第54話 お姉さんからのアドバイス
クリム婆の家に行った翌日。
あの依頼はギルドに回され、正式に受託された。
ギルマスや領主の貴族にまで話が行った。結論は変わらなかったけど。
ドラゴンなんて俺しか相手にできないんだ。それはもうスムーズだった。
一部のお偉方から、離れたところで最期を迎えられては――なんて話もあったらしいが、履いて捨てられた。
魔力が富んだ地域は豊穣を得る。
クリム婆がこの近辺で魔力を放出すれば、近海は魔力の豊富な恵みの海になるからだ。
その分、強力な魔獣なんかも寄ってくるが……魔王が討伐された現状なら、強い冒険者を誘致しやすい。
ここが新たな冒険者の稼ぎ口になるかもしれない。
よってカリナや他の主だった危険は俺たちが対処することに。それから観光客の最低限の避難や、冒険者への大規模依頼。
大事になったが、なんとか纏まってよかった。
面倒事を持ち込んだが……あの苦労人な風紀トップ(中間管理職)には関係のないはずだ。
彼の胃痛は増えない。たぶん、きっと、おそらく……。
そんな諸々の話をつけて、ホテルに戻ってきた頃には夜になっていた。
「ふぅ……下の風呂もなかなかだ」
ホテルの共用温泉から出て、部屋には戻らずに俺は独りごちる。
スイートルームにある専用の屋上露天風呂とは別の、男女別で分かたれた宿泊者共用の風呂だ。
肉食獣たちに貪られそうになって以来、屋上の露天風呂は使っていない。
入り口が一つしか無いからな。喰われるか、全裸の空飛ぶ変質者として名を馳せるかの二者択一なら、ね。
「――まだ引き摺ってるんだ。もうちょっと、待ってほしいというか」
誰もいないホテルのロビーで、誰に対するものでもない言い訳を呟く。
まだミリアへの心の整理がついていないというか。
――エルミー達だけでも驚いてたのに、いきなりレイナーレが飛び込みプロポーズしてきたこととか。
……アピールが強烈過ぎて、嬉しくもあるけと困惑の方が強いとか。
いくら溜まってるとはいっても、いきなり沢山の餌をお出しされると迷うんだよ……!
腹が減っているからこそ、何を食べれば良いのかわからなくなる。手を伸ばしたいけど気が引ける。
そんなこんなで、男として誰にも手を出していない。
――なにはともあれ、風呂から上がってようやく一息つけた。
やっと、一人だ。
「……クリム婆、調子悪かったのか」
天井を眺めて、ぼーっとしながら呟いた。
だいたい二年間くらいか。わりとちょくちょく来てはいたが、最近は顔を出せていなかった。
だから、とは言わないが。
クリム婆が弱っているなんて思いもよらなかった。
「思えば長いもんだな。クリム婆との付き合いも」
魔剣を貰ってからというもの。
近くに来たついでにあの家に行き、話ついでに飯を食わせてもらったり、話したりして。
出会いは俺の土下座からだったが、クリム婆との関係は悪くなかったな。
自分を擦り減らすような三年間で、クリム婆との時間は、貴重な、休める時間だった。
色々なものを食べさせてもらったし、多くのことを話してきた。恋人のことや俺のことなんかも。……話す方が多かった気がするな。
だけど――
「なぁクリム婆。あんたまだ全然、人間のこと……俺のことわかってないよ」
急にもうすぐ死ぬとか、寿命とか言いやがって。
ドラゴンには大したことじゃないかもしれないけど人間は、急に悲しいことに襲われると受け止めきれないんだ。
少なくとも俺は、受け止めたくないんだよ。最初、ミリアの浮気から目を逸らして逃げたみたいに。
「ミリアに続いてクリム婆もいなくなる、のか……」
クリム婆が言うには、おそらくカリナが来るのは一週間後。
――それはつまり、クリム婆の命も。
「……どうしろってんだよ」
掠れた声だ。
いきなりあんな事を言われても……受け止めきれるわけがないじゃないか……。
そんな風に、考え込んでいた時だ。
「だーれだっ?」
誰もいないと思っていたのに、後から来た人物に視界が暗く覆われた。
こんなことが前にもあったような気がするけど、今回は――。
「マリア」
「ふふふ、せいかいっ! さすがアベル君」
あの絡みつくような色気じゃなく、包容力のある優しげな声。
面倒見のいい姉貴分、マリアしかいないだろう。
手をどかしたマリアが、ソファの背もたれに手をついて覗き込んでくる。
「いいの? あたしたちなんかに背後とらせちゃって」
「なんだかね、気付いてはいるけど別に何もしなくていいやって思うんだよね。みんなだと」
「それだけお姉さんたちに気を許してくれてるのは嬉しいな〜」
マリアはによによとしながら回り込んで、俺の向かい側に腰を下ろした。
「レイナーレさんにも許してあげてるの? よく乗っかられてるけど」
「あいつの場合は避けようがないからってだけ」
「別にあたしはいいと思うんだよね〜。だってアベル君への想いはガチだよ? ホの字だよ?」
「えっと、男だったイメージが尾を引きずってるというか……」
戦ったのも一晩だけだけど。なんならもう女の姿で過ごした時間の方が長くなってるけど。
マリアたち姉妹みたいな同性愛に理解はあるけど許容できてないというか、あの《始祖》が女だって割り切れてないというか。……とにかくまだ踏ん切りがついてないんだ!
「まったくもう」
仕方のない弟を見るような顔でマリアが微笑む。
風呂上がりなのか艶のいい紫髪はしっとりとして、首筋なんかは淡く上気し染まっている。いつかのように色気全開のネグリジェではないけど、部屋着のような薄着でこれはこれで落ち着かない。
どちらかといえば下品でもなく、健全に不健全だった。
「こんなとこで着る服じゃないでしょ。なんでこんなとこに降りてきたの」
「ん〜、アベル君が落ち込んでたからね」
「…………」
「言っちゃえば抜け駆けかな?」
そ、そんなにわかりやすかったのか……?
「なんか、変だった? 俺」
「まあね、アベル君にしては凄く駄々捏ねてたから。それに知り合いにもうすぐ死ぬだなんて言われたら落ち込んでるだろうし……頭の中、グチャグチャになってるんじゃない?」
マリアが首を傾げて聞いてくる。
駄々と言われたのは釈然としないものの、思い返すと強く反論できないのがなんとも言えない。
「人に話しにくいのかもしれないけどさ、一人にだけでも話してみなよ? お姉さんにさ」
「……ありがと。マリア」
「手でも出してくれたらいいんだよ~?」
「……そ、そのうち、ね?」
ニッコリ笑顔のマリアに苦笑しつつ汗が垂れる。
でもこれまで待ってくれてるだけでもありがたいし……愛想尽かされないようにしないとなぁ。
「……クリム婆とはもう、二年近くの付き合いなんだ。みんなに鍛えてもらって、勇者パーティーの出発から三カ月後に出発したじゃん。それから、半年ちょいかな」
「魔剣が欲しくて会いに行ったんだっけ」
「そう。魔剣の素材は強力な魔獣の素材が必要だから……なんとか分けてもらえないかって思って。それどころか作ってもらったんだけど」
蒼氷剣はクリム婆が自分の牙や爪を製錬して造ってくれたものだ。《龍魔法》と、その力をほんの少し切り取って込めてくれた。
いわばドラゴンの力を内包した魔剣だ。
「その代わりにたまに話し相手になれって言われてさ。それから――」
そんなことを少しずつ話していった。
クリム婆と、古老龍とどんなことを話したのか。
気恥ずかしくもあるその思い出の数々を、微笑みながら聞いてくれるマリアに話していった。
「――なんというかさ……クリム婆は、恩人ってだけじゃないんだ。それより身近っていうか」
マリアと話しながら、自分の中でもクリム婆がどんな存在だったのかを考えていた。
そうして一番近しいものを思い浮かべた時に浮かんできたのは……亡くなった両親、そして育ててくれた両親だった。
「……か、家族に近いっていうか」
「お婆ちゃんみたい?」
「正直、そんな感じだった」
種族も違うし、本当の孫もいる。だけど、俺に祖母がいたらこんな感じだったのかと、改めて考えるとそう思う。
だからなのか。
クリム婆がいなくなることを、ずっと認めたくなかったのかもしれない。
「クリム婆が死ぬって言ってても認めたくなくて、新しい力を……魔剣をくれるっていうのも、受け取りたくなかったんだと、思う。でもそれは避けようがなくて、それなら俺は……」
「どうすればいいのか、わからなくなっちゃった?」
マリアの言葉に頷いた。
最近の俺はいつもこうだ。自分では決断できずに、助けてもらってばかり。
「情けないよな。大人になったってのに、迷ってばっかり――」
「はい、下向かない!」
俯いた俺の顔を両手で挟むと、ぐいっと上を向かせて見つめてくるマリア。
身を乗り出しているので、服の襟から覗く光景が凄いことに……いやいや何見てんだ。
「あたしはいいと思うよ? ミリアちゃんだけしか見てなかったのが、他にも目を向け始めてくれたからね」
「……ミリアの?」
「前はミリアちゃんしか見てなかったでしょ。何をするにもミリアちゃんがらみの溺愛っぷりだったし」
……否定できない。それこそ日々の食事だってミリアに合わせて考えていた気がする。
そうか。ミリアと別れた弊害……いや、別れられた証、かな。
「だからさ、今の傾向はいいと思うの。それに今回のは……無理のないことだと思うから」
「どういうこと?」
「アベル君はさ、大事な人がいなくなる実感と理解がある。そんな思いをするのも怖いんじゃないかな?」
顔を挟んで持ったまま席を立って、上から覗き込むように見下ろしてくる。
「昔、子供のころに家族が……大切なものが全部なくなったことがあるでしょ? だから、君はそれがどういうことかわかってると思うの」
そう、俺は幼少期にスタンピードで家族や知り合い、住んでいた村をすべて失っている。
自分以外のすべてを無くしたあの時は、真っ暗闇に突き落とされたような、どうしようもない絶望だった。
「寂しいんでしょ? だから、もう一度そんな思いをするのが怖いから、見たくないんじゃないかな。でも、駄目だよ。クリムさんには向き合わないと」
「そっか……寂しかったのか。でも今更、向き合うってどうすれば」
マリアが言うには、散々駄々を捏ねたあと、ってことになるんだけども。
「大丈夫。簡単だよ」
「え?」
「お話しするんだよ」
俺の顔を覗き込んでいたマリアが手を放して、俺の隣に座る。
その雰囲気は優しく、緊張をほぐすように言葉を紡ぐ。
「クリムさんと、たくさん話そう。これから話したかった事。まだ話してないこと。伝えてないこと全部伝えて、聞こう? 二人とも「未練はない」って思えるように話すのが、きっとアベル君がやるべきことだよ」
「未練を、無くす……」
それは、生きているうちにしかできないことだから。
言いながら、マリアは頭を寄せてその胸に抱きしめてきた。
彼女の柔らかくて暖かい体に寄り掛かる。
「大丈夫。怖くて泣きたくなったら、慰めてあげるから」
「マリア……ありがとう」
恐る恐る、ではあったものの。
俺はマリアの腰に手を回して……甘えるように、抱きしめた。




