2話 砂漠の晩餐
「吸い尽くされたぁ...っ!」
「生き返ったぁーっ!」
パンパンに膨らんだ革袋が萎れるまで一口で吸い尽くし、ようやく丸山は一息つくことができた。残念なことに歯磨きなんかは出来ていなかったが、久しぶりに湿り気を伴う一息は爽やかな満足感を感じるには十分だった。
「助かった、いや本当に。もうダメかと思ったよ。あ、名前は丸山海って言います。よろしく」
「あ、はい...?さ、サーシャ、です。その、たんこぶ...」
「あぁこれ?いいよ別に、水恵んでくれたんだし。水に流そうよサーシャさん」
「さ、さん付け、しないでくださいっ!」
「水に流そうよサーシャ。あ、これ水ジョークだよ」
「えぇぇ...?」
「笑ってよ」
「はは.......」
舌の回りがいつもより早くなって気持ち悪い言動を繰り返しているのを彼は自覚したが、止めるつもりもなかった。
なにせ、まだ夜になって短いと言うのに色々とありすぎた。九死に一生を得ると言うのはまさしくこの事だ。頭はしばかれたが、どれだけバイオレンスを振るわれようとも、それでも救いの女神様であることに変わりない。砂漠に投げ出されて放置される以上のバイオレンスなどないのだから。
「で、さっきのやつどうやるの?」
「はい...?」
「さっきの水出すやつだよ、フワって光って水をゴポゴポ注ぐやつ。と言うかあれ何?」
「し、質問は一つにしてくださいよぉ...っ!えっと、水魔法、ですっ。ごめんなさい、そのっ、変なもの飲ませてごめんなさい...」
「まほ、う?」
まほう、マホウ、魔法。よくファンタジー作品なんかで見かける、超常的な力。誰しもが身近に聞くことはあっても、実際に目にしたり実演することなどは存在しなかったであろう、魔法。
しかし唐突にバカなことを言う、と一笑に付すには今彼が置かれている現実そのものが非現実過ぎた。もしも仮に、日本の高校を下校中に砂漠に迷い込んでいましたという、この馬鹿げた状況も魔法の仕業だと考えればすべて説明がつく。目の前の少女がどこから出したかも分からない水をを取り出して、それをもって喉を潤せたのも。
「あーっと...じゃあつまり、君は魔法使い?」
「い、いえっ...まだ...」
「まだ?さっきそれっぽいの使ってたじゃんか」
「まだ、あの...4級でして......もう受ける事もっ...」
「ははぁ、なるほど」
つまり漢検みたいなもんか。まだ2級じゃないから履歴書に書けないんだ。なんて律儀な人なんだろう。
異世界の突拍子もない話だったが、勝手に卑近な事柄に例えて丸山は納得した。乱暴な考えだったが、少なくとも今この場で突き詰める話でないと言うことは何となく理解できていたので、そうすることにした。
「で、で、で、だ。その魔法の使い方を教えてくれよ」
「ぇえっ!?知らないんですかぁ...?みんな使えるはずじゃ...」
「使えない」
「あ、外国人の方なんですねっ?でっ、でもボクの系統は水で...」
「水以外に今何が要るってんだよ、空を飛んだりワープしたりする魔法くらいしか要らないよ」
「わ、ワープ...?は分かりませんけど...空を飛びたいなら風系統の魔法使い様なんかは、お上手な方だと飛ばれてますね」
「マジで?やっぱホウキで?」
「......?いえ、確か足場を空中に作る感じだと...」
「あぁ...」
よく考えなくても、実際に魔法で空を飛べたとしてもホウキなんかに乗ろうとするバカはいない。よっぽどの変態だけだろう。しかしそれ以上の詮索は、彼自身が持つ魔法に対する漠然とした、煌めいたイメージを剥ぎ取ってしまうような気がしたのでやめることにした。
「で、どうやるの?教えてくれ...いや、教えてください」
「け、敬語なんてやめてくださいっ!あた、頭を下げないでっ!あ、たんこぶ...」
「余計なもん見るなっ」
お辞儀の姿勢から顔だけをサーシャに向ける。彼女の金色の目は、しっかりと丸山の側頭部を追いかけていた。
「とりあえず、魔法ですね...?でも出すだけなら簡単ですから......大抵は手のひらから出すんです。たまに胸とか口から出す方はいらっしゃるんですけど、手のひらが1番楽です。とりあえずふわっと、こう、力を込めて出すイメージで...」
「ふわっとした説明」
この世界において魔法というのは繊細なもので、大まかな原理こそ解明されているが、感触や得意分野は個人の資質によるものが大きく学問として未発達だった。加えて知識人層による知識の独占が根強いため、サーシャが魔法の素人に教えられる事と言えばこの程度の幼稚な説明だった。
最大の幸運は、この雑極まる指南が丸山の感触と奇跡的に合致していたことだったが、むろん学のない2人が知る由もない。
「お、おぉっ...?なんか...ふわって!」
「ふわって、ふわって来ました!」
「来た!?来たよな!やっぱ来てたよな!なんか小さい火がふわっと!」
「はい!ふわっと!」
ふわっとした会話だった。
「えっと...マルヤマカイ、様は炎系統ですね…すすっ素晴らしいです!」
「今要らないんだけど」
それは丸山の偽らざる本心だった。確かに夜は寒いが岩陰に潜めば決して耐えられない寒さというわけではない。
それに可燃性の物も殆どない。学生リュックに入っていた教科書は全て捨ててしまい、ノートも必要になった時のためにと新品に近い歴史用のを一冊だけ入れたままにしていただけ。この程度の可燃物では一夜どころか一時間だって持ちはしないだろう。周りにあるのは枯れた草がわずかばかりで、動物の死骸も風化しきって骨だけになっていて、燃料になる気配が微塵もない。
あるのは嬉しいけど、あんまり使い道が分からない。それが炎魔法を手にした所感だった。
だが、目の前にいる水系統の彼女は違ったようだった。
「そんな、そんなこと言わないでくださいっ!炎系統は凄いんですっ!あの第一王子様も、市長様も、すごい人たちは炎系統でっ…!」
「便利なのは分かるよ?ストーブ代浮くかもだし、冷食も作りやすいかもだけどさぁ…砂漠での需要って少なくない?」
「だ、暖が取れますよ…?」
「キャンプファイヤーできないよこんなところ。何を燃やすってのさ。サーシャの水が一番ありがたいって」
「……っ!でもっでもっ...火を通せますし...」
「...何に?」
「サソリとかネズミとか…あと蛇とか。さっきから、そこに持ってるじゃないですか…?」
サーシャが指さす先は、丸山の胡坐をかいて座るすぐ左隣だった。背中からジワリ、と気持ち悪い汗が絞り出されるのを感じつつ、おそるおそる覗き込んだ。
真っ赤な口と白い牙が閃き、鼻っ面めがけてとびかかってきた!
「うぐあぁっ!!!」
「だ、だめっ!逃がしちゃ、あぁっ!」
岩陰の2畳ほどで繰り広げられた壮絶な大捕り物は、丸山がリュックで頭を押さえつけ、サーシャが石で胴体をぶん殴る華麗な形で締めくくられた。
皮を剝ぎ取られ、内臓を引っこ抜かれ、ちょうど半分で引きちぎられた元々蛇だった肉は薄ピンクの淡白な色を晒していたが、丸山が右手をかざして火をかけてやると徐々に見慣れた焼き色へと変色していった。
にじみ出た血液がポタリと尻尾だったところから一滴だけ脂と一緒に垂れる。
その赤黒い雫に素早く両手を差し出したのはサーシャだった。彼女は手のひらに付いたそれをべろりと舐め取った。
「うへ、いぇへへ...」
「な、はぁ…?」
魔法も砂漠もそこそこに飲み込んで対処していった自信のある丸山だったが、そんな彼ですら全く理解できない行動だった。笑い方も引き攣ったように口角を上げていて気持ち悪い。
「サーシャ!汚いから!ペッしなさい、ペッ!血なんてばっちいから!」
「そ、そんなこと、ないですってば!あ、あとでマルヤマカイ様にも差し上げます…っ!栄養満点の完全食だって、こ、困ったら飲めって、近所の方が教えてくれたんですっ」
「すっぽんじゃねーんだよ、啜らんでも肉と一緒に食えば良いだろうが」
「あ、あっ、たれ、垂れる...っ」
「来んな!魔法使うの難しいんだよ、危ないから...うわぁっ!」
丸山が初めて食べた蛇は、少し砂の味がした。
「そ、その...マルヤマカイ様は、なぜこの砂漠にいらっしゃるのですか...?」
「俺が聞きたい。気がついたらここに居てね、出口求めて彷徨ってる。どこか知らない?最寄りの街」
「............知ってますよ」
「知ってんの!?じゃあさじゃあさ、そこまで案内してもらったりは...」
「良いです、よ」
「よっしゃあ決まり、ありがとう!」
「と、当然...です、から...」
ぎこちないサーシャの微笑みに、満面の笑みで応えた。
長い旅の始まりだった。




