29話 三人寄れば
「……キース?」
「私の従兄の、アシュベリー公爵よ。お義姉さまに対して、不誠実な行いをしたでしょう?」
キースが本命の恋人と結婚するまでの繋ぎとして、アビゲイルは2年間だけ仮初の妻となった。
だがすでに、アビゲイルは元夫の名前を忘れていた。
それほど、どうでもいい存在だったのだ。
謝ろうとするシャノンを、アビゲイルは押しとどめる。
「シャノンさまが、頭を下げる必要はありません。あれは家同士の契約でした」
「そうとも言えないわ。先代のアシュベリー公爵は国王の末弟、つまりキースは国王の甥でしょう? そんな相手から婚姻を持ち掛けられて、断れる貴族がいるとは思えないもの」
王族という後ろ盾をキースが利用して、アビゲイルの父に無理強いした、とシャノンは考えている。
だが、アビゲイルの意見は違った。
「父はアシュベリー公爵からの申し出を、願ったり叶ったりだと思ったでしょう。私はハウエル侯爵家で、異分子でしたから」
アビゲイルは母が亡くなったあとも、母が療養していた離れで過ごした。
本邸にいる祖父母や父、新しく家族になった継母や義弟妹と、顔を合わせたくなかったからだ。
当時12歳だったアビゲイルは反発心の塊で、それは成人する18歳になっても変わらなかった。
「なかなか婚約が決まらない私を、父は持て余していたはずです」
そこへ結婚を前提とした、キースの打診が来たのだ。
父はもろ手を挙げて快諾し、アビゲイルには契約内容を伝えなかった。
「それに私も、ハウエル侯爵家を出られるなら、理由はなんだってよかったんです」
だから結婚式の日を、指折り数えて待っていた。
それが、アビゲイルの再出発の日になると思っていたからだ。
キースとの結婚は、想像していたものとは違ったが、新たな人生の一歩となってくれた。
親切だったアシュベリー公爵家の執事や使用人たち、そして教鞭をとってくれたバイオレットとの出会い。
すべてに恵まれて、今のアビゲイルがある。
「私は、アシュベリー公爵を恨んでいません。むしろ多額の手切れ金をもらえて、ありがたかったくらいですわ」
にこにこしているアビゲイルは、嘘をついているようには見えない。
それにシャノンが、ホッと息を吐いた。
「お義姉さまの活躍は、ダレルから聞いているわ。なにか私に、力添えできることはないかしら?」
「すでにしてもらいましたよ! シャノンさまの宣伝効果で、ミストラル帝国から『ユーラ』の問い合わせが相次いでいるんです」
精鋭揃いの営業マンたちの頑張りもあったが、その追い風となったのは舞踏会でのシャノンの発言だった。
麗しの王女シャノンが夢中になっている『ユーラ』を、なんとか自分たちも手に入れたいと令嬢たちが躍起になった。
「今、ミストラル帝国の令嬢たちの間では、『ユーラ』が最先端のおしゃれアイテムなんです」
娘にねだられた貴族たちが大量購入してくれたから、あっという間に輸出にかかる費用の採算が取れた。
結果として、アビゲイルが予想していたよりも早く、ミストラル帝国で『ユーラ』のブームが巻き起こった。
試作品として贈った『ユーラ』の瓶詰めを、ダレルがシャノンと一緒に飲んでくれたおかげだ。
「うふふ、舞踏会のときは、下心なんてなかったのよ。思ったことをそのまま、口に出してしまっただけで……」
可憐に笑うシャノンが下心をしのばせたら、どれほどの威力を発揮するのか空恐ろしい。
だが、アビゲイルは交渉手段を得られたのだから、シャノンに対して感謝しかない。
「本当に助かりました。これで『ユーラ』の出荷を制限すれば、ミストラル帝国へ外圧をかけられます」
アビゲイルの物騒な台詞に、ダレルとシャノンが驚いて顔を見合わせる。
「義姉さん、外圧ってどういうこと?」
「ミストラル帝国と、もめ事があったの?」
心配する二人に、アビゲイルは事の次第を説明する。
多忙を極めていたため、ダレルにすら詳細を伝えていなかった。
アビゲイルがスパイ容疑をかけられ、身ひとつで国外追放されたと聞いてダレルが憤慨する。
ひとりで取り残されたロッティを心配して、シャノンは顔を青ざめさせた。
アビゲイルは戦う決心を拳に込めて、ぎゅっと握りこむ。
「一時的にミストラル帝国を巻き込んでしまうけど、モンテスキュー公爵をぎゃふんと言わせるためなの」
『ユーラ』が入手困難になれば、その原因はなんだと騒ぎになる。
注目を集めたところで、アビゲイルが登壇すればいい。
「私が社長だって公表するわ。これまでは身の安全のために、強面の代役を立てていたけれど、ロッティを取り戻すのが最優先事項だもの」
ホロウェイ王国で、飲料メーカーの頂点に君臨する『ユーラ』の社長が、ヴァイツ王国のスパイのはずがない。
その気になればいくらでも爵位など、買える財力があるのだから。
そうして容疑を払拭し、堂々とロッティを迎えに行きたいと、アビゲイルは考えている。
「モンテスキュー公爵が誤りを認めて、ロッティと私に謝罪してくれたら、『ユーラ』の流通を再開させるつもりよ」
「なるほど、『ユーラ』が人質ってわけか」
ダレルが腕を組み、眉根を寄せた。
「義姉さんが、けんか腰になるのもわかる。しかし、ミストラル帝国の皇太子妃は、シャノンの親友だよな?」
その質問に、シャノンはこくりと頷いた。
ダレルはアビゲイルに提案する。
「そっち方面から、スパイ容疑を解くことはできないかな?」
「どうやって?」
「義姉さんの保証人になってもらうとか……」
う~ん、とアビゲイルは唸った。
ミストラル帝国では、まだ何者でもないアビゲイルに、コネでお墨付きをもうらうのは、どうにもはばかられる。
「俺が心配しているのは、社長だと公表した後の、義姉さんの身の振り方だ」
これまでのように、自由気ままには生きられなくなるだろう。
せっかく貴族社会から脱し、庶民の暮らしを謳歌しているのに。
表舞台に立ってしまえば、アビゲイルに気に入られようと、有象無象が押し寄せてくる。
ダレルは重ねて説得した。
「無事にロッティを取り戻せたとして、それからどうする? この港町で、のびのびとロッティを育てたいのなら、義姉さんが大企業の社長だとバラすのは悪手だ」
シャノンもそれに賛成する。
「お義姉さまが資産家だと知られれば、危険はロッティちゃんにも及ぶわ。とくに小さい子ども時代は、身代金目当てで誘拐されやすいの。侵入されにくい屋敷に住んだり、昼夜問わず大勢の護衛をつけたり……相応の対策が必要になるわ」
この数年で成り上がったアビゲイルは、本当の金持ちの苦労をまだ知らない。
シャノンに厳しい現実を突きつけられ、両手で頭を抱えた。
「ロッティの安全を第一に……かつ、モンテスキュー公爵を締め上げるには……どうしたら……?」
悩めるアビゲイルの瞳が、ふとシャノンが外していた民族衣装のベールに留まる。
わざわざ南方の国から取り寄せたのだろう。
ほどこされている刺繍の精緻さが見事だった。
それでアビゲイルは、はたと思い当たる。
「私の身分を保証……偉い人のお墨付き……そうよ! あれがあるわ!」
ぱっ、とアビゲイルが喜色満面で立ち上がる。
そしてダレルとシャノンに、早口で説明した。
「南方の国からもらった、勲章があるの。勲章の中でも、一番すごいものだって言ってたわ!」
『ユーラ』に欠かせない、とある原材料を生産する国――それが南方の国だった。
ちなみに正式国名がとても長いので、そこに住む民ですら南方の国と名乗っている。
昔は栄華を誇っていたが、金の鉱脈が枯れてからは、やがてくる滅亡を待つばかりとなっていた。
「若きイブラヒム大王が治める、南方の国か。数年前に農業政策を始めてから、経済が好転したんだっけ?」
さすがダレルはよく勉強している。
だが、なぜ南方の国が農業に力を入れたのかまでは、知らないだろう。
「多くの『ユーラ』をつくるには、多くの原材料が必要でしょ。だから生産国である南方の国に、ちょっと多めの投資をしたんだけど……それに対する感謝の気持ちだと、イブラヒムが叙勲してくれたのよ」
「え!? もしかして義姉さんのお金で、南方の国は国土の農地整備をしたの?」
最初から工場での大量生産を視野に入れていたアビゲイルは、南方の国へ全力で資金を注いだ。
その結果、農業大国となった南方の国は、今では輸出大国として成長中なのだ。
「生産の効率化が進んで、毎年、増収増益が続いているらしいわ」
「原材料の生産高と作り手の確保ができて、先行投資した分が貿易黒字からリターンされて、その利益でまた『ユーラ』の事業を拡大して……義姉さんのための錬金術が完成してるわけか」
状況を正しく理解したダレルが、あんぐりと口を開けた。
この流れをつくったのは、相談役のバイオレットだ。
逆にシャノンは、アビゲイルが叙勲されたという、勲章に興味をもつ。
「お義姉さまのおっしゃる勲章とは、純金製の勲章かしら? もしそうならば、イブラヒム大王に次ぐ、権威者の証になるわ」
それはアビゲイルも知らなかった。
なにしろ、軽い気持ちで受け取ってしまったのだ。
恐れ多くて、今さらながら背筋が伸びる。
「重かったし、金色をしていたから、そうかもしれないわ……」
「義姉さんがその勲章をつけていれば、ミストラル帝国も入国を拒めないかな?」
「おそらく本物かどうか、南方の国へ確認をとると思うわ。その間、お義姉さまはスパイ容疑が晴れず、国境で待たされるでしょうね」
う~ん、と三人で考え込む。
ミストラル帝国から南方の国への距離は、ミストラル帝国からホロウェイ王国への距離よりも遠い。
待たされるとなれば、相当な日数を覚悟しなくてはならないだろう。
「勲章にイブラヒムの証明書でも付けて、持っていけばいいのかしら?」
そうすれば、わざわざ使いを出す必要はない。
アビゲイルの呟きに、シャノンが乗ってきた。
「それよ、お義姉さま! 証明書と言わず、イブラヒム大王と一緒に突撃しましょう」




