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束の間の日常

 ブランダルクの戦いは終結した。

 その戦いに携わった者たちは、ある者はそこに留まって新たな道を模索し、ある者は役目を終えて元の居場所へ帰還していたのだった。



「お待たせしました、お祖父様」

 エレナ=フィルディングは祖父ユーレルンに呼び出され、その書斎に赴いていた。

「呼び出してすまないね」

 車椅子に座ったユーレルンがいつも通り、シワだらけの顔に穏やかな笑みを浮かべる。

「長旅の疲れはとれたかい」

「はい。お祖父様もいろいろと気苦労が絶えないなか、のんびりともしていられません。私も何かお手伝いをさせてください」

「優しいの、そなたは──」

 ユーレルンは首を振ってとうなずくが、やがてその目が細められた。

 その瞳に浮かぶのは憂いだ。

「エレナや。ウルシュガルの件はよくやってくれた。本当に感謝している──しかし、そなたには今後、なお一層の重責を背負わせることになるやもしれん」

 ユーレルンが呟くように言った。その姿は権勢を握る一族の最長老ではなく、孫娘の身を案じる一人の老人の姿だった。

「他の者たちが所持していた“機神”の制御装置はウルシュガルの手によってことごとく破壊されておった」

 それはエレナが唯一の制御装置保持者になったことを告げていた。

「情けないことじゃ……命の危険があるとはいえ、一族の重鎮たちが揃いも揃って制御装置を埋め込んでおらず、秘密と共に守る覚悟が足りなかった。まんまとウルシュガルに付け込まれてしまったわい」

 腐敗した一族本流に挑もうとした司祭長は、自らの命と引き換えに確かに大きすぎる傷跡を残したのだ。

「……私の心配はご無用です。どのような事があろうと最後まで一族のために身を捧げるつもりです」

 エレナは答えた。

 ユーレルンは孫娘の瞳を見つめたが、やがて表情を緩める。

「その覚悟、どこで学んだ?」

「ブランダルクの戦いを通じ、我々フィルディング一族も決して盤石ではないと身にしみて実感しました」

「そうか。なに、そなたの瞳があの若き“狼犬”と重なって見えたものでな」

 エレナが困惑の表情を浮かべる。

「冗談を仰られては困ります。確かにあの男の力がなければ司祭長の暴走は止められなかったのは事実。しかし、フィルディング一族の天敵であることは変わりません」

「そうじゃったな。これは失言じゃった」

 ユーレルンは膝の上で両手を組んだ。

「ならば、ついでに尋ねよう。若き“戦乙女の狼犬”、エレナの目から見てどのような男に見えた?」

「お祖父様の見立て通り、英雄の二つ名を受け継ぐに足る者と見ました」

 エレナは率直に答えた。

「ブランダルクもあの者がいなければ最悪の事態を進んでいたでしょう。それにあの者自身の力だけでなく、多くの者たちがあの者に自ら従っています。今後、“狼犬”を敵とするならば最も手強い相手となることは間違いございません」

「なるほどな……ルーヴェン=ユールヴィングの切り拓いた道は後継者だけでなく、多くの者たちを導いたらしい」

 ユーレルンが夕暮れに染まる窓を見つめた。

「一族を結束させるためにはそうするしかなかったとはいえ、儂は多くを切り捨ててきた。その昏き道では一族の未来を切り開けなかったか」

 何気ない言葉だが、エレナにはとても寂しげな言葉に思えた。

 一族の繁栄のために全てを捧げてきた最長老の人生の結論がそれでは、あまりに報われないように思えたからだ。

「お祖父様、一族は滅んだわけではありません。私もこれから更に尽力します。一族を立て直すためにもお祖父様は必要です」

「……おいで、エレナや」

 ユーレルンはシワだらけの手を向け、小さく手招きした。

 それはエレナが幼少の時、祖父に遊んでもらった時によく見た仕草だった。

 エレナは黙って近づくと、祖父の前で身を屈める。

 その頭に祖父が手を乗せた。

「あの若者の進む道もまた王道の一つじゃろう。英雄の血と名を受け継ぐ傭兵の王……そういう存在を“聖域”は必要としているのかもしれんな」

「お祖父様?」

「そなたも儂の道ではなく、あの者と同じ道を歩む方が幸せなのかもしれんの」

 エレナは訝しむがそれ以上は何も言えなかった。

 一族存続の為に孤高を貫いてきた老骨の手は、エレナだけが知る慈しみに満ちた手でもあった。



「よし、掃除は終わりっと」

 中央王国クレドガルにある大公バルネスの屋敷。

 侍女姿のエルマは自分の部屋の片づけと掃除を終えると侍女服を脱ぎ捨てた。下着姿のまま空になった自分の部屋を眺める。

「ここでの生活も面白かったけど、あいつと約束した以上、後に引けないしね」

「いつになく気合いが入っておるな」

 後ろに立っていたのは礼装姿の大公バルネスだった。

「あら、大公様。お戻りだったのですね」

「そなたの見送りぐらいはしようと思ってな」

 大公は王城よりの使者が来て、しばらく首都に赴いていたのだ。

「大事な公務じゃなかったのですか?」

「いや、吉報というやつじゃよ。まだ公表できんが実はな、王妃が懐妊されたそうだ」

「そうなんですか!? それは確かに吉報ですね」

 若き国王にはまだ世継ぎがいない。王妃を迎えて数年経つが、未だに世継ぎが誕生せず国にとっても懸念材料だったのだ。

「これで王妃様も少しは気が楽に──」

「どうした?」

「いえ、王妃様のお名前をど忘れしちゃて」

「システィア様だ。しかし、儂としては少し複雑だな。王妃もフィルディングに連なる一族の出。一族の権力が一層、クレドガルの中枢に食い込む切っ掛けとなりそうだ」

「よろしいじゃございませんか。王妃様も肩身が狭くて、うちも名前をど忘れするぐらい影が薄かったですし。フィルディング一族と戦ってるのはうちらの事情ですから」

 エルマは置いていた着替えの服に袖を通していく。

「このまま坊主の所に戻るのかね」

「ええ。先代様の《アルゴ=アバス》をようやく修復する目処が立ちましたからね。やってみないと分かりませんけどね」

「わざわざ口うるさいマリエルの所に戻るというのだから信じておるよ。あの鎧もバラバラのままでは不憫じゃったからな」

 大公が近くの椅子に腰を下ろした。

「……だが、エルマ。坊主は後どれぐらい戦えるのだ?」

 エルマが振り向く。

「“機竜”との戦いで無理を重ねておるのだろう」

 大公は先代ルーヴェンの戦友だった。強化装甲の使用が装着者の肉体を疲弊させることを誰よりも知っている人物だ。

「儂はルーヴェンから坊主のことを託された。儂を置いて坊主を先にルーヴェンの所に逝かせるわけにはいかんのだ」

 エルマは用意していた荷物を手に取った。

「男爵の体調管理はマリエルに任せてますから、正確な事は言えませんが──」

 エルマはしばらく何かを考えていたが、やがて答えた。

「──ですが、必ず最後まで“戦乙女の狼犬”として戦わせてみせますわ」

 大公も何か思い詰めるような表情を見せたが、やがて立ち上がった。

「エルマ、頼んだぞ。マリエルたちにもよろしく伝えてくれ」

「はい。長らくご厄介になりました」



 マークルフと傭兵部隊〈オニキス=ブラッド〉もユールヴィング領に帰還していた。

 長らくの留守でも特に変わることなく、領主が帰ってきても別に変わることもない。

 “機竜”襲撃の被害からいつの間にか立ち直った領地は主たちの帰還をいつも通りに迎えただけであった。

 そして、帰ってきた者たちはようやく日常の生活に戻っていた。



「やはり、ここが一番落ちつくな」

 マークルフは自分の城の書斎でくつろぎながら机の上の冊子に手を伸ばした。

 マークルフの一日は、傭兵ギルドの発行する情報誌に目を通すことから始まる。

 書斎の机の上に詰まれた冊子に漏れなく目を通し、傭兵たちの現在の事情を知る。そして、それを基に新たな筋書きを考える──それがマークルフの日課であった。

「え~と、『俺が、俺たちが最後の騎士だ! 謎の騎士の正体は“龍聖”セイルナックか』──か」

 さっそく贈られて来た冊子では“聖域”東部地域の傭兵たちを特集していた。

 特に取り上げているのは鎧を着込んだ謎の騎士がブランダルク周辺で活動し、“最後の騎士”を名乗る偽者たちを次々と成敗して回っているという話だ。

 ブランダルクで伝説とまでなった“最後の騎士”。

 忽然とその消息は途絶えたが、その名を利用する者たちがブランダルク周辺に出現して悪さをしているらしい。そんな偽者たちを成敗しているのが鎧に身を包んだ謎の騎士であるという。

 彼を真の“最後の騎士”だとする噂もあるが、一方でその戦い方が東方遠征に出たままの“龍聖”セイルナックに酷似しており、密かに彼が帰還したのではと噂になっているらしい。

 セイルナックは傭兵一の美丈夫として異性に人気があっただけに、その正体と動向が注目されていると記事には書かれていた。

「“龍聖”の野郎もようやく現役復帰に重い腰を上げたか。ま、あいつの場合はまず重い脂肪を落とさねえとな」

 ページをめくると謎の騎士が偽者の騎士を成敗した時の写真画が印刷されていた。

 鎖で縛られた偽騎士の横で謎の騎士が剣を構えている姿だ。

 写真の下には提供者としてギルド記者テトアの名があった。

 よく見れば謎の騎士も巨漢だが、捕まった偽騎士はそれ以上に分厚い鎧で着ぶくれしたような姿だ。偽騎士をかなり太くすることで相対的に謎の騎士を細く見せる手法だ。

 テトアの撮影は長時間、動かずにいる必要がある。あの重い鎧を着たまま動くことも許されなかったのだろう。偽騎士の中身は一連のゴタゴタでお蔵入りになった《七つ星倶楽部》の連中を使い回しているらしいが、彼らも大変そうだ。

 さらにページをめくる。

『“蛇剣士”カートラッズ、“竜皇”リシャードと手を組んで本格参戦か』

 どうやら東部で活躍する“蛇剣士”カートラッズが謎の騎士の正体を暴くために、“龍聖”の師である“竜皇”を招聘したという。

「“竜皇”のオジキ自ら出てきたか。弟子のためとはいえ大丈夫か?」

 年寄りの冷や水という言葉が浮かんだが、“蛇剣士”ならどうにか上手くやってくれるだろう。

 後はセイルナックが鎧を脱げるほどに痩せられるかの問題だ。

「……無理だな。苦労するな、蛇剣士」

 “竜墜ち”の脅威は去ったが、聖域”東部地域の情勢は大きく動いていた。

 そのきっかけはこの地の有力者たる司祭長ウルシュガルの死だ。

 その最期は不明だが、謎の襲撃者に襲われ暗殺されたと噂された。

 表向きは高名な司祭長として人々の信仰を束ね、裏では権力者たちと繋がって情勢を暗躍した男の死により、その支配圏だった地は揺れ動いた。

 各国内では反司祭長派が盛り返して権力闘争が続き、安定の要だった司祭長を失った国同士の緊張も増し、衝突も増え始めた。

 そんな不安定な情勢で大きく注目を集めたのが傭兵たちだ。

 そもそもこの地は司祭長が傭兵に懐疑的だったせいで、彼らが大っぴらに活躍する機会などなかったが、司祭長が消えると同時に彼らの需要は急激に増えた。

 ブランダルク動乱の際に動いた反司祭長派と傭兵たちに繋がりができ、それを機に彼らの尖兵として重宝され始めたという。

 司祭長を失い他国間の力関係が不安定になっていたが、同時に諸国の内部でも権力争いが続いていた。そのため各国は正規軍を動かさずに他国の牽制する道具として傭兵たちを使い出したのだ。

 現在では傭兵部隊同士の争いも頻発になっているが、所詮は金で動く身であるためか激しい戦乱にまで発展することなく、小競り合いが続いている。

 一部ではその傭兵たちの活動が出来すぎていると指摘する声もあった。

 彼らが台頭するきっかけとなったブランダルク国境近辺の混乱も、彼らが何かを知っていて仕組んだものであるという声があった。傭兵たちの小競り合いも旧フィルガス地方を舞台とする傭兵たちの小競り合いと状況が酷似しており、その関連を疑う声もあった。

 しかし、諸国にとっても国内が治まらぬが他国にも負けることができない情勢でいるうちは、大規模な戦端を開かぬように傭兵たちに適当に戦いを押しつける方が都合が良かったのだ。

 新たな若き王が誕生したブランダルクも傭兵たちが緩衝となるように他国の影響を免れ、復興の道を探ることができるのは幸いであった。

 しかし、全ての背後に“戦乙女の狼犬”の暗躍があったことを知る者は少なかった。

 マークルフは腕を組む。

「しかし、“最後の騎士”の話は思ったより使えそうだな」

 “最後の騎士”の偽者騒動も実はマークルフが考えた台本だ。

 あれだけ活躍した“最後の騎士”だ。その名を悪用する者が現れることは当然予想した。

 それを妨害する意味でも傭兵芝居で敢えて偽者騒動を起こさせたのだ。

 いずれ“最後の騎士”の名が使い尽くされて廃れていくことが、マークルフと“最後の騎士”だった男の望みなのだ。

「そうなるとまさかのご本人登場も面白そうなんだが、残念だな」

 儲け話にもなりそうだが、その本人が二度と本人役をやるつもりでないため実現はできそうにない。

 マークルフは次のページをめくる。途端に顔をしかめた。

『謎の騎士の影に謎の少女傭兵?』

 記事によればどうやら謎の騎士の活動の影に少女傭兵の姿があるという。

 その年格好や特徴的な赤毛が亡き王女を彷彿させるとして、密かに話題になっているという。

「……リファ、やりやがったな」

 ブランダルク建て直しまでの間、現地の傭兵たちには活躍してもらわねばならない。そのための話題作りに張り切るリファの姿が目に浮かぶだけに、マークルフは頭を抱えるしかなかった。


 後日、ブランダルクは中央王国クレドガルと友好関係を結ぶことになる。

 それは実質、ユールヴィング男爵との同盟であった。

 ブランダルク建て直しに男爵の持つ傭兵への影響力を必要としたなど理由はいろいろと語られたが、国王フィルアネスとユールヴィング男爵は信頼関係で結ばれた若き盟友として知られることになる。



 日の沈んだユールヴィング城の一室。

 そこに複数の男たちが集まっていた。

 ウォーレンを始め、皆、副長ログの部下たちだ。

「良い具合に冷えてますぜ」

 部下の一人が冷えた井戸水で満たされた樽から酒の入った瓶を取り出す。

「お待たせ!」

「おお、いいところに」

 タニアが食事を載せた大きな盆を抱えてやって来ると机の上にドンと置いた。

「おお、旨そうじゃねえか。芋のにっころがしに鶏ガラのスープにほうれん草炒め──全部、副長の好物ばっかりじゃねえか!」

「当たり前でしょう! ログさんが主役なんだから! 栄養をとって早く完治してもらいたいじゃない」

 今日は未だ傷の残るログに英気を養ってもらおうと、ブランダルク帰還組の面々で酒宴を計画していたのだ。

「やれやれ、タニアも欲求不満なんじゃねえのか? 副長に土下座して頼んでみたらどうだ? 今ならお情けで女にしてもらえるかもしんねえぜ」

 ウォーレンがからかうように言うと他の部下たちも笑う。

「うるさい! 本当に毒と下剤とゴキブリを──あいたッ!?」

 背後からの拳骨がタニアの脳天を直撃する。

 頭を押されて振り向いたタニアの後ろに侍女服を着た細身の女性が立っていた。

「……やはり、こういうことでしたか」

 目尻にシワの目立ち始めたキツい視線で睨むのは侍女頭マリーサだった。

「マリーサさん!? い、いつの間に!?」

「いつの間にじゃありません! 傭兵さんたちに交じってあなたまで品のない言葉を口にするんじゃありません!」

 そしてその場にいる傭兵たちをキッと睨む。

 その迫力に傭兵たちも首をすくめた。

「まったく在庫の計算が合わないので、誰かが勝手に献立を変えていると思ってましたが案の定でしたね」

「いえ、あの、今回がたまたまで、あたしはそこまで勝手に──」

「へえ、そうですか。ログ副長の好物ばかり作らないと、こういう誤算は出ないはずなんですけどねえ」

 完全にばれていた。

「あまり叱らないでやってくれ。わたしのためにやってくれた事だ」

 そう言って部屋に入ってきたのはログだった。

「ログ副長もおいででしたか。お怪我の具合はいかがですか?」

「ああ。かなり良くなった。幸い急所は外せたのでな」

「そうですか。まず、それは何よりです」

 マリーサは咳払いをする。

「ログ副長、少し頭を下げていただいてよろしいですか?」

 長身のログは言われるまま、マリーサに合わせるように頭を下げた。

「失礼!」

 マリーサの拳骨がログの後頭部に炸裂した。

 一同が目を丸くする。

「そもそも、ログ副長もログ副長です! タニアはこの城の下働きなんですよ! ログ副長のお手伝いをするということでお貸ししましたが、戦地の真っ只中まで連れて行くとはどういうおつもりですか!」

 マリーサの剣幕を前にログは頭を上げることができない。

「あの、それはあたしが強引に──」

「あなたは黙ってなさい! あなたも怪我をしていた事を知らないと思ったら大間違いです!」

 庇おうとしたタニアを一喝し、マリーサは腕を組む。

「この子はどこに嫁がせても恥ずかしくないようにここで家事修業させるつもりで、ご家族からお預かりしているのです! 取り返しのつかないことになったらどうするおつもりですか!」

「……弁解のしようもない」

 叱られる副長の後ろ姿を部下たちも気の毒に思ってみていたが、侍女頭の迫力には彼らも口出しはできなかった。

「マリーサさん! あたしの怪我は大したことないですから。ログさんの方が大怪我して大変だった──」

「関係ありません! 副長殿は傭兵! 怪我も仕事のうちです! あなたとは違うのです!」

 マリーサがタニアの首根っこを掴んだ。

「あなたも副長たちと行動してから、がさつになり過ぎです! あなたが留守の間に肩代わりしていた担当分、きっちりと働いて返してもらいますからね」

「ええ~」

「ログ副長も少しタニアに甘過ぎです。調子に乗りますから以後、気をつけてください。勝手に作った食事は仕方ありませんからそちらで片付けてくださいね。では失礼します」

 そう言うとマリーサはタニアを引きずっていく。

 助けを求めるタニアだったが、ログたちは何もできずその姿を見送るしかなかった。

「……怒らせると恐いですね、副長」

 部下が口を開く。

「マリーサの拳骨は先代閣下のお墨付きだからな。怒らせたら閣下でも逆らえん」

「ここに家事修行に出させること自体、間違ってんじゃねえですかねえ」

 ウォーレンも首をひねるが、やがて男たちは仕方なく円陣を組んで床に座った。

 円陣の真ん中には酒とタニアの置き土産の食事を並べた。

「なんかシラけちゃいましたけど何に乾杯します、副長?」

「……せめてタニアの無事を祈ろう」

「ういっす」

 男たちは控えめに乾杯しながら、戦地を共に歩いた仲間の無事を祈るのだった。



「よう」

 厨房にやって来たマークルフがそこにいたマリーサに声をかける。

「夜食の準備を頼むぜ。例の工房だ」

「かしこまりました」

 隣の部屋でタニアの泣き言が聞こえてくるが、またマリーサに絞られているのだろう。いつもの事である。

 マークルフは棚に片付けられた白磁の皿を一枚、手にした。

「どうだ、この皿の使い勝手は?」

「はい。軽くて丈夫で、使いやすくてとても助かりますわ」

 台所には新調された皿や杯が並んでいた。

「そうか。マリーサの保証付きならこいつは売れそうだな」

「……ですが、この裏の落書きだけは何とかなりませんですかねえ」

 皿の裏には、女の子の似顔絵のような判子が押されていた。

「制作者の魂ともいうべき印だ。それぐらいは大目に見てやれ」

「それにしても、あの工房ではどんな方が働いてるのですか? マリエルさんたちがいるのは知ってますが、この食器を作った陶芸家さんは見たことがありません」

「技術を持つ工芸家というのは昔から門外不出というものだ。それにこっちもいろいろと出費が重なったんでな。居候にも副業で稼いでもらおうと思ってな」

 疑問に思うマリーサにマークルフは不敵に笑いかける。

 マークルフは城の近くにあった廃棄された工房を建て直し、ブランダルクから取り寄せた品質の良い陶石を用いて陶磁器の作成を行わせていた。

 手始めとして美術品とも言える高級食器を製作し、好事家で名の通った貴族や豪商たちに売りつけている。

 そうすることでブランダルク産の名を広めることができれば、いずれブランダルク本国でも新たな産業として立ち上げる計画であった。



「ここか。例の工房というのは?」

「へい。ですが、それらしい奴は外に出てこないですぜ」

 夜の闇に紛れて新設の工房を監視するのはある金持ちに雇われた間者たちだ。

 二人は忍び込むために工房に近づいた。

 目的は雇い主が知りたがっている美術品の制作者とその工程の調査である。

「うぁあッ!?」

 突然、二人は地中の穴へと落ちた。

「あいて……落とし穴があんのか?」

「いや、地面が勝手にへこんだぞ」

 二人は不思議に思いながら這い上がるが、動きだそうとした瞬間、再び穴へと落ちる。

「な、なんでだ……」

「イテテ……どうなってやがる」

 ボロボロになりながら二人はまたも穴から這い出すが、今度は両者の首根っこを何者かが掴んで持ち上げた。

「うぁあああぁッ!?」

 闇に隠れた分からないが鉄の手を持つ巨人が出現し、二人を捕まえたままどこかに連れて行く。

「こいつ、いったい何なんだ!?」

「知るか、は、離せ!」

 二人は暴れるが巨人は二人を池に連れて行くとポイッと放り投げる。

 二人は飛沫をあげて池に沈むが、慌ててそこから這い上がると悲鳴をあげて逃げていった。



「よう。見張り番、ご苦労さん」

 物陰から一部始終を見ていたマークルフが表れると、《グノムス》の背中を叩く。

「男爵もいらしたんですね」

 工房から出てきたのはマリエルだ。どうやら彼女もあやしい奴がいたことは気づいていたらしい。

「しかし、捕まえなくて良かったのですか?」

「構わねえさ。おっかない罠の噂を流してくれた方が後々、面倒は減る」

 マークルフたちは工房へ入った。

 そこには製造されたばかりの食器や花器などが並べてあった。

 その先にある火を入れた窯の前にプリムがいた。どうやら火の温度を監視しているらしい。

「しかし、あいつにあんな才能があったとはな。妖精さんも見かけによらないもんだな」

「プリムは調べた素材を自分で再現できる特殊な才能があるからの」

 足許にダロムが立っていた。

「あの強化装甲の材質は特殊でワシの錬金術でも作れぬが、プリムならいずれその素材の製法を解析してくれよう」

 マークルフたちは工房の地下に続く秘密階段を降りた。

 そこは地上の工房とはまた違った雰囲気の場所だ。整備室として機能する予定の機械に囲まれた部屋だ。

 目の前の棚に並んでいたのはバラバラになった強化装甲の残骸だ。

 それはかつての戦いで大破したオリジナルの《アルゴ=アバス》であり、この工房に隠された真の秘密であった。

「準備は進んでいるようだな」

 整備室ではアードとウンロクが忙しそうに設置準備をしていた。

「ええ。ここはもうすぐ準備完了っす」

「あとは姐さんが戻ってくれば作業に入れますぜ」

 マークルフは大破した強化装甲の前に立つ。

「一度は諦めていたが、こいつも復活できるんだな」

「ただし、しばらく時間はかかります」

 マリエルが答える。

「ただ修復するだけでなく、姉さんなりに再設計したいらしいですから。姉さんの設計とダロムさんの技術をすり合わせて、どこまで実現できるか検証しながらの作業になります」

「いいさ。どのような形であれ祖父様の形見が甦るんだ。文句はねえ。それにこれが使えるようになれば、リーナの負担を減らせるかもしれねえ」

「男爵。あれから身体の方は──」

「調子は良いぜ。ログの方がまだ傷が残ってるぐらいだ」

 マークルフはダロムを見た。

「それにしても機械の修復師に鍛冶師。まるで妖精さんたちは《アルゴ=アバス》を甦らせるために来たみたいだな?」

「それがおぬしの望みなんじゃろう?」

 かまをかけるように言ったマークルフだが、老妖精はそしらぬ顔で答える。

「……ああ、その通りだな。頼むぜ」

 この老妖精も何かの目的で動いていると察していたが、いまはマークルフもそれ以上追及しようとは思わなかった。



「お元気になられましたね、姫様」

 窓から朝日の差すユールヴィング城の二階の部屋。

 窓際の寝台で身体を起こしていたリーナに《戦乙女の狼犬》亭の女将が話しかける。

 女将は自分で用意した果実の蜂蜜漬けを寝台横の机に置く。

 女将は時間を作っては毎日、リーナの見舞いに来てくれていた。

「お店の準備も忙しいのにいつもありがとうございます、女将さん」

「いーえ。自分が忙しい分、姫様を気遣ってくれと若様に頼まれただけですから。ちゃんとその分はツケを払っていただいてますからね。これも仕事のうちですよ」

 女将は微笑む。

「リーナおねえちゃん! ばあちゃん!」

 階下の庭から女の子の声がした。

 リーナが窓際から下を覗くと、そこにはフィーがいた。足許にはダロムとプリム、そしてプリムが拾った子猫もいる。

 その背後の地面から《グノムス》が現れると、その手にフィーたちを乗せて二階の窓まで抱え上げた。

「おじゃましまーーす」

 フィーが両肩に妖精たちを乗せたまま、窓をくぐって部屋に入って来た。

「これ、フィー! 窓から入るものじゃありません!」

「いいんですよ、女将さん。遊びに来てくれたの?」

「うん。今日はね、プリムちゃんがすっごくいいもの、もってきてくれたんだよ。グーちゃん、あれだして」

 フィーが頭に子猫を乗せた《グノムス》に言う。巨人は胸の装甲を開けると中から器用に袋を取り出し、フィーに渡した。

 フィーは袋から包みに入った何かを取り出すとリーナに差し出した。

「はい! あけてみて!」

「わたしに? わあ、何かしら」

 リーナが包みを解くと、小さな木箱が現れた。木箱の蓋を開けると、その中には紅茶碗と受け皿一客分が入っていた。

「これをわたしに?」

「はい! 男しゃくさんに頼まれて作った“とくちゅうひん”です!」

「うれしい……ありがとう」

 リーナは紅茶碗とお皿を手に取った。

「素晴らしいわ……これ、プリムちゃんが描いたの?」

「はいです!」

 カップに描かれた絵は一人の乙女とそれに寄り添う一匹の狼犬を題材にしたものだった。その精緻な絵も素晴らしかったが、カップとお皿自体も白く透き通るような美しい白磁の逸品であった。

「素晴らしい器ですね」

「プリムは工芸だけじゃなく、絵の才能もあるからのぉ」

 女将が褒めると、何故かダロムが鼻を高くする。

「じつはね、グーちゃんにもつくったのよ」

 プリムがもう一つ袋の中から箱を引っ張り出す。

 フィーが代わりに箱を開けると、そこから一つの器を取り出した。

 それはプリムと《グノムス》の似顔絵が描かれた、人の手には大きすぎる紅茶碗だった。

 大人たちは悪い予感を覚える。

「グーちゃんの手に合わせたの! もってみて!」

「……プリムちゃん、あの、残念だけどグーちゃんはお茶を飲めないから──」

 リーナがそれとなく止めようとしたが、プリムはかぶりを振った。

「いいの、姫さま。こういうのは“きもち”なの」

「グーちゃん。はい」

 フィーが紅茶碗を差し出す。

「なあ、プリムや。こういうのは飾って眺めた方がいいぞい?」

「ダメ! 手にもってみてもらうのがいいの! この大きさのを焼くのってたいへんなのよ、じいじ」

 ダロムも諭そうとするが、プリムは耳を貸さない。

 《グノムス》は窓の外からしばらく自分用の紅茶碗と睨み合っていたが、プリムたちの期待の視線の前にすると、やがて恐る恐る手を伸ばし始める。

 にこやかにするプリムたちと、ハラハラするリーナ姫たちの間で鋼の手が躊躇うように震えていた。

「……お友達のためよ。頑張って、グーちゃん」

 リーナの小さな声援を受け、《グノムス》は意を決したように紅茶碗を握った。


 パキッ



「グーちゃん! プリムちゃんおこってないから出ておいで!」

「プリムがまた作ってあげるから! 気にしないで! ね?」

「ニャー」 

 階下の庭でフィーとプリムと子猫が地面に隠れる《グノムス》に呼びかけ続ける。

 その光景を困り顔で眺めていたリーナだが、やがて彼女の前に女将が紅茶を差し出す。プリムから贈られた紅茶碗にさっそく注いでもらったのだ。

 リーナはそれを手にすると透き通るように美しい白磁を眺め続ける。

「本当にきれい……飲むのがもったいないぐらい」

 机の上に立ったダロムも感心する。

「確かにこれほどの上質な陶石はなかなかあったもんじゃないぞい。ブランダルクにはこんな石も採れるのか」

「ちがうよ、じいじ」

 感心するダロムだったが、いつの間にか窓からよじ登ってきたプリムが答える。

「その姫さまの分だけはプリムがみつけた“とくべつ”の骨をつかったの」

「骨?」

「そう言えば聞いたことがありますわ」

 首を傾げるリーナに女将が言う。

「陶磁器の中には白さを際立たせるために動物の骨を砕いて混ぜたものがあるそうですよ」

「そうなのですね」

 リーナが紅茶碗の白磁に魅入られながら答える。

「そのとおりです! しかも、それは地上のとうげい家さんたちが長年、追いもとめた幻の生物の骨をつかったものなんです。プリムも本で読んだだけだったけど、この前、はじめて実物をみつけたです」

「そうなんだ……そんな貴重な物を本当にありがとう、プリムちゃん。宝物にするわ」

 褒められたプリムは満面の笑みを浮かべる。

 リーナも喜びながら紅茶に口を付けた。

「しかし、プリムや。どこでその幻の骨を見つけたんじゃ? そんな珍しいもの、捕まえたかのう」

 ダロムが尋ねる。

「あのブタさんです」

 プリムの答えにリーナの手が止まる。

「トリスの地下にいたあのブタさんたちです。めったにみつからない古代文明のマモノさんだけど、あのブタさんの骨を使うときれいな白さが作れるんです!」

 リーナの脳裏にトリスの地下での悪夢が甦る。

「……あの、リーナ姫を襲おうとした……あれか」

 ダロムが念を押すように尋ねる。

「はい。ここに帰るまえに埋められたところから少し骨をけずったです」

 プリムが得意気に答えた。


 ガチャン


 リーナの手から茶碗が落ち、床で砕けた。

 そして──

「うあぁっっちいッ!?」

「じいじ!?」

「姫様!?」

 リーナは口に含んだ紅茶をダロムに向かって思いっきり噴き出していた。



「ハーーーハッハッハッハアッ!」

 その日の夜。

 領主の応接室でくつろいでいたマークルフは腹を抱えて笑い転げる。

「笑い事ではございません!」

 卓を挟んで向かいに座るリーナが顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

「だってよ。女性拷問用のえげつない魔物が時代を巡って最高級芸術品の材料だぜ。世の中、上手くできているもんだ」

「もう言わないでください! 思い出すだけで嫌になります」

「悪かった、悪かった。贈り物を割ったことを帳消しにすることで許せ。妖精の爺ちゃんには気の毒なことをしたけどな」

 マークルフはそう言うとリーナの前に向き直る。

「それはそうとお茶を入れてくれないか。久々にリーナの入れた紅茶が飲みたくなった」

「……」

 リーナは黙ってその場を離れるが、しばらくして自ら紅茶を入れると戻って来た。

「どうぞ、お待たせいたしました」

 紅茶は不機嫌な彼女の心を表すように煮えたぎっていた。

「……あの、リーナさん。少し熱めじゃないかな?」

「私は熱めの方が好みですので。それに少し冷めるまで待つのも飲み方の一つですわ」

「まあ……そうかもしれないけどよ」

 沸き立つ紅茶を見ていると、さすがに悪ふざけが過ぎたかとマークルフも閉口する。

「そんなに待つのがお嫌でしたら、冷まして差し上げましょうか?」

「どうやって?」

「口移しで」

 リーナが悪戯っぽく微笑む。

 マークルフはしばらく彼女の笑みを見ていたが、やがて目を逸らした。

「……ぬるくなるからいい」

「そうですか。それではお仕事の邪魔になってはいけませんので、お先に休ませていただきますね」

 そう言ってリーナはにこやかに部屋を出て行った。

 マークルフは紅茶を他所に移すと、卓に突っ伏した。

「うぅ……あいつが戦乙女でなかったら、この場で押し倒して一晩頑張るのにぃ──」

 そう嘆きながら悶絶するように首を振る。

「くそぅ、あいつもそれを分かっててやってやがるな……殿方の自制心を玩んでいたらロクな目に遭わねえぞ、リーナ」

 マークルフは湯気の立つ紅茶を見ながらため息をつくが、ふと気配に気づいて顔を上げる。

 そこには真顔のログが立っていた。

「何だ、ログ。無様な若者の姿をあざ笑いに来たか?」

「やさぐれるのはご勝手ですが、たまっている急ぎの決裁をお願いします」

 そう言って、ログは手にしていた書類の山を書斎の上に置いた。

「なあ、ログ。リーナも元気になって何よりだがよ。最近、あいつ意地悪になってきてると思わねえか?」

「一緒にいる方の影響でしょう」

「……おめえもすっかり元のログだな」

「わたしは閣下の副官である傭兵ログ。それだけです」

 ログはそう答えると、少し間を置いて続けた。

「過去のわたしはその清算をすることができました。今後はこの手で剣を振るえる限り、先代様と閣下の宿願が叶う時までお供するつもりです」

 マークルフは立ち上がった。

「成り行きでああなっただけだ。恩に感じる必要もねえ。傭兵が恩義で動くのは金も積まれた時だけにしておきな」

 マークルフはログの肩を軽く叩くと部屋を出て行こうとする。

「どちらへ?」

「女将の店に行く。元のログに戻ったのなら、いつも通り決裁の判子押しといて──」

 そう言ってマークルフは扉の取っ手を掴もうとしたが、伸ばした手が不意に落ちた。

「閣下!?」

 その場に崩れ落ちるマークルフをログが慌てて支える。

 マークルフの左手が震えていた。彼の意志に反して左腕が言うことを聞かない。

「大丈夫だ……もう少しで収まるはずだ」

 視界が揺れる中、マークルフは慌てることなく答える。

「マリエルには伝えてくれ……リーナにだけは絶対に……言うな」

 ログも気づいたのか、それ以上は何も聞こうとしなかった。

「……あれだけ無理をしたんだ……こうならない方がおかしかったんだ」

 二人はこの症状を知っていた。

 それは先代装着者ルーヴェンが晩年苦しんだ、強化装甲の使用による後遺症の兆候であった。

 マークルフは自由のきかない左手を見つめると、静かに天井を仰いだ。

「ついに……きやがったか」


                                 (第二部 完) 

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