21話 知らぬ間に
今は庶民であるが、元は貴族だったアビゲイルだ。
もしかしたら令嬢時代に、シャノンと知り合いだったのかもしれない。
そう考えたタチアナだったが、どうやら二人の間には、もっと込み入った事情があるらしい。
「アビゲイルさんには、申し訳ないことをしたと思っています。いつか彼女には、私からも直接、謝罪をするつもりですわ」
シャノンの声のトーンが落ちた。
王族が謝るなど、めったにあるものではない。
一体、アビゲイルとシャノンに、何があったのか。
立ち入って聞いていいものか、迷うタチアナにシャノンは言葉を続けた。
「私の従兄が、アビゲイルさんの経歴に傷をつけたのです」
「シャノン王女殿下の、従兄というと……?」
「ホロウェイ王国アシュベリー公爵のキースです。アビゲイルさんの元夫ですわ」
「っ……!?」
タチアナは息を飲んで驚く。
アビゲイルはロッティの保護者になったから、婚期を逃し、独り身なのだと思っていた。
それがすでに結婚していて、さらには離婚していたなんて。
あまりにもアビゲイルの歩んできた道が、波乱万丈すぎる。
同じく結婚によって人生を翻弄されたシャノンが、扇で口元を隠して声をひそめる。
「5年前、キースには隠れてつきあっている、恋人がいました。まだ相手が若かったために結婚できず、彼女が成人するのを待つ間、アビゲイルさんを仮初の妻としたのです」
「仮初の……妻」
「アビゲイルさんは2年間だけ、アシュベリー公爵夫人でした」
そんな悪条件の結婚が、どうしてまかり通ったのか理解に苦しむ。
つらい過去を垣間見せないアビゲイルの姿を思い出し、タチアナは痛む胸を押さえた。
「そして離婚したあと……貴族籍を捨てたのです」
「アビゲイルさんがどうして庶民になったのか、なんとなく分かった気がしますわ」
「そんな結婚を強いた両親のもとに、帰ろうとは思えませんよね」
ただでさえ、出戻りは肩身の狭い思いをするのに、というシャノンの台詞には重みがあった。
「キースはかねてからの恋人だった、ヴァイツ王国の第二王女と婚約し、すぐに再婚しました。そのときになってようやく、以前の婚姻関係がいびつだったと、先代のアシュベリー公爵が気づいたのです」
しかし、もう手遅れだった。
貴族同士の婚姻は名鑑に記録され、どんなに圧力をかけても、離婚歴を消すことはできない。
キースにとっては痛手ではないが、アビゲイルにとっては致命傷になる。
だいたいの離婚が、女性側に非があると思われるからだ。
「アビゲイルさんが社交界以外でも輝ける、強い女性であったのが救いです」
後悔がにじむ声だった。
この数年間は、シャノン本人も騒動の渦中にいた。
アビゲイルに手を差し伸べることは、不可能だったのだ。
「よろしければ、私が顔合わせの場を整えましょうか?」
モンテスキュー公爵家でお茶会を開催するのはどうだろう。
シャノンだけを招待するならば、それほど堅苦しくならず、アビゲイルにも負担が少ないのではないか。
タチアナが考えを巡らせていたら、シャノンが首を横に振った。
「お気遣いだけ、いただいておきますわ。いずれアビゲイルさんには、ご挨拶する予定があるんです」
心なしか、シャノンの頬が赤く染まっている。
タチアナはその隣に寄り添う、男性の影が見えた気がした。
◇◆◇◆
「ソランジェ姉さま、大変ですわ!」
「どうしたの、リュシー?」
社交界の華とうたわれるだけあって、舞踏会やパーティでは、ソランジェを取り囲む令嬢や令息は多い。
それらをかき分け、リュシーはソランジェを輪からつれだした。
ダンスホールから離れたところで、ようやく足を止める。
ぎゅっと拳を握りしめると、早口に話しだした。
「さっき、お母さまとシャノン王女殿下が話しているのを、立ち聞きしてしまったんです」
罪悪感からか、リュシーの声は小さい。
ソランジェは励ますように、その背中を撫でてやる。
こうしてわざわざ告げにきたということは、よほどの内容なのだ。
ソランジェの好奇心も、自然とくすぐられた。
「わざとじゃなかったのでしょう?」
かばうソランジェの言葉に、リュシーは勇気をもらう。
息を小さく吸い込むと、一気に核心を吐き出した。
「あの庶民……とある貴族と結婚していたけど、2年で捨てられたそうです!」
こぼれてきた言葉をつなげたら、そういう意味だったと思う。
ホロウェイ王国ではどうか知らないが、ミストラル帝国ではよほどの過失がないと、短期間での離婚は認められない。
不貞を働いたり、金を使い込んだり、相手に危害を加えたり――だいたいが裁判沙汰になる。
「きっと悪女なんだわ! それなのに、図々しくもモンテスキュー公爵夫人の座を狙うなんて!」
リュシーは憤りを隠せなかった。
誇り高き家門を、馬鹿にされたと感じたからだ。
「たしかに離婚歴のある女性には、とても務まらないでしょうね」
ソランジェの同意を得て、リュシーは勢いづく。
「素朴な見た目に騙されたけど、案外、男慣れしているのかもしれません!」
結婚した過去があるのなら、アビゲイルは純潔ではないだろう。
リュシーは頭をうなだれさせた。
「どうしましょう、ジスラン兄さまがうっかり騙されてしまったら……」
「リュシーはそれを、黙って見ているの?」
「とんでもない! あんな庶民、私が絶対に追い出してやりますわ!」
ソランジェはうっそりと微笑む。
「頼もしいわね」
褒められたリュシーは、アビゲイルの尻尾をつかんでみせる、と意気込んでいる。
ソランジェの思惑通りに、動かされているとも知らずに。
◇◆◇◆
舞踏会のあった次の日、ジスランはアビゲイルたちの客室の前にいた。
皇族との謁見が予定されているのを、伝えるために来たのだ。
(ロッティはかしこまった場を、嫌がるかもしれないな……)
ロッティに嫌われたくないジスランは、なんと切り出すべきか迷い、扉をノックするのを躊躇する。
だが、それは杞憂だった。
ジスランがうろうろしている扉の中では、すでにタチアナが事の次第を説明していたのだ。
「ついにドラゴンの服の出番がきたわよ」
「やった~!」
アビゲイルは開いた口が塞がらない。
皇太子との謁見予定にも驚かされたが、その場にドラゴンの服を着ていくことを提案してきたタチアナには、もっと驚かされた。
ロッティだけが両手をあげて喜んでいる。
「大丈夫でしょうか? その……不敬になるのでは?」
「皇太子殿下から直々に、お許しをいただいたわ。多少のロッティのおてんばには、目をつむってくれるそうよ」
ロッティの未来を早々に決めてしまわないためにも、謁見は必要らしい。
そして万が一、何かあったとしても、ジスランとタチアナが付き添っている以上、大事にはならないという。
「モンテスキュー公爵家は、皇族とは親族ですからね。心配しなくても大丈夫よ」
皇太子は純粋に、フレデリクの娘に会いたいだけなのだ。
亡くした友人の面影を、ロッティの中に見出したいのだろう。
それはタチアナも同じだったから、よくわかる。
「ロッティのことは私たちに任せて。アビゲイルさんも、たまにはゆっくり休んだらいいわ」
「では、図書室で過ごさせてもらいます。ホロウェイ王国にはない本が、たくさんあったので――」
結局、ジスランが覚悟を決めて扉をノックしたのは、あらかた話が終わった後だった。
◇◆◇◆
翌日、ドラゴンの服を着てご満悦のロッティを乗せて、モンテスキュー公爵家の車は城へむかって出発した。
アビゲイルはさっそく図書室へ引きこもると、分厚い法律の本を読み始める。
「国によって決まり事が違うから、知っておくに越したことはないわ。商法について書かれているのは、どのあたりかしら?」
ぺらりぺらりと頁をめくるアビゲイルを、こっそり覗き見ている者がいた。
「今のうちだわ! あの女が悪女だって証拠を、探しましょう」
リュシーは足早に、アビゲイルたちの客室を目指す。
するとそこには、なぜか部屋の扉を開けようとしている、執事のハンスがいた。
なんの疑問も抱かず、リュシーはこれ幸いと声をかける。
「ちょうどよかったわ、ハンス! しばらく人払いをしてちょうだい」
「お嬢さま……!? どうしてこちらへ……」
「あの女の正体を、暴いてやるのよ。ジスラン兄さまの目を、醒ましてあげなくちゃ!」
ハンスはそれに賛同する。
「おっしゃる通りでございます。実は私も、あの客人は怪しいと思っていました」
続けてハンスは、執事だけがもっているスペアキーで、客室を開錠した。
それを押し開くと、どうぞ、とリュシーを中へ通す。
「何かやましいものを、隠しているかもしれません。そうですね……トランクなどを調べてみるのが、いいでしょう」
「わかったわ! 見つけたら、すぐにお父さまに知らせないと!」
タチアナとジスランの希望により長期滞在しているが、モンテスキュー公爵はそれを快く思っていない。
悪女だという物的証拠さえあれば、屋敷からアビゲイルを追い出してくれるだろう。
「旦那さまは、リュシーお嬢さまの味方ですよ」
ハンスの言葉が追い風になる。
リュシーは手始めに、アビゲイルのトランクを開けた。
「けっこう上等なトランクね。ということは、このあたりに二重底があるはずよ」
貴重品を隠すために用いられる場所を、リュシーは探る。
すると指先が何か、薄いものに触れた。
「これは……手紙かしら?」
引っ張り出したのは、真新しい白い封筒だった。
リュシーはそれを開封する。
「ホロウェイ語で書かれているわね。 『ミストラル帝国で得た情報を渡す見返りに、ヴァイツ王国での爵位を求める』……!?」
短い文章だったが、内容が穏やかではない。
ハッと息を飲むリュシーを、横からハンスが煽る。
「あの客人は、ヴァイツ王国のスパイなのでは!?」
「スパイ!? 想像していたより、ずっと悪いじゃない。こうしてはいられないわ!」
リュシーは立ち上がると、モンテスキュー公爵のいる執務室へ足早にむかった。
それを見送るハンスの口角は、くいっと持ち上がる。
「やれやれ、一時はどうなるかと危ぶまれましたが、うまくいきましたね。私が隠した手紙を私が見つけたのでは、いまいち真実味に欠けますから。……リュシーお嬢さまが、いい働きをしてくれました」
あとは手筈通りに、アビゲイルを捕えればいい。
「旦那さまも、お喜びになるでしょう。もしかしたら、なにか褒美をもらえるかもしれませんね」
くくっ、と笑うハンスの声を、聞く者は誰もいなかった。




