第49話 恩人の蒼い龍
「久しぶり、クリム婆」
「数カ月ぶりだね、いいタイミングで来たじゃないか。魔王にかかりっきりだったんだろう? 勇者パーティーの若造共のお守り、ご苦労さんだったね」
この婆さんとは魔剣を手に入れるため、ここに訪れた時に知り合った。
その時に気に入られて、それからは近場に来るたびにちょくちょく顔を出していた。最近は北の地方に行ってたから来られなかったけどな。
「ギルドの新聞で見たよ、アンタの恋人の浮気記事。一緒にいないってことは、あの記事はでっちあげでもなかったみたいだね」
「ああ。ミリアとの結魂は、解消することになっちゃった。すまなかった、力を貸してもらったのにこんな結果になって……」
クリム婆に向かって頭を下げる。
そんな俺に、クリム婆は目を細めて話しかけてきた。
「アベル坊――人の短い人生でも色々とある。割と重たい話だったが、まあ、早いうちに経験できてよかったと考えるんだね」
「……さすが、歳を重ねた古老龍の言うことは違うな」
「ババアを舐めるんじゃないよ。酸いも甘いも海ほど飲み干してきたさ」
亀の甲より年の功、それより重ねた龍の鱗。何千年も生きたドラゴンの言葉は深い。
後ろにいたエルミーが、俺の手を握ってくる。
「大丈夫だよ、後悔なんてさせないから」
「ありがと、エルミー……そうだ、紹介するよ。今は彼女たちとパーティーを組んでるんだ。リーダーのエルミー、こっちの姉妹が姉のフレイと妹のマリア。三人が前に話した師匠たちだ」
「よ、よろしくお願いします」
「あの、あっくん……ほんとにお婆さんがドラゴン、なの?」
「さっきの魔力は凄かったけどね? ちょっとにわかには信じられないっていうか」
今のクリム婆ってただのお婆ちゃんの姿だしな。
クリム婆の力を疑っているというより、それほどドラゴンが珍しいだけだ。
「正真正銘、クリム婆はドラゴンだよ。龍固有の魔法には、姿を変えるものがあるんだ」
「《龍魔法》って言ってね、他にもいろいろ出来るよ。元々は海に住んでいたんだけど、人里の近くは便利でね。ここで隠居しているのさ」
「魔法……!」
固有の魔法と聞いてマリアが色めき立った。
クリム婆は昔、南海に存在するドラゴンの巣に住んでいたらしい。けれどその生活に飽きて、今は人類の街の近くで余生を謳歌している。
ちなみにそのドラゴンの巣がエステナ名物、龍氷の発生原因だったりする。今は親族が住んでいるみたいだ。
クリム婆の穏やかな様子を見ると、エルミーたちは居住まいを正して、クリム婆に言った。
「クリムさん。アベルを助けてくれて、ありがとうございました! ボクたち、ずっとアベルのこと心配してて……」
「修行はつけたのだけど、あのまま死んじゃうんじゃないかって不安だったの」
「アベル君が生きてるのは、クリムさんのおかげだよ。本っ当にありがとう!」
「ひっひっひ、構わないさ。必死に頼み込まれたから、若者にちょっと手を貸しただけさね……男のためにこんなこと言えるなんて、いい娘たちじゃないか。アベル坊、逃がすんじゃないよ?」
「うっさいよ……」
クリム婆の言葉にそっぽを向く。
頭を下げた三人には柔らかく笑っていたクリム婆だったけど、紅い髪を指に絡ませているレイナーレに対しては胡乱な目を向けた。
「しかし……そっちの赤いのはなんだか見覚えがあるんだが、誰だったかね?」
「フン、歳をとって記憶まで曖昧になったか? 青トカゲ」
「あ〜ん? その呼び方……あぁ、大コウモリかい。女だったからわからなかったよ」
青トカゲ、大コウモリ。
龍と吸血鬼をそれぞれ指すだろう言葉を互いに吐きながら、ともに小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「……知り合いだったの?」
「そりゃ、長いこと生きてるからね。コイツは昔、何度かやり合ったのさ。しつこかったねぇ。血を狙ってきて、まさしく洞窟に巣くったコウモリみたいだったよ」
「昔は珍しい血に目が無かっただけだ! ……今は違うぞ!? 見境なく襲ったりしないからな!」
「もしかして、レイちゃんがそんなことしてたから吸血鬼って警戒されたんじゃない?」
「というかあたしたちも危なかったり?」
「若気の至りだー!」
どうやらレイナーレにも、冒険者のイメージする凶悪な時代はあったようだ。それにしても龍種に喧嘩を売るほどだったとは。
フレイとマリアにおちょくられている今の光景からは想像できないな。
因縁があったようだが……軽い恨みつらみは見えても憎しみなんかは感じられない。
「随分と丸くなったもんだ……しかし《始祖》がなんでアベル坊とつるんでるんだか……ま、いいさね。いつまでも外ってのもアレだね、ウチでもてなすよ!」
ゆらゆらと身体を揺らしていた安楽椅子から立ち上がって、自宅へと歩き出した。
「アベル坊、今日もいいモン持ってきてるんだろう? 久しぶりに腕をふるってやろうか!」
「はははっ、ありがとう。期待してくれていい、今回は大漁だぜ?」
「そう言うなら大イカかね! 任せな、アタシゃイカの丸かじりに飽きてきたから料理に目覚めたんだよ!」
「ドラゴンが料理するんだ……」
家に向かうクリム婆の背中を見て、エルミーが呆然と呟いた。
いつも土産を調理してもらってるからな。クリム婆の料理はなかなかの腕だぞ?
「ふん、世話になってやるか」
「ねぇ、あたしたちすっごく貴重な体験してるんじゃない?」
「今さらだよ姉さん」
巨大な胸を支えるように腕を組んだレイナーレが後ろをついてくる。
珍しくもなくなったフレイの疑問は、諦観が見えるマリアの言葉に包み込まれた。
・ ・ ・ ・ ・
『頼みがある。力を、貸してほしい』
それは暗く曇った日だった。
海は荒れ、波は高く、風が草木と家を揺らす中で、俺は地面に頭をつけていた。
なんのために? もちろん、安楽椅子に座っている龍に頭を下げていたからだ。
『貴女は古老龍……〝龍神〟とも評される、強力な龍種だ。その爪や牙があれば、俺の新しい魔剣が作れるかもしれない』
だが……そんな俺を見下ろす『クリムシャリオ』の目は冷ややかだった。
『急に来て不躾だねぇ。ただの力目当ての阿呆にくれてやるもんはないよ。第一、アンタはもう魔剣を持ってるじゃないか』
腰に佩いている緑の魔剣を一瞥すると、興味なさげに読んでいた新聞を読みなおし始めた。
『アタシの身体が目当ての馬鹿共は何人かいたが、今のところみんな同じ末路を辿ってる。アンタもその一人かい? 人ってのは欲をかく生き物だけどねぇ――』
『恋人を、助けたい』
『…………ふむ』
興味を引いたのか、一度下げた視線を戻すのを感じた。
『愛してる人は、俺より強い。俺はついて行くことも出来なかった……! 彼女を助けるためには、まだまだ足りない……助けるためなら、なんだってしたいんだ……!』
『それは――アタシに挑むことでもかい?』
空が降ってきた。
そう錯覚するほどのプレッシャーが全身を押しつぶすも、俺は意思を曲げなかった。
『愛してるから。だからなんだってするさ』
その圧力の中、頭を上げてまっすぐに、縦長の形をした龍の瞳を見つめ返した――――。
「その口説き文句がババァにはうるっと来てね。抜けた爪とか鱗とか……そうだ。丁度その頃、あのにっくきズンダバーで折れた牙とかをくれてやったのさ!」
クリム婆に連れられて、彼女手製のログハウスに迎えられた後。
手土産のクラーケンやクジラ肉などを渡したら、家主はキッチンでパタパタと動き回っていた。
俺とクリム婆の出会いという――余計な話をしながらなァ!
「くぁあ……! ぬぁあああ……!」
俺は頭を抱えて転げ回る。もうミリアと別れてるんだから黒歴史なんだよぉおおおお!
エルミーたちはというと、それぞれ好きな場所で休みながらその話を聞いていた。
「それより本当に古老龍の牙まで折ったの!? あのアイス、謳い文句嘘じゃなかったんだ!?」
「アタシゃそのうちアレが龍殺しの武器になるんじゃないかと睨んでるよ」
「どうせすぐに新しい牙が生えてたくせに」
魔剣を作って貰った時には、もう生え揃ってたぞ。その折れた歯も、油断して魔力を通してなかったボロボロの牙だったんだろ。
龍の素材は魔力を通して全ての力が発揮されるから……いやそれでも凄いな。本当に食べ物か? あのアイス。
「その牙と爪と、ついでにアタシの力の一部分を凝縮して、形を整えてやったのがアベル坊の魔剣の一本ってことさ」
「力の一部って……もしかして魔法とか!? 素材だけじゃなくって、だからあんなに強力なんだ、グランシャリオ……!」
「銘なんて適当につけなって言ったんだけどねぇ。小っ恥ずかしい名前をつけちまってさあ」
「尊敬してたのよね〜、あっくん?」
「そういう話もいいからぁ!」
別にいいじゃないか、語呂もよかったんだよ!
「チッ、尻軽女への惚気など聞きたくなかったがな」
女性陣の中で唯一、レイナーレだけは機嫌悪そうに腕を組んでいた。
「レイナーレはあんまり聞いたこと無いよね。アベルの惚気」
「昔は凄かったよ。一緒にいたらアベル君がミリアちゃん構い倒してイチャイチャしてない時がなかったもん」
「ミリアちゃんもそれとなく自慢してたものね。わたし、嫉妬で憤死しそうだったわ」
そうだったかなぁ……常に気にかけて世話焼いて、笑顔でいられるようにしていただけなんだけど……。
というかミリアってそんなことしてたのか、まったく気付かなかった。
エルミーたちと不仲には見えなかったんだけど。
「自分がその場にいなくてよかったと心底思うぞ。嫉妬に狂って、何をしていたかわからんからな」
「なんだい、大コウモリはアベル坊にホの字かい? アタシといい勝負のババアのくせに、アベル坊に惚れるとはね」
「アベルに魔剣を与えてくれたことには感謝するが、アベルの前で二度とババアとか言うな! ブチ殺すぞ!?」
「まあまあ、不老なんだからそこまで怒らなくても……」
いきなり殺意すら滲ませる怒りを見せる彼女を宥める。
「……だって、好きな相手にはそう思われたくないじゃないか……!」
「え? あー……そうか、うん」
頬を赤らめて恥ずかしそうにするレイナーレを見て、俺はそうとしか返せなかった。
「乙女だ、乙女がいる……!」
「レイちゃんってこういうとこあるのズルいわよね~」
「可愛い~!」
「くっ……そ、そんなことよりだ! アベル、ここに来た目的があるんじゃなかったか!?」
エルミーたちにヤジを飛ばされたレイナーレはさらに赤面して、俺を指で刺しながら別の話題を振ってくる。
「あ、そうだな……クリム婆」
膝を畳んで床に座る。
その様子を見たクリム婆は、キッチンでの動きを止めた。
「どうしたんだい? 改まって」
「俺はミリアを助けるために力が欲しかった、そのための魔剣だった。だけど結果はこのザマだ。もう、ミリアのための魔剣を……もう持ってる意味がない」
左腰に帯剣していたグランシャリオを床に置いて、頭を下げた。
「この魔剣、返したいんだ。今まで力を貸してくれて、ありがとう」




