開設、アグダちゃんねる 一
遠泳配信を開始してから一ヶ月が経過した。
飽きていないと言えば嘘になる。
それでも無心で泳いでいる。
ライブ配信を経由した視聴者たちとの会話がなければ、途中で挫けていたかもしれない。彼らが留守にしている間は、秋葉原で購入した激安タブレットをボートに設置。ネット配信のアニメやドラマを延々と眺めていた。
そうした努力の甲斐もあってだろうか。
:アグダちゃん、見て見て! 鳥が沢山飛んでるよ!
:いよいよ陸地が近づいてきたかな?
:無人島の可能性もあるから楽観視はできないけど。
:ドローンを上げてみたら色々と分かりそう
空に鳥の群れが見られた。
数十羽が隊列を成して飛んでいる。
「ドローンを上げたい気持ちは分かりますけれど、海ポチャしたら吉原行きは免れないように思いますので、ボート上での運用は控えておきますわ。もうしばらくお待ちいただけませんこと?」
なんたって一台百万円。
:うん、自分もそれがいいと思う
:海鳥ってどのくらいの距離を飛ぶんだろう?
:異世界の鳥だから地球の常識は通じないかも。
:そうして考えると陸地の存在も怪しいような
あまり期待せずにおこうかな。
そんなことを考えつつバタ足を続ける。
すると、小一時間ほどで陸地が見えてきた。
:やった! 陸地! 陸地だよ、アグダちゃん!
:しかも水平線の向こうまで続いてるっぽい
:これは大陸と称しても差し支えないでしょ。
「今回ばかりは達成感が湧いてきますわぁ」
バタ足にも力が入る。
加速したゴムボートが岸に近づいていく。
やがて見えた海岸沿いは断崖絶壁であった。
:アグダちゃん、これって登れるのかな?
:ずっと向こうまで崖が続いてるねぇ
:砂浜とかあればよかったんだけど……。
「今更この程度は障害に入りませんわぁ」
海に浮かんだまま、穴を経由して荷造りを行う。
ゴムボートや荷物は河原に回収。
水着のまま崖に張り付いた。
そして、磯を這い回るフナムシよろしく、あっという間にフリークライムを終える。流石にこのシチュエーションではアクションカメラを構える余裕がなかったので、視聴者の方々には音声オンリーでお届け。
すると崖上に広がっていたのは、広大な草原地帯。
久しぶりに踏みしめた大地。
ほんのりと温かみが足裏に伝わってくる。
これはなかなか感動的な体験だ。
「青々とした草木の香りに心が癒やされますわぁ」
:アグダちゃん、早くカメラ! カメラを回して!
:こっちは多摩川の川原しか見えてないんだよなぁ
:まぁ、これはこれで癒やされる光景ではある。
「仕方がありませんわね、少々お待ちを……」
穴を経由して地球に戻り、普段着に着替える。
足回りはスニーカーでいいだろう。
:ねぇねぇ、ドローンは飛ばさないの?
:流石に出先までは持ち込んでないでしょ
:あっ、そうだった!
:毎回、ゴムボートだけで大荷物だもんね。
「ドローンは帰宅してからですわね」
ゴムボートに固定していたカメラを手で携える。
求められた通り上陸地点にレンズを向ける。
崖上の草原地帯を映す。
視聴者からはすぐさまコメントが入った。
:すごい、原っぱがどこまでも続いてるよ!
:こっちの世界は自然の風景が雄大だなぁ
:日本じゃ絶対に見られない光景だよね。
地平線の彼方まで草原地帯が広がっている。
背の高い樹木がほとんど見られない辺り、そこまで降雨量は多くないのだろう。気候は温暖でカラッとしている。不意に吹いた風に靡かれて、サァっと草葉の揺れる光景のなんと心地が良いこと。
そうして新大陸を映すこと数分ばかり。
「さぁて、多摩川から撤収しますわぁ」
:アグダちゃんが移動してる間に宿題やっちゃお
:自分も仕事を片付けちゃおうかな
:なんなら移動中も配信してくれていいんだよ?
そのまま新大陸を散策したい欲求にかられる。
けれど、地球側での所在地は多摩川の上の方。
長居をして中央線の退勤ラッシュに巻き込まれたら大変だ。続きは自宅に戻ってからと決めて、帰り支度を行う。ゴムボートを萎ませたり、濡れた水着を処理したり。諸々の作業もここ一ヶ月でだいぶ慣れたもの。
自宅までは電車を乗り継いで二時間くらい。
往路も通勤ラッシュを割ける為、いつも朝早い時間に出発していた。おかげで日はまだ高いところにある。昼食は電車に揺られている間に済ませる。スタミナは無尽蔵のアグダ氏であるから、帰宅後も肉体的な余力は十分なもの。
そこで自宅からも改めて異世界に足を運んだ。
何故なら自身もドローンを飛ばしたくて仕方がない。
果たして近隣に人里は見られるのか。
改めて草原地帯にやってきた。
「さっそくですが、ドローンを打ち上げたいと思いますわ」
必要な機材を穴経由で現地に持ち込む。
ドローンのセッティングも慣れたもの。
すぐさま機体が空に向かい浮かび上がる。
:海の反対側、ずっと陸地が続いてるね
:小さな島ということはなさそうだけど
:っていうか、向こうに町っぽいものが……。
手元のタブレットでドローンの撮影している映像を眺める。
すると、遠方の海岸沿いに町のような景観が映り込んだ。
海に向けて桟橋のようなものが何本も突き出ており、船の停泊する様子が窺える。その周りに建物が立ち並んでおり、集落を形成している。規模もそこそこあるぞ。黄昏の大地でお邪魔した人里よりも規模が大きい。
「たしかに町っぽいものが見られますわね」
:やったね、アグダちゃん! これはゴールだよ!
:当初の目的地って、あそこに見える町なのかな?
:当初っていうと、アグダちゃんが乗ってた船?
:そうそう、置いていかれたやつ。
:現地で船舶の名前を確認すれば分かると思われ
ということで、善は急げである。
ドローンを自宅に回収。
上下ジャージのスニーカーにお着替え完了。
カメラはリュックの肩紐にクリップで固定。
すぐさま草原を駆け出した。
:アグダちゃん、いつになく足が速いよ。
:気分が盛り上がっているのかな?
:なんたって一ヶ月ぶりの陸だもんね
町までは目算で百キロほど。
二時間と要さずに駆け抜けた。
目的地へ近づくに連れて、街道を行き来する人たちが見られるようになる。馬車の往来も窺える。自身が駆け抜けてきた草原地帯とは、また別の方角に向けて伸びている。その先にもまた人里の存在が窺える。
:こっちは町の周りに外壁がないんだね
:都市機能の中枢が中洲にあるからじゃない?
:河川と海に囲まれた天然の要塞って感じ。
視聴者からのコメントの通り、町の中心部は河川の河口付近に隆起した中洲に見られる。ハドソン川の中洲で発展したマンハッタンとロケーションが似ている。あそこまで湾の奥まった場所に位置してはいないけれど。
中洲を囲んだ川にはいくつも橋がかかる。
街道はそちらに接続されていた。
建物は中洲のみならず、橋を超えてその周辺にも広がっている。中洲に建った建物は存外のこと背が高くて四階建てや五階建てが目立つ。その周りの建築物は平坦で、代わりに敷地面積が広め。
その更に外縁には畑が広がっている。
:以前お邪魔した町と比べても断然大きいね
:港町っぽいし、交易で栄えているのかな?
:こっちにもケモミミの人たちが見られて嬉しい。
街道は建物が見られ始めた辺りから石畳となる。
そのまま足を進めると橋にやってきた。
橋詰には武装した兵隊が何名か立っている。
行き交う人たちをジッと見つめている。
洋ロリはすぐ前を行く馬車に澄まし顔で続く。
「…………」
:アグダちゃん、めっちゃ見られてる
:人種的には同じコーカソイドっぽいけど。
:上下ジャージ姿が珍しいんじゃない?
:他の人たちも止められたりはしてないよね
:衣類の柄やデザインに現地で特別な意味があったり。
:そういう予期せぬコミュニケーションって怖いよね
結論から言うと、滞りなく入町できた。
「町に入れましたわ!」
:無事にゴール、おめでとう!
:なかなか達成感がありますなぁ。
:視聴者としても感無量だよ
コメントと共に投げ銭が与えられる。
皆さん一律で三万ポイント。
恐らく事前に示し合わせてくれたのだろう。
今回だけは素直に頂戴しておこうかな。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
:いいもの見せてもらったお礼だよ!
:下手なドキュメンタリーよりも楽しめた
:なんたって一から十までリアルだもんなぁ。
視聴者とやり取りを交わしながら通りを歩む。
前方を進んでいた馬車はいつの間にか消えている。
開けた視界に映るのは目新しく映る町並み。
最初の大陸で訪れた町と比較して活気づいて思える。単純に人気が多いのもあるけれど、通りを行き交っている方々も小さな子供からお年寄りまで、幅広い世代が見られる。それだけ治安がよろしいのだろう。
:ところで、これからどうするのかな?
:個人的には異世界グルメを推したい。
:とんでもないゲテモノとか出てきそう
:それをアグダちゃんが嫌々食べるのもまたよし。
:そんなの可愛そうだよー
:投げ銭の直後だと、普通に挑戦しちゃいそう
:あ、あ、けっして無理にとは言わないよ?
「まずは途中下船した船の所在を確認しようと思います」
キャッキャしている視聴者三名に伝える。
可能なら逆ハー特攻隊と合流したい。未だに習得の目処が立っていない回復魔法について、改めてご教示を願いたいところ。ただ、急に船内から姿を消した理由については、どうやって誤魔化したらいいのだろう。
:それじゃあ、港に向かうんだね
:現地のお魚とか気になるなぁ。
:当面は何を映しても楽しめそう
カメラを回しながら町を歩いていく。
集落はかなり規模がある。
内陸に向かって伸びた街道より入町した手前、港は向かって反対側。その間に大小いくつかの通りを抜ける。通りの両脇には石造りの建物がズラリと並ぶ。テレビの特集で見たイタリアの古い町並みを彷彿とさせる。
そうして足を進めること一時間半ほど。
港にやってきた。
海に向かい桟橋がいくつも突き出ている。
各々に沢山の船舶が停泊している。
大型の船舶も多数見られる。
しかし、自身が乗っていた船は見つからない。船着き場では水夫の方々がそこかしこで働いている。これに声をかけて尋ねて回ったけれど、目当てとする船名をご存じの方は一人もいなかった。
こちらの港には出入りしていないみたいだ。
代わりに知れたのは、より大きな町の存在。
黄昏の大地との間で定期便が出ているとのこと。
距離はここから馬車で十日ほど。
なんなら船便も出ているぜ? みたいな。
「思ったよりも方角に狂いがあったようですの」
:コンパス一つでこの精度なら十分では?
:むしろ大健闘と称しても過言ではないような。
:明日からまたマラソン大会なのかな?
:せっかく町に来たのにすぐ出発は勿体ないよ。
:もうちょっと人里を見て回りたいよね!
「その気持ちは分からないでもありませんわ」
自分もちょっとゆっくりしたい。
身体的には余裕があるけれど、精神的な負担はそれなりのもの。感覚的にはアレだよ、ほら、ネトゲで延々とレベル上げをしているような疲労感。思えばここ一ヶ月くらい、連日配信ばかりで休みを取っていないような。
:せっかくだし動画投稿サイトで配信したら?
:限定配信止めて、不特定多数に見せるってこと?
:保護者の問題はどうなったのかしら。
:そっちが片付いたから、いっそどうかなって……
:収益化を目指しちゃえる訳だね!
:既に知名度あるし、余裕でいけちゃいそう。
「たしかにそれもそうですわね」
保護者と戸籍が得られた今、恐れるものは何もない。
もちろん映像のクオリティ次第ではあるけれど、こうして眺めた異世界の光景は、それなりに需要があるのではなかろうか。フェイク動画だと偽って公開したところで、多少なりとも楽しんでもらえるはず。
収入が得られれば、土建屋さんへの支払いもゴールド現物ではなく、綺麗な現金で行える。ゼロになった預貯金も未だ心もとないので、収入が増えるのは喜ばしい。声優のお仕事もどこまで続けられるか分からないし。
「自宅に戻って支度を整えようと思います」
今晩辺り、じっくりと考えてみよう。
本作はカクヨムで10万文字以上の「先行連載」を行っております。
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