第18章 世界の2つのキーワード 「融合と創造」
次元理論の新た視点によって
「自我世界の命題」としてだけでなく、
「あらゆる次元世界に共通する命題」が
「融合と創造」にあることを
我々は気付かされたはずである。
「次元共有の大原理」は
次元世界のすべてを統括する
「世界の存続と拡大のための大原理」である。
いま「次元世界のすべて」、と述べてしまったが
それは概念を区分けしただけの捉え方に過ぎず、
世界は元々ひとつしか存在しない。
このひとつの世界が拡大し、
あらゆる「概念の方向」へと
連鎖を続ける状態が現在の宇宙である。
ひとつしかない世界の
存在するただ一つの理由。
それが「概念の連鎖」として
あらゆる存在を統括する大原理である。
そしてこの大原理が
「自我世界」において発現するときに、
「共有して共存する個性の創造」という
我々人間の指針ともなるべき基本法則へとかわる。
従って物質世界、生命世界、精神世界、自我世界と
次元世界の枠組みは変わっても、
同じ世界として
全ての次元世界は同じ目的を所持する。
我々の自我世界も、
他のあらゆる次元世界と同様に
共通の次元原理(ひとつの大原理)によってのみ
支えられた次元世界である。
そしてその次元世界を
確定された存在として支える要因は、
「世界の豊かな広がり(あるいは多様性)」である。
同じものとして広がること。
同じもの(全)として広がる(個)こと。
数多くの「世界」と「個性」が共有すれば、
世界はあなたの内がわにも、
そして外がわにも
大きく広がることだろう。
あなたもこの世界の求めに応じなければならない。
そしてあなた自身も「世界を知りたい」、
「世界から知られたい」と望む自我である。
あなたも世界を求めることだろう。
自我世界が豊かな広がりをもつこと、
それは「自我世界」が今後も発展し
繁栄をつづけるための必要条件であり、
「他人とは異なる自分」の果たす役割である。
つまり個性から始まる「融合と創造」を基盤として、
我々の「時間」は存在する。
そこには次元世界拡大のために「次元原理」が介入し、
したがって過去の我々よりも現在の我々の方が
常により正しい存在となれるはずなのだ。
人類は過去、
おなじ過ちを幾度となく繰りかえしてきた。
けれども我々はまだ、学びの途中にいる。
成長なき「今」は「過去」とも変わりはなく、
成長する「今」が
その先につながる「未来の起点」である。
人類が「多様性」を失くした時には
未来の時間もまた同時に「巻きもどされる」のだろう。
そして共有を失くした時には
人間の時間もまた失われるのだ。
この「次元原理」を加速することができるのは
我々の自我世界のみであり、
その「正しい理解」によって我々は、
より正しい世界を創りつづけることが可能なのだ。
これは人類がそうなる可能性を秘めるのと同時に、
そうならなければならないという
我々人間に課せられた責務である。
「融合と創造」を目的として
「共有し共存する個性の創造」という過程がある。
人間がこれまで理想としてきた「自由」や「正義」とは
そこに起因するべきものであり、
これは決して相対的な概念ではない。
絶対的真理として
我々が学び理解しなければならない科学なのだ。
「正しい世界の姿」は
この宇宙の力学から生まれる。
それはこの世界の望みとも
解釈できるものである。
世界の望み、希望であり
わたしやあなたの同じ願い。
つまりこのことは
「わたし」や「あなた」を含む、
「全ての個人」にたいしても
同様に当てはまる法則(世界意志)である。
あなたが世界から解放されたいと望むのは
世界の意志である。
あなたが世界に帰属したいと願うのは
世界の意志である。
それを世界は必要としているのだ。
いかなる自我にもその一人ひとりに
必ず「次元原理」は発現する。
歩みつづけるその足を決して止めさえしなければ、
明日のあなたは今日のあなたよりも更に「強い存在」へと
変われるはずである。
明日のあなたは
今を生きるあなたである。
それは我々の一人ひとりが、
ひとつの次元世界として確かに実在するからである。
もちろんその歩みは
共有と共存の上になりたつ
「個性」であることが前提である。
ようは確実に実在するのか、
朧げにしか実在出来ないのか、
それを確定させるのはその広がり次第なのだ。
連鎖は力学であり、
力学は意志である。
あなたの意志には世界の希望が重なる。
「共有し共存する個性の創造」は、
全人類の命題であるのと同時に
一人ひとりの我々が背負う「自由と責任」である。
我々は誰もがその中心に
「新しい世界の起点」ともなる可能性を与えられている。
したがって我々が主張する「自由」とは、
この「次元原理」に基づくものでなければならない。
自由とは
責任を与えられることである。
解放は準備か、もしくは休息に過ぎない。
そしてこの世界の命題を果たすために
自我に用意されたプロセス、
それが「出会い」である。
つまり人間はあらゆるものと「出会う」ためだけに、
それぞれが異なる価値観を覚え、
さまざまな個性や相違を創りだしたのである。
もちろんそれは個人による「個性」に限った話ではない。
「文化」や「国家」、「言語」や「民族」、「歴史」などの全てが、
同様に生み出されてきた「個性」なのだ。
したがって「個性」とは、
お互いが「出会い」
そしてその内側と外側に広がるためにこそ
必要だったのである。
私達は「出会い」の中にはじまりを覚え、
そして「出会い」の先に自らの拡大を求めていく。
けれどもそこに訪れた「出会い」の中で、
共有や共存を果たすことができずに
「否定」ばかりをくり返してきた結末が、
人類にとっての一番の悲劇であった。
これは何も「戦争」のことばかりを指摘するわけではない。
社会や職場や学校で、あるいは家庭内においても、
我々は数多くの「否定」を、
同じようにくり返してきたのではないだろうか。
だからこそ我々は今、
理解しなければならないのだ。
「否定」ではなく「共有する、そして共有させる」ということが、
新しい世界を創造するためには必要だということを。
そしてあらゆる個性も
「共有される集団の異なる視点」
でなければならない、ということを。
そこには他者による
新しい自分の視点が生まれる。
もしもあなたが非常に強い「自我の希望」をもつものであれば、
あなたには同時に強い「電磁力」が宿ることだろう。
そこには「引きあう力」と同等の「反発する力」も発現する。
これも我々が一カ所に留まりつづけることなく、
新しい次元世界を創造しつづけるためには
不可欠な要素である。
けれどももしもあなたが、
この次元原理を理解できないままに
そこから立ち去ってしまうのであれば、
それはただ否定するだけの力学にとどまってしまう。
あなたはこの先も永久に
「さまよえる原子」とも成りえる可能性を背負うのだ。
けれどもその反発力を「肯定する力」を
あなたが理解するものであれば、
それは新たな「旅立ち」であり、
あなたの「融合と創造」のためには不可欠な加速を
あなたにもたらすことだろう。
否定の数だけ人間は傷つき、
我々は成長する機会を失ってきた。
本来人間は、
自分が成長する時には周りの人々を同時に高め、
自分が誰かを成長させたときには、
同時に自分自身も成長する。
「相互の次元世界の共有」という次元原理は、
私たち人間の正しい姿である。
そしていま日本で、そして世界中で、
決して否定されてはならない
多くのものが失われつつあることを、
我々は理解しなければならない。
それらの存在は、あなた自身が必要とするものであるし、
同時にそれらの存在からは
あなた自身が必要とされているのだ。
あるいはそれは、
あなたの嫌悪する「敵」だったのかもしれない。
あるいはあなたを苦しめた元凶なのかもしれない。
けれども我々は共に「何も理解していなかった」のである。
現状では我々の大部分を形成する「良識」も
不十分なものであり、偏った認識に近い。
だからこそ我々は「本当の正しさ」を理解するために、
宇宙や自然、そして人間の歴史を
学びつづけなければならないのだ。
「あなたの目」も、
そしてあなた自身の「第3の目」も、
まだ共に開かれてはいない。
もしも世界がゆがんでいると感じられるのならば、
それもまた「我々」の責任である。
次元世界は一様に、
広がることを止めたときには同時に失われるものだということを、
我々は自覚しなければならない。
そのためにも今、
我々の目の前には無限大の世界が広がっている。
彼らは我々の意識の開花を待ち望み、
その為に我々を強く導いてくれるのだ。
そしてその全てが
「自我世界」の共有と共存の対象であり、
世界に存在する「正しさの証明」なのである。
ここまでが次元理論が我々に教えてくれる
「知識」としての現実世界である。
目新しい教訓が華やかに誕生したわけではないだろう。
そのいずれもが、それぞれに大切な「人間の生き方」であり、
我々はその事をずいぶん昔から知っていた。
けれども「なぜそれが大切なのか」を理解すること、
それが一番重要であり、
単純に知ることと理解とは別ものである。
理解は人間が生きるために必要な「判断基準」であり、
我々の中心に位置する選択である。
そしてそれは人間が「考える」ことではなく、
「学び」そして「理解」することなのだ。
我々が「考える」のは
「理解」した後の仕事である。
次元理論はその事実を明らかにする。
人間は選択しなけれならない。
選択するための自由があるのだ。
「知識」はその判断の為に
我々が貯えるものであり、
それによって「科学」や「学問」も、
我々が「理解」するためのツールである。
「無を理解する」ための科学「次元理論」は、
最終的にはこのように「人間理解」へとつながる。
ひとつの世界の一部分であり、
次元原理のために開放された次元世界として存在する
我々「人間」。
あなたの内側に向けられた愛も
外側に向かう愛も
ひとつの同じものである。
世界の抱えた同じ孤独、
同じ希望、
同じ愛。
全てが同じ、
世界の連鎖、意志なのだ。
それは決して
尽きることのない力学である。
次元理論が導きだした人間の姿は
いまだ不安定なものであり、
我々はまだ幼くもあった。
人間はこの先もずっと
ココロの空白を埋めるために
求め続けるのだろう。
けれども、だからこそ我々は、
これから先も学びつづけることができるのだ。
宇宙を、世界や自然を、
人間を知ることによって我々は、
自分自身を学ばなければならない。
そしてそのためにこそ現実に、
全ての「彼ら」は実在する。
あなたの自我が「世界から開放された」のは、
決して混乱するためではない。
「あなた」のもつ本当の願いは
「融合と創造」である。
あなたは常に孤独で求めつづけ、
だからこそあなたは光である。
それが人間の「生きる」ことであり、
最大の「喜び」なのである。
「あなた」はまずその事に気づかなければならない。
我々が気づきさえすれば、
その先の道は自ずから
開かれるはずである。
なぜならば「あなた」は
「ひとつになること」を願う自我世界であり、
この世界も同じく「ひとつになること」を願う
「あなた」自身だからである。
「次元理論」は2010年に論文として、
2012年に電子書籍「次元理論・無を科学する」として、
一般公開されてきた。
しかし実のところ未だ学問であるどころか、
科学としてもまだ認められたものではない。
けれども今、
あなたは次元理論が明かす
「この宇宙と人間の真実」を、
確かにご覧になられたのである。
ではあなたは「次元理論」に対して、
どのような評価を下されるのだろうか。
結論をだされるまえにもう一度、
ご自身の自我に問いかけて
「この宇宙とつながっているのかどうか」を、
自問していただきたいと思う。
あなたの自我世界は、
その答えを知っているはずなのだ。
これまであなたが覚えてこられた知識と、
あなたに自我が存在するために
あなた自身が理解する知識、
そのどちらがより正しい知識なのか、
今のあなたには判断することができるはずである。
あなたに「実在する本能」も、
「感情」も、
その「体」も、
あなたの「存在」は全て、
次元世界として「あなた」に発現したものである。
「あなた」とは、
その想いや物資的な体も含めた全てが
「同じひとつの宇宙の一部分」として
一元的な「存在する無」に統括された「無と同じもの」である。
それが未だに
この宇宙が完全無でありつづけることの証明であり、
拡大し続ける世界と
「あなた」の持つ可能性が無限大であることの証なのだ。
我々はまだ
人間の能力を十分に引きだせてはいないし、
自我のもつ本当の価値を
理解することもできていない。
この世界を理解できないかぎり、
人間は永久に孤立したままであり、
人類は異質な特異点として、
この宇宙にいつまでも存在しつづけることだろう。
私は人類とこの宇宙とを結びつけるただひとつの絆を、
人間が否定することなく、
肯定しつづけるその道を期待する。
そして少なくとも私には、
世界にこれ以上の「現実」は、
見つけだすことができなかったのである。
考え方に迷ったら
何度でも「完全無」までさかのぼれば良い、
ただそれだけである。
何故なら「次元理論」は
「無を理解するための科学」なのだから。
そして現実世界はどんな時でも、
我々を正しく導くはずなのだ。
それはこの世界が常に正しいものだからである。
また著者は
自身のこのつたない文章で、
この世界の持つ「拡大する不変の構造」を、
読者の皆さまへと正確にお伝えすることができたのかどうか、
これもはなはだ気になるところである。
次元理論はあなたの確かな行動基準、
あるいは判断基準として
芽吹くことができるのだろうか。
そして学術的には、重力と核力が
原子における同じプラスとマイナスの概念であることを、
物理学が証明できるかどうかに
「次元理論の本当のはじまり」はたくされている。
「原子」とは「実在する無の概念」なのか、否か。
この宇宙はどんな時でも「本当の姿」しか、
我々には見せないものである。
我々が目指すべきは第一に
「宇宙統一理論」の完成である。
「彼ら」の今後の奮闘にも「わたし」は期待する。
そして「あなた」のもつ「第3の目」が、
次元理論をより完成へと近づけることを
「わたし」は希望する。
さらに次元理論が
「あなた」にとっての「第3の目」となれることを、
「わたし」は希望するのだ。
「我々」はもっと
この「世界」に期待しても良かったのである。
それは「この世界からの期待」に
「我々」が応えるということである。
次元理論が明らかにするのは、
人間の実在する空間と、
「自我世界」の存在する次元的配置である。
その結果、全ての存在は相対的な実在であり、
実在する無の概念の一部分であった。
我々は自我世界が第8次元に実在する
その現実と理由とをしっかり自覚して、
それによって成り立つものでなければならない。
そしてこれまでの人類史において
「人間」が生きていくために必要となる知識とは、
多くの場合「科学と宗教」そして経験であった。
そのことはこの先の「我々」にとっても、
おそらく何も変わらないことだろう。
そこで次章では少し視点を変えて
今度はこの「科学と宗教」とをとりあげて、
その価値観を次元理論の観点から探ってみたいと思うのだ。
これも我々の「判断基準」を確認するためには、
必須となる「視点」である。
改めて述べておくが、
次元理論はこれまでの「科学と宗教」を否定するものではなく、
その正しさの新たな証明である。




