39話 誘拐の目的
手足を縛られたアビゲイルは、長椅子に横たわっていた。
「さすがにこれは、誘拐された感じよね?」
夕闇のせいで、そこそこの広さがある部屋も、はめ殺しのガラス窓の外も、はっきりとは見えない。
移動中は御者に麻袋をかぶせられていたので、連れ込まれた場所がどこなのか検討もつかなかった。
「詰んだわ……」
こてん、と頭を柔らかな布地へ落とす。
しかし幸いなことに、アビゲイルが次に訪問する予定だったのは、実家のハウエル侯爵家だ。
「きっとダレルが今頃、私が行方不明になったと、気づいているでしょう」
あまり遠くへは走っていないはずだから、まだ王都の中だ。
だったら、助けてもらえる可能性はある。
誘拐犯を刺激しないよう、今は大人しくしていよう。
「もっと早くに気づいていれば、なにか対策も取れたのに」
元夫キースの不審な行動について考え込んでいたせいで、まんまと連れ去られてしまった。
「もしかしたら『ユーラ』の本社に忍び込んだのは、アシュベリー公爵に命令された誰かで、私とゴールドリッチさんの面会日時を調べたのかと思ったけど……」
どうやら違うようだ。
もしそうならば、馬車の家紋を隠しもせず、あんなに堂々と現れないだろう。
「身代金が目当てなら、私よりもゴールドリッチさんを狙うだろうし……何の目的で、私を?」
悩むアビゲイルの耳が、小さな足音を拾った。
コツ、コツ、コツ――。
(ヒールが高い、女性の靴だわ)
アビゲイルがいる部屋の前で、その靴の主は立ち止まる。
続けて男性の低い声がした。
「手足を拘束しておりますが、危険です。私も同席を――」
「いいえ、一人で会うわ。お前には聞かせられない話をするの」
そんなやりとりで判明した事実に、アビゲイルが目を見開く。
(二人とも、ヴァイツ語の訛りがあるわ。もしかして……『ウラ』絡みなの?)
急に手足の先が、つめたくなった。
部屋の中のアビゲイルを見張るため、扉の前にずっと立っていたとおぼしき男性が、女性に促されて扉の鍵を開ける。
きいっと蝶番が鳴り、廊下の灯りが部屋の床へ伸びた。
光に目が慣れないアビゲイルからは、まだその女性の黒いシルエットしか見えない。
「初めまして、キースさまの前妻さん」
なぜかその可憐な声に、アビゲイルはぞくりとしたものを感じた。
◇◆◇◆
「本当に知らないんだ!」
「公爵家の家紋がついた馬車と、そこから降り立つキースの姿が、多くの人々に目撃されているわ」
「声をかけたけれど、アビゲイルはうちの馬車には乗らなかった。僕を無視して、辻馬車なんかを拾って――」
アシュベリー公爵キースを前に、尋問をしているのは第一王女のシャノンだ。
キースの父親が国王の末弟であるため、二人は従兄妹関係にある。
だからこそ、一歩も引かず、容赦がなかった。
婚約者のダレルから、アビゲイルが行方不明になったとの報が入って、すぐにシャノンは捜索を開始した。
『ユーラ』の本社を出たところから足取りをたどると、アビゲイルと話していたキースの目撃情報が集まる。
まもなくシャノンは護衛騎士を引きつれ、アシュベリー公爵家へと乗り込んだ。
「キースはあの場所で、お義姉さまを待ち伏せしていたのでしょう?」
「っ……!」
さっとキースが目をそらす。
「どうしてお義姉さまの予定を、把握していたの?」
『ユーラ』の本社に侵入者があった件も、すでにゴールドリッチから聞いている。
それが金庫でも重要書類を扱う部署でもなく、秘書の机をあさったというのだから、今回のアビゲイルの誘拐と無関係とは思えなかった。
「ゴールドリッチ社長の予定を調べれば、おのずと、お義姉さまとの面会日時もわかるわ」
追求の手を緩めないシャノンに、これ以上は逃げられないと諦めたのか、しぶしぶキースが口を開く。
「アビゲイルの予定については……ハイデマリーと侍従が話しているのを、立ち聞きした」
思いがけない人物の名前に、シャノンが息を飲む。
逆にキースは、自分のせいではないと言わんばかりに、ぺらぺらしゃべりだした。
「アビゲイルがいなくなったのなら、怪しいのはその二人だ。僕に役立たずと言われて、ハイデマリーは思い悩んでいたからな」
「どういうこと……?」
「僕が欲しかった情報を、ハイデマリーは持っていなかった。それを持っていたのは、アビゲイルだったんだ。だから僕は、アビゲイルに再婚を提案しにいった」
あまりにも自分勝手なキースに、シャノンのこめかみには青筋が浮かぶ。
「……話を続けてちょうだい」
「僕に捨てられたくないハイデマリーが、死中に活を求めて誘拐したのだと思う。今頃は、ハイデマリーに忠実な侍従に脅されて、アビゲイルは洗いざらい、吐かされているかもしれないな。もしハイデマリーが、僕の求める情報を持ち帰るなら、妻のままでいるのを許してやっても――」
冷笑するキースの高い鼻を、シャノンは細い指で思い切りつねった。
「ふがっ……! シャノン、なにをする……!」
「あなたも洗いざらい吐くのよ。ハイデマリー王女とその侍従は、どこにいるの?」
「朝から、出かけている! 僕には、ヴァイツ王国へ里帰りすると、言っていた!」
手を離せ、と涙目で暴れるキースを、シャノンの護衛騎士が押さえつけた。
それを一瞥し、シャノンは頭を抱える。
「なんてこと……誘拐したお義姉さまをつれて国境を越えれば、ホロウェイ王国とヴァイツ王国の問題になってしまうわ」
現在ふたつの国は、ほどほどの距離感を保った付き合いをしている。
キースとハイデマリーの結婚によって、親密さが高まるかと思われたが、そうはならなかった。
というのもヴァイツ王国の女王は、妹のハイデマリーをミストラル帝国の貴族へ嫁がせ、長らく険悪な間柄だった両国の橋渡しをさせようとしていたのだ。
しかし、キースが横やりを入れたことで、ハイデマリーは恋愛結婚を熱望し、政略結婚による関係改善策が消滅してしまう。
想定していたミストラル帝国との友好が遠のき、女王はホロウェイ王国に対して一線を引いた。
「あちこちに面倒をかけて結婚したのに、まさか情報が目当てだったなんて……」
今回の出来事がなくとも、ハイデマリーをないがしろにした件は、いつか大きな問題になっていたに違いない。
肩を落としたシャノンは、短くため息をつくと気持ちを入れ替え、騎士たちにきびきびと命じた。
「ヴァイツ王国との間にある国境を、封鎖して検問するわ! なんとしても、ホロウェイ王国内で片を付けるわよ!」
◇◆◇◆
「私はね、お姉さまみたいに頭がよくないの。だから、お父さまの後を継いで女王になるのは、お姉さまが相応しいと認めているわ」
アビゲイルが誘拐されてから、すでに数日が経過していた。
初めてハイデマリーと会った日、アビゲイルが寝転がったまま対応したため、無礼だと憤慨した侍従によって手足の縄は外され、今ではある程度の自由が許されている。
しかし、それも部屋の中だけだ。
相変わらず扉には鍵がかけられ、曇ったガラス窓の向こうは不明瞭で、侍従に常時見張られている気配を感じる。
(そして、ハイデマリー王女殿下が訪ねてくるたびに、こうして身の上話を聞いているけど……)
ほとんど独り語りのようなハイデマリーのつぶやきは、一向に要領を得ない。
この数日間、アビゲイルはそこから誘拐された理由をつかもうと、必死に耳をそばだてていたが、自分に関連のある点を見つけられなかった。
(まさか話し相手として、誘拐されたわけではないわよね?)
そんな勘違いまで始めていたアビゲイルだったが、ようやく今日、ハイデマリーが『ウラ』について言及した。
「お姉さまが『ウラ』のレシピを教えてくれないの。キースさまがそれを求めているのに……困るわ。だから私は、こうするしかなかった。わかってくれるわよね?」
同意を求められても困る。
もしかしてこれまでの長話は、ハイデマリーなりの説得だったのだろうか。
アビゲイルはぎゅっと眉根を寄せた。
(ちょっと待って……。『ウラ』のレシピを、アシュベリー公爵が求めている?)
やたらとアビゲイルと再婚したがっていたのは、そのせいだったのか。
謎だらけだったキースの言動が、やっと解明された。
だが、謎は謎を呼ぶものだ。
「どうしてアシュベリー公爵は、『ウラ』のレシピが必要なのですか?」
「まだ若いキースさまが、並み居るライバルを押しのけ宰相になるには、大きな手柄が必要なのよ」
前妻だったのに、そんな事情も知らないの? と、ハイデマリーが呆れ顔をする。
契約上の夫でしかなかったキースには、かけらも興味がなかったので仕方がない。
それよりもアビゲイルは、もっと気になることがある。
嫁いだといっても、ハイデマリーはヴァイツ王国の王族に違いない。
ヴァイツ王家が長らく秘匿していたものを、キースに明かしてしまうのに抵抗はないのか。
「ハイデマリー王女殿下は、それでいいんですか?」
「いいも悪いも、キースさまが望んでいるのだもの。応えられなかったら、私……」
声にならなかったが、ハイデマリーの唇が、「捨てられてしまうわ」と動いた。
アビゲイルはそれに衝撃を受ける。
(マライアもそうだったけれど、ハイデマリー王女殿下もそうなんだわ。危ない橋を渡っていることに気づかない、『恋は盲目』状態なのね。今は判断力が鈍っていて、何を言っても響かないかもしれないけれど……)
それでも、アビゲイルはハイデマリーの改心を試みた。
「ハイデマリー王女殿下は、祖国を裏切る覚悟があるんですか?」
「裏切るなんて、大げさよ」
「これまで『ウラ』のレシピを、他人へ洩らした者はいません」
「キースさまへ、ちょっと教えるだけだわ。それに、他人ではないでしょう?」
キースさまは私の夫だもの、とハイデマリーは頬を膨らませる。
まったく良心の呵責はないようだ。
(もしかして、ハイデマリー王女殿下は、『ウラ』の使い方を知らないのかしら?)
だから、こんなに落ち着いていられるのか。
アビゲイルは少しだけ鎌をかけてみる。
「ホロウェイ王国やヴァイツ王国を戦場にしたいのなら、それでもいいでしょう」
「っ……!?」
それまで、手元ばかり見ていたハイデマリーの瞳が、しっかりとアビゲイルへ合わさった。
驚愕に満ちた銀色の目は、ヴァイツ王家によく見られる色だ。
(お母さまの瞳も、銀色だったわ)
アビゲイルの胸中に一瞬、懐かしさと寂しさが沸く。
しかし、ハイデマリーはアビゲイルの母と違い、確固たる意志を持ち合わせていなかった。
思いがけない言葉にうろたえ、ゆるゆると首を横に振る。
「戦場……? どうしてそうなるの? 『ウラ』はただの薬膳シロップよ。巷のものより、少し強力なだけで……」
やはり、ハイデマリーの認識はおかしかった。
隠され続けた『ウラ』は、少し強力な薬膳シロップなどではない。
だからこそ、キースがそのレシピを知りたがったのだ。
――秘薬『ウラ』の真の力は、眠らずに闘い続ける狂戦士を、強制的に生み出すところにある。




