奇縁
お読み下さってありがとうございます。楽しんでいただければ幸いです。
広島港宇品旅客ターミナルの諸島部行きの桟橋で彼女はひとり立つ。
8月下旬とはいえ猛暑日だった影響で、非常に蒸暑い。18時半を過ぎ、海に夕日へ至る黄金の道を作る。その道に向かって江田島へ行くフェリーは先程出航したばかりだ。フェリーは白い航跡波を描いて進んでいく。そのせいで波が少し立ったが、すぐにいつもの穏やかな海に戻った。
広島港は江田島・似島・宮島、呉、松山へ行き来する高速船、フェリーが発着している昔からの海の要所だ。
広島県の島の数はそれほど多くはないが、ぽっかりぽっかりと昔話の挿絵に出てきそうな丸い島は可愛いく、瀬戸内の穏やかな海と穏やかな気候、海にも山にも近い地形から食べるものも豊かだ。
穏やかで豊かな土地柄のおかげか、大らかで情に篤い人が多い。
『メグはお人好しだから、つけ込まれないように気をつけなよ』
そう世慣れた事を言った都会人は、今、どこにいるのだろうか。
彼女、立花恵美は深くため息を吐いた。
「お礼くらい言いに来なさいよ」
そうしたら、6年前に話した江田島の術科学校に連れて行くし、あなたが喜びそうな蒲刈に連れて行ってあげるのに。きれいな砂浜を歩いた後に、波の音を聞きながら天体観測なんて、キザなあの男は絶対に好きなはずだ。それから、そのまま安芸灘とびしま海道のドライブに連れ回してやる。きっと喜ぶに違いない。
広島県の美しい景色は宮島だけじゃないことを教えてあげるのに!
「あれから6年」
もしかしたらここにいるのではないかと思って来たけれど徒労に終わったようだ。
「もし、生まれ変われたなら、次こそは殺されませんように」
恵美は海に向かって祈りを捧げた。
海は嫌いだ。
特にお盆を過ぎた海は嫌いだ。
海の匂いに混じり、異質な臭いが混じる。
空気は重く、呼吸がしにくい。
湿度が高いから呼吸がしにくいという訳ではなく、白い手で首を絞められているため、息がしにくいのだ。
恵美は自身に纏わりついたモノを払い落とす。
恨めしい。
妬ましい。
コチラに来い。
怨念というより執着という思念。
悲しい思いをした魂は淋しさから、今生きている者を連れ込もうとする。
白波と一緒に白い手が無数に陸地へ伸び、未練がましく海に引きずられ戻っていく。
ひとつひとつは大したことのない執念だが、無数の念が重なりひとつの大きな悪霊と化す。
うだるような暑さのせいか、桟橋に出ているのは小学生、恐らく2年生くらいの男の子だけだった。
男の子は桟橋から海を覗き、魚を探しているようだった。ざぁざぁと波打つ規則正しいリズムに合わせて白い手が子どもの至る所に触れ、通り過ぎて帰っていく。
恵美は男の子のそばに行き、しつこく男の子の足に巻き付く手を靴で踏んだ。手は抵抗して暴れたが、私はそのまま体重をのせ抵抗がなくなるまで、踏み続けた。こちらが引く気がないのが伝わったせいか、手は力を無くしするすると海に帰って行った。
情けをかけてはいけない。
アレは悪いモノだ。
恵美は男の子に声をかけた。
「ねぇ。お母さんとお父さんは?」
「待合室におるよ」
男の子は魚影を追いかけ身を乗り出す。恵美は慌てて落ちるよと手と声を出した。男の子は上体を陸に戻した。
「お魚たくさんおる?」
恵美は日傘にそっと男の子を入れる。
「お水飲んでおいでよ」
「熱中症対策?」
「うん。倒れるといけんけん」
「わかった」
男の子は素早い動きで立ち上がり、待合室へ走って行った。恵美はそれを見送り、息を止めて海を見下ろす。
白いたくさんの手の合間に、何か良くない顔をしたモノをいくつか確認した。
「臭い」
恵美が顔を顰めて呟いた。
「夏の海が臭いのはプランクトンや海藻が大量に繁殖、腐敗するかららしいよ」
突然背中から男性の声がし、恵美は声のする方へ向いた。
何もない過疎の島に不似合いな男性だった。
ジリジリと灼くような陽射しの中、彼は暑そうな素振りも見せず爽やかに笑った。プラ板を持っているような、妙な反射が太陽のせいなのか、亡くなった人なのか判断に迷う。
けれど、ひとつだけわかることは。
さすがイケメン。夏の海が似合う。
恵美は妙に冷静に感心した。
彼が何の用で私に声をかけてきたのか分からなかったが、とりあえず害意はないように見えた。
見えたが、圧倒的にめんどくさい予感しかしなかったので、さっさと話を切り上げて逃げることに決めた。
「……そうですか」
恵美は彼の横を素通りし、待合室へ向かう。彼は慌てて恵美を引き止めようとし手を伸ばすが、直前で手を引っ込めた。
恵美はやっぱり、と思った。
彼は死人だ。
立花家は特別な血筋である。古来より魔除けとして貴人に侍ってきた実績がある。大概の人ならざるモノは触れば消滅出来る。触れられないということは、そういうことなのだろう。
「お願いします! 俺を助けて下さい!」
彼は形振り構わず土下座した。
「ごめんなさい。私の手には負えないので、専門の方にお願いします」
「どこに行っても断られました。お願いします!」
恵美は彼の体に巻き付く長い手を見た。
女の手のようだ。
次第に黒く細い髪が手と一緒に彼に巻き付き、彼の体をひとつの毛玉に変え、愛おしそうに頬ずりする。
目の落ち窪んだ女がうっそりと笑った。口紅をベッタリと唇よりも大きくはみ出して塗ってあるのか、顔の下半分が唇のような印象を受けた。
『彼は私のモノ』
女が恵美を睨んだ。
安珍清姫か!?
ここまでくると執念というより怨念に近い。
「私には無理です。コレは悪すぎる」
「殺されたのに、死んでからもコイツに良いようにされるのは嫌だ!
自由にしてくれ!」
彼の血を吐く叫びは残念な事に彼女に邪魔をされ、微かにしか聞こえない。
「ごめんなさい」
恵美は沈んだ声で、しかし譲るつもりもない強い声で断った。
「お願いします! 頼みます! ちゃんと死なせてくれ!」
黒と白の毛玉になった彼が叫び、腕を伸ばしたのかもしれない。丸い毛玉が崩れ、吹き出しのように恵美の足元へ伸びた。蛆のように蠢くモノが恵美に触れようとする。恵美は表情を変えず白い手を力いっぱい踏んだ。
「散れ」
女は憎々しく恵美を睨んで霧散した。
「とりあえず時間は稼げたから、力のある人に頼ってね」
恵美は足早に立ち去ろうとした時、白い手が彼女の足首を掴み、引きずり、髪が鋭く恵美を刺しにかかる。恵美は日傘で盾を作り、熊に遭遇し逃げられない時にとる体勢をとった。地面にうつ伏せ、左腕で首の後ろを守り、右腕でショルダーバックを持ち、頭をガードした。致命傷は避けたようだが、体の至る所に切り傷が出来た。
カバンに付けた鈴が衝撃で鳴り、髪と手が怯んだ。
恵美は傘を取り、骨を折る勢いで手を踏み、傘の石突を突き刺した。
女は顔を歪めて消えた。
「コワっ」
女同士の激しい争いに彼は他人事のように呟いた。
「ひとつ、教えてあげる。生きてようと死んでようと、人を地獄に落とそうとする奴は悪いヤツよ。悪いヤツにかける情けはない」
恵美は怪我を確認するとハンカチを濡らしに待合室に向かう事にした。付いて来ようとする彼に声をかけた。
「見ての通り、防ぐことしか出来ないから、ちゃんとした人を頼りなさい。がんばってね」
「……そんなの、そんなの! ずっと逃げながら探したし、頼んだけど、誰も助けてくれない! みんな無理だって言う! いつまでアイツに支配されなきゃいけないんだ!? 助けて下さい! お願いします!」
「ごめんなさい。家は、随分前からそのお仕事請け負ってないの。責任を持てないの。知っている人も廃業したり、亡くなったり。だから紹介も出来ないの」
一時的に祓うことは出来ても、浄化は出来ない。プロが命懸けでする仕事を、素人が手を出したら悲惨なことになることは火を見るより明らかだ。
恵美は彼を置いて傷を流水で流す。幸いにも傷は擦り傷と切り傷ばかりだったが、ひどく痛んだ。
お読み下さってありがとうございます。
いつもは私小説で少し不思議な話(澄川にはホラーを書いている自覚はない)を書かせていただいていますが、今回は実際にあった事を元に、小説風に仕上げてみました。いかがでしたでしょうか? 引きずられたし、痛い思いも、恐い思いもしましたが、こんなハードボイルドじゃないです。でも基本、命懸け。※傍から見れば、ひとりで盛大にすっ転び気合いを入れて立った人にしか見えないという情けない状況だったりする。
完結出来るように頑張りますので、広い心でお待ち頂けると幸いです。
それでは、また次回、お目にかかれる事を祈って。




