アルハラ? いいえ、教育です
家賃の引き落としに頭を悩ませていたのも過去のこと。
昨今のアグダ氏は労働の機会に恵まれて止まない。
今日も今日とて収録スタジオに赴いて、新作アニメのアフレコに臨む。前回が一話、今回は二話。一回のアフレコで一話分を撮っていくのだとか。ワンクール作品だと十二回から十三回収録することになる。。
つまりこれが最低でも冬頃まで続く。
正直、逃げ出したくなる。
アニメの収録は苦行だ。
人としての尊厳をいくらか諦める必要が出てくる。
本日など鼻がムズムズして大変だった。かむ訳にもいかず、かといって穿り回すのもどうかと思われる。必死になって手の甲で擦りまくっても効果なし。最終的には我慢の限界に達したところで、鼻元を片手で隠しながら指先で穿つことになった。
絵面的には爪楊枝。
それを目の当たりにした高嶺さんが吹き出して叱られた。
理不尽極まりない職場である。
ちゃんと指先はティッシュで覆ってたのに。
「それじゃあ、会場はいつもの場所で!」
「このメンツで呑むの久しぶりじゃない?」
「自分、ジュニアたちを連れて先に出てますね」
「予約は自分の名前で入れてありますんで」
「りょーかい」
「別撮りだった先輩たち、途中で合流するって」
ところで本日は収録後、飲み会が開催された。
浮足立った先輩たちがスタジオを出ていく。
業界的には作品一話の収録後辺りに打ち入りと称して、収録メンバーで乾杯するのが一般的なのだとか。前回は参加者の都合がつかなくて、今回に延期となったらしい。自分や普光院さんも誘われた。
一年を通じて放送しているような作品だと、折り返し地点で中入りと称して飲みに出かけることもあるらしい。また、最終話の収録後には当然ながら打ち上げが開かれる。というか、仕事終わりに誘い合わせて出かける方々も毎回チラホラと。
どうやら酒好きが多い業界のようだ。
幹事やら何やらは先輩方が手筈を整えてくれたようで、自分と普光院さんは案内されるがままにお店に向かった。その手の仕事は新人の仕事らしいが、我々は如何せん若過ぎるとのことでお鉢は回ってこなかった。
「んじゃ、さっそくだけど乾杯!」
「今期も頑張っていきましょー!」
「かんぱーい!」
「やっぱり仕事終わりはビールに限りますなぁ」
「自分、最近はハイボールに変えたんですよね」
「今日は音響監督とか来てないの?」
「別件でダビングがあるらしいッスよ」
「っていうか、アグダちゃん同席して大丈夫?」
「由桐ちゃんが参加するのも珍しいよな」
参加者は全員声優さん。
基本的には身内のみ。
個室のお座敷が押さえられていた。
自身は出入り口に近い場所で、普光院さんの隣を陣取った。
先輩は上座へどうぞ。
新人は下座に座りますので。
繰り返して伝えた文句はしょせん建前。
最近のマイブーム、飲み会で隠れ飲酒。
出入り口の近くに座っていれば、店員さんから届けられたドリンクを自在に操ることが可能。いつぞやネトゲのオフ会に参加した際と同じく、ウーロン茶と偽ってウーロンハイにお酒ロンダリングする作戦。
今日は最低でも三杯はゴクゴクしてやるぜ。
「由桐ちゃん、撮影は慣れた?」
「はい、高嶺さんのおかげです」
対面には高嶺さん。
作中ではリーダー的ポジションにあるメインヒロイン枠を務めつつ、こうしてリアルでも我々を率いてくれている。何かと我々若輩組を気にかけてくれるいい人だ。以前など高級焼肉を奢ってくれたし。
「アグダちゃんはどう?」
「わたくしはまったく慣れておりませんわ」
「今日も相沢さんに叱られてたよね」
「アレは理不尽でありませんか? ちょっと鼻を弄っていただけですのに」
「ごめん、あれは私が悪かった。どうしても我慢できなくて笑っちゃった」
語りながらもさっそく一杯目のビールを上げた高嶺さん。
自身もウーロン茶改め、ウーロンハイを口元に運びながらのやり取り。普光院さんはカルピスソーダを注文しておられますね。ストローからチビチビと吸い上げている様子がとても彼女らしい。
「これから一気に忙しくなるから、二人とも今のうちに体力を付けておいた方がいいよ。ゲームやアニメの配信が始まってイベントが入ってくると、スケジュールがギチギチになって寝ている暇もなくなるから」
「具体的にスケジュールとか見えているんッスか?」
「マネージャーさんから確認してないの?」
「高嶺さん、アグダちゃんはフリーでやっていますから……」
「だとしても、保護者に連絡がいっていると思うんだけど」
「後ほど確認してみますの」
話題は自ずとお仕事に向かう。
共通の話題もへったくれもない我々だ。
「直近だと、キャストの発表が十月のイベントで行われるね。毎年幕張でやってるやつ。それからゲームが先行して十一月から配信開始。十二月にはファーストアルバムがリリースされるから、春頃にはそのライブイベントもあるよね」
「今撮っているアニメはいつ頃から放送されるのですか?」
「アニメは来年の一月から放送開始だよ」
「随分と先なのですわね」
「この作品は連続二クール作品で比較的大きなタイトルだから、製作側も余裕を持って撮っておきたいんでしょう。ゲームの収録も被ってるし、場合によっては突発的なコラボで時間を取られるかもしれない」
「なるほど」
「放送一週間前に収録して、前日に完パケ、みたいなアニメも多いけどね」
「いくらなんでもド外道では?」
「深夜アニメに火がついた結果、新規参入の嵐でスタジオの奪い合いなの」
そんな感じで先輩からありがたいアドバイスを頂戴する。
この辺りは日雇いバイトも声優さんも同じなんですね。
しきりに頷いている普光院さんが印象的だった。
そうしてお酒が入り始めて小一時間ほど。
段々と参加者も酔いが回ってきた。
自ずと会話の場も盛り上がりを見せ始める。
それは例えば――
「ねぇ、由桐さん。新人なら宴会芸の一つでも打ったらどうなの?」
アルハラ一丁、入りました。
言い出しっぺは相沢さん。
普光院さんを目の敵にしている同じ事務所の先輩声優。
理由はプリステのヒロイン役を取られたから。
真っ当な会社なら、課長、それアルハラですよ~、とかなんとか申し上げて回避できたことだろう。けれど、どうやら声優業界は自身が考えている以上に体育会系な文化が育っているようだ。
或いはそれ以外に意味のある行いなのか。
「え、えっとっ……」
困惑を隠し得ない普光院さん。
この手の催しにはあまり姿を見せることがない、といった先輩方の呟きを思い起こす。なんたって現役の中学生なのだから、当然といえば当然。職場で見せる姿とは、また違って感じられる諸先輩方の振る舞いに戸惑っておりますね。
「自分も若い頃は声真似とかよくやったなぁ」
「オマエ、本当に下手くそだったよな」
「先輩だって似たりよったりじゃないですか」
「後でめっちゃ嫌味とか言ってくる人いない?」
「えっ、そんな人いるの? 完全に地雷じゃん」
しかも場は彼女が宴会芸を行うこと前提で動いている。
皆さんぱかすかとグラスを空けておりますからね。
これ見よがしにイキリ沢さんが声を上げた。
「貴方も一端の声優なのだから、モノマネの一つくらいできないと」
ということで、こういう状況でこそ光輝くのが中身オッサンの女児。
バブル世代に調教された氷河期世代の宴会芸スキル。
今このときに披露せずしていつ披露するべきだろうか。
「そういうことでしたら、わたくしにお任せいただけませんこと?」
お酒が入っていたことも手伝い、気づけば声を上げていた。
座卓に着いていた皆々の注目が一斉にこちらへ向かう。
え、マジかよ? みたいな眼差しがヒシヒシと。
「アグダちゃん、宴会芸って何なのか分かるの?」
「流石にそれくらいは小学生でも知ってるでしょ」
「教室でも芸をして笑いを取る子とかいたよね」
「えっ、アグダちゃんってそういうキャラなの?」
昔はこの程度でアルハラとか言ってられなかったからな。
仕事を得る為に必死だったとも言う。
我が国も失業率が上昇して、労働者の権利が弱くなったら、また同じようなことが繰り返されるのだろうな、とは思う。労働力として期待されている移民の方々は、我が国の飲み会文化をどう捉えるだろう。
「それでは皆様お立ち会い!」
卓上、空になった枝豆の盛りザルを手に取る。
席を立ってお座敷の隅の方に向かう。
一メートルほどの幅で伸びた三、四メートルくらいのスペース。店員さんが料理や飲物を運ぶのに利用している空間だ。座卓の並びに対して垂直方向に伸びており、席に着いた誰もが顔を横に向けたのなら視界に収められる位置関係。
盛りザルを頭に乗せたら準備完了。
そちらで唐突にもムーンウォーク。
「役者がステージに登場です」
スルスルと足を引きずりながら、ポーズを決めつつ移動する。
距離的に見せ場が乏しいので、何度か往復してアピール。
渾身のドヤ顔を意識して、ここぞとばかりにバックオーライ。
「ちょっ、なんでムーンウォーク」
「しかも普通に上手だし」
「キメ顔なのウケるんだけど」
「枝豆のザルがハット代わりかよ」
「装いが完全にアル中のそれなんだけど」
イイ感じでウケたぞ。
掴みは上々だ。
ポイントは一切期待させずに急にやること。見ている側に身構えられると、途端に白けるのがこの手の小ネタである。身体を張ったタイプの宴会芸は勿体ぶらずにサクッと繰り出せ。それがバブル世代から受けた教えだ。
最後はクルクルと回って決めポーズ。
「さて、それでは早速ですが……」
からの、頭に乗せていた盛りザルを手に取ってご挨拶。
その裏表を会場に向けて見やすいように正面で掲げる。
「こちらをご確認下さい。種も仕掛けもない少し枝豆臭いザルです」
マジックショーなどでよく見られる口上だ。
繰り返して示したところで、ザルを片手に持つ。
そして、もう一方の手を会場から隠すように構える。
「それがなんと不思議、どこからともなく火の手が上がりますわぁ」
いつぞやホテルの廊下で披露したファイアー再び。
自身の口上と合わせて、ザルの上から火が立ち上がる。
以前は火炎放射器よろしく火災報知器を鳴らしていたけれど、本日のそれはライターを少し強火にしたくらい。普光院さんの拉致騒動以来、暇を見て火力調整の練習をしていた為、ライター代わりに行使可能となった。
「おぉ、すげぇ」
「誰だよ、子供にライターを貸したの」
「だとしても凄いじゃん」
「仕込みも全然見えなかったね」
ムーンウォークに続いてこちらも評価は上々。
これ本当に種も仕掛けもないんだよな。
正直、ちょっと卑怯な気もする。
「皆さん、こちらのザルが怪しいと考えておられることでしょう。ええ、ご指摘の通りです。私も自身が視聴者であったのなら、絶対にそのように考えます。そこで皆さん、何かザルの代わりになるものはありませんか?」
会場を見渡してご意見を募る。
するとすぐに手が上がった。
空のお皿や帽子、座布団などが差し出される。
「ありがとうございます、ではさっそくこちらのお皿から。おっと、こちらのお皿は鶏の唐揚げが盛り付けられていた器でございますね。器に油分が付着していた為か、火の勢いがよろしくございます」
ということで、他にいくつか小物を変えてファイアーする。
利用する目隠しによって火力に強弱を付けて、お喋りで盛り上げるスタイル。提案のあった品々を一通りこなした辺りで芸としては上々だろう。もう少し汎用性のある魔法だったら、手品にもバリエーションを与えられたのだけれど。
「皆様、お付き合いありがとうございました」
最後にお辞儀をしてフィニッシュ。
すると間髪を容れず拍手が与えられた。
偉い人が挨拶をした後みたいで気分がいい。
「いつの間にネタを仕込んだのよ」
「声の仕事と全然関係ないの笑える」
「これはちょっと反則でしょ」
「いやでも、引き出しの多さは大切だよ」
「想定とは違ったけどよかったね」
「トークの軽快さは断然アリだと思うな」
「ラジオとか生配信に向いてそう」
しかし、これで終えてはならない。
むしろ一連の芸は前置きに過ぎないのだから。
「子どもの拙い芸にも温かな拍手を頂戴しましたこと、先輩方のお気遣いに心が癒やされる思いです。そこでせっかくの機会、そのご厚意に預かりましては、言い出しっぺの相沢先輩よりお手本をご教示いただけませんか?」
「っ……!」
相沢さんの表情が強張る。
逆に仕掛けられるとは考えていなかったようだ。
ビールのジョッキを手にしたまま、固まってしまっておりますね。
「言われてみると、相沢さんってこの手の話題に乗ってくること滅多にないよね」
「後輩からこうまでも言われちゃったら、流石にやらない訳にはいかないよなぁ」
「自分らがジュニアのときは、レジェンドのお歴々がお手本を見せてくれたっけ」
先んじて芸を披露した手前、先輩方も女児の味方をしてくれる。
きっと似たようなやり取りは過去にも交わされてきたのだろう。
以降、相沢さんのターン。
それでも流石はその道ウン年のベテラン声優。無茶振りにもかかわらず、すぐにその場で声真似をしてみせる。この手のやり取りも慣れたものなのだろう。自身も知っているような有名声優の声真似をしていた。
まぁ、似ているかと言われれば、なんとも言えなかったけれど。
より芸歴の長い先輩方からは駄目だしを喰らっていた。
既に一芸終えていた洋ロリはこれを特等席から鑑賞会。
ちなみに当然ながら、普光院さんの番も回ってきた。
ただ、彼女が座布団から腰を上げたのは、会場で宴会芸が話題に上げられてからしばらくしてのこと。自分や相沢さんが矢面に立っていた手前、多少なりとも覚悟が決まったのだろう。拙いながらも他所の声優さんの声真似を披露していた。
そうして攻防も一段落した辺りでのこと。
自席に座った普光院さんと合わせて、高嶺さんとのやり取り。
「アグダちゃんさぁ、どうしてこうも果敢に相沢さんに歯向かうの?」
「高嶺さん、お言葉ですが、先に仕掛けてきたのは向こうですわぁ」
「それはそうなんだけど、勇敢過ぎるから見ててハラハラしちゃうよ」
「アグダちゃん、可愛顔してオラオラ系だよね」
「由桐さんが大人し過ぎるのだと思いますわ」
「えぇぇ、そんなことないと思うけどなぁ」
高嶺さんも困った顔である。
相手が女児とあっては強くも言えないのだろう。
同じことを中年男性が行ったのなら、参加者一同からフルボッコは免れない場面である。アルコールでいい感じに蕩けた脳みそで、そんなことを考えた。まぁ、今この瞬間は素知らぬ顔で洋ロリを満喫するとしよう。
そんな感じで居酒屋での時間は過ぎていった。
乾杯から二時間ほどが経過したのなら宴も酣。
会計を済ませて店を出ることになった。
「二次会に行く人、手を上げてくださーい」
店先では中堅の先輩が声も大きく二次会の案内を行っている。既にお店も押さえているようで、参加者の大半はこのまま二次会へ向かうようだ。明日も仕事があるというのに、なんとタフな方々だろう。
当然ながら、参加しないという手はない。
飲み会、大好きなんですけど。
「はい! 是非ともご一緒させて下さい!」
「アグダちゃんはまっすぐ家に帰ろうね」
「由桐ちゃん、この子のこと頼んでいい?」
「任せて下さい。ちゃんと送り届けますので」
先輩二名がかりで諌められて、そのまま帰宅する羽目となった。
合わせて普光院さんは、自身のおもり役を仰せつかっていた。
飲み屋の店先で別れて、我々は二人だけで駅方面に向かう。保護者曰く、大通りでタクシーを拾って帰ろう? 家の近くまで送るから、とのこと。こんな中身オッサンの面倒を見る羽目となってしまい申し訳ない。
「アグダちゃん、息がお酒臭くない? まさかこっそり飲んでたの?」
「この姿になってからというもの、スーパーやコンビニでお酒を買えなくなってしまいました。こういった機会が数少ないアルコールとの触れ合いタイムですわ。確実にグラスを重ねていきませんと」
「お店が無理でも、通販なら普通に買えない?」
「言われてみればそうでしたわね」
路上を歩きながら普光院さんとお喋り。
お酒で火照った身体に夜風が気持ちいい。
「お酒は飲んでもいいけど、明日のダンスの練習には遅刻しないでね?」
「大丈夫ですわ。この身体、小さい割に代謝がやたらとよろしいですの」
今秋に予定されている新作お披露目のイベント。
そのステージで曲を歌唱するとのこと。
大したダンスではないけれど、一曲丸っと覚える必要があり、事前にメンバー揃っての練習は必要不可欠。自身と普光院さんも参加を求められている。振り付けは自宅でちゃんと覚えてきてね、みたいな。
スタミナや身体能力は抜群のアグダ氏なので、これといって不安はない。
「それと相沢さんとのことなんだけど、助けてくれてありがとう」
「気にしなくて結構ですわ。あの手の余興には慣れがありますの」
「もしかして事前に持ちネタとか用意してたりするの?」
「声優としてやっていくのなら、常にそういったことを意識しておく必要があるという、先輩方からの温かな教えではないッスかね? 生放送のラジオ配信でもアドリブで色々と求められることがあるって聞きますし」
「そ、そうだよね。うん。たしかにアグダちゃんの言う通りだと思う」
それに声優さんは個人事業主。
飲み会で仕事を取ってこれないようなら、将来も見込めないのではなかろうか。実際どうだか知らないけれど、そんなことを考えた。使えるものは何でも使え、というのが氷河期世代の価値観である。コスパとか言っていられない。
自身の場合、フルに使ってもパートタイマー堕ちは免れなかったけれど。
そうして他愛ないやり取りを交わしつつ、通りを歩いていた時分のこと。
不意に普光院さんが脇道を指さして言った。
「ねぇ、アグダちゃん」
「なんですか?」
「あそこにいる子、前にお台場海浜公園で映ってた子じゃない?」
我々の歩いている通りから一本入った細路地。
そちらに見覚えのある子供が立ち呆けている。
「あっ、本当ッスね……」
見覚えのある女児だ。
耳が尖ってる系。
銀髪の上に赤眼。
これ以上なくエルフしている。




