Op.62「夢を語る少女」
夕陽が沈み始め、夜の気配が少しずつ濃くなっていく魔導戦艦の展望デッキ。
結界に覆われた甲板の空気も、さっきまでよりわずかに冷たさを増していた。
「んじゃ、もうちょいで到着するっぽいし、中に戻ろっか」
そう言いながら、ルナはくるりと軽快に反転する。
夕焼けに照らされた肩口までの金髪が、ふわりと揺らめいた。
そんな彼女の背中を見た瞬間、頭の中にふと一つの疑問が浮かぶ。
そして、なぜだか今このタイミングで、それを聞いてみたいと思った。
「その前に、あと一つだけ聞いてもいいか?」
「いーよ。ルナさんが何でも答えてあげるよ」
振り返りざまの笑顔。
再び茜色を映した金髪が、肩先で小さく揺れる。
「それで? 私に何が聞きたいの?」
「俺は話の流れというか、他に選択肢がなかったから冒険者やることになったけど……」
そこで一度だけ言葉を切り、俺は胸の奥に引っかかっていた問いをそのままぶつけた。
「ルナは、なんで冒険者やってんの?」
俺の質問を真正面から受け、ルナは一度だけ大きく目を見開いた。
そのまま、表情が笑顔から静かな真剣さを帯びたものへ変わっていく。
「んー、そうだなぁ……」
「言いたくないなら別に無理に答えなくていいけど」
「あー、違う違う。そういうことじゃなくて、どっから話そうかなって考えてただけだから」
ルナは慌てたように手をひらひらと振って否定すると、それから数秒だけ悩むように口元へ指を当てた。
やがて何かを思いついたらしく、ぱっと表情を明るくする。
「あっ、そうだ! ノクトが持ってた本! 『最果ての英雄』の内容はちゃんと覚えてる?」
「あぁ、ちょっと前に読んだばかりだから覚えてるけど……」
そう返しながら、俺は頭の中であの本を読んでいた時の記憶を手繰り寄せる。
『最果ての英雄』――。
千年前に惑星迷宮の一つを攻略したとされる英雄たちの物語。
主人公は、後に三英雄と語り継がれる勇者パーティー『ブレーメン』の三人。
龍帝の勇者『キング・エフ・フォーマルハウト』。
神鳥の勇者『クイーン・エス・アルデバラン』。
天狼の勇者『ジャック・エヌ・レグルス』。
彼らは人類で初めて、惑星迷宮の一つである第五迷宮『木星迷宮』を完全踏破した。
その偉業は世界に文化の革命をもたらし、やがて誰一人として到達できなかった世界の中心『最果ての地』へと辿り着く。
そして最後に、彼らはワールドクエストという形で世界中の人々へ願いを託した。
(たしか……こんな内容だったはずだ)
頭の中で『最果ての英雄』の物語を振り返っていると、不意にルナが俺の隣を離れた。
「よしっ、決めた! ノクトはここで見ててよ!」
「えっ?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
だが、ルナはそれ以上何も言わなかった。
ただ一人、夕暮れに染まる展望デッキの中央へ向かって歩き出していく。
沈みゆく夕陽を背にしたその姿は、まるで夕暮れの舞台へ一人歩み出る役者のようだった。
肩口までの金髪が小さく揺れ、長い影が甲板の上に伸びる。
そしてルナは、くるりとこちらへ振り返った。
「最果ての地には、神秘の宝が眠る」
聞き覚えのあるセリフが、展望デッキに大きく響いた。
さっきまでの軽い調子とはまるで違う。
声の芯がすっと通り、夕暮れの空気にまっすぐ染み込んでいくようだった。
ルナが何を始めたのか、最初は分からなかった。
けれど、気づけば俺は目の前の彼女から目が離せなくなっていた。
「前人未到の世界の中心へ到達した伝説の勇者パーティ『ブレーメン』。彼らはその最果ての地より、全世界の人々へ声を届けました」
ルナは一歩、また一歩と甲板を進む。
誰もいないはずの展望デッキが、いつのまにか彼女だけの舞台になっていた。
彼女の声に合わせて、夕陽に染まる空も、遠く流れる雲も、すべてが物語の背景へと変わっていく。
まるで一人で舞台に立っているみたいな語り口。
それでいて、ただ芝居がかっているわけじゃない。
その声が、ひときわ大きくなっていく。
「次代の冒険者たちよ! 惑星迷宮の試練を乗り越えこの地に到達せよ!」
勇ましく、高らかに。
「そして私たちの未完成の夢を完成させてほしい」
凛として、どこか儚げに。
「莫大な報酬と共にこの地にて待つ!」
晴れやかに、遠い未来へ願いを託すように。
「後にワールドクエストと呼ばれる彼らの最期の願いは、世界中の人々を冒険へと駆り立てました」
最後は落ち着いたトーンで、物語を締めくくるように。
すべてを言い終えたルナは瞳を閉じて、自分の胸に両手を添える。
そして、セリフを噛み締めるように一拍の間を置いた。
それから、ふっと表情をほどき、明るく無邪気な笑みを浮かべる。
「まぁ言っちゃうと、私も千年前の英雄たちに駆り立てられた一人ってことだね」
にこっと笑うその顔は、英雄譚に憧れるだけでは飽き足らず、その背中を本気で追いかけている一人の少女そのものだった。
これでルナの一人舞台に幕が降りたと思いきや、彼女は舞台を終えた役者が袖へ戻るように、軽やかな足取りでこちらへ駆け戻ってくる。
どうやらまだ伝えたいことが残っているようだ。
俺の前まで戻ってきたルナは、勢いそのままに身を乗り出した。
夕陽を映した茜色の瞳が、抑えきれない期待にきらきらと揺れている。
「だって、ワクワクしない? 千年前からこの世界に残り続ける未知!」
問いかける声が弾む。
「探してみたいと思わない? 世界の中心にある神秘の宝!!」
また一歩、ルナが近づく。
「知りたいって思わない? 三英雄の未完成の夢に、最果ての地がどんな場所なのか!!!」
言葉を重ねるたびに、ルナの表情が明るくなっていった。
溢れ出す感情の熱が、言葉になって、声になって、まっすぐ俺にぶつかってくる。
まだ誰も見たことのない場所。
まだ誰も辿り着けていない答え。
世界の中心に眠るという、神秘の宝。
そんな途方もないものを語るルナの瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。
不思議と、目を逸らせない。
まるで魔法でもかけられたみたいに、胸の奥が高鳴り始める。
不安でも、恐怖でもない。
感じたことのない熱が、胸の奥に小さく灯る。
(何なんだろうな、この感覚は……)
戸惑う俺の前で、ルナは再び胸に手を当て、自分を落ち着かせるように軽く息を吐いた。
さっきまでの熱を少しだけ抑え込んで、今度は問いかけるような視線を向けてくる。
その表情は優しくて、どこか祈るようでもあった。
「君は……いや、ノクトはどう思う?」
ノクト。
そう呼ばれて、改めて自分がこの世界に立っていることを実感する。
本当の名前じゃないのに、違和感もほとんどない。
それどころか、今はその響きが不思議なくらい俺の中に馴染んでいた。
新たな名前で呼ばれた俺は、ルナの瞳を真っ直ぐに見返す。
以前の俺なら、彼女の話を現実味のないおとぎ話だと笑っていたかもしれない。
『子どもかよ』『そんなの夢物語だろ』と、適当に流していたかもしれない。
だが、ここは俺の常識なんて通用しない神秘と未知が溢れる世界。
魔法や魔術があり、惑星迷宮なんて代物まで存在する。
それなら、世界の中心に眠る神秘の宝だって、あり得ないとは言い切れない。
だからこそ、ロマンを追い求めるのも悪くない。
むしろ、それこそが俺がこの世界に来た意味になるかもしれない。
それに目の前でこんなに熱く語られて、胸の奥が熱くならないわけがなかった。
「俺も、今めっちゃワクワクしてる」
気づけば、自然と笑みがこぼれていた。
その言葉につられるように、ルナも柔らかく笑う。
「でしょ? そりゃあ、そんなの無謀だって笑われたり、お前にはできっこないって馬鹿にされたりすることもあるけどさ……」
そこで、ルナの声がほんの少しだけ沈んだ。
何か嫌なことでも思い出したのか、彼女は唇を噛み締め、視線を落とす。
小さな拳がぎゅっと握られ、指先が震えるほどに力がこもる。
きっと、これまで何度も嫌なことを言われてきたのだろう。
お前には無理だと。
身の程を知れと。
分不相応な夢を抱くなと。
けれど、ルナはすぐに顔を上げた。
自分の中に差し込んだ影を振り払うように。
それでも前へ進むのだと、自分自身に言い聞かせるように。
「私は諦めたくないし、信じたい!」
凛とした声が、夕暮れの展望デッキに力強く響いた。
茜色の瞳に、烈火のような強い輝きが宿る。
ルナは一度、深く息を吸った。
展望デッキを包む空気が、夕陽の残光を受けて淡く揺らめく。
風の音もなく、刹那の静寂が広がっていく。
その時だった。
魔導戦艦の周囲の空を、白い鳥の群れが音もなく横切っていった。
沈みゆく夕陽の残光が、スポットライトのようにルナの背中を照らす。
まるで、この空の舞台で、世界そのものが彼女の夢を見届けているみたいだった。
そして、ルナは俺を真っ直ぐに見つめた。
今日一番の凛とした眼差しで。
今日一番の力強い声で。
胸の奥にある一番大切なものを、惜しげもなく差し出すように。
「だって、ワールドクエストを達成して世界の神秘を解き明かす。それが私の夢だから!」
その言葉は、空の果てまで届きそうなほど、強く、澄んで響いた。
白い鳥たちが、その夢を聞き届けたかのように高く舞い上がる。
夕陽の残光を受けて白い羽が淡く輝き、やがて空の彼方へと遠ざかっていく。
どこまでも真っ直ぐに夢を語るルナの姿は、痛いくらいに眩しかった。
「夢、か……」
ぽつりと、声が漏れる。
「うん。それが私が冒険者やってる理由かな」
ルナは少し照れくさそうに、それでも胸を張るように笑った。
俺は何も言えなかった。
ただ、目の前で堂々と自分の夢を語ったルナを見つめることしかできない。
(あぁ、やっぱり夢を持ってる奴は眩しいなぁ)
俺が願っても手に入れられなかったものを、ルナは持っている。
どういう人生を歩めば、こんなふうに夢を見つけられるのだろう。
どうすれば、こんなにも堂々と自分の夢を語れるのだろう。
そんな考えを巡らせたまま、俺は夕暮れに照らされたルナを見つめ続けていた。
「あのさ、さすがにそんなずっと見つめられると私も恥ずいんだけど……」
ルナはどこか気恥ずかしそうに視線を逸らし、指先で頬をかいた。
「純粋に羨ましいなと思ってたんだよ」
「羨ましい?」
どういう意味か尋ねるように、ルナが小さく首を傾げる。
「果たしたい夢や目標を見つけること。それを熱意を持って追いかけること。こうやって堂々と誰かに語れること。それは、誰にでもできることじゃない」
心の底から溢れ出た言葉だった。
実際に、俺は自分の夢を見つけることができずに一度死んだ。
無気力に、言われるがままに生きていたことを悔やみながら、本当にあっけなく。
だからこそ、今こうして目の前で夢を語った少女の存在が輝いて見えた。
「俺には夢とかないから、夢を語るルナの姿が少し眩しく見えたんだよ」
言い終えると、ルナは少しだけ目を丸くした。
それから、俺の言葉を受け止めるように、ゆっくりと頷く。
「そっか。なら、ノクトも自分の夢を見つければいいじゃん!」
「そんなに簡単に見つかるもんでもないだろ」
「きっと見つかるよ」
即答だった。
根拠などあるはずもないのに、その声には一切の迷いがない。
まるで、未来でも見えているかのように確信めいた口調で、ルナは話を続けていく。
「それで見つかったら、ノクトは一番最初に私に夢を語ること。約束ね?」
どこか儚げで、それでも温かな笑みを浮かべて、ルナがそう言った。
俺は空の彼方へ視線を彷徨わせながら、ぽつりと返す。
「さて、いつになることやら……」
「気長に待ってるよ。まぁ、たまに催促しちゃうかもだけどね」
今度は悪戯っぽく笑いながら、ルナは軽く身を寄せて、こつんと俺の肩に自分の肩をぶつけてくる。
(勝手に約束を取りつけられて催促されても困るんだけどな……)
そんな愚痴が頭に浮かぶが、不思議と気分は悪くなかった。
まだ手がかりすら見つかっていない俺の夢。
それを、一番最初にルナへ語る約束。
出会ってからずっと、この強引で、天真爛漫な少女に振り回されている。
それなのに、自然と笑みがこぼれてしまう。
「ったく、ルナはどこまでも自由な奴だな」
「自由を愛するのが冒険者だからね♪」
ルナは得意げに笑った。
その笑顔を見届けるように、夕陽は完全に地平の向こうへ沈んだ。
こうして黄昏のひと時は終わり、この世界で初めての夜が訪れた。
俺は軽く息を吐きながら、静かに黒く染まり始めた空を見上げる。
ルナとシアとの出会い。
ノクトという新たな名前。
まだ見ぬ夢を語る約束。
気づけば、そのすべてが胸の奥で小さな灯火のように揺れていた。
今はまだ分からないことばかりで、この先どこへ辿り着くのかも見えない。
それでも俺は、ノクトとしてこの世界を歩き出す。
果たして、この先に待ち受けるのは、希望か、はたまた災厄か。
その答えを知る間もなく、波乱に満ちた空の旅路は終わりを迎えた。
そして、次なる物語が幕を開ける。
このエピソードで二章は終了となります。
次回からは、各章のキャラ設定などを追加していきます(4週分)
その後、二章の幕間を描いた後に三章に突入します。
しばらくの間、本編の更新はありませんが、引き続きお楽しみいただければと思います!




