王女の誤算
さて、晴れてアルベリック皇子と結婚できた私だけれど、イチャイチャラブラブ蜂蜜たっぷり新婚生活――なーんてものは望んでいない。
私は、アルベリック皇子の運命をかき乱してしまった。だから、私に対する好感度が地の底を這っているような彼に無理矢理、「わたくしを愛せ」なんて命じたって彼にとっては辛いばかりだろう。
かといって、皇帝から愛想が尽かされ、セルリアン国民にとってもすぐに受け入れることは難しい彼にできることはほとんどない。
そういうわけで私は彼に、一つだけ仕事を与えることにした。
それは、最低一日一回は私とおしゃべりすること。
先ほども述べたが、彼は容姿はもちろんのこと、とてつもなく声が良い。
転生した先で生で対面する彼の声は、あの声優そのままだった。何度もドラマCDで聞いたあの声が、生で聞ける。最高か。
そんな彼のセクシーボイスを直に聞けるのだから、幸せすぎる。幸せすぎて語彙力がどっかに行ってしまう。
だから彼には、持ち前の声を存分に聞かせてほしい。それ以外で彼を縛るつもりはないから、彼の思うままに生活してくれて構わない。
……でも、初夜の場面でそれを伝えたら、いたく怒られた。
彼のマジギレボイスを聞けて幸せ、と思ったのはここだけの話だ。
今日も今日とて、私は彼との充実した時間を過ごせて大満足だ。
最近私は、彼に本を朗読してもらうようにしていた。チョイスしたのは、冒険ファンタジーや歴史書など。吟遊詩人に扮していたときからそうだったけれど彼は意外と演技派で、「もっと感情を込めて読んで」と注文を加えると、嫌そうな顔をしつつも抑揚をつけて感情たっぷりに読んでくれるのだ。
推しキャラのボイスを生で聞ける。ここは天国か。
「……僭越ながら、エレオノーラ様。それほどまでアルベリック殿下のことがお好きなら、エレオノーラ様の愛読書である恋愛小説でも読んでもらえばいいのではないですか?」
アルベリックとの「おしゃべりタイム」を終えて満足していた私に、侍女のアンナが申し出てきた。
「アルベリック殿下はエレオノーラ様の、おしきゃらなのでしょう? なぜ、おしきゃらに愛の言葉を囁いてもらわないのですか?」
「そうよ。だからこそ、恋愛小説を読ませるわけにはいかないの」
アンナは、私が転生者であることを知っている数少ない人物だ。
私が前世を完全に思い出してから、アンナは私の行動が微妙に変わったのにめざとく気づいていた。そうして彼女に心配された結果、私はアンナには前世の話をすることにしたのだ。
最初は驚いていたアンナだったけど、アルベリックの企みを暴いたあたりから違和感は抱いていたようで、なんとか納得してもらえた。今では私にとって、かけがえのない相談相手である。
「いいこと、アンナ。アルは見ての通りイケメンでしかもイケボ。そんな彼が恋愛小説を朗読なんてすれば――」
「すれば?」
「……私は間違いなく、萌え死んでしまうわ!」
ダン! と私は熱情の赴くままテーブルを拳で叩いた。
「考えてみてよ! アルがあのイケボで愛を囁くシーンを! 『愛しています、私のプリンセス』『ふふっ……可愛い声だな』『ほーら、恥ずかしがらずにこっちを見て』……無理。しんどい。尊すぎ」
私の愛読書に出てくるヒーローの台詞をアルベリックが読んでいると想像するだけで、脳みそが溶けそうだ。
想像するだけでもしんどいのに、これを生で囁かれたら。私は間違いなく――
「尊すぎて死んでしまう」
「おしきゃらのいけぼは、破壊力がすさまじいのですね」
「そうなの! だから私は、ああやってまじめな本を朗読するとか、たわいない話をするだけでも十分なの! それを超えてしまうと間違いなく私は萌え死してしまうわ。アル様沼マジはんぱねぇ」
「ですからエレオノーラ様は、アルベリック殿下に無理を仰せにならないのですね」
「そう。推しキャラは少し離れたところから愛でるものなの」
「それが、エレオノーラ様のおたくとしてのもっとーなのですね」
「いかにも」
私が大きく頷くと、良き理解者であるアンナも大きく頷いた。
そう、私にとってはこれで十分。
これ以上の関係なんて望まない。
……だというのに。
「おはようございます、エリー」
「ひえっ?」
「ああ、こんなに可愛らしい妻の顔を朝から拝見できるなんて、私はなんという幸せ者なのでしょう」
「あ、え、そ、その、アルベリ――」
「私のことは昔のように、アルと呼んでください」
「ひえっ」
「ふふっ。真っ赤になって……可愛い」
爽やかな風が吹き抜ける、朝の廊下。
いつもなら挨拶をしても嫌そうな顔をするか舌打ちするかのアルベリックが、まさかのデレモード突入である。
彼は護衛騎士や侍女たちが硬直するのにも構わず私の前に跪き、手の甲にキスを落とした。
おかしい。
最近、アルベリックの様子がおかしい。
「あ、の、アル、最近様子が――」
「夫が妻を愛するのは当然のこと。何がおかしいのですか?」
アルベリックは小首を傾げ、不思議そうに問うてきた。
やめて! いつもは顔をしかめているイケメンが子どものように首を傾げるなんて、破壊力ヤバすぎるから!
「あ」とか「う」とかしか言えない私をしばし見つめた後、アルベリックは立ち上がって私を抱き寄せてきた。
「エリー、今まで私はあなたにきちんと愛を告げることができませんでした。薄情な夫をどうかお許しください」
「え? あ、うん?」
「ありがとうございます。これからは最低一日一度とは言わず、たっぷりお話をしましょう。……ああ、そうそう。夜もずっと別室でしたからね。今夜はあなたの部屋に伺ってもよろしいでしょうか」
「わ、私の部屋に……?」
「はい。今夜は、あなたを腕に抱いて眠りたいのです」
朝っぱらから何かましてんだこのイケメンがぁっ!
と叫びたいのは山々だけど、今の私は一国の王女。そんなキャラ崩壊な台詞をアンナ以外の前で口にするわけにはいかない。
どう返事をしようか、どんな返事が無難だろうか、あれっ意外と嫌だとは思ってない? アルベリックの言うとおり夫婦が同衾するのは自然なことだし、えっと、えっと……。
「……お、お待ちしております」
「ありがとうございます、私のエリー」
結局は月並みな返事しかできなかった私だけど、アルベリックはふわりと微笑んで私の前髪をかき分け、ちゅっ、と額にキスを落とした。
アルベリックのでこちゅー。
死んだ。
「……きゃあっ!? 姫様!?」
「エレオノーラ様、大丈夫ですか!?」
アルベリックの腕の中で気絶した私は、アルベリックが私を見てうっすらと意地悪な笑みを浮かべたことに気づかなかった。
こんなはずじゃなかった。
私はただ、腰に響くあのイケボを聞けたらそれで十分だったのに。
でも……。
幸せだ。