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アカシック・レコード  作者: The third eyes
11/23

第11章 ひとつの世界 (同じ世界であることの証明)



こうして最初に第5次元「物質世界」に発現した

「重力という力の概念」は、

第6次元「生命世界」にも

たしかに「引きつがれていた」のである。



それが全ての命が宿した「本能」である。




空間の持つ欲求=「原子の概念を持つ空間」の持つ重力

有機物の持つ欲求=「命の概念を持つ物質」の持つ本能

精神世界の持つ欲求=「感情の概念を持つ本能」の認識力(欲求)

自我精神の持つ欲求=「自我の概念を持つ精神世界」の意志(希望)



このいずれもが「失われた空間」が

他の同じ空間を引きよせる為の「求める力」である。




著者は以前「次元共有の大原理」のまとめとして、

「ある次元世界のもつ特定の性質は、

つぎの次元世界以降にも同様に引きつがれていく」、

という原則をのべた。



第5次元物質世界と第6次元生命世界の類似点は、

このように「次元世界の本質」として

それぞれの概念世界が持って生まれたものである。


たとえ次元世界で区分されても

この両者はもともと「同じひとつの概念だから」である。



全ての次元世界が

「ひとつしかない同じ概念」である。

それは「存在する無」の同じ広がりなのだ。



この「広がり」が無(存在)の本質、

「力学」だったのである。



無は「連鎖して拡大する」という力学である。



「無」は無限大に連鎖をつづけ、

「完全無」という世界と等しい。



〜〜本文からのまとめ〜〜






生命世界と大宇宙のつながりは、

おなじベクトルとして同時に出現する。

そのために生命世界と物質世界の構造は酷似し、

この2つの次元世界は同じ概念をやどしたのである。



「次元世界」として全ての世界が存在する以上、

いかなる次元世界においてもこの構造に変化はない。



すなわち全ての次元世界は

無を共有する「同じもの」として「実在」し、

この世界のあらゆる概念に同時に「存在」する。


実体であり、モナドであること。


それが存在する無に統括された

無の同じ部分として存在することである。




すなわち「実在」こそが

概念世界における「存在」であり、

その全ては相対的な位置関係にある。

(面の中に線は存在しない。

体積の中に面は存在しない。など)




その結果同じ「存在する無の概念」である

全ての「次元世界の起点(実体)」も、

各々の次元世界において同様の「完全無への欲求」として

連鎖して拡大する力学を宿す。




存在の全てが持つ同じ力学。

これを理解する科学が

大統一理論(次元理論)である。




無(個)と完全無(全)は「同じもの」である。




全てはここから始まり、

未だ世界はここにあり続けている。






たとえば5次元物質世界における

世界の起点は「原子」である。


確かに原子は

その概念としては「物質(カタチを持つ)」である。


けれどもその本質は、

自らの内外の空間への欲求(重力と核力)を持つ

「同じ空間の構造に宿った力学」(空間の復元力)なのだ。



(つまり力学の結果としての現象が原子である。

存在が先立つものではなく、

力学が先行し原子の形を空間上に形成する。

原子は存在ではなく、

空間に力学が与えられたことによる結果として

「存在する現象」なのだ。

原子は空間である。

あるのにない、ないのにある、

原子も無と同じ実体でありモナドである。)




そして原子のひとつ一つは小さく

わずかな力の概念しかもたない。


だが彼らの欲求である重力や電磁力は、

原子と原子が引きあい結合し、

最終的には同化融合を果たして

より強い原子(力学)へと生まれる流れを創りだしている。


そして膨大な量の原子群の生み出した重力の渦は、

さらに多くの原子と空間の創造へと発展(核融合反応)し、

結果として物質世界は拡大の一途をたどるのだ。

(宇宙の加速膨張という認識が間違いである)







そして6次元生命世界の起点である「命」においても、

ひとつの細胞、あるいはひとつの生命は

非常に弱く消えやすい存在である。


その概念は命であるが

それも単に「有機物が他の有機物への欲求をもつ」という

同じ物質の構造上の力学の結果にすぎない。



力学を持つ物質。

本能を持つ有機物。



けれど彼らも、ほかの細胞、あるいは別の生命と

その本能によって引きあい、

同化や融合の結果として

より強い生命力を構築することができる。




そしてその強い生命力の集合体が、

生物世界の広がり(多様性)とその強度とを

同時に高めているのである。

これが生命世界の拡大「可能性の創造」である。




このように同化や融合によって「世界を拡大する」という

無の発現させる能力は、

全ての次元世界において同様に発現する。




これも無の永遠の連鎖として

完全無が存在する理由と同じ「世界原理」なのだ。




この生命世界の「力学」の結果が食物連鎖であり、

種族拡大の法則であり、生態網の構築であり、

あるいは「生命世界の重力」とも言える

「本能」である。



したがってこの「生命の重力」が、

第6次元生命世界における命の根幹

「生命原理」である。




つまり生態系の拡大においては

食うもくわれるも同様に

同化や融合として同じ意味合いを持ち、

生命世界の本質は、全ての命が支えあいながら

その強さと広がりを求めることにある。




さらに5次元物質世界のひとつの完成型である「銀河系」は、

その内なる恒星群に「生と死」をあたえ、

自身は永久ともよべる期間、その存在を保つことが可能である。



これも第6次元「生命世界」において、

自らの細胞の一つひとつに短い寿命をあたえ、

自身は長期にわたり活動をつづける

多細胞生物の姿そのものである。



あるいは無数の生命の「生と死」によってささえられた、

尽きることのない「生態系」の概念である。



そこに現れるのは「生と(あるとない)」の連鎖によって

世界を拡大するという、

次元世界が持つ共通の原理である。





全ては「あるのにない」という

「存在する無」によって拡大する

完全無と同一の世界原理である。





従って存在する為に「存在し」、

存在する為に「存在しない」、

それが「実在する命」の本質なのだ。



次元世界の全てが

「存在する完全無の世界」と同じ実体(モナド)である。







このように第5次元世界に出現した「重力」という力の概念は、

第6次元「生命世界」以降にもたしかに「引きつがれていた」。



著者は以前「次元共有の大原理」のまとめとして、

「ある次元世界のもつ特定の性質は、

つぎの次元世界以降にも同様に引きつがれていく」、

という原則をのべた。



第5次元世界と第6次元世界の類似点は、

このように「次元世界の性質」として

それぞれが持って生まれたものである。



次元世界の構造上

「ひとつの次元世界は、まえの次元世界の実在を

その構成要素としてふくむ」ために、

次元世界の共通項は

あらゆる次元世界においても同様に発現する。




これは5次元世界と6次元世界だけにあてはまる現象ではなく、

他のあらゆる次元世界においても同様に適応する「世界原理」なのだ。




無のあらゆる方向への連鎖と拡大が

「全ての世界」である。

この宇宙には異なるものなど何処にも存在しない。



無が無であり続け、連鎖する現象、

これこそが「力学」であり、

それが「存在」と呼ばれている。





無や実体は「存在」ではなく

「力学」として理解されるべきだったのだ。




この「世界原理」が第6次元(生命世界)と第7次元(精神世界)では

どのようなかたちで現れてくるのか、

あるいは第4次元(時空世界)と第5次元(物質世界)の間では

何がおきていたのか、

我々の今後注目するべき点である。






けれども次元理論によって、

我々はもっと核心的な部分での次元世界のつながりにまで、

その焦点を当てていくことが可能である。




著者は最初に、

1次元世界の「あるのにない」という無の概念は、

無限大の長さを生みだすという原理をのべた。



これはたとえば、

面積の世界では広さは無限大に拡大し、

時空世界における時間の流れは永遠であり、

5次元世界における空間や質量は常に増大する

ということである。



さらにこれは第6次元生命世界においても、

生命はその繁栄のために必要となる全ての原理や法則を持ち

生命世界は無限大にむけての連鎖(可能性の拡大)を続ける、

ということである。




すなわちこれらの全ての現実が、

あらゆる次元世界が持つ

「共通の目的」を示唆する。




この次元世界のもつ「共通の目的」とは、

明らかに「拡大すること」である。



そしてその結果として

「次元共有の大原理」ただ一つの目的は、

「新しい次元世界を創造すること」なのだ。





このように次元理論を理解することによって

我々は次元世界の「存在意義」にまでも

到達することが出来る。





無があらゆる方向(概念の方向)へと無限大の連鎖をつづけ

完全無へ向かう「ベクトル」が、

「同じもの」として

存在を拡大へと導く原理や法則(次元共有の大原理も含む)と

その力学である。




それによって「なぜ存在するのか」

という全ての疑問にたいしても、


「存在するために、その世界を広げるために、

次なる世界を生みだすために」


という解答が、今

得られることになったのだ。





その為にこの宇宙にただひとつの「真理」があるとすれば、

それは「この世界には何も存在しなかった」という現実である。

この「存在する無」に、

あらゆる概念や言葉が

当てはめられるのである。



そして世界の創造主が「神」というのであれば、

「次元共有の大原理(無と共有すること)」

この力学(連鎖)こそが神の奇跡である。


無を力学として認識する知識。



この世界を創りだしたのは「存在する無の概念」であり、

それは宇宙の全てに共有された「ただひとつの力学」である。




これまでの科学や宗教は、

それぞれがこの大原理の断片だけを捉えて

個別に主張してきたに過ぎない。



人類は長きにわたり大原理の実在を自覚しながらも、

これまでは「その概念に自らが望むもの」だけを写し

追いかけ、求めつづけたのである。



だからこそ「鏡である同じモナド」も、

それを見つめる全てのものの望みに応えてきた。



もちろんこの「次元共有の大原理」も、

宇宙を理解するために著者が勝手に名づけた「定義名」である。



したがってこれまでの我々が、

「次元共有の大原理」をこの宇宙の存在そのものとみなしても、

あるいはこの世界に実在する

あらゆる存在のその内がわに見いだしたとしても、

その全ては間違いではなかったのだ。




すなわちこれは、

「宇宙が神である」

「神は存在しない」

「絶対的な真理は一つしかない」

「真理は千差万別である」

「神はただ一人である」

「全ての存在に神が宿る」

「宇宙を統括する特別な意志が存在する」

「存在の全てが意志を持つ」

「無から世界がはじまる」

「世界に始まりはない」

「世界は無であり、実体はない」

「世界は存在する」

などのいかなる認識も、

その全てが「正しかった」のである。




これまではたしかに「科学の存在」によって

人間は神を失ったとされる時代もあったのかもしれない。



けれども今、科学は

永遠の存在へとたどりつくための唯一の手法とも成りえるのだ。



(著者は特定の宗教を支持することはない。

だが宇宙を覆う巨大なベクトルがあることは、いつも感じていた。

それを意志と捉えることや、愛と呼ぶこと、

物理学として理解すること、

そこから学びを蓄えることなど、全ての認識を私は支持する。)



次元理論においては、

科学も神も

それぞれが共に同じ概念の異なる評価であり、

この双方にもともと変わりなどないのである。




長きにわたり人類は

この「次元共有の大原理」のさまざまな様相を断片的にとらえながら、

その優劣争いだけを続けてきた。




もちろんそのそれぞれが

次元世界として拡大することを目指しながら。






次元理論の出発点となる認識は、

「この宇宙には何も存在しなかった」

というただ一つの現実である。



もしも仮に、この最初の定義がやぶられたとするならば、

その後に展開してきたあらゆる理論も

はからずと崩れさることだろう。



けれども「この宇宙には何も存在しなかった」という認識は

人間にとっては知識の限界点であり、

これ以上の詮索は、

おそらく我々にはできるはずもないのだ。




だからこそ人間にとっての宇宙とは、

この「次元共有の大原理」に

全てが集約されるはずである。






人類は当初「宇宙統一理論」の完成を純粋に夢みていた。



けれども近年、次元概念を理解できないことによって

「真理は千差万別」、

「真理を決定づけるのは個性」

という認識をもつ人々も現れはじめたのだ。



けれども人類が追いもとめたものも、

そしてたどりついてしまったものも、

そのどちらも決して間違ったものではない。



なぜなら「次元共有の大原理」はその全てを創造し、

そしてその全ての内がわにも

同様にふくまれるものだからである。



このように人類は、

これまではその「数多の視点」において、

あらゆる「次元共有の大原理」の見え方の違いだけを

主張してきたのである。



それが我々人間の、探究についやした幾千年の歴史であった。





けれども人類の多様性と、

その多くの視点が生みだしたこの「知識の混乱」も、

それは決して悲観されるべきものではないのだ。



我々のもつ「探究心の正しさ」と、

あるいは誰もがもつその「それぞれの正義と信仰心」、

そして決して統合されることのない「全ての個性と価値観」。



これこそがやがて

我々人間の「次元原理」へとつながる

「人類の最大の力」である。



解答は間もなく得られるだろう。


次元理論は全ての我々の前に立つ。





我々が何かの存在に「宇宙」を感じるとき、

そこには必ず「次元共有の大原理」が働く。

そして少なくとも今「我々」は

その「次元共有の大原理」を理解する者である。






(科学が正しくなければ

人間にも正しい価値観は生まれて来ない。


それは野生動物の食物連鎖を

これが人間の生き方だとして、学ぶ愚かさである。


彼等は原理に従って、奪い合いではなく、

一番効率的な命の受け渡しを模索し続けているのだ。

それは共に未来を目指す生き方である。


そのことを理解せず、命を語る資格はない。

人間はその生命世界の拡大にも手を貸して、

人間の次元世界の拡大を学ばなければならない。


人間は動物的な生命の受け渡しも行いながら、

次元世界としては共有する生き方を

最優先に考えなくてはならないのだ。

それは全ての我々が、未来を共に生きる生き方である。



私は人間を理解するためにこの次元理論をはじめている。


我々はどこから来て、どこへいくのか。


この先の解答のためには、まずはこの世界の現実から

我々は学ばなければならない。 )










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