◇ 《第25話 孤独の夜を歩く者》
遥か西に位置する最大の超巨大都市トワイライト・メトロポリス。
そこから南へ下り、シーサイド・ゲートウェイという長い海沿いの道を抜けた先に存在する、賑やかな海岸沿いの大きな街。
《サウス・ベイサイドタウン―》
この街は、巨大な物流拠点であるアクアマリン・ハーバー(深港)が経済の中心を担う、活気あふれる港町である。
《クリスタル・マリンビーチ》
昼間、陽光が降り注ぐ時間帯は、青く透き通った海に白い砂浜の美しいビーチと洗練された大型ショッピングモールが並ぶリゾート地。
《リゾートホテルの中心地―》
このクリスタル・ポートと呼ばれるエリアに多くの観光客やファミリーが集い、華やかで明るい顔を見せる。
しかし、夜が訪れると様相は一変する。
海岸沿いは夜の熱狂に包まれ、派手な女の子たちが集う歓楽街はセカンド・ストリップ・アベニューと呼ばれ、その熱気は常に危険と隣り合わせだ。
煌びやかな光の裏側、港の裏側の埠頭から倉庫街や廃墟が広がるエリアは、ディープな裏社会へと変貌する。
錆びた貨物船と重機が並ぶ工業地帯の埠頭はスチーマー・ドックとして機能し、闇の取引の匂いが染み付いている。
そして、その奥のウエストエンド・エリアは、別名『ディープ・ゴーストエリア』とも称される無法地帯への最初の入り口付近である。
《ラグーン・ストリート―》
ここが、サウス・ベイサイドタウンの『表』と『裏』二つの世界を隔てる境界線がある。
《スラム街の入り口》
このストリートは、常に血と暴力の取引が行われる闇のストリートであり、この線を超えた者は、人間の尊厳を失うことを強いられる。
《ダークネス・サイドコースト―》
そしてこの街のスラム街の入ったとこに存在する『ダークネス・サイドコースト』と呼ばれる区域は、犯罪者や世の中からはみ出した人間たちが集まる、裏の繁華街である。
BARや、違法薬物、賭博場、闘技場などがあり、盗品などの 売買など裏オークションなどが行われるブラックマーケットの市場でもある。
この裏の繁華街の奥に進むと、闇へと景色は変わっていく。
ここがまさにスラムの中間地点である。
《スラムの中間地点》
そして本格的な真の地獄はこのダークネス・サイドコーストを超え、その中間地点の先からだ。
実はこれで終わりではない。
このスラム街の、ダークネス・サイドコーストの更に深く超えたその奥が存在する。
三重の闇と言われる光と法が完全に死滅した『トライアングルゾーン』と呼ばれる魔のスラムへと繋がる。
『ブラインド・ゾーン』、『デッドロック・エリア』、『ゼログラウンド』と名付けられた、警察すら無介入の絶対的な無法地帯のまるで別世界の区域へと入る。
そこは、トワイライト・メトロポリスの支配構造から見放された、地獄の三重と呼ばれる『トライアングル・ゾーン』──スラム街の真の最深部である。
サウス・ベイサイドタウンは、トワイライト・メトロポリスや他の街の支配の目から逃れた者たちが集う『居場所』でありながら、同時にその最深部には、最も危険な『裏の顔』を内包する、光と影の交差する入り口でもある。
群青の闇が支配するこの街は、光と闇が同居する『境界』であり、ルミナが戦う『日常』と『非日常』の交差点なのだ。
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雨が上がった夜、街の空気は金属のような匂いを帯びていた。
ネオンの光が濡れたアスファルトに滲み、足元に群青の影を落とす。
ルミナは一人、街を歩いていた。
体は軽く、息を吸うたびに酸素の流れが視える。
通り過ぎる車の動きさえ、心臓の鼓動よりも遅く感じた。
研ぎ澄まされた超聴覚が、遠くの地下鉄の振動、ネオンの唸り、風の音など、全て完璧な解像度で拾い上げる。
まるで世界が自分に合わせて動いているようだ。
だが、その完璧すぎる肉体が、ルミナ自身の心から最も遠い場所にあるようにも感じた。
誰にも触れられず、誰にも理解されないという精神的な孤独が、胸の記憶の空白を蝕む。
彼女の脳裏には、『時任博士』という名前と、『生きて守る』という言葉だけが残っている。
だが、何をどう守るのか、この力が暴走したとき、自分は人間でいられるのか、という恐怖が常に付きまとっていた。
人々の視線がちらりと向く。
夜の繁華街で、濡れた髪をかき上げながら歩く女。
その存在だけで、空気が少しだけ張りつめた。
どこへ向かうわけでもない。
けれど、彼女の中には『何かを探す』という本能的な使命感だけがあった。
記憶を失くしても、心の奥には『守りたい誰か』という欠片が残っていた。
そしてその夜、裏路地から怒号が響いた。
「離してくれよ!」
大きな声のする方は振り向きルミナの足が止まる。
狭い通りの奥で、二人の男が若いカップルを壁際に追い詰めていた。
男のひとりがナイフを手にしている。
ルミナの中で、何かが反応した。
ルミナの超感覚は、男がナイフを握る筋肉の緊張、カップルの急激な心拍数の上昇を、即座に読み取った。
そして思考よりも先に、体が動いた。
「やめなさいよ」
低く、澄んだ声。
その瞬間、男たちが振り向く。
「なんだこの女。関係ねー奴は首突っ込むなよ」
ルミナは一歩、踏み出した。
重心を落とす。
意識とは無関係に、相手の呼吸、視線、足の向きを読み取る。
相手の骨格と関節の弱点を最も効率的な制圧方法を導き出す。
訓練なんて何も受けた覚えはない。
それでも幾多の戦闘経験が身体に染み付いているかのように勝ち方が自然にわかる。
刹那、ナイフが閃いた。
ルミナは身を傾け、わずかに腕を動かす。
空気が裂ける音。
次の瞬間、男の腕がねじれ、ナイフが地面に落ちた。
「……ッ、ぐぁ!」
悲鳴は、一瞬の出来事についていけない。
もう一人の男が振り向く瞬間、彼女の動きは風のように滑らかに一撃。男は地面に崩れ落ち、動かなくなった。
そして辺りは静寂に包まれた。
雨上がりの匂いだけが漂う。
怯えた若者が呆然と立ち尽くしていた。
ルミナは、地面に崩れ落ちて呻く男たちを一瞥した。
彼らは、何が起きたのか理解できないまま、関節の軋む音と異常な痛みにのたうち回っている。
そして、助けられたはずの若いカップルたちは呆然と立ち尽くし、ルミナから一歩、二歩と、静かに距離を取った。
感謝よりも先に、ルミナの暴力の異質さに全身を硬直させた。
悲鳴すら上げられない。
ルミナは振り返り、ただ一言だけ告げる。
「大丈夫?気をつけて。夜のこの街は、命を削る場所よ」
彼女の瞳には、一切の感情がないように見える。
その完璧すぎる強さと冷徹な静けさが、そのカップルたちの恐怖を煽った。
彼らは、助けてくれた者への感謝よりも、目の前の存在の異様さに怯え、逃げるように走り去った。
二人が逃げ去った後、ルミナはふと自分の手を見た。
血はついていない。
なのに手が震えていた。
(何も怖くない。恐怖を感じるのは、いつも助けた人間。だけど、心がなぜか痛い……)
その震えは、力の制御を失うことへの内なる恐怖だった。
自分がこんな力を持つということに希望を持つ事ができなかった。
(……関わらないようにすればいい。見て見ぬフリをしようと、何度も思った。助けたって、自分がバケモノ扱いされるのも、感謝されないのも分かっている。だけど、やっぱり見て見ぬフリはできない。助けてって叫ぶ声を聞いて、聞こえないフリなんて、どうしても私にはできなかった。──それは、記憶を失くしても変わらない、元々のルミナの強い正義感、放っておけない不器用な性格そのものだった)
のたうち回る男たちを冷ややかに見下ろしたとき、ルミナは倒れた男の服に、見慣れない『蜘蛛のマーク』のバッジがついていることに気づいた。
そのマークは、最近この街で暴力沙汰を繰り返すグループの印だと、直感が働いた。
(この暴力は日常だ。この街の秩序そのものが歪んでいる……)
彼女は、そのマークを脳裏に焼き付けた。
それは、彼女がこれから立ち向かう闇の最初のアイコンとなる。
『守る』という使命を果たしても、人々の間に生まれるのは感謝ではなく、隔たり。
それが、ルミナの記憶の空白からくる虚無感をさらに深くした。
その夜から、ルミナは無作為に街の揉め事を片付け始めた。
特にルミナは意図的に、そのマークをつけたグループが気になり出していた。
何かの組織か、ここ最近そのマークをつけた連中が恐喝や暴行などで街を荒らしてるのが目立つからだ。
日に日にタチが悪くなっているようだ。
ある程度手加減してやり過ぎず、動けなくする。
ルミナは、戦闘のたびに極限の制御を自分に課し、自分の能力の限界を探り続けた。
少しでも力が強すぎれば、相手の命を奪ってしまいかねない。
その緊張感が、記憶の空白を埋める唯一の刺激だった。
チンピラ同士の喧嘩、酔っ払いへの暴力、店の強盗、彼女の異常なまでの戦闘能力は、目撃者すべてに畏怖を植え付けた。
誰も彼女の名前を知らない。
だが、恐ろしい噂が囁かれ始め、夜の街の間で急速に広がっていった。
「聞いたか? 最近、夜の闇から現れる女がいるらしい」
「メチャクチャ強いらしいぜ。その場を見たやつは人間とは思えない強さだったって言ってたぞ。相手は一瞬で骨が折られたらしい」
「だけどよ、見た感じは強そうな感じなんてなくて、まだ10代半ばくらいで見た目は可愛い不良の女だって噂だぞ」
「バカ!その見た目に騙されちゃいけねーよ。
強さは化け物並みの折り紙付きだってよ。
その女より一回りもデカくてガタイがいい男3人を一瞬で倒したらしいからな」
ルミナの人間離れした強さを目撃したという声も日に日に多くなり、まだ名もない伝説が付きまとい始める。
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……そんな夜が、幾度となく繰り返された。
春の生ぬるい夜風も、夏のうだるような熱気も、秋の寂しい羽音も。
ルミナにとっては、ただ闇を駆けて悪を裁くためだけの背景に過ぎなかった。
最初は、ただ本能に突き動かされるままの無軌道な暴力だったかもしれない。
けれど、あの『蜘蛛のマーク』の連中を追ううちに、彼女の戦いは冷徹な『狩り』へと洗練されていった。
ある時は、激しい乱戦の中で服を大きく切り裂かれ、深い傷を負った。
冷たい風が吹き抜けるセーフハウスの洗面所。
鏡の前に立ち、ボロボロになった自分を見ると、そこには血に染まった痛々しい傷口があった。
普通の人なら、激痛で動くことすらできないはずの傷。
なのに、ルミナの身体は、その傷口から血を流しながらも、何事もなかったかのように精密に、完璧に動かすことができてしまう。
まるで、痛みすらプログラムで制御されているかのように。
小さな怪我や多少の傷なら翌朝には、傷跡すら残らないのだ。
ルミナは鏡に映る自分の血塗られた肌を抱きしめるように強く擦り、洗面台に両手をついて一人激しく咽び泣いた。
(痛い……。痛いよ……。なのに、どうして私の身体は、こんなに平気に動けるのよ……。私はもう、傷つくことすらまともに許されないの……?バケモノみたいになってしまったの……?私はもう人間じゃないの……?)
蛇口から流れる水の音だけが、彼女の寂しい泣き声をかき消していく。
それでも夜が来れば、彼女はまた、痛む心を隠してフードをかぶる。
戦うのをやめてしまえば、本当に自分という人間が消えてしまう気がした。
胸の空白が『誰かを守れ』と激しく脈打つから。
だから、怯えられても、化け物と呼ばれても、彼女は夜の闇に消えるしかなかった。
また、ある時は路地裏でギャングに囲まれて恐喝されていた熟年夫婦を助けた。
息を荒くする熟年夫婦に、ルミナは心配して優しく手を差し伸べた。
「大丈夫ですか……?」
だが、熟年夫婦の二人が向けたのは感謝の目ではなかった。
一瞬で何人もの男たちを叩き伏せたルミナの異質な暴力を目の当たりにし、二人は恐怖に顔を歪める。
「ひっ……、化、化け物……!」
熟年夫婦の二人は腰を抜かしながら泥水を這って逃げ出していった。
差し伸べたルミナの手が、夜の空気の中にぽつんと取り残される。
きゅっと胸を締め付けられるような、鋭い虚無感。
ルミナは差し伸べた自分の手を、まるで汚いものでも見つめるかのように悲しげに見つめ、そのまま夜の闇へと静かに消えた。
誰もいない公園、冷たい雨が降る夜。
ルミナは一人、フードを深くかぶってベンチで小さく膝を抱えていた。
街の灯りはあんなに温かいのに、自分を温めてくれる場所はどこにもない。
頬を伝って流れ落ちるものが、冷たい雨水なのか、それとも自分の涙なのかすら、もう分からなかった。
ただ、胸の奥の『記憶の空白』だけが、凍りつくように痛んだ。
そんな風に、誰にも名前を呼ばれず、誰にも本当の姿を知られないまま、一人きりで涙を流す孤独な夜を幾百も積み重ねて……。
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そんな日々が続き、気づけばもうすぐ二年の月日が流れようとしていた。
二年の歳月は、名もなき少女を、裏社会が最も恐れる『生ける都市伝説』へと変貌させるには十分な時間だった。
恐怖と畏怖から街ではルミナの色んな呼ばれ方が出てきた。
そして助けられた人々もまた、彼女の異質さに怯え、感謝の言葉を口にすることは稀だった。
かつては『夜道に出没する不良娘』程度だった噂は、今や『謎の蒼月の処刑人』という明確な恐怖の象徴として、サウス・ベイサイドタウンの最深部まで轟くようになっていった。
「でも、普通の人とかには絶対に手は出さないらしいぜ。ヤラれるのは決まって悪人とかの悪い奴らばかりだ」
「あの女がいるから、最近は夜は静かだ」
「ヤツに怯えて、変な奴らが裏道から消えた」
「恐喝や詐欺など少なくなって街の治安がよくなった」
こんな声が日に日に増えていく。
恐怖が、街の歪んだ秩序をわずかに正し始めていた。
しかし、ルミナの背後に付きまとうのは、感謝ではなく、恐怖が上をいき、誰も寄り付かない。
更には『人間とは思えない強さ』という噂だった。
それは、恐怖によって成り立っている孤独な伝説だった。
救った人々から向けられるのは、ただの怯えと恐怖。
この強さが、誰かの為になってるのだろうか…
ただ自分を人間から遠ざけている。
そんな感覚に陥り、毎日が孤独で決して満たされることはなかった。
(誰も私の正体を知らなくていい。ただ、この街の歪みだけは、せっかく与えられた私のこの力で正す)
この正義感だけはいくら孤独でも貫こうと必死に自分で決めたルールだった。
ルミナは、守るべき対象が、忘れた記憶の中の誰かから、目の前の歪んだ夜の街の秩序へと昇華するのを感じた。
この孤独な使命こそが、欠落した記憶の代わりに、ルミナを生かす道標となっていた。
ふと視線を上げると、遠くのビルの屋上で光が瞬いた。
夜風が吹く。
ルミナはフードをかぶり、静かに歩き出した。
彼女はこの時まだ知らない…。
孤独な使命を始めた彼女の存在が、恐怖という名の噂と共に街中に広がり、やがてその異常な力とルミナの心に惹かれ、興味を持った異質な仲間たちを引き寄せる種になることを。
次回
《PROJECT♾️HEART-X 第26話》
( ─ LUNAEDGE編 第2話:邂逅の灯》




