第17話 コスティス帰還
お日様がだいぶ傾いた頃。
遠くの方にコスティスの外壁が見えてきた。
空気はなんか、もわーっとしてて、とても暑いんだ。
お姉ちゃんの格好も、夏らしく薄着になった。
半袖の白いシャツと、半ズボンみたいなの。
お姉ちゃん曰く、動きやすい格好なんだって。
でも僕は、スカートのお姉ちゃんのが好きなんだけどね。
シリンギ村を出て、帰りは迂回してサルギド村によったんだ。
馬車を壊されたときに、食べ物も少し残して消し飛んじゃったんだよね。
馬車自体は、シリンギ村で有りものを使って治したんだけど。
そのせいか、行きよりも帰りは時間が掛かったんだ。
コスティスを出て、三週間の旅。
いろいろあって、なんか疲れちゃった。
それに、これからのことを考えると、ことさら気が重くなる。
帰りによったサルギド村で、ウサギのお姉ちゃんを見た村人たちが、吃驚して騒ぎになっちゃったんだ。
お姉ちゃんが村の人たちに、ギルドカードを見せて危なくないですって、説得してくれた。
そんなことがあって、僕はしゅんとしてしまったんだ。
だって、勢いで連れて来てしまったのは僕なのに、困ったらお姉ちゃんまかせだし。
それからは、ウサギのお姉ちゃんに、白い布を被ってもらってるんだ。
サルギド村での教訓を生かして、みんなを驚かせないようにって。
でも、その布のせいで、ウサギのお姉ちゃんの綺麗なお顔と可愛いお耳が見えないのは、ちょっと残念。
それに、シリンギ村を出てからというもの、ずっと黙ったままだし。
話しかけても、反応がないんだ。どうやら言葉が話せないらしい。
それに、被せた布の隙間から覗かせる、綺麗な桃色の瞳も、なにか気力を感じなくて。
そんなウサギのお姉ちゃんが、反応をするときがあるんだ。
それは、可愛らしいウサギのお耳をさわったとき。
僕がさわろうとすると、嫌がるように手を払いのけられてしまう。
たぶん、【禁忌の御業】によって、変えられた姿が気に入らないのだと思う。
でも――あの時、僕を抱きしめてくれたときに見せた涙は、なんだったんだろう?
何も感じないってことは、ないと思うんだけど。
それに、ウサギのお姉ちゃんを、《あいちゃん》でも元には戻せない。
僕がお願いしても、『無理なの』って書かれちゃった。
そんな《あいちゃん》のお顔が、とても辛そうだったから、無理言うのはやめたのだけどね。
なんか、不完全な【禁忌の御業】を使われてしまったのがいけないみたい。
僕は、ウサギさんのお耳も可愛いと思うのだけど。
今も荷台でじっとしている姿は、元気がなくて心配になる。
すると、プティが僕のお耳を舐めるんだ。
僕はプティの頭をちょんちょんって撫でてあげる。
プティは、僕が考え込んでいると、こうやってアピールするんだよね。
きっと構って欲しくて、そんなことするんだって思うんだ。
プティは、甘えん坊さんなんだと思う。
そうしてるうちに、コスティスの外壁に辿りついた。
門で検問をしてるらしい。兵隊さんが六人ぐらいいる。
何かあったのかな? なんて思っていると、お姉ちゃんがギルドカードを見せた。
「《黒碧の翼》のお二人でしたか。どうぞっ! お通りください!」
とても畏まった態度の兵士さん。
なんか偉くなった気がして、ちょっと嬉しい。でも、すぐお姉ちゃんに睨まれた。
大丈夫だよ。言われなくても分かってる。
僕が内緒にしたいって言うから、お姉ちゃんが大変なんだ。
だから、そんな怖いお顔しないでね。
外壁を無事に通り抜け、久しぶりのコスティスの町を眺める。
相変わらず大きな声を出す人がいて、とても賑やか。
でも、初めて来たときみたいな怖いっていう気持ちが少なくなった。
僕もちょっとは成長したのかな? って思う。
『アルちゃんも、だいぶ町に慣れたみたいね』
だって。せっかく僕が悦に浸ってたのに。《あいちゃん》は、ひどいや。
町に入る前に、宙を飛ぶのをやめると、僕の膝の上に落ちてくる。
普通に本を読むような形になっているんだけど、そこは《あいちゃん》だよね。
僕と同じ年頃の《あいちゃん》。
銀髪の髪と黄金色の瞳を持った少女は、僕を助けてくれる創生の女神様。
でも、同時に《あいちゃん》から授けられる神の御業によって、僕は苦しめられる。
この世界に《あいちゃん》を顕現? させないと、世界が滅びるらしい。
どうやって顕現させたらいいのかも分からない。
僕が世界の理を勉強すればいいみたいだけど。
やがて、三階建ての立派な建物が見えてきた。
冒険者ギルドだ。
僕らは依頼完了の手続きを済ませるために、ギルドに寄ることにしたんだ。
でも、それだけじゃない――シリンギ村で見たことを、ギルドマスターに教えてあげたいんだって。
《あいちゃん》曰く、この村の人たちを、外道化した者がいるはずだって言うんだ。
だから、ギルドに教えて対策なりしてもらわないと危ないからって。
馬車をギルドの前に止めた。
「ウサギのお姉ちゃんも一緒に行くよ」
そう言って、僕は手を引いていく。
そうしないと、自分からあまり動かないんだ。
大きな扉を開けると、中央のテーブルで、冒険者たちが騒いでいた。
お酒を飲んで、気分が良さそうな冒険者の人たちは、僕らに気づいた様子はない。
ほっとした僕は、一つ溜息をついた。
人の噂もひと月三日|(三十一日)って言うけれど、本当だねって思う。
端を通るようにして、〔仕事の受領・完了〕と書かれたカウンターへ向かう。
奥の方で仕事をしていたミラさんが、僕に気がついたのか、
「あーっ! アルくんだ! 暫らく会えなかったから、お姉ちゃん寂しかったんだよ」
「こんにちわ。僕もミラさんに会えなくて寂しかったです」
僕はちょこんって頭を下げる。
「あらやだっ。アルくん。こっちにおいでっ」
金色の髪を片方だけ結って、茶色い瞳をキラキラさせるミラさん。
僕が近づいていくと、ぎゅーってされちゃった。
ミラさんの甘いいい匂い。久しぶりで、なんだか嬉しい。
僕の左腕に抱えられる《あいちゃん》が震えだす。
当然のように僕は、困った女神様が暴れないように、しっかりと抱きしめるんだけどね。
「ミラさん。ちょっと……」
お姉ちゃんの声で、辺りを見回すと、注目を浴びちゃっているのに気づく。
そうだった。あまり目立っちゃいけないんだった。
ちょっと反省。でも、やっぱり抱っこされると嬉しいんだもん。しょうがないよね。
「ソフィアさんも久しぶりね。完了の手続き?」
「はい。それと、ギルドマスターっていらっしゃいますか?」
「大事な話?」
ミラさんは、真剣なお姉ちゃんを見ると、階段を昇っていった。
そして、戻ったミラさんに連れられて、ギルドマスターに会うことになったのだけど。
* * *
ギルドの三階にあるギルドマスター執務室。
お日様の色は、茜色になったけど、お部屋の中はとても暑い。
通された僕らは、ダルンさんと向かい合って、ソファに座った。
この間より、プティとウサギのお姉ちゃんが増えた感じ。
急に会いたいってお願いしたのに、ダルンさんは嫌な顔せず会ってくれた。
でもお部屋の中の空気は、とっても重いんだ。
それに、ダルンさんは、ウサギのお姉ちゃんが気になるらしい。
チラチラ見てる。白い布を被ったままだからね。
「早速なんですけど、シリンギ村から、たった今帰りました。それで、御相談したいことがありまして」
お姉ちゃんがそう始めると、ダルンさんも待ち構えるように、真剣なお顔になる。
コスティスに帰る道すがら、《あいちゃん》にいろいろと教えてもらったんだ。
それで、疑問に思ったことを、思い切って聞いてみたんだけど。
それは、普通の動物が外道化してしまうのと、ウサギのお姉ちゃんは、何が違うのか。
ウサギのお姉ちゃんを、こんなにしてしまった【禁忌の御業】を授ける《ロディア》のこと。
それに、完全なる存在のこと。
まず、外道化した動物も、ウサギのお姉ちゃんみたいな創られた人も、基本的には一緒なんだって。
そもそも、《ロディア》っていうのは、この世界を常に何処にでも彷徨っている。
だから、外道化する危険は、誰にでもどんな動物にでも平等にある。
ただ、心が弱っていたり、嫌なことを考えたりすると、外道化する危険が増えるんだとか。
問題の《ロディア》は、
『私がこの世界に、私の分身として置いた神なの』
そこを読んだお姉ちゃんは、口をあんぐりさせてたけど。
この世界に伝わる創世神話は、あくまでも《アテイール》様が、最後の日に【理の種】を投げ込んだって言われてる。
その【理の種】よって、豊かな緑と動物たちが住む世界になったって言われてるから。
つい、《あいちゃん》が悪いんじゃんって言ったら、悲しいお顔された。
でも、その《ロディア》がいなかったら、僕らも生まれてないわけで。
僕たち人間は、外道化と言うけれど。
創生の神様は、理を外れた存在だって言う。
それは、ただの呼び方でしかない。
理を外れるということは、《ロディア》に魂を侵食されて、神の力を得た者たちのこと。
これが、《あいちゃん》が教えてくれた、理を外れた者の正体なんだ。
でも、《ロディア》は元神ではあるけども、神様じゃない。
だから、全てが不完全な力しか備わらない。
大事なことは、この世界に唯一存在した神。
それが、《ロディア》で、この世界に干渉する力は、《あいちゃん》よりも上なんだって。
いくら《あいちゃん》でも、《神書》を通してでしか力を発揮できない。
他の神様たちもみんな一緒。
その点、《ロディア》だけは、この世界に存在していた唯一神だから、彷徨いながら不特定多数の動物たちを外道化させていった。
そして今、《ロディア》の御業まで使う人間まで現れたというのが、大変なことなんだって。
そんな《ロディア》が司るもの。それは生命。
そして、元神の御業も恐ろしいものが多い。
一瞬で命を奪ったり、死んだ者を生き返らせたり。
ウサギのお姉ちゃんみたいな、掛け合わされたりと、【禁忌】になってるものも多いらしい。
【禁忌】に定めたものは、全て完全なものじゃない。だから【禁忌】なんだよって。
でも、死んだ者を生き返らせることができるなら。
母様に使いたいよ。
『アルちゃん。それはダメなの。生き返らせるって言っても、動くだけよ。肉は腐ってものすごい匂いを出すし。何も考えずに周りに危害を加えるよ』
僕の考えてることなんて、お見通しらしい。
すぐにそんな答えが返ってきた。
そして、命を司る元神《ロディア》が目指した、完全なる存在の創造。
そんなものはできないって《あいちゃん》は言った。
それは、神と同等の生命を創りだすことだからって。
それでも、母様には生きていて欲しいって思っちゃう。
それってダメなことなのかな?
僕が思いに耽る中、お姉ちゃんとダルンさんの話は続く。
「結論からお話しすると、この子を除いて、誰も助けられませんでした。ただ、外道化した村に問題があって……」
「そうか……」
ダルンさんは、悔しがるように溜息をついた。
「それで、問題とは?」
「はい。村人たちは、みんな外道化してまして、討伐はしたんですけど、どうやら、ただの外道化ではないようなんです」
お姉ちゃんは、慎重に言葉を選びながら、ダルンさんに話していく。
どこまで話していいものか。悩んだみたい。
この世界の根幹に係わるような、すごい話を《あいちゃん》に教えてもらっちゃったから。
でも、それを全て話しちゃうと、まずいかも知れないって思ったらしい。
「それで、《アテイール》様が仰るには、外道化させる力を持った人間の仕業だと……」
ダルンさんは、《あいちゃん》へと顔を向ける。
この部屋に入ると、僕の少し上を浮きながら止まっていた。
「それは誠ですか?」
『人を率い導く者の端くれよ。気をつけるのです。我の意思に反した者が、この世界を破滅へと導こうとしています』
なんか今日の《あいちゃん》は、ちゃんとした神様らしい。
なんて書いてるのか見えないけれど、ダルンさんのお顔を見れば、真面目にお話してるのが分かる。
眉間に手を当て、俯くようにして考え込むダルンさん。
そして、顔を上げるとおもむろに口を開く。
「《アテイール》様。よろしければ、対処の方法など教えてはいただけないでしょうか」
『人を率い導く者の端くれよ。常に注意を払い、そして備えるのです』
「備えろと言われましても……」
ダルンさんは、なんか困ったお顔になっちゃった。
「そうだ! 《アテイール》様とアル……様と我らを導いて下さ……」
『人を率い導く者の端くれよ。そなたはまだ分かっていないようだな?』
《あいちゃん》から怪しい光が放たれると、急に黙り込んでしまったダルンさん。
だから脅かしちゃだめだって言うのに。
「ダルンさん。アルくんは、確かにとてもすごい力を持っています。でも、こんな可愛らしい子に、帝都の貴族たち、それに神道騎士団や術師団も従うとは思えません」
お姉ちゃんが僕を可愛らしいだって。嬉しくなったら、なんだか顔が熱くなっちゃった。
でも、お姉ちゃん、僕だって男の子なんだからねっ。
「しかし……」
「差し当たり、人と動物を掛け合わせた姿の者や、死んだはずの者が生き返ったりするようなことがあったら、その近くにいるのかもしれません。私たちも、痕跡を探してみたのですが……」
お姉ちゃんはそう言うと、首を横に振った。
僕らも村人やウサギのお姉ちゃんを、こんな姿に変えた人を見てない。
シリンギ村を出発する前に、もう一度だけ村を回って、他の生存者がいないかを調べたんだ。
そもそも僕らが、シリンギ村に来たのは、行方不明になった行商の人たちの捜索。
おそらく広場にあった荷馬車の残骸から、すでに死んでしまったんだと思う。
でも、冒険者として請けた依頼を完了させないといけないから、報告できるものを探さなきゃならなかった。
そして広場の馬車の残骸から、何点か遺留品と思われるものを拾ったんだけど。
そこで、《あいちゃん》が、怪しい人間を探せって言うから。
その怪しい人間の痕跡なりを調べて、対処しないと面倒なことになるからって。
――結果はゼロ。生存者も、痕跡も見つけられなかった。
ウサギのお姉ちゃんに聞いてみてたけど、ぼーっとしてるだけで、何の返事もない。
それで、壊された馬車をお姉ちゃんが修理して、戻ってきた。
だから、具体的に誰がやったのかは、分からないんだ。
「シリンギ村を捜索したんですけど、手掛かりになるようなものもなくて。それで、ダルンさんに報告だけはしておこうと思ったんです」
「うむ。話は分かった。ギルド本部には、私から報告しておこう」
ダルンさんとのお話はこれでおしまい。
席を立って部屋を出て行こうとしたのだけど。
「やっと会えたな」
そう言って、ノックもせずに金髪のおじさんが入ってきた。
高そうな服に、大きな身体。なんかすごい偉そうな人だ。
そして、おじさんの後ろに、どこかで見たことのあるような人。
だけどその時、金髪の偉そうなおじさんが、部屋に入ってきたのと同時に、ウサギのお姉ちゃんの白い布が床へ落ちた。
桃色の髪とウサギさんのお耳をつけたお姉ちゃんを、金髪のおじさんも、ダルンさんも、驚くように唖然と見てる。
僕は心なしか、ウサギのお姉ちゃんが悲しそうなお顔をしたと思ったんだ。
それで、そんな目で見ないでって、言いたかったのだけど。
「この者はいったい何者だ!」
僕が口を開くよりも先に、金髪のおじさんの怒りを纏った声が、部屋に響き渡ったんだ。