愛しているから、ヒニンして。(1)
■愛しているから、ヒニンして。
しん、と静まり返ったワンルーム。
時計の秒針の音だけが響く中に。
小さな吐息と、衣擦れの音が、染み込んでいく。
女は、細く白い腕を男の首に回して、ため息のような声を漏らす。
男は、その女の首にキスを落として、その下半身を、ゆっくりと進めようとする。
鼓動は高まり体温が同期し、男の汗が、女の鎖骨に小さな染みを作る。
「ま、まって……」
漏れる女の声。
「その、してる? ……ヒニン、ちゃんと」
色っぽくうごめきながらも、不安の色を隠さず女は訊ねる。
「……いらないよ。僕らはもう、ずっと一緒だ。なあ、そうだろ? 僕のすべてを……君にあげたい」
「だめだよ……ちゃんとしないと……」
男が、湿り気を帯びた場所を容赦なく暴く。
「あ……っ、ダメ……」
脳が蕩けるような快楽。けれど、その熱が頂点に達しようとする寸前、女は必死に理性をかき集めた。
「お願い……ちゃんと、ヒニンして……」
首を振りながら拒否する女の口を、男は唇でふさいで、ゆっくりと進んだ。
二人はつながり、混ざり合い、お互いのうちにあるものを、ねばつくものに乗せて、交換し合う。
――荒い息をつきながら、やがてまた二つになった二人の間に、つ、と、粘液が、糸を引いていた。
***
「聞いた? サオリ、一昨日の合コンのあと」
「あ、やっぱりそうなんだ、怪しい気はしてたんだけど」
「それがさ、サイアクって。ナマでヤっちゃったって」
「え、マジで? サイアクじゃん。どっちもナマ?」
「いや避妊はしてたんだけど『避認』はしてなかったってさ」
「あー……昨日様子ちょっとおかしかったのはそのせいかー」
「やっぱおかしかったよね」
そんな、学生の会話を、ユウナは、朝のホームのベンチに座って聞いている。
――そういえば、どっちもしてなかったな。
別に、妊娠するのは、いい。むしろそのつもりでやってる。
でも、『混濁』するのは、まずい、と思っている。
世間的に、まずいと思われてるから、だけれど。
幸い、ユウナ自身、自分に変わったところは、見当たらない。
彼の家に泊まって、逆方向に出勤している。いつもと違う時間に家を出たものだから、少し手持無沙汰で、ホームでホットのペットボトル紅茶を片手に時間を潰している。
「おいなんだよユウスケ、めっちゃ髪切ってんじゃん!」
「失恋でもしたか?」
別の男子学生の会話が耳に届く。
失恋で髪を切る? 女子でもあるまいし――とは思わない。
誰だって、忘れたい情念というものは、ある。
「そんなんじゃねーよ。……でもさ、この前の試合、俺のせいで負けちまったから……」
ユウスケと呼ばれた男子学生が、声色を落としながら告げると、囲んでいた二人は、あー、と声をそろえてうなずいている。
「……そっか、そうだな、そんなときは髪切ってさっぱり、だな」
「そう思ったんだけどな、思ったほどすっきりしなくて。もっと短くした方がいいんかな」
「そうだなー。最近の出来事ほど、髪の根本にあるって聞くな」
「いっそツルツルに剃れば?」
「馬鹿言えよ」
苦笑しながら、ユウスケはそう言った男を小突く。
「まあ、あんまり思い出さないようにしろよ。脳波感応集合体(BCO)がまたそれ食って、蓄えちまうぞ」
BCOは、脳波を食べる生き物である。
脳波に含まれるあらゆる情念を食べる。
そして蓄え、頭髪に住み着く。
ねばねばの粘液に覆われた、単細胞の集合体生物だ。
「たまったらまた切るさ」
BCOが脳波を食べるので、情念は髪に蓄えられる。
だから、髪を切れば、そうした情念は、髪とともに落ちる。
ゆえにそれは、精神的デトックス手段として、大流行した。
今や、誰もがBCOを頭髪に住まわせている。
「だからツルツルにしとけよ。避認しなくていいから楽だぞ?」
「そんな相手いねーよ」
ユウスケは今度は顔を真っ赤にして、相手を小突いた。
人が濃厚に接触するとき、BCOは、粘液を通じ、お互いにネットワークを作る。そして、蓄えた情念を、交換してしまう。
それは、相手に対する強烈な執着になることもあれば、恐るべき嫌悪感となってしまうこともある。
だから、人は交わるとき、『避認』するのが当たり前だった。
よほどお互いを完全に知り合い信頼し合った間でもなければ。
避認具は、BCOが粘液を伸ばさないよう、髪の下に差し込む電極のような刺激具で、首輪のように付けたコントローラが興奮に反応して電極を通して電気刺激を与えるものだ。だから確かにこれは、男女の盛り上がりに盛大に水を差す機械ではある。付けたがらないものは多い。
加えて、性的な興奮が下半身に集中していて避認具の動作を阻害されにくい男性が付けるのが効果的とされているゆえに、男性側のモラルに依存してしまうことも、問題視されつつある。
「サオリ、今度髪切りに連れてこーかー」
「じゃーだめだって。一度混ざったらクリニック行かないと難しいらしいよー」
最初の女学生たちの声を聴きながら、ユウナは、ふう、とため息をついた。
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