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56冊目 微かな愛情と溢れる激情


 本邸と領書邸を繋ぐ渡り廊下を渡ったところで、偶然メイド長と出会った。


「ごきげんようテネサエラ。お父様どこにいるか分かる?」

「お嬢様におきましてもご機嫌麗しゅう。ヘンフォーン様でしたら、執務室だと思います」

「ありがとう。この間の掃除以降、何か不都合はあるかしら?」

「人では減りましたが、厄介な者たちは減ったので気持ちよく仕事できるようになりました。ありがとうございます」

「不都合がないならいいわ。人手が足りないならゼル爺に言っておいてね。予算の都合は付けるから」

「恐れ入ります。ですが、今は大丈夫かと。後日検討させて頂きますので」

「そう」


 これはあれね……。

 うちで仕事をしているとはいえ、テネサエラも貴族女性。しかも家令のハインゼルと同世代だ。


 つまり私なんかじゃあ足下にも及ばないような歴戦の淑女。そりゃあ、独自にあれこれ摑んでても不思議じゃない。


「長いコト我慢させてて悪かったわ。そろそろ、ちゃんと表に立つから」

「……そのご覚悟に感謝を。ですがご無理だけはなさらぬように」

「ええ」


 テネサエラが何を思ったのかは分からない。

 だけど、彼女の言葉は不思議と私の背中を押してくれた気がする。


 私はテネサエラの元をあとにすると、執務室へと向かう。


 道中、態度の悪いのは残っていたけれど、私にケンカ売ってくるやつはいなかった。

 むしろ、私のことが恐いのか、仕事を放り投げて物陰に隠れるほどだ。


 その動き……だいぶクビ案件だと思うんだけど、まぁいいか。

 今は余計な時間は不要だ。真っ直ぐに執務室へと向かっていく。


 そして今回もノックはせずに、勢いよくドアを開けた。


「お父様、います?」

「……そういうのノックしてから訊くものだろう?」

「その問答はすでに何度もしています。答えは同じなので時間を無駄にはしたくありません」


 そう告げてから、ふと思い直す。

 考えてみれば、ちゃんと訊いたことがなかった気もするし。


「ところで、お父様はどうしてフーシアにそういう教育をしなかったんですか?」

「え?」


 キョトンと、お父様は目を(しばたた)く。


「元の身分はなんであれ、貴族の妻になった以上は相応の振る舞いが必要です。

 貴族夫人の振る舞いの悪さは、そのまま夫や子供の瑕になる――当たり前の話ですよね?」

「で、でもサラだって別に何も……」

「サラは理解してましたよ。必要があらば、嫌っている私にさえ頭を下げて教えを請うてきました」


 これ――考えようによっては、お父様に貴族作法を訊くだけ無駄だとサラが判断したってことなのよね。口にはしないけど。


「それどころか、サラはハインゼルやテネサエラにも頭を下げて、当主や貴族夫人の作法なども自主的に勉強しているんですけど、ご存じですか?」


 必要な当主教育はハインゼルに頼んでたんだけど、それ以外にも貴族夫人になった場合の振る舞いなんかも勉強してたみたい。


 私も知らなかった話なんだけど、密かに習ってたみたいなのよね。

 最終的にどうなるか分からないから教えて欲しいって、ハインゼルとテネサエラに頼んで、かなり厳しく教えてもらってるらしいのよ。


 本当、真面目で勉強熱心よねサラって。


(ひるがえ)って、どうしてお父様はフーシア様に対してそういう指摘をしなかったのですか?

 どうして教えたり、家庭教師を雇ったりしなかったのですか?」

「いや、それは……」

「それは?」


 正直、それを教えるのは、平民を妻に迎えた夫の義務だろう。

 そのままロクな作法を持たない妻を連れて、社交に出る意味を、ちゃんと考えられるというのなら。


 もちろん、お父様はもごもごしたまま答えない。というか、答えなんてないのだろう。


「質問を変えます。どうしてフーシア様に、必要以上の自由を与えたんですか?」

「必要以上?」

「気づいてなかったとは言わせませんよ? あのふざけた使用人の群れはなんだったのかと訊いてるんです」

「いや、それはその……そういう人事は、家の管理を仕事とする、夫人の采配、だろ……」

「ふざけてんのかッ!」


 ダン! と思い切り拳を机に叩き付ける。


「平民あがりで、教育すらまともに受けてない、受ける気もないやつに采配を任せるコトの意味を分かってんのかッ!」

「イ、イスカナディア……そんなに怒らなくても……」

「私がッ、なんでッ、キレてるかッ、ちゃんと理解してッ、怒るなとッ、アンタはッ、口にしてんだよなァッ!?」

「いや、あの……」


 まごまごしている父を見た私は、大きく息を吐いて、気持ちを落ち着ける。


「家族としての情があったから色々と(ヌル)い対応していましたが、それは間違っていたようですね」

「イ、イスカナディア……?」

「ヘンフォーン・スール・ライブラリア……いやヘンフォーン・スール・ツォーリトッグ。例え事勿(ことなか)れ、例え曖昧(あいまい)、例えいい加減……そんな雑な理由であったとしても、自分の選択と、それによって生じた貴族としての――いえ、人としての責任と結果を背負う覚悟はお有りで?」


 敢えて旧姓で呼ぶ。もうライブラリアと呼ぶ必要もないだろう。


「イスカナディア、それは……どういう意味だい?」

「もう二週間後に迫った王家主催の夜会。なんらかの言祝(ことほ)ぎに関する発表があるので、可能なら出席するようにという手紙が送られてきたのを知っていますか?」

「え? それは当たり前だろう?」


 当たり前――ね。


「じゃあ、なんで私には教えてくれてないんですか? 王家からの本式の招待状であれば、私の名前も連なっていたはずです。

 準備しておけ……とか、ドレスを新調しとけとか……そういうの一言もないんですか?」

「え? いやでも、イスカナディアは知ってるじゃあないか」

「私が自分独自の情報収集手段で知っただけで、貴方からもフーシアからも教えて貰ってませんが?」

「そ、それはほら……イスカナディアは、離れの、図書館に住んでるから……」

「誰のせいで、図書館暮らししてると思ってるんですか?」

「え? いやそれは……フーシア、かな?」


 その言葉に、私は盛大に嘆息した。


「そうかよ。お前は、そう答えるんだな、クソ親父」

「イスカナディア……さっきからどんどん口が悪くなってないか……?」


 おどおどと、そんな指摘をしてくる。


「どうしてこっちの口が悪くなってるかも理解できないのかよお前はッ!!」


 私の口の悪さなんて、もはや些細な問題だ。

 それでも、僅かな希望に縋るように私は訊ねる。


「……ねぇお父様。お父様には守りたいモノとかないの?」

「え?」


 せめて何か、この人のどうしようもない動きの理由でもあれば、と。


 無意味かもしれなくとも、最後の最後に、確認をしておいた方が、きっと私も後悔をしなくて済むだろう。


「貴族として矜持とか、ライブラリアの歴史とか、領地とか――別にそういうモノである必要はないのよ。もっと些細な、もっと個人的なモノでも構わないの。

 毎朝飲む一杯のコーヒーを楽しむ時間とか、贈り物のツボを眺める時間とか、そういう些細なモノでいいから……何か、ないの?

 お父様は、その考えと態度で、何を守ってきたの……?」


 本当にどんなことでもいいんだ。

 寝付き酒を美味しく飲むために――とか。

 その一日をなんとか乗り越えていく為に、とか。


 なんなら――

 一生涯、事勿れ主義で生きていくと女神に誓っている、とか。


 そういうことでだって構わない。

 お父様にとっては譲れない、守りたいナニカ……。


 私はそれを知りたい。

 それが在って欲しいと思う。


 どうして、そう思うかは自分でも分からないのだけれど。

 これが自分の中にある情による質問であることの自覚はある。


 だというのに――


「それは、その……そんなの、イスカナディアを守る為に――」

 

 ――よりにもよって、それを口にするだなんて。


 本当に……この人は、何も考えてないんだ。


「私を守る?」

「そ、そうだとも。父として娘のお前を守りたいと思うのはアタリマエで……」


 私の目が節穴でなければ、この人の態度は取り繕っているようにしか見えない。


 耳触りの良い、私の態度が軟化するかもしれない――そういう希望をかけての、それっぽい発言。この場を穏便に済ませようとして、そう口にした程度のことだろう。


 だけど、だけどさ。

 いくら何でも、それはないだろ。


 この後に及んで、例えこの場を乗り切るデタラメな言い訳を口にするにしても、それをここで口にしちゃダメだろ。


 どんだけ、どんだけ、この人は現実が見えてないんだよ――……ッ!!


「フゥゥッ――……ザケンナァァァァァッ!!」


 叫びながら、チンピラのように父の机に蹴りを入れる。

 重たい机が大きくズレ、上に乗っている書類や魔心灯スタンドなどが倒れたり、落ちたりして音を立てる。


「ひっ……!?」

「じゃあなんで……なんでッ、私の居場所がこの屋敷の中から消えたのよッ!? なんでッ、私の部屋は今ッ、物置になってるっていうのッ!?

 父として娘を大事だとか口にしておいて、今の現状に何も思ってねぇのかよッ!!

 こんだけの状況を作り出した元凶がッ、口から出任せであっても、娘の為とか言うんじゃねーよッ!!

 テメェは何一つ、私に関するモノを、何一つッ! 守れて……ッ、ねぇだろォうが――……ッ!!」


 もしかしたら、私は泣いているのかもしれない。

 実感は無い。流している気もない。どうでもいい。


 抑えきれない感情が、激情が、私の目から、口から、全身から、私の意志を無視して吐き出され続ける。


「お前はッ、私の――娘のッ、イスカナディア・ロム・ライブラリアのッ、何を守ったっていうんだッ!」

「…………」


 気圧されているのか、答えあぐねているのか、それすら読み取れないマヌケ顔をしているのが余計に腹が立つ。


 私を愛しているというのは、私を守りたいというのは、もしかしたら本心かもしれない。

 だけど、本心だろうと、この状況を見てそれを口に出来る神経が許せない。


「……黙ってんじゃねぇよッ! なんとか言えよッ!!

 シュッタイア母様が女神の元へと還ったあと、お前は私に何をしてくれたッ!

 再婚したあとッ、お前は私に何を与えた? 何を教えた? 私の為に何を成したッ!?」

「…………それ、は……」


 相変わらずもごもごと、口を動かすだけ。

 もしかしたら私があずかり知らぬところで何かをしたのかもしれない。

 だったらそれを言えばいいのに、はっきりと口にしない以上、私にとっては何もされていないのも同じだ。


「何かあるなら言ってくれッ! カケラでも良いからアンタが父親で良かったと思わせてくれッ! 私の中に残ってるアンタへの僅かな情を信じさせて、くれよ……ッ」

 

 今自分がどんな顔をして、どんな目をして、クソ親父を見ているのかも、自分では分からない。


「なぁ……なんとか言えよ。言ってくれよ……。

 黙ってないでちゃんと答えろッ、ヘンフォーン・スール・ライブラリア!!」


 この人をライブラリアと、身内として呼ぶのは、きっとこれで最後。


「…………」


 この期に及んでも特に何も答えなかった。

 表情を見る限り、娘を大事にしているという気持ちそのものは嘘はないようにも思えてくる。


「そう――」


 でも、だからどうした。

 その思いも、行動に繋がってない。私に何一つ届いてない。無いのも同じだ。 


「――結局、貴方はそういう人だったワケですね。

 もういいです。ヘンフォーン・スール・ツォーリトッグ。私の中にあった家族としての僅かな情も、今この場ここをもって(つい)えました」


 このクソ親父に、何かを期待するだけ、無駄だったのに……。

 ほんの僅かにだけ期待して、思っていた以上に感情的になってしまったな……。


「本当に――心の底から失望しました。

 契約結婚だったのかもしれないけど、貴方はシュッタイア母様(かあさま)の相手としては相応しくなかった。

 もしかしたら恋愛結婚だったのかもしれないけど、貴方はフーシア義母様(かあさま)の相手としても相応しくなかった。

 そして、長女イスカナディアの父としても、次女サラの父としても相応しくなかった。

 この結論を持って、この話と貴方との関係を終わりにましょう」

「……イスカナディア……」


 彼は、悔しいのか申し訳ないのか苦しいのか――どれだか分からない顔をしているけれど、だけどもう終わり。これ以上の会話は無意味だ。


 私は大きく深呼吸をし、気持ちと感情を無理矢理に落ち着けて、貴族として――ライブラリア家当主としての仮面を被る。


「ゼル爺いる?」

「失礼します。家令ハインゼル、ここに」


 呼べば、即座に執務室のドアが開いてハインゼルが入ってくる。

 私があれだけ大声をあげていたから、気になって近くまできていたのだろう。


 こういう時に、私の少ない言葉で、その意味を察して動いてくれるのはとても助かる。


「今後、このクソ親父――いやクソ野郎に当主の仕事はさせるな。

 ライブラリア家の当主として、ライブラリア領の領主として、その全ての仕事は私がする。

 文字通りこいつはお飾りだ。執務室に飾っておくだけで、仕事はさせるな」


 まぁそれだっていつも通りと言えば、いつも通りだけど。


「書類などはどちらへお持ちすれば?」

「今まで通り領書邸の私の部屋に持ってきてくれ。近々、領書邸の空き部屋の一つを執務室にするから、以降はそっちに。まだしばらくは本邸で仕事をするには邪魔が多すぎる」

「かしこまりました」

「それと、至急でこの手紙を出しておいて欲しい。見ての通り封印はしてないので、してからな。私の部屋に蝋がないから、ゼル爺がしておいてくれ。

 この場での口頭になるが、ゼル爺がうちの紋章付き封蝋を使用するのを許可しておく」

「はい。確実に」


 私は一枚の手紙を取り出してハインゼルに渡す。


 ツォーリトッグ侯爵家宛ての手紙だ。

 このクソ野郎のこれまでの仕事っぷりの全てを書き記してある。


「話は以上です。

 ああ……言祝(ことほ)ぎの夜会には出て貰いますよ。正式にはまだアナタが代行なので、出ないのは世間体としてよろしくありませんから。

 フーシア様にもちゃんと貴族として振る舞うよう(しつ)け、正しい見目のドレスで着飾らせてくださいね? 期待は微塵もしてませんが。

 ああ、そうだ――ゼル爺、少し領書邸までつきあって」

「はい」


 言うだけいうと、私は呆然としている父だった人に背を向け、ゼル爺を伴って執務室をあとにした。




 廊下を歩きながらゼル爺に訊ねる。

 

「結局、アイツって私の為に何かしてくれてたの?」

「気に掛けてはいらっしゃいましたよ。気に掛けているだけで、何かしようとされる様子はありませんでしたが」

「……そう。結局動いてないなら意味のないコトじゃない」

「はい。残念ながらお嬢様――イスカナディア様の仰る通りかと」


 そう言ったあとで、ハインゼルは何か言いづらいような様子を見せた。

 少しだけ気になって、私は話を促す。


「どうしたの?

「……もしかしたら、ですが」

「ええ」

「イスカナディア様が今のような我慢強さを持たず、早々にヘンフォーン様に弱音や感情をぶつけるように吐き出していたのであれば、もしかしたら――と。

 先ほどの部屋を出る直前に、うな垂れつつも目が覚めたようなお顔をされていらっしゃいましたから」

「実際に目が覚めたのだとしても、今更ね。こうなる前に目を覚ます必要があったのだから」

「そうですね。それはその通りかと。余計なコトを言いました」

「いいわよ。こっちが振った話だしね。

 それと……ごめんハインゼル。領書邸に来てっていうのは、この話をしたかったからってだけなの。見送りは渡り廊下まで構わないわ」

「かしこまりました。ではそこで別れたあと、すぐにお預かりした手紙の準備をしたいと思います」

「ええ。よろしくね」


 女神の元より見守っているだろう我が母シュッタイアよ。

 申し訳ありませんが、私はもうアレを例え罵倒であっても、父親に類する言葉で呼ぶ気すらおきなくなりました。


 なので、好きにやらせて頂きます。


 ライブラリア家の歴史と書、集積された知恵。そこに勤める皆。

 可愛い妹のサラ。


 そしてフーシアとの約束を守るために――



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