(52)特技に磨きをかけた結果、彼氏ができました【はさみ】
同じ会社。部署は違う。身長差アリ。年の差は二歳。三年前に誕生した姪を溺愛するあまり、自分の恋愛を後回しにしてしまう女性社員と。そんな女性をひそかに想い続ける、物静かな男性社員。
みやこの描く敬語攻め男性は、どうして、こうも腹黒風味になってしまうのか……。口調も雰囲気もやわらかいのに、おかしいなぁ……。
私、隅谷明日香には、五歳離れた兄がいる。
その兄が一昨年結婚し、翌年には義理の姉が女の子を出産。その子が、また可愛いこと、可愛いこと!
生まれて間もない頃の皺くちゃな顔でも愛らしかったのに、三歳を迎えて顔立ちがいくらかしっかりしてきたこの頃は、もう、食べてしまいたいくらい可愛いのだ。
姪がたどたどしい口調で「あーちゃん」と呼ぶだけで、私の相好は見事に崩壊する。はぁ、私の天使!心のオアシス!
兄夫婦は二世帯住宅に改築した実家に住んでいるので、可愛い姪には基本的にいつでも会えるという素晴らしい環境。
だいぶ仕事に慣れてきたこともあり、来春にでも実家を出て一人暮らしをするのもいいかと考えていたものの、そんな考えは姪と対面した日に一蹴。
そして、現在に至る。
兄よりも義理の姉よりも父よりも母よりも姪っ子を溺愛する私は、周囲から生温かい視線を向けられる日々を送っていた。
「恭介が結婚すれば、明日香も触発されて結婚する気になるかと思ったら……。まさか、時間さえあれば姪っ子をかまい倒すなんてねぇ」
母がため息を吐けば、横にいる兄が苦笑い。
「おい、明日香。俺の子を可愛がってくれるのはありがたいが、そろそろ自分の結婚を考えろよ。先週、二十八になったんだろ?結婚はまだでも、せめて彼氏を作れ」
十二月初めの土曜日。一階のリビングに私、両親、兄家族が集まれば、自然とこの手の話題となった。
しかし、私はどこ吹く風といった様子だ。
「嫌よ。そんなことに時間を使うなら、恭子ちゃんと遊ぶ方が有意義だわ。ねぇ、恭子ちゃん」
母と兄の話には取り合わず、私は膝の上に抱いている姪の頭を撫でた。
すると、姪は私へと振り返り、ニコッと笑う。
「あのね。わたし、あーちゃんにおねがいがあるの」
マイエンジェルの頼みを、この私が断るはずもない。
「なぁに?」
蕩けた笑顔を向けると、姪はワンピースのポケットからチラシを取り出した。
小さくたたまれたものを広げると、それは大手玩具メーカーのチラシ。クリスマスに向け、大々的に子供用の玩具が宣伝されている。
チラシを広げた姪は、大きなクマのぬいぐるみを指でさした。
「これ、ほしいんだ」
はにかんだ笑顔の姪に、改めて私の顔が蕩ける。
「いいよ。私に任せて」
なんのためらいもなく、頷いてみせた。
ここで誤解のないように言っておくが、姪は自分に甘い私にねだれば、一のあとにゼロが四つ付いた巨大ヌイグルミを買ってくれると考えた訳ではない。
もちろん、買ってあげるのは造作もないが、姪が欲しいのは実際のぬいぐるみではなく、チラシに載っている写真が欲しいのだ。
この子はチラシに掲載されている写真の中で気に入ったものを集め、それらをノートに貼りつけることを楽しみとしている。なんて、なんて、奥ゆかしい子なのだ!
私は膝の上から姪を下ろし、ハサミを手にした。そして、ヌイグルミの輪郭に沿って、チョキチョキと切ってゆく。
綺麗に切り取って姪を喜ばせたいがため、私のハサミさばきは凄まじい勢いで上達し、今では、切り抜けない物はないと自負している。
あっという間に、モサモサした毛並みのクマを見事に切り抜いた。
「はい、どうぞ」
「わぁ!あーちゃん、ありがとう!」
キラキラの笑顔でお礼を言ってくる姪に、私はこの上ない幸せを感じる。
「私がなんでも切り抜いてあげるから、いつでも言ってね」
「うん。あーちゃん、だいすき」
「私も、恭子ちゃんが大好き」
ハサミを置いて、姪を力いっぱい抱きしめる。
そんな私を家族が呆れた顔で見遣るのは、いつものことだった。
愛する姪のために、私は精進を怠らない。
社員食堂でお昼ご飯を食べ終えた私は、自分の席に戻るなり、数枚のチラシをデスクの上に広げた。午後の仕事が始まるまで、切り抜きまくるのだ。
最近では周囲も慣れたもので、小さな女の子が好みそうな写真が載っているチラシを提供してくれるように。
「隅谷先輩。これ、どうぞ」
後輩の女子社員が差し出してきたチラシには、女の子用の子供服、綺麗な花束、可愛い靴、ペット用の犬や猫など、多種多様な写真があった。
「ありがとう。姪が喜びそうなものばかりだわ」
チラシを受け取った私は、さっそくハサミを取り出す。
そこに……。
「よかったら、このチラシもどうぞ」
声をかけてきたのは、経理部に所属している二つ上の男性社員である南雲智先輩。
私は総務部所属だけど、多少なら経理のことも分かる。経理部が慌ただしくなる月末月初は、手伝い要員として駆り出されることもあった。
物静かで繊細なイメージの南雲さんはいつも穏やかに笑っていて、私の姪っ子ラブな話をニコニコと聞いてくれるいい人だ。
その彼も先ほどの後輩同様、時折、チラシを提供してくれていた。広げてみれば、来春オープン予定の結婚式用チャペルがドーンと写っている。
三歳の姪にはチャペルの意味など理解できないだろうが、「きれいなおうちだね!」と言って、喜んでくれそうだ。
「ありがとうございます」
差し出されたチラシを受け取り、ハサミを入れようとしたところで。
「隅谷さん、勝負をしませんか?」
「え?」
南雲さんが突然申し出てきたことに、私は手を止めた。
「勝負、ですか?」
傍に立つ長身の彼を見上げると、ニコリと微笑が返ってくる。
「ええ、そうです。どちらが早く綺麗に切り抜けるかという勝負です」
そう言って、彼は私が持っている物と同じチラシとハサミを取り出した。
「いいんですか?私、かなりうまいですよ?」
「かまいません。僕も、切り抜きにはそれなりに自信がありますので」
ユルリと口角を上げた南雲さんが、空いている隣の席に腰を下ろす。
「でしたら、勝った人は負けた人に、一つお願いができるって条件を付けましょうか?」
私がちょっとだけ意地悪い口調で言っても、彼の表情から穏やかな笑みが消えることなく。それどころか、さらにニッコリと微笑まれる。
「いいですよ」
なにやら、自信満々だ。仕事ぶりも丁寧で、それに手先が器用な南雲さんだから、私とはいい勝負になるだろう。
それでも、私の方が勝つはず。恭子ちゃんのために磨いてきた腕があるしね!
「じゃ、いきますよ。三、二、一、スタート!」
私の掛け声とともに、二丁のハサミが軽やかに動き出す。
チャペルは直線ばかりなのでそれほど切りにくいとは感じないが、屋根のデザインに合わせて細かな方向変換転換が要求される。
私は刃を入れる角度を変えたり、チラシを左右に動かしたりして、慎重にハサミを動かした。
チラッと隣を見遣れば、ほぼ、同じペースで切り進んでいる。いや、私の方が、僅かにリードしていた。
――この調子でいけば、私の勝ちね!
心の中でこっそり勝利宣言をした瞬間。
「隅谷さん。僕はあなたが好きです」
耳元で、響きの良い低音がそんなことを囁いてきた。
「はぁっ!?」
ガッと目を見開いて顔を上げれば、こちらに身を乗り出した南雲さんと目が合う。
――い、い、今のって……?
唖然と彼を眺めているうちに、「はい、終わりました」という声が。
南雲さんの手元を見れば、綺麗に切り抜かれたチャペルの写真があった。
それを見て我に返った私が視線を落とすと、五分の一ほどがチラシと繋がっているチャペルの写真が。しかも驚いた拍子にハサミの扱いを誤り、無残にも真っ二つになっている。
「勝負は僕の勝ちですね」
切り抜いた物をヒラヒラと動かし、南雲さんがニコッと笑った。
私はすかさず睨み付ける。
「そ、そんな、ずるいです!冗談で私を動揺させるなんて、ひどいですよ!」
チラシをギリギリと握りしめて訴えれば、ハサミをデスクに置いた彼が私の左手をソッと握ってくる。
「冗談ではありません。僕は本気ですよ」
穏やかに細められた目の奥にある光は、確かに真剣そのもの。思わず、二の句が継げなくなる。
「では、負けた隅谷さんには、僕のお願いを聞いてもらいます」
私の手を強く握る南雲さんが、真面目な顔でゆっくりと告げた。
「下見をかねて、このチャペルへ行きましょう」
「は?下見?」
忙しなく瞬きを繰り返す私に、やわらかい苦笑を零す南雲さん。瞳の奥に浮かぶ真剣な光はそのままに。
「そうですよ。私とあなたの結婚式を、こちらで挙げるというのはいかがですか?」
整った顔立ちで、そんなに優しく微笑まれてしまえば、即座に断りを入れることができず……。
それから一年後。
恭子ちゃんの切り抜き写真用ノートに貼られたチャペルの写真の下に、少しおぼつかない文字で、『あーちゃんがけっこんしきをしたおうち』と書き添えられることになる。




