(50)君の想いが向かう先は?【メモ帳とペン】
高校生二年生同士で、クラスメイト。過去のトラウマから、目つきが悪くてぶっきらぼうに成長してしまった長身の男子と。クラスの中でも大人しい部類に属する女子。
春にはまだ遠い、二月のある土曜日の昼下がり。
俺は大学生の兄貴と連れ立って、買い物に来ていた。
大学入学を機に都内で一人暮らしを始めた兄貴とは、顔を合わせることがめっきり減った。
少し鬱陶しいが、たまにしか顔を合わせない兄貴に付き合ってやるのも、まぁ悪くない。
それに今日は俺の誕生日で、「なんでも好きなものを買ってやる」と言われれば、金欠真っ最中の俺としては、頷かないわけがなかった。
何が楽しいのか分からないが、やけに機嫌良く歩いている兄貴を見て苦笑い。しかも絶対に車道側を歩かせない様子には、笑うしかないではないか。
――俺、柔道二段なんだけどなぁ。
第一次成長期を迎えるまでの俺は、それこそ女の子に間違われる容姿だった。背は低く、体つきは華奢、おまけに黒目がちの大きな瞳だったせいだ。
おかげで、同じ年代の男どもから散々からかわれたものである。
数人に取り囲まれて「や~い、女男~!」と嘲りを浴びせられ、当時の俺は泣くことしかできなかった。
メソメソと涙を零す俺を毎回助けに来てくれたのは、四歳離れたこの兄貴。
その記憶があるせいか、俺が十七になった今でも、兄貴と同じく身長が百八十を越えた今でも、『守ってやらなければならない弟』に見えているようだ。
念願のゲームソフトを買ってもらったところで、ファーストフードショップにやってきた。
昼時から少し外れた時間なのだが、土曜日ということもあり、店内はかなり混み合っている。
ようやく、奥の四人席が空いているのを見つけて、そそくさと腰を下ろした。
「学校はどうだ?」
向かいの席に腰を下ろした兄貴が、そう切り出してきた。
「別に、なにも問題ないけど」
素っ気なく答えて、ポテトを口に放り込む。
女の子に間違われてからかわれた過去がトラウマとなり、やたらとぶっきらぼうな性格になってしまった。
おまけにあの愛らしい顔つきはどこへやら、第二次成長期真っただ中の俺の目つきは、たぶん悪い方だ。
それでも、兄貴にとってはいまだに「可愛い弟」に映るようで、ニコニコと笑顔を崩さない。
その表情はすごく優しくて誠実。女子ならば、うっかりときめいてしまいそうな程だ。
同じ親から生まれた兄弟だから、俺の造作だってまずますのはず。
とはいえ、なにしろ目つきが悪いので、同じクラスの女子からは少し怖がられていたりする。
周りから女男とからかわれることがなくなったことは嬉しいが、そのことが心に引っかかっていた。
もちろん、俺は学校をさぼったりしないし、教師に対しても反抗的な態度も取らない。女子に頼まれごとをされれば、よほどのことがない限り引き受ける。
それでも、どこか遠巻きにされているのは、なんとなく感じとっていた。
――もしかして、上杉もそう思ってんのか?
俺は高校二年で同じクラスになった一人の女子のことを脳裡に描く。
その時、まさに、上杉が友人と一緒にトレイを持ってこちらにやってきた。
キョロキョロと空席を探している様子を見遣っていれば、そんな俺に兄貴が気付いて後ろへと振り向く。
「あの子たち、の知り合い?」
「ん、同じクラス」
「そっか」
そう言った兄貴がサッと立ち上がって、二人に近付いていった。
突然の行動に目を丸くしていれば、兄貴が俺のことを指さして話しかけている。自分が同じクラスにいる末次健二の兄で、よかったら相席をどうぞとでも言っているのだろう。
上杉とその友達が俺を見てビックリして、今度はお互いに顔を見合わせていた。
それから兄貴に連れられて、こっちにやってくる。
当分はどの席も空きそうになく、それに、顔見知りが相席を勧めてくれているのだから、ありがたく座らせてもらおうとなったらしい。
学校でしか会えないはずの上杉に思いがけなく遭遇し、ヤバいくらいに心臓がバクバクしている。
しかも、私服の上杉は可愛かった。
普段はきっちり三つ編みにしている髪を、今日は緩いおだんごヘアにしている。
淡いピンクのワンピースの上に真っ白のカーディガンを羽織っている彼女は、本当に可愛い。
惚れた欲目があるものだから、その可愛らしさは天井知らず。
ドキドキマックスのところに、「こ、こんにちは」と照れたように挨拶されたら、煩いくらいに動いている心臓が止まりそうだ。
みっともない自分を悟られたくなくて、精いっぱい気取る。
「……おう」
だけど、カラッカラに乾いた喉は、一言返すのが限界だった。
それでも二人はそんな俺に慣れているからか、特に変な顔をしない。むしろ、兄貴が困ったように笑っている。
「クラスメイトに、そんな不愛想なんて失礼だろ?」
「い、いえ、不愛想なんて思っていませんからっ」
トレイを手にして首を横に振る上杉が可愛すぎる。
このまま俺の隣に座ってきたら、今度こそ心臓が止まるだろう。
ところが、彼女は兄貴の隣に腰を下ろしてしまった。
自分の心臓が無事だったことを喜ぶよりも、寂しさや悔しさが胸の中に渦巻く。
おかげで、話し上手な兄貴が場を盛り上げてくれているにもかかわらず、俺は短い相槌を返す程度にしか参加しなかった。
モヤモヤしたものを抱えたまま迎えた月曜日。
放課後になるまでに、俺は何百回、ため息を繰り返しただろうか。
バッグの中に教科書やノートを乱暴に突っ込みながら、また、ため息が零れた。
こうなったら、友達とバカ騒ぎをして気を紛らわせるに限る。
なのに、今日に限ってアイツらは「バイトだ」、「デートだ」と、そそくさ帰っていったのだ。
「くそっ」
腹立たし気に舌打ちした時、「あの、今、いいかな?」と、オドオドした声が掛けられた。
ハッとなって顔を上げると、俺の目の前にメモ帳とペンを握り締めた上杉が立っている。
「なに?」
モヤモヤをぶつけないようにと気を付けたのだが、かえってぶっきらぼうになってしまった。
それでも彼女はちょっと目を大きくしただけで、特別怯えてみせることもない。
「ええと、訊きたいことがあって」
どこか恥ずかしそうにしている彼女に、自然と期待してしまう。
この教室にいるのは、俺と上杉の二人きり。しかも、彼女は顔を赤らめて、モジモジと恥ずかしそうにしていた。
――これって、もしかして、脈アリなんじゃねぇの!
思わず緩みそうになった顔を引き締めた瞬間。
「お兄さんのこと、いろいろ教えてほしいんだ」
その言葉で、引き締めた顔が盛大に引き攣った。
「……え?」
ギクリと固まる俺をよそに、上杉は矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「ええと、お兄さんは何歳?星座は?血液型は?趣味は?」
――なんで、そんなことを訊いてくるんだ?
と自問したところで、答えは明瞭簡潔。そんなもの、兄貴に興味があるからに決まっている。
普段から表情に乏しい俺とは違って優しい笑顔が標準装備の兄貴に、クラスの中でもとりわけ大人しい部類に入る上杉が心を奪われても仕方がない。実際、あの日の店内で、うっとりと兄貴を眺めている女性客が多かったのだから。
現在の俺は、正直、かなりの勢いで打ちのめされていた。
それでも、ここでなにも教えないでいると、心が狭いと思われてしまうかもしれない。それはそれでツラい。
渋々、俺は彼女の質問に答えてやった。
聞き出した答えを、上杉は一言一句間違えないように、一生懸命にメモをしている。
仕方ないとどこか諦めを感じていた俺にとって、次の質問は、さすがにダメージが大きすぎた。
「お兄さんの、好きな女性のタイプは?」
年齢より、血液型より、それこそが知りたかった情報なのだろう。彼女の真剣な表情を見れば一目瞭然だ。
一瞬、言葉に詰まった俺が口にしたのは……。
「ちょっとぽっちゃりしていて、髪はショートカット。よく笑って、よくしゃべって、元気がいい人だけど」
目の前にいる上杉とは正反対のものだった。
でも、それは嘘じゃなくて。あの後、兄貴は、俺の隣に座った彼女の友達に興味を示していたのだから。
俺の言葉に、これまで順調にメモを取っていた上杉の手がピタリと止まった。
顔を上げず、動かない手元を見ながら、「そう、なんだ……」と、ポツリと小さく呟く。
それからハッとしたようになって、慌ててペンを走らせた。
彼女はどんな思いで、俺から聞きだした情報を書き留めているのだろうか。諦め?それとも、奮起?
グルグル巡る思考を持て余しているうちに、上杉が手を止めた。
「色々教えてくれて、ありがとうね。じゃあ、私、帰るから」
三つ編みを揺らして背を向けた彼女に手を伸ばし、その華奢な手首を強引に掴んで引き留める。
振り返って目を真ん丸にしている上杉に向かって、強い口調でに言い放つ。
「兄貴なんか、やめておけよ!兄貴じゃなくて、俺を好きになってくれよ!」
彼女の目が、限界まで大きくなった。
「す、末次君?」
何とも言えない表情で見上げてくる上杉の目を、真っ直ぐに見つめる。
「俺は、上杉が好きなんだ。兄貴に取られたくない」
放さないとばかりに手首を握り締め、自分の想いを必死に伝える。
たとえ彼女の心が俺に向いていなくても、失恋したと分かっていても、このまま黙っていることはできなかった。
彼女と出逢ってから今日まで抱き続けた続けた恋心が、無様に砕け散ることになったとしても。
ところが……。
手首を掴まれている上杉の顔が、見る見るうちに赤く染まっていった。いや、顔だけじゃなくて、三つ編みの横にある耳まで真っ赤だ。
その変化の意味が分からず、口がポカンと半開きになる俺。
そんな俺に、予期しなかった言葉が。
「あ、あの、お兄さんのことを訊きに来たのは、友達に頼まれたからで……。お兄さんのことは素敵だなって思ったけど、でも、私が好きなのは……」
俯く彼女に、一縷の望みを託して問いかける。
「好きなのは?」
二人の間に、沈黙が流れた。
重苦しい沈黙を破ったのは、小さく息を吸い込んだ上杉。
「す、好きなのは……、末次君だもん……」
それを聞いた瞬間、彼女と同じように真っ赤になったのは言うまでもない。




