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32話 視線の主は誰

 会場はざわついた。

 ほとんどの者は、南方の国の正式名称を覚えていない。


「こうなるのは想定内だ」


 注目の的となるも、イブラヒムは鷹揚としている。


「行こうか、アビゲイル」


 そして右腕を差し出した。

 アビゲイルはそこへ左手をかける。


「いいわ!」

 

 精緻な刺繍のついたベールを屋内でかぶっているせいで、視界が悪い。

 イブラヒムの誘導がなければ、アビゲイルはまっすぐ歩けなかった。


「さて、敵はどこにいるやら」


 イブラヒムとアビゲイルがゆっくり進み始めると、7人の妃がそれに続く。

 ようやく人々の間から、『もしかして南方の国では?』という声が、聞こえだした。

 そして、イブラヒムの端正な顔つきや腹筋があらわな姿、透けた衣装を身にまとう美妃たちの姿に視線が集まる。


「ふむ、短い黒髪に緑の瞳、あごひげが特徴だったな?」

「そうよ。年齢は50代、ややがっしりした体格だったわ」

「それらしいのは見当たらないが、アビゲイルを凝視している男が一人いる」

「私を? ベールをつけていない美女が、後ろにたくさんいるのに?」

 

 多くの視線が、イブラヒムや妃たちに注がれているからこそ、それは目立っていた。

 

「女をつれた若い男だ。短い黒髪に緑の瞳――ここまでは条件にぴったりだな」

「っ……! もしかして……」


 ミストラル帝国に、アビゲイルの知り合いは少ない。

 その容姿で思い当たるのは、一人しかいなかった。


(それって、ジスラン卿? どうして私だとわかったの? 顔を隠しているのに……)


 こっそりとイブラヒムが、指で方角を示す。

 ためらったが、少しだけベールを持ち上げて、アビゲイルはそちらを確認した。


 ◇◆◇◆


 オレンジ色の瞳と視線がぶつかった瞬間、ジスランの心臓がドクンと跳ねた。


(彼女だ! やはり、あの紫色の髪の持ち主は……)


 思わず声が出そうになって、手のひらで口を押える。

 自分が見ている光景が、信じられなかった。


(野暮ったい黒ぶちのメガネと、大雑把に結われた髪、飾り気のないシンプルなワンピース……それがいつもの彼女だった)


 もっと整えてはどうか、と余計な助言をしたこともある。

 そんなジスランを、アビゲイルは一蹴していた。


(こんなに変わるなんて……驚いた)

 

 イブラヒムの隣を歩くアビゲイルは、雅びだった。

 手足や耳を飾る金環がきらきらと光を放ち、透ける布地に施された金糸の刺繍が、女性らしい体のラインを美しく魅せている。

 そしてベールから垣間見えた、メガネを外したアビゲイルの華やかな顔立ち。

 口を押えていた手が、ずるりと下がって胸を押さえる。

 アビゲイルと目が合ったときから、そこは締め付けられ、苦しみを訴えていた。

 

「なんて……綺麗なんだ」


 うっかり零したジスランのつぶやきに、隣りにいたソランジェがぎょっと目をむく。

 そして慌てて視線の先を追った。

 

(ジスランさまは誰を見ているの!? そんな言葉、私だって言われたことがないのに!)


 ソランジェがアビゲイルを探し出すより先に、ジスランの体が前へ動いた。

 腕を組んでいたソランジェは引っ張られ、つんのめる。


「ちょ……っと、ジスランさま! どこへ行かれるんですか?」


 呆けたジスランが向かう先など、聞かずともわかっている。

 見惚れた相手のところへ行かせまいと、ソランジェは足を踏ん張った。


「パーティの間は、私と一緒にいる約束だったでしょう!?」

「彼女に伝えなくては。スパイの容疑が、まもなく晴れると」

「っ……!?」

 

 ジスランが褒めたのは、まさかアビゲイルだったのか。

 しかし、どうやってミストラル帝国に潜入したのだろう。


(もしかして、密入国したの?)


 そうだとしたら、ソランジェにも勝ち目がある。

 アビゲイルが罪を犯したのならば、今度こそ半永久的に国外追放されるはず。

 その瞬間を見届けるのも、一興だ。

 

「わかりましたわ。私も一緒に行きます。アビゲイルさんとは、手紙をやり取りした仲ですもの」


 気を取り直したソランジェが、ジスランを促す。

 そして二人が向かった先では、イブラヒムがやっと見つけたモンテスキュー公爵に、アビゲイルが突進していた。


 ◇◆◇◆


「ロッティを返してもらうわよ!」

「ヴァイツ王国のスパイが、なぜここにいる!?」

「私がスパイじゃないことは、あなたが一番よく知っているはずだわ」

 

 ベールを脱いで名乗りを上げたアビゲイルに、モンテスキュー公爵が驚愕していた。

 だがそれもつかの間、手を高々と挙げるなり、大きく声を張り上げる。


「衛兵、こいつを捕まえろ! 密入国者だ!」

「これは異なこと。我が国の恩人が、罪人だと?」


 ひとりで突進していったアビゲイルに追いついたイブラヒムが、モンテスキュー公爵の前に立ちふさがる。


「っ……何者だ?」


 イブラヒムのまとう民族衣装を見て、モンテスキュー公爵が慎重に尋ねる。

 今日のパーティには、各国の代表が参加している。

 ミストラル帝国では、皇族に次ぐ地位にいるモンテスキュー公爵家だが、それは国内に限られた権威だ。

 相手の方が身分が高い場合、逆らえば厄介なことになる。


「南方の国から来た、と言えば伝わるか?」

「もしや……イブラヒム大王、でしたか」


 モンテスキュー公爵が、しぶしぶ頭を下げる。

 長らく他国のパーティに列席していなかったせいで、イブラヒムの顔を知る者は少ない。

 モンテスキュー公爵の周囲にいた貴族たちも、慌てて礼をした。

 

「ヴァイツ王国のスパイと聞こえたが、まさかアビゲイルのことではあるまいな?」


 凛としたイブラヒムの声には圧がある。

 モンテスキュー公爵のこめかみに、一筋の汗が流れた。


「恐れ多くも申し上げます。我が屋敷に滞在中、その女の持ち物から、怪しい手紙が発見されました。容疑が晴れるまでは、スパイと同等の扱いをするのが、ミストラル帝国での法でございます」

 

 その発言に周囲の者は息を飲み、アビゲイルへ非難の視線を投げた。

 ちょうどいいとばかりに、アビゲイルは胸を張る。

 そうすることで、首から下げてきた勲章が強調された。


「まあ、あれは純金製ではなくって!?」


 黄金に目がない女性が、見事な輝きを放つ勲章に仰天する。

 ざわつき始めた人々に聞こえるように、イブラヒムが説明をした。


「この勲章は、我が国を救った英雄に与える、特別なものだ。……実にアビゲイルは、数十年ぶりの該当者である」


 それを聞いて困惑した人々の視線が、今度はモンテスキュー公爵へと注がれる。

 ひそひそと、「英雄がスパイですって?」「とても信じられないな」「冤罪じゃないのか?」という言葉がささやかれた。

 モンテスキュー公爵は、ぎりっと奥歯をかみしめると、苦しまぎれに言い返す。


「証拠があるのは事実です。それに、その女の母親の出身は――」

「その証拠は、捏造されたものだ!」


 人垣をかき分け、割って入ったのは、青筋を立てたジスランだった。

 つかつかと輪の中心に来ると、モンテスキュー公爵を見下ろし、真っ向から反論する。

 

「明らかに彼女の筆跡とは、異なる手紙だった」

「いい加減なことを言うな、ジスラン!」

「どっちが――」


 モンテスキュー公爵家の当主と嫡男の言い争いが始まり、辺りは騒然とした。

 腕を組んで悠々としているのは、イブラヒムくらいのものだ。

 

「アビゲイルのために怒っているのか。なかなか、見どころのある男だ」

「傍観している場合じゃないわ。早く止めないと、これじゃパーティが台無しよ」


 アビゲイルが思っていた以上に、騒ぎが大きくなってしまった。

 ジスランたちの間に割って入ろうとしたら、そこへパーティの主役が現れてしまう。

 

「二人とも、鎮まれ!」


 厳かな声の持ち主は、ミストラル帝国の皇帝だった。

 目尻に刻まれたしわが、貫禄を感じさせる。

 本来ならばファンファーレと共に、皇后をつれて恭しく登場するはずだった。

 それが呆れた表情をして、やれやれと一人で歩いてくる。

 かぶっている王冠も、少し傾いて見えた。


 貴族たちは膝を折って首を垂れ、忠誠の意を示す。

 もちろん、喧噪の中心にいたモンテスキュー公爵とジスランも、それに倣った。

 

「皇帝陛下、お見苦しいところを……」


 謝罪するモンテスキュー公爵を、皇帝は手を挙げて制す。

 従兄弟同士で、堅苦しいのは止めようという合図だった。

 ちらりとジスランにも視線をやって、皇帝は話し始める。


「もめ事の原因はわかっている。皇后のもとへ、モンテスキュー公爵夫人が持ってきた、手紙についてだろう?」

 

 皇帝の言葉に、モンテスキュー公爵がハッと顔を上げる。

 すると、皇帝に続いて皇后までも、こちらに近づいているのが見えた。

 その一歩後ろにいるのは、モンテスキュー公爵夫人であるタチアナだ。

 手には、スパイ騒ぎの発端となった例の手紙と、もう一通の別の手紙を持っている。


「タチアナ……その手紙は……!」

 

 ジスランばかりを警戒していて、タチアナが動いていることに気づかなかった。

 歯噛みするモンテスキュー公爵の目前で、皇帝はふところに手を突っ込み、がさごそと何かを探す。

 

「鑑定士に頼らずとも、二通の手紙の筆跡の違いは明らかであったが……他ならぬ皇后の頼みだからな。ちゃんと鑑定書をもらってきてやったぞ」


 ほら、と皇帝が差し出す書面を、モンテスキュー公爵は震える手で受け取る。

 すかさずジスランが、それを横から読み上げた。

 

『署名も字体も、本人と似通っている部分は一切ない。件の手紙は、ホロウェイ語を書き慣れていない、男性の筆跡であると判断する』


 それを聞いて、アビゲイルは瞠目する。


(執事のハンスが書いた手紙と、私が書いた手紙を比べてくれたんだわ!)

 

 ジスランやタチアナが、スパイ容疑を晴らそうと奔走してくれていた。

 その事実に感激し、アビゲイルの胸が、喜びでいっぱいになる。


(私の味方は、ここにもいたんだ)


 港町だけではなかった。

 ジスランやタチアナは貴族だからと、心のどこかで勝手に線引きをしていた自分を、アビゲイルは恥ずかしく思う。


「そういうわけだから、親子げんかは終いだ。わかったな?」


 モンテスキュー公爵は皇帝に念を押され、頷くしかない。

 最終的には皇帝まで巻き込んでしまったが、おかげで完全にアビゲイルは無罪となった。

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