第3章 存在の定義
本編
(本編に先立つ説明文として
「点と線」という作品を先に投稿してあります。
「面積も長さも持たない点は存在しない」というテーマで
わかりやすく実体を取り上げました。
「実体が存在する」という「本当の科学の始まり」を
まずはこちらで確認してみてください。)
大統一理論では重要な論点として
「存在する」という言葉を使う。
しかし問題は
この言葉の本当の意味を、
我々がまだ知らないことにある。
「あるとない」とを表わす「存在する」という言葉は
実は相対的な事象においてのみ有効なのである。
何に対して存在するのか、
何処に存在するのか、
そこには定義づけが必要なのだ。
もちろんその定義も
勝手に作られた前提であってはならない。
そこでこの「存在する」の意味を
我々が一番理解しやすい
「点と線」の話を先にしよう。
我々がこれまで覚えて来た知識が、
如何に未熟なものであったのか、
知識の棚卸しをしながら
しっかりと確認して頂きたい。
この「存在する」というキーワードには、
宇宙を理解する為には必須の
その構造の基礎となる知識がある。
ではまず基本になる
点と線の話である。
「線は点の無限大に連鎖した姿」である。
これは数学を学んだ現代人にとっては
当たり前の常識である。
数列の直線には
あらゆる点が含まれている。
これは正しい。
では「線の中に点が存在する」
これは正しい認識だろうか。
線の中に「存在する」とは
「長さの部分を持つ」ことである。
つまり線の中に存在する為には
その線上に「固有の範囲」が必要なのだ。
線は「長さ」である。
線が長さという概念である以上、
線の中に存在する為には、
やはり「長さ」を持たなければならない。
長さの部分(範囲)を持つこと、
これが現実に線の中に「存在する」ということである。
では点は、
本当に線の中に存在するのだろうか?
問題は点が、
長さやその固有の範囲を持たないことにある。
点はその無限大の連鎖により
線の概念を創りだしている。
無限大に連続して存在する点、それが線なのだ。
けれども点それ自体に、長さの概念はない。
点の持つ範囲を正確に表すことのできる表現は
2つの直線が交差した一点、あるいはその部分である。
だが長さの概念しか持たない線が交わったところで
そこに範囲や面積がうまれるだろうか。
答えはノーである。
通常我々が認識する点は、小さな円である。
我々がそれを認識しその場所を特定できるのは
我々が勝手に点に「面積を与えた」為なのだ。
これは表現であって数学ではない。
この表現を数学の始まりとして
我々が認識してしまう事が問題なのである。
けれども線の概念を生み出す
「本当の点の要素」に、面積はない。
そして線もその本当の姿は長さの「概念」であり、
線も幅や面積という要素は持ち得ないものである。
果たして平面上に「面積を持たないもの(点や線)」が
本当に存在するといえるのだろうか。
線の概念を構築する唯一の構成要素であり、
しかし線の部分を持たない「点」。
この概念は数学者であり、哲学者でもあるライプニッツによって
「モナド」と名付けられている。
モナドとは「部分を持たない究極の単子」である。
これまで「モナドのことは聞いたことはある」が、
「モナドとは何か」を理解出来なかった読者も、
このように線と点の理解からはじめれば
ライプニッツの単子論は意外と理解しやすいものである。
線の中にある「部分を持たない最小の単子モナド」は
線の長さという部分を持たない「点」である。
線のモナドは点。
ライプニッツによると
この世界は全てがモナドの集合体であり
その集合体も同一のモナドである、とされている。
結果としてモナドは、
全ての存在するものを統括する。
しかし現実には
物質の最小の単位にモナドは存在しない、
そう思われていた。
科学による素粒子の発見などに伴って
モナド理論は哲学側のものとして分類されてきたのである。
けれども実際には、
物質は「存在する」限り
必ず「空間の中に」その固有の占有範囲を持つ。
つまり物質も空間の一部分なのだ。
そしてその空間概念の究極の単子は、
やはり現実に存在する点、モナドである。
さてこのように理論を正しくすれば、
線をいくら拡大したところで
そこに現れ続けるのは永久に線それ自体である。
線の最果てにあるとされる
点に行き着くことなどは
到底出来ないことなのだ。
モナドとしての点は長さの部分を持たないために
線の概念上には「存在しない」からである。
では点はどこにあるのだろうか?
線は無限大に連鎖する点が創りだした「世界」である。
長さの概念、
それが連続して存在する点によって構成された
「線世界」なのだ。
点は線の「存在」を構築するが
線世界の中に「長さの部分を持たない点」は
存在するものではない。
後述とさせていただくが、
構成要素が「点の概念」ただ一つによって生まれた世界、
それが線(長さの概念世界)「1次元世界」なのである。
科学的な次元世界の定義は「構成要素」によるものだ。
力の方向性など、後からとってつけた勘違いである。
「存在するか、存在しないか」は
その世界(概念世界)の中に
存在するのか、あるいは存在しないのか、
議論されるべきものである。
つまり点は「(面積や体積も)ないものがある」
という概念を示すものであり、
連続する「あるのにないの概念」は
新しく「長さの概念」として線を誕生させる。
この長さの概念は、
点の概念をその部分(構成要素)として持つために
「連続して存在する点」としての「長さの概念」は発現しても、
そこに存在としての面積や幅はまだ与えられていない。
このように宇宙に初めて生まれた範囲、
それが長さ(連続して存在する点)であり、
「あるのにない」という点の概念は
既に線の存在と同化して「同時に存在する」。
(これが宇宙の多重次元構造の始まりである。
リサ・ランドール博士は我々の宇宙を
シャワーカーテンに張り付いた水滴と表現している。
3次元、4次元世界の力学の関係をそう呼んでいるが、
実際には物質世界は、
4次元世界を基盤にしてその後5次元世界に誕生する。)
同化、つまり「線」と「連鎖する点」は同じものである。
この為に点と線は、連続する点と「長さ」として
同じもの(同一)であり、その存在は等価である。
これは線がその概念自体の中に
「点の部分を持つ」ということである。
線の中に点は存在しない。
しかし線の概念の構造には
存在する点が含まれている。
あるのにない。
ないのにある。
存在しないものが存在する。
我々は自分達の使う言葉を整理しなければならない。
線の世界を実際に構築する、
線の構成要素(部分として存在する)は点である。
この点は線の長さという概念の中には存在しない。
点自体に長さの概念はないからだ(点は線の部分を持たない)。
つまり点は線の中にある「実体」であり、
存在するものではなく実在である。
この点の実体は線の概念世界には存在しないが、
線世界の構成要素(部分)として確実に存在する(実在)。
それは長さとしての形は持たない(線の部分は持たない)が
概念としては長さに部分(連続する点の存在)を与え
長さと同じものとして同時に存在している。
「線と連鎖する点は同じもの」
概念は異なるが「同じもの」として
点と線は同時に存在する。
このように実体(点)は現実に(線の中に)存在するのだ。
事実、点は体積や面積、
長さの概念でさえ持たない、
けれども「存在する」ものである。
このように線世界は、
無限大に連鎖する点のみを
その構成要素として成立する。
ここまでは一例として、
点の概念と線の概念世界の二つの概念世界を
取り上げてきた。
線世界の構成要素は点であり、
線と点とは同一の概念上には同時に存在するものではない。
同じものでありながら
存在する概念世界が違うのだ。
「ないものがある」
あるいは
「あるのにない」
点は存在を持たない、最初の実体である。
今後は実体があることを「実在する」としてまとめるが、
それに対し「存在する」とは
もっと相対的な観点である。
実体は与えられる概念世界によって「存在するもの」
あるいは「実在するもの」として
認識のされ方が異なる。
今度はその実例を見ていこう。
線が存在する世界、それは長さの概念世界である。
この線は複数の連続する点によって構築される為、
点の部分によって成り立つ世界である。
しかし点は線の長さの部分を持たない為、
線の世界に「点は存在しない」。
面の世界が存在する。
面の世界は複数の長さが構築する概念世界である。
その為に面は、線の部分を与えられ成立する。
連鎖して無限大に連続する線の概念が面世界である。
けれども線は、面世界の面積という部分は持たない為
面の中に線は存在するものではない。
面の世界に長さの部分を与え、
面の面積という部分を持たない概念、
それが実在する線という実体である。
複数の面の概念が創り出す世界、
それは空間世界である。
この為に空間概念は面世界の面積という部分を構築し構成される。
無限大に連続して重なる面が空間世界である。
けれども空間の中に存在するとは
体積を持つ事である。
当然面の概念は、その空間の部分としての体積は持たない。
空間世界に面積の部分を与え、
空間の体積を持たない実体、
それが実在する面世界である。
このように「存在するもの」は、
どの概念世界に基準を置くかによって
絶えずその立ち位置を変えていく。
存在したはずの点が
線の中では存在ではなく実体となり、
この線もまた、面の中には存在しない。
面の世界も体積を持たない為に
空間の中には存在することが出来ず、
今度はこの面が概念しか持たない実体へと変わる。
この実体をモナドと解釈すれば、
部分を持たない最小の単位モナドは
どんどん拡大していくことに気付けるだろう。
ここで取り上げた、点、線、面のいずれもが、
実体として同じ
「部分を持たない究極の最小の単子」
モナドである。
始まりは点として存在するモナドである。
しかし空間世界においては面世界までの全てが、
モナドという存在のない(体積という部分を持たない)
実体である。
部分を持たないためにお互いの実体を与え合い、
お互いの存在を同時に創り出すモナド。
実体は複数でも単数でも同じものであり、
その為に点は面世界と同一で、
当然線の世界とも同一のものである。
ここに科学的な意味をもつ、
アインシュタインの等価原理も
既に始まっていることに注目して頂きたい。
このように「存在」を理解していけば、
この世界が「実体」によってのみ構築されている事が
浮き彫りとなるのだ。
そしてこの「実在する概念世界」が次元世界である。
これまでの我々の科学は
次元世界の意味も、点、線、面積の意味も知らずに
ただ「計算の道具」としてのみ
これらの概念世界を扱ってきたのである。
理解していない事を、知らない。
この為に我々の科学は、
問題の先送りという悪夢の巡回に陥っている。
線の先に点はない。
世界は単純である。
整理すると次元概念とは単純にその世界の構成要素、
つまりその世界を構築する(部分を与えられた)概念世界である。
まとめよう。
まず点の概念が構築するのは線の世界。
線世界の構成要素は点ただ一つである。
だから線世界は1次元世界。
線は点の「あるのにない」という概念(部分)のみを
与えられて存在する。
次に出現する面世界は、線の概念世界が構築する。
その構成要素は長さであり、
面は無限大に連続する線である。
つまり線とその線が含む点の二つの概念が、面世界の構成要素である。
この為に面世界は2次元世界(線と点の2つの概念が構築する世界)。
最後に点と線と面の三つの構成要素を持つものが空間概念である。
構成要素が3つの3次元世界、それが空間である。
空間世界は(複数の)面の概念によって構築されている。
無限大に積み重なる面の概念が空間である。
この為に空間世界は、面と線、そして線を創る点とを
その内側に部分(構成要素)として含む。
このように我々は、
その対象となる宇宙がいくつの構成要素を持つ世界なのか
それを順番に理解していかなければ、
「存在」の全てを理解することは出来ない。
空間だけでも点と線と面の三つの構成世界を持ち、
それぞれの部分をその概念と共有しながら現実に存在する。
空間は面積と長さと点の部分(概念世界)によって構築された
3つの概念の重なりを持つ世界である。
このように我々の宇宙は、現実に多重次元構造を持つ。
同じものが
異なるものとして
それぞれの概念世界の中に同時に存在する。
そして点という
ひとつの構成要素のみで成り立つ線の概念世界を一次元世界、
点と線の二つの概念で創られた面の概念宇宙を2次元世界、
空間世界を3次元世界と呼ぶ。
これが現実世界を我々が正しく理解する為に必要となる知識、
「多重次元構造を持つ宇宙」の姿である。
全ての存在に先立つモナド、
これが点である。
点は体積や面積、長さや時間、全ての概念を持たないのに
確かに存在する実体なのだ。
実在と実体、この世界の構成要素と
その次元世界という呼び方について。
部分を与える、部分を持たないという
世界の基準となる構造とその概念のあり方。
我々はその始まりから理解しなければならない。
線世界は長さの概念であり、
点の概念世界とは「存在する」次元世界が異なる。
そもそも面積を持たない点は存在ではなく実体である。
点が存在するのであれば線世界は概念世界であり、
線世界が存在するのであれば
点の概念や面世界もそれぞれが概念世界として実体である。
これは実体として存在する概念世界(次元世界)が異なる為であり、
一つの概念世界が存在するものならば、
それぞれの概念世界もその部分として
現実に同時に、実在するのである。
つまり一つの実体は
複数の概念世界の中に
同時に存在する。
全ての存在が「あるのにない」「ないのにある」という
実体の部分(本質的な存在要素)を与えられ、
全ての存在の内側には必ず実在となる実体があるのだ。
我々はまず、点と線が
同一の世界の住人であると誤解している。
なにより数学における点や線は、
より数列を分かりやすくする為の人間の発明であり道具である。
けれども実際には
点は「あるとない」の概念しか持たず、
線も「長さの概念」しか持たない
別の次元世界の概念である。
これはそれぞれの存在する概念世界が異なるためである。
ただそのそれぞれの概念世界は、
互いにその部分を与え合うことによって同時に存在する。
そこに等価原理が働くのだ。
その事実を理解せずに、
未だ数列の中に点を探すような現代物理学には
本当の答えは出せない。
それに対して
この次元世界の重なりの
ひとつ一つを理解して構築していく科学、
それが次元理論である。
その知識の積み重ねはやがて、
次元理論を大統一理論へと変えていく。
だがまずここまでの内容では、
読者の皆様には
存在という言葉が実は相対的な意味合いを持つ
ということをだけを理解して頂ければ
それで良いと思う。
この世界の最大の秘密はもっと深い場所にあるからだ。
まずはそこを理解して頂かないと
次元世界の繋がりは見えて来ない。
知識を覚える必要はなく、
現実を理解していけば
それが知識となる。
それでもこのように、
「実際の線の中に点は存在しなかった」
その理解だけでも十分に価値のある革変である。
この為に数列における全ての点は
円周率πのように、
その場所を特定することの出来ない
無理数としての性格をもつ。
全ての点が、無理数、循環少数なのだ。
例えそれが実数であったとしても
全ての点はどれほど拡大を続けても
永久にたどり着くことは出来ない実体なのである。
実数であるから存在する、
これも数学がもたらした人間の理解の
弊害である。
「あるとない」の概念だけを宿した点。
その点の無限大の連鎖である線。
点は存在せず、長さの概念だけが存在する線世界。
だがその線世界も線の無限大の連鎖、
面世界においては「存在しないもの」のである。
存在するのに存在しない。
あるのにない。
その認識が変化していくのは
我々の宇宙が次元世界だからである。
そしてその次元世界を生み出しているのが
点という最初に存在する実体なのだ。
存在する点が最初の存在しない実体である。
このように「あるのにない」という実体は、
やがて「存在する」全ての概念を取り込んでいく。
では何故この世界は多重次元構造を持つのか。
実体が存在するとはどういうことなのか。
何故点が最初の実体なのか。
これより先、次元理論は
この世界の全てを理解する為に
さらなる知識の深淵へと降りていく。
そこは最果ての宇宙にある、
最初の知識である。
この宇宙の始まりにあるのは何か。
この宇宙はどのようにして誕生したのか。
そこでは全てが生まれ、全ては存在しない。
究極の宇宙の姿、0次元世界がある。
それは果たしてどこにあるのだろうか。
では本当の科学を始めよう。




