45話 奥庭の邂逅
「キースは思っていたよりも、役に立たなかったわね」
ホロウェイ王国の正妃セラフィーネは、赤く塗られた爪を噛む。
あてがわれた私室は、その身分の高さを表すように、豪奢な調度品であふれていた。
それに、普段使いとして身にまとっているドレスや宝飾品も、すべて一級品である。
だが今は、それらが何の慰めにもならない。
「まさか直系の王族であるハイデマリーが、『ウラ』の正体を知らなかったなんて……」
セラフィーネは渋る国王ランドルフを言いくるめ、キースとハイデマリーの結婚を後押ししてやった。
しかし結局は、『ウラ』を手に入れることが叶わず、とんだ骨折り損になってしまったわけだ。
「成果についてはがっかりだけど、『ウラ』の信ぴょう性は高まったわ」
ヴァイツ王国が徹底的に秘匿しているのは、本当だった。
つまり、飲むだけでどんな者でも血に飢えた戦士に変えてしまうという効能も、本当に違いない。
「……ますます、『ウラ』が欲しくなったわね」
ヴァイツ王国の軍部大臣から、恐ろしい秘薬があると耳打ちされたとき、セラフィーネは鼻で笑った。
「そんな便利なものがあるならば、隠しているはずがない。手当たり次第に戦士を増産し、各国へ戦争をしかけるに決まっているもの」
ヴァイツ王国が敵視しているミストラル帝国や、隣接しているホロウェイ王国が無事ということは、『ウラ』など与太話だとその場で言い返した。
しかし、気になったセラフィーネは、ランドルフには内緒で調べさせたのだ。
「そしてついに……実際に『ウラ』が使われたと思われる、戦争の記録を見つけたのよ」
その記録が残っていたのは、ホロウェイ王国ではなく、セラフィーネの母国だった。
さらには、セラフィーネが元王女だったから、閲覧が許された記録だった。
「ヴァイツ王国を奇襲したのに惨敗したなんて、格好が悪くて大っぴらにはできないものね」
そこには、勝利間近だった戦況が一変した、恐怖の日について書かれていた。
『ヴァイツ王国の兵士の様子が、昨日とは全く異なっている』
『奇声をあげ、目は血走り、体に矢が刺さろうとも、無頓着に闘い続ける』
『夜になっても進撃は止まず、こちらの兵士は疲弊し倒れていくばかり』
『それから三日三晩、寝る間もなくヴァイツ王国と交戦を続けたが、結局はこちらが白旗をあげた』
「ヴァイツ王国の兵士の様子は、軍部大臣が言っていた『ウラ』の効能と一致するわ」
セラフィーネの瞳が、暗く光る。
「……優秀だともてはやされている第一王子が、『ウラ』を飲んだらどうなるかしらね?」
ホロウェイ王国はどんな戦争に対しても、中立であると宣言している。
そんな国の王太子最有力候補が、血を求める戦闘狂になってしまえば――。
「もう玉座にはふさわしくないわ! そして可愛い私の息子サミュエルが、次期国王になるのよ!」
あはははは、と高笑うセラフィーネの声が、広い部屋に響いた。
◇◆◇◆
「捜査にひと段落がついたら、気分転換も兼ねて、ミストラル帝国の避暑地に行かないか?」
「ひしょちって、なあに?」
「夏の暑い時期でも、涼しい場所のことよ」
ジスランとロッティ、そしてアビゲイルは、事情聴取が終わるまで、王都のホテルに滞在すると決めた。
その間、ロッティが退屈しないように、ジスランはあちこちに連れ出してくれる。
最近は日差しが強くなってきたが、車で移動すれば快適だった。
すっかり慣れた様子で運転をしながら、ジスランが提案してくる。
「ミストラル帝国はホロウェイ王国よりも北だから、基本的には涼しいのだが……俺が継ぐ予定の伯爵領に、大きな湖がある」
浅瀬で泳いだり、ボートに乗ったり、魚を釣ったり。
少年時代のジスランは、毎日のように湖で遊んだ。
そこで使用人の子どもたちと仲良くなって、モンテスキュー公爵に叱られたのだ。
ジスランの話を聞いているロッティの瞳は、すでに輝いている。
とんだ事件に巻き込まれたアビゲイルにとっても、いい休養になるだろう。
「それでは、カミーユ皇子殿下とお会いするのは、その避暑地にしますか?」
数か月おきに、ロッティとアビゲイルがミストラル帝国に赴き、交流するという約束だった。
次の日程には少し早いが、カミーユからはこまめに手紙が届いている。
ロッティを大切に思ってくれるカミーユの気持ちに、アビゲイルも応えたかった。
「かみーゆに、あえるの?」
ロッティの弾んだ声を聴いて、ほだされない者はいない。
避暑地へ行く計画は、すぐにまとまった。
ちょうど王都にいるのだから、新しい夏服も仕立てればいい、とアビゲイルは思いつく。
「ロッティ、最近はドラゴンの服が、小さくなってきたわよね。せっかくだから、二着目をつくりましょうか」
「やった~! せなかのつばさが、おおきいのがいい!」
ジスランがハンドルを切って、行き先を服飾店が並ぶ通りへと変更する。
「どらごんのふくをきて、かみーゆにあいたいな」
ふくふくのほっぺたを、さらに膨らませてロッティが笑った。
それに胸を撃ち抜かれたのは、アビゲイルだけではない。
「炎を吐く赤い瞳のドラゴンでも、うろこが真珠でできたドラゴンでも、好きなだけ何着でもつくればいい。洗い替えも必要だろうし――」
親バカ仲間になったジスランの財布のひもは、アビゲイルと同じくらい緩かった。
◇◆◇◆
「エイダ、少し話せるか?」
国王ランドルフは、奥庭を散歩していた側妃エイダへ声をかける。
肩のあたりで銀髪を切りそろえたエイダが振り返ると、ちょうど雲間から夕陽が射した。
その美しい光景に、ランドルフは自然と目を細める。
「わざわざ、ここに足を運ぶなんて……何かあったのね、陛下?」
察しのいいエイダが表情を引き締め、すぐに人払いをした。
穏やかな時間が終わったのを残念に思いながらも、ランドルフは厳かに告げる。
「正妃が動いている」
「っ……! 気を付けるわ。狙われているのは、レックスなの?」
それは、ランドルフとエイダの間に生まれた、第一王子の名前だ。
「そこまではまだ、はっきりしていない」
「でも彼女の目的は、変わっていないのでしょう?」
レックスを力づくでも蹴落とし、第二王子のサミュエルを王座につけること。
それこそ正妃セラフィーネが、渇望している願いだ。
「シャノンが調査しているが――」
「止めさせて! 危険だわ!」
エイダがランドルフの腕をつかむが、我に返りその手を離す。
つかまれた場所には、ぬくもりだけが残った。
「大丈夫だ。シャノンには釘を刺した」
エイダの気持ちを落ち着かせようと、ランドルフが細い肩に手を置こうとしたが、それをエイダはパシリと払いのける。
「誰が見ているか、わからないわ」
ランドルフやエイダの周囲には、セラフィーネの目となり耳となっている者が必ずいる。
過剰に警戒を続けるエイダの姿に、ランドルフは申し訳なさが募った。
(もともとは、エイダが正妃だった――)
エイダの実家は、忠義心のあつい辺境伯家で、ランドルフが成人する前に、ふたりは顔合わせをして婚約した。
そして王太子になると同時に結婚したが、前後して、セラフィーネの母国から書簡が届いたのだ。
(例年ならば、貿易に関する協定を結んで、両国間の友好の証としていたが……その年だけは、セラフィーネとの婚姻が条件に入っていた)
先代国王は、すでに王太子は正妃を迎えたと、要求を拒んだ。
かわりに弟王子たちはどうか、と返信をしたが断られてしまう。
しかし、ホロウェイ王国は中立国だ。
どこの国とも、ある程度の交流をし、広く浅く、つながりを維持しなくてはならない。
(そうした点を突かれた)
セラフィーネの母国は追加して、ホロウェイ王国と交流がなかった国々との、仲介を申し出てきたのだ。
その提案に、今度は臣下の意見が、ふたつに割れてしまう。
国益を考えて、セラフィーネを迎えるべきではないか――これまでの辺境伯の献身を、ないがしろにする気か――。
(紛糾した結果、セラフィーネを妃にすると決まった。しかも、正妃だったエイダを、側妃に下げてまで――)
王女という身分の高さが、それを許してしまった。
だが、セラフィーネとの結婚式の日、エイダのお腹はふくらんでいた。
すでにそこには、第一王子のレックスが宿っていたのだ。
(嫉妬に狂ったセラフィーネは、エイダをレックスごと、亡き者にしようとした)
その毒牙はエイダに届かず、侍女として側にいた、エイダの妹の命を奪っていった。
ランドルフによる必死の捜査も虚しく、セラフィーネが主犯だという証拠は、ついに見つからなかった。
滂沱の涙を流したエイダは、考えが甘かったと己を責め、家族や友人との親交を断ち、徹底してランドルフを避けた。
よそよそしくなった二人の関係に、ランドルフが傷つかなかったと言えば噓になる。
しかし王太子として、感情を乱すわけにはいかなかった。
(それ以降、エイダは奥宮に引きこもり、腹の中のレックスを護り続けた)
おかげで無事に生まれてくれたが、安心することはできなかった。
(だから儂は、セラフィーネのもとへ通った。セラフィーネにも子が宿れば、少しは気も治まるだろうと思って)
そして第一王女のシャノンが生まれる。
ランドルフは喜んだが、セラフィーネは違った。
『女児のシャノンはいずれ、私の母国へ嫁がせましょう。だから今度は、王座を狙える男児が欲しいわ』
そう言って、エイダのもとへ通うのを、禁止してきたのだ。
たやすく人を弑する、セラフィーネの恐ろしさを知った後では、従うしかない。
今度こそ、エイダを失うかもしれないという恐怖が、ランドルフを大人しくさせた。
(それからサミュエルが生まれるまで、6年かかった。臣下たちは儂の寵愛が、セラフィーネに移ったと思っただろう)
エイダとの関係は、すっかり希薄になってしまっていた。
そこから、執務の合間にこの奥庭へ通い、なんとか話をしてもらえるまで回復した。
当時、セラフィーネはサミュエルに夢中で、ランドルフとエイダの逢瀬は見逃されたのだ。
(そして生まれたのが、第三王子のネイトだ。だがそのせいで、セラフィーネの嫉妬心が再燃してしまう)
またしてもランドルフは、エイダから足を遠ざけるしかなかった。
だから、この奥庭にやってくるのは、余程の事情があるときだけ。
今はエイダも、それを理解してくれている。
「陛下も気を付けて。あなたが邪魔だと判断したら、彼女は――」
ランドルフにすら、ためらわず毒牙を向けるだろう。
だが、エイダが心配してくれたという事実が、ランドルフの胸を熱くする。
「簡単には死なぬよ。儂にはこの国を、護る使命がある」
ホロウェイ王国の国王として、ランドルフは立ち続ける。
臣下と民に支持される、次期国王へ冠を譲るまで。
それがエイダの夫として、不甲斐なかった自分にできる、せめてもの罪滅ぼしだった。




