(25)プレゼントは……。【卓上日めくりカレンダー】
同じ部署の上司と部下。歳の差は八歳。上司は企画部広報課の主任で、部下の女性は入社して半年の新人。
恐ろしいほど仕事が出来て、普段はあまり表情を変えない男性上司と、前向きで一生懸命で、どこか鈍い女性部下。
「やれやれ、無事に終わったぁ」
私は椅子に座ったまま、自分しかいない室内で大きく背伸びをした。
帰り際に主任から残業を申し付けられ、黙々と作業をこなしていたところだ。
今は定時を一時間ほど過ぎている。窓の外は、すっかり日が暮れていた。
別に急ぎの用事があった訳でもないし、多少帰宅が遅くなっても問題はない。
問題があるどころか、残業代が付くのは嬉しいしね。
それに、たとえ簡単な仕事内容でも残業を任せてもらえるってことは、私の仕事を信頼しているってことでしょ。
入社して半年しか経っていないけれど、毎日必死に頑張っていることを認められたようで何だか嬉しいのだ。
もしかしたら、他に残業を頼める人がいなかったからなのかもしれないけれど。
それでも私が信用に足らないのであれば、そもそも残業させないよね。……と、前向きに考えている私は能天気だろうか。
残業を頼んできた主任は私より八歳上で、この企画部広報課を実質的に取り仕切っているような人だ。
上司からの信頼が厚く、同僚や後輩からもそれなりに慕われている。
それなりに、というのは彼の勤務態度が少々、いや、かなり手厳しい部分があるから。なので、みんなは主任を慕っているけれど、どこか恐れていたりするのだ。
主任は仕事がめっちゃくちゃ出来るお方で、他人にも厳しく、自分には更に厳しい。
おまけに背はやたらと高いし、顔は威圧感を与えるほど凛々しいし、声は低い。
彼が滅多にない怒りを抱くと、それはそれは恐ろしいのだ。ひとたび怒らせると、部内が一瞬で緊迫した空気に包まれる。
まぁ、冷製沈着な主任が怒ることは滅多にないんだけどさ。いや、滅多に怒らないからこそ、免疫が出来ていないので怖く感じるかもしれない。
そんな訳で主任は確かに恐ろしいのだが、なにかと面倒見がよく、教え方は丁寧で、私としては嫌いな人じゃない。
ただ、それは上司として嫌いではないだけで、男性として意識したことはないけどね。
私が尊敬する主任は、他の部署に用事があるということで、現在、少しだけ席を外していた。
面倒見がいいだけあって、さすがに私一人に仕事を押し付けてそそくさと帰宅するような上司ではない。手厳しいけれど、彼は鬼、悪魔ではなかった。
「あとは、報告するだけだね」
私はひとしきり肩の凝りを解すと、デスクの上を片付け始めた。
主任が戻ってくる前に帰り支度をしたところで、その程度で咎められることもあるまい。
デスクの上に広げていた資料や書類をファイルに戻し、通勤バッグに私物を入れてゆく。
「主任、早く戻ってこないかなあ。……あ、そうだ」
帰り支度を終えた私は、デスクに置かれている小さなカレンダーに目をやった。
そのカレンダーは日めくりになっていて、犬や猫、ウサギや小鳥といった類の愛くるしい動物の写真がプリントされている。
仕事のスケジュール管理をするには向かないけれど、動物が大好きな私にとって重要な癒しアイテムなのだ。
「さてと、一枚めくりますかねぇ」
いつもと同じく、帰宅前に今日の分のカレンダーをめくる。
「明日は、私の誕生日なんだよね。大好きなペンギンの写真だといいなぁ」
そう呟いてピリリと破れば、日付の下にあるメモ欄に書き込みがあった。
『誕生日おめでとう。プレゼントは俺。
上郡 匡』
「え?何、これ?」
私は視線の先にあるメッセージに釘付けとなる。
「上郡 匡って、主任の名前だよね?でも、主任がこんなことを書くとは思えないし。じゃあ、主任の名前を騙った誰かのいたずら?」
そう呟いてみるものの、特徴のある筆跡によって単なるいたずらだとは思えなかった。
几帳面そうに角張って少し右上がりといった特徴的な文字は、主任自身の筆跡。
ちなみに珍しい苗字はこの会社に一人しかいないし、匡という名前の持ち主も一人しかいない。
「ちょっと、どういうこと?も、もしかして、主任自らがいたずらを仕掛けたとか?」
あの生真面目な主任がいたずらするなんて考えられないけれど、部下とのコミュニケーションとしてなら分からなくもない、かな。……ああ、いや、さっぱり分からない。
いくらなんでも、主任はこんないたずらなんて絶対にしないはずだ。
ならば、このメッセージはどういう意図があってのものだろうか。
「こ、これって、本人に確認した方がいいの!?」
だけど、ものすごく訊きにくい。『誕生日おめでとう』はいいとしても、プレゼントは俺って?俺って!?
捲ったカレンダーを持って固まっていると、いつのまにか背後に立った誰かの大きな手が私の手を包み込むように握ってきた。
そして、耳元で囁かれる。
「明日、仕事が終わったら二人きりで誕生日祝いをしよう」
うっとりするほど麗しい低音ボイスがすぐそばで聞こえ、ビクッというか、ドキッというか、とにかく心臓が大きく跳ね上がった。
「えっ?えっ?」
聞き覚えのある声で後にいる人が誰なのかは分かったけれど、パニックを起こした頭と体は動きが鈍い。
「か、か、か、上郡主任!?」
つかえながら名前を呼ぶ事が精いっぱいだった。
そんな私を空いている方の腕でギュッと抱きしめてきながら、主任が再び耳元で囁いてくる。
「プレゼントの返品は不可だからな。一生、俺のそばにいろよ」
忘れられない誕生日から一年後、私の苗字は『上郡』となった。




