
「え?」
「今までの写真……だいたい御子柴が撮ってるって?」
「え、はい。そうっすよ?」
田村さんはきょとんとした顔で言う。
「御子柴さん、代表になってからもたまに撮るんです。SNSの宣伝は自分の感覚がいちばん信用できるって。今日のもたぶん、あとで上げるんじゃないかな」
村中さんと目が合う。同じものに気づいた顔だった。
これまで被害者たちが上げていた最後の写真。どれも似通った構図。偶然じゃない。キャスト本人の趣味でもない。
撮っていた人間が、同じだったんだ。
「……御子柴セリナ」
思わず呟く。
被害者ごとに違う店、違う女、違う夜。そう見えていたものの裏で、毎回同じ視点があった。
写真を撮る者。“最後の一枚”を演出する者。ーそれがセリナだった。
「狭間」
村中さんの声が低くなる。
「ええ」
胸の奥で、バラバラだったピースが一気に音を立てて噛み合い始める。
聖は実行役かもしれない。だが舞台を整え、華を選び、最後の一枚を仕上げていたのは――
「御子柴セリナが、全部知ってる」
俺は画面の写真を睨んだまま言った。
白銀のボトル。笑うアマネ。完璧すぎる構図。
それは記念写真なんかじゃない。
“次の死”を告げる、儀式の記録だ。
アスモデウスが背後で、愉快そうに小さく笑った。
「ようやく見えてきましたか」
「……黙ってろ」
「ですが、もう時間がない」
その言葉に、俺は顔を上げる。
夜明け前の、いちばん冷たい時間。事件の真相は、ようやく輪郭を現し始めていた。そしてその中心にいる女たちは、もう次の場所へ動いている。
「村中さん、車出せますか」
「もちろんだ」
「尾行班と合流しましょう。嶺聖を追う」
「聖と御子柴もそこにいると?」
「確実にいると思います」
夜が終わる前に。
あの“最後の一枚”が、本当の最後になる前に。
Club SERAPHの残り香を背に、俺たちは現場へ向かって走り出した。
体調不良でお休みしてました・・・またちょくちょく更新します!ここからラストスパートです!




