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「キャロルさん、本当に良かったのですか、成績証明書を持ち帰ってもらって…」
「ええ、ここに居る限りスカーレットとしての成績証明書は不要だわ。今のわたしはキャロルなのだし」
薫は成績証明書に目を通すと遣いの者に侯爵邸へ持ち帰ってもらうよう伝えた。スカーレットが四面楚歌の中で努力した結果だからこそ侯爵の手元に戻して欲しかったのだ。
それにここではナーサに伝えたように、本当に成績証明書など役に立つことはないだろう。
しかし腑に落ちない。どうして成績が見直されることになったのか、何故あんなに良い成績になったのか。貴族学院の体勢が見直されたと侯爵の手紙には書いてあったが、何かしらの理由がありそこへ行き着いたのだろう、敢えて詳細は伏せられていたが。
でも、体制見直しと成績が変わることは別問題。貴族学院とスカーレット個人のことがどこでどう結び付くのか皆目見当がつかなかった。
薫は今、このファルコールでキャロルとして新たな人生を歩んでいる。スカーレットの希望を叶えつつ自分の人生を楽しむ為に。見据える方向は前だけだ。
だから過去を振り返る必要はない。今更掘り返したってどうしようもないことなのだから。勿論スカーレットの苦しみを知っているだけに、腹が立たないと言えば嘘になるが。
ところが、苦しんだ当人であるスカーレットは辛い過去に対し腹立たしく思うことはなかった。薫の半分くらいの年齢だったというのに、スカーレットは人格高潔だったのだろう。貴族学院での出来事に悲しみはしたが誰かを恨むようなことはなかった。それどころか、国や侯爵領のことをこの世から消えた今も思い遣っている。
本来ならスカーレットの意思を継いだ薫もまた、国や侯爵領のことを思い前だけを向けばいい。けれど、過去が覆った成績表の存在が薫の心をざわつかせるのも事実。
それに…
いくらファルコールが国境の町だとはいえ、慶事のニュースくらいは入ってくる。仮令時間が掛かったとしても。
だというのに、一向に届いてこないニュースがある。それはアルフレッドとシシリアの婚約発表。
薫が追体験したスカーレットの記憶の中でアルフレッドとシシリアは常に寄り添い、互いを見つめ合っていた。ところが、その視線がシシリアから外れスカーレットへ向いた時の鋭さはまるで刃物のよう。不思議とその鋭い視線は、アルフレッドの側近達へも伝播しスカーレットは彼らの視線に日々切り刻まれるような思いだった。
そんな邪魔者のスカーレットが王都から去り、優秀なシシリアとアルフレッドが結ばれるのに何の障害もなくなったというのに…。
何故、婚約発表の知らせが届かないのか。養女先がシシリアを取り合って話が進み辛かったと考えられなくもない。けれど、それにしても時間が掛かり過ぎているように思える。
王都での様子を確かめたくても、スカーレットには貴族学院で心を許せる友人はいなかった。
家族を頼るにも、スカーレットを守りたい侯爵と話をするのを避けるダニエルではどちらからも情報を得るのは難しく思える。
更に、情報がまだ王宮内に留まっているならば知ることは難しい。
「ケビン、ノーマン、今日は三人でお茶をしましょう。お客様をどうおもてなしたのか教えてちょうだい」
ファルコールまで最速でやって来た人物。どうして最速でなければならなかったのか。
成績証明書だって支払い用の金だって最速である必要はない。
それなのに…
ケビンとノーマンがどこまで話してくれるかは未知数、けれど侯爵家の手の者として早々に知らなければならないことがあったのは明らかだ。二人はここでは薫の侍従として働いてくれているが、本当の主人は侯爵なのだから。
「お願い、教えて。どうしてわたしの成績が変更されることになったのか。その経緯と原因を。情報は時に身を守る盾になる。もっと言うなら、正しい情報を持っていないのは丸腰ということだわ。相手が向かって来た時に戦えない」
「ご安心下さい。その為に俺達がいるのですから」
「分かっているわ。でもね、本当に知らないのと、知っているけど知らない振りをするのでは全く違う。だから、教えて欲しいの」
薫がケビンとノーマンから聞かされた話は驚くものだった。




