魔法実験
土曜日を図書館で過ごして、無事に生還した梨音だった。
夕飯のトンカツの味に感動し、風呂の後のドライヤーでテンションマックスになったが、まあ、些細なことなので割愛する。
自室に戻った梨音はマウリツィオと話し合って、日曜の予定を決めた。
とりあえず、魔法の実力を試してみよう。
マウリツィオは、猫の姿を借りているため根本的に魔法が行使できない。というのも魔法を使うためには体内エネルギーを消費する。
それが猫の体では、ほとんどゼロに等しいのだ。
実際のところ、マウリツィオが猫の姿として生存し続けているだけでも奇跡的な状態で、それ以上の魔法を行使してしまうと、命の危機すら有り得るのだった。
「恥ずかしながら申し上げますと、このマウリツィオ、レナータ様に多少の魔法力の手助けを頂ければ、という打算もあったのです」
「なるほどね。同じ世界から来た私なら、マウリツィオの魔法を使えるし。ひょっとしたら、マウリツィオの手助けも出来るかもしれないものね」
「自分勝手なことだとは思いますが・・・でも、そうしなければ私は存続できないかもしれないので」
「いいよ、マウリツィオ。私も異世界でうまく生きていく方法を知りたいと思っているし。言わば共生関係だから。それに・・・」
「なんですか?」
「なんか、この世界では魔法少女には黒猫の使い魔が定番らしいからね」
翌朝、7時には目を覚まし、マウリツィオにミルクを与えると母の用意してくれたトーストとサラダを食べて出かける準備をした。
父親は今日もいなかった。
なんでも仕事が忙しくて会社に泊まり込んでいるらしい。
梨音の記憶が「社畜」とか「ブラック企業」っていう単語を出力してくるが、まあよくわからないので、スルーした。
「ママ、今日は少し遠出をしたいと思います。夕刻には戻りますが、昼食について相談したいのですが」
「梨音、昨日からなんか変よ?新しいキャラにでも目覚めたの?」
梨音はちょっとアレな子だったので、過去にも唐突に中二病になることが度々あった。
なので、母親は慣れているとは言わないまでも多少は免疫があった。
「いえ、そういうわけではないのですが・・・」
「まあ、いいわ。で、相談って何?」
「昨日は図書館の近くのコンビニという店で昼食を買ったのですが、所持金が少なくて」
「お小遣いならあげないわよ?」
「いえ、そうじゃないんです。キッチンをお借りしてオニギリを作りたいのです」
「え、あ、まあそのくらいなら・・・」
てっきりお小遣いを要求されると思っていた。
困惑しながらも梨音の様子を伺う。
これまでなら、自分でお握りを作ろうなどという発想は絶対にしない子供だった。
そもそもお握りを作っているところなど見たこともないし、作ってあげたこともほとんどなかった。
「梨音、手伝う?」
不安になって梨音に声をかけてしまう。
「え?いいんですか。実は言ってみたものの、オニギリを作るのは初めてなので・・・作り方を教えて欲しいです」
気味が悪い、と思い始めていた。
実の我が子とはいえ、梨音はひねくれた子だった。
それなのに一昨日から急に・・・。何か裏があるようにしか思えない。
けれど、真意を探ろうと見つめる母の目を、梨音はまっすぐに見返して来た。
「いいわ、梨音。じゃあ用意をしましょう」
小さめサイズのオニギリを3つ。
それとマウリツィオ用にミルクをボトルに入れ梨音は海を目指して歩き出した。
折湊市は海に面した街だ。
原子力発電所を中心に発展した都市で、逆に言えば他に目立った産業は無い。昨日読んだ郷土史によれば、原発が出来る前まではさびれた漁村が2つほどあっただけの何もないところだった。今では電車も特急が止まり、駅前にはデパートが建っている。原発関連の建物もいくつかあるし、研究機関のビルもある。梨音の父親も、その一つで働いている。
梨音の記憶の中に、海の近くに工場誘致用の広大な空き地があった。
そこなら多少、魔法を使っても迷惑にはならないだろうし、人の目にも触れないだろうと思ったのだ。
歩いて行ける範囲では、そこが一番近かったということもある。
「レナータ様。このあたりでよろしいかと」
「そうね、マウリツィオ」
少し高台になった空き地。工場を誘致するために広い土地だけが整理されていた。
人の姿は見えない。
「まずはレナータ様の得意な魔法から。そんなに無理をしなくてもよろしいですよ」
マウリツィオは梨音の魔法をみくびっていた。
貴族令嬢の魔法なんて大したはずもない。
せいぜい宮廷の部屋を暖める暖房魔法だとか、とっさの時に使える護身術程度の風魔法だとか。
まさかレナータが国境警備隊の隊長を務めていたほどの実力者だとは思っていなったのである。
「じゃあ風魔法から行くね」
梨音は無詠唱で軽く右手を掲げた。すぐに空中に旋風が巻き起こる。
「砂埃を巻き込まないように上空で起こした旋風を叩きつけた方が不意打ちで効果は高いのだけど・・・」
梨音は空気の流れがわかるようにわざと地上近くで旋風を起こし砂埃で魔法の大きさがわかるようにしていた。
それは直径10メートルほどの旋風でゆっりくりと回転していた。
「回転を速めれば馬車の一台くらいは吹き飛ばせたのだけど・・・梨音の魔力は少し弱いわね」
「レ、レナータ様・・・あなた様は一体・・・」
梨音から説明を受けたマウリツィオは、梨音の魔法力の大きさに驚きを隠せなかった。
転生魔法も多くの魔法師の協力のもとに行ったのだろうと思っていたが、材料を集めたりした準備はともかく、魔法そのものはレナータ一人が起こしたのだということも納得せざるを得なかった。
「マウリツィオ、何か希望の魔法はある?」
軽く聞いてくる梨音にマウリツィオは、ふと猫の体からヒトの体へコンバートする魔法があれば、と考えてしまう。
いや、可能性はあるのだ。
だがしかし、それではこの世界の誰かの意識を殺してしまうことになる。
それはあまりにも・・・
「どうかした?マウリツィオ?」
「いえ、少し考え事を」
「大丈夫?」
「ええ。大丈夫です。ではレナータ様、いくつかの魔法を試してみましょう。この世界での梨音様の魔法力を知っておいた方がいいでしょうから」