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ホテルの完成から一月後、入浴施設も出来上がった。前世で例えるなら箱根。遊覧船の浮かぶ湖はないけれど、山々に温泉、夏でも涼しさを感じられる保養地といったところだろう。
しかし、今のファルコールには箱根のような観光客はいない。箱根の関所を彷彿させる国境はあるというのに。
国境を越える為の商隊や、隣国へ向かう乗り合い馬車待ちの人達はただ宿泊所に滞在して国境越えの準備をするだけだ。
でも、これからはこの町をテレビで観たドイツのバーデンバーデンのようにしたいと薫は思った。行ったことはないけれど、目指すのは自由なのだから。
美味しいチーズやサラミにハム。畜産研究所があるのだから、バーデンバーデンを目指せそうに思えたのだ。
イービルから頂いたありがたい菌作成機で白カビをカマンベールチーズ用に出したのだが、それで白カビサラミを作れると思い出したのもついていた。
まあ、チーズもサラミもまだ仕込んだ段階。どんな出来栄えになるかは未知数なのがちょっと怖くて楽しみでもある。
そして今日は新鮮な卵でファルコール風茶碗蒸し作りに励むことになっている。
「キャロルさん、このシイタケというキノコは干すととっても良い香りがするんですね」
「香りだけじゃないのよ、栄養価も高くなるの」
前世の知識を振り絞っている薫を、相変わらずナーサは心の中でうちのお嬢様素晴らしい、と大絶賛していた。
薫は薫で、シイタケ菌にシメジ菌、イービルのくれた菌作成機は素晴らしいと心の中でほくそ笑んでいた。
「ねえ、ナーサ、このシイタケは簡単に作れるし、乾燥させれば運び易くなるわ。これをファルコールで大々的に作りたいと思っているのだけど、どう思う?」
「はい、このように水で戻せば簡単に使えますし、このシイタケ水も便利ですからいいと思います」
シイタケ水…、間違いではないがナーサのその表現に薫は吹き出しそうになった。
この日、試しに作った茶碗蒸しもどきは、深さがある容器にニンジン、ほうれん草、シメジ、シイタケ、鶏肉、シイタケのだし汁入り卵液を入れ、蒸せないので湯煎したもの。
前世で食べていたものとは少し違うけれど、美味しい卵のお陰で味は良かった。
「このメニューは宿泊された方用の夕食にと考えているのだけど、どうかしら?」
「そうですね、他では見ない料理ですから宿泊した方だけが楽しめて良いと思います」
「味は?」
「初めて食べる味ですが、とっても優しい料理ですね。美味しいです。でも、驚きました。キャロルさんは本当に色々な料理を知っているんですね」
「たまたま色々な文献を読む機会があったから」
その文献にはネット記事やら料理番組も含んでいるとは流石に言えないが、スカーレットのこれまでの立場が故にこの一言でナーサはだいたい納得してくれるのだった。
「いよいよ一週間後ですね、最初のお客様の到着は」
「楽しみね。今まで沢山準備をしてきたもの、きっと上手くいくわ」
「はい!」
「まあ、お父様の知人だから安心してお迎えしましょう」
最初の宿泊客はキャストール侯爵の古くからの友人のご両親。ちょっと年配なこともあり、茶碗蒸しもどきを用意しようと薫は思ったのだった。
国境を越える目的ではなくファルコールへやって来てくれる大切なゲスト。料理、足湯、入浴施設、そしてナーサの高いマッサージ技術。希望があれば畜産研究所見学と、少ないながらもお迎えする準備は出来ている。
ようやく形になってきた、薫のキャロルとしてのこれから。それは何だかとても輝いているように薫には見えるのだった。




