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真紅の聖域、ただ『あなた』であるための夜

世界が平定され、果てしない穏やかな時が流れるようになった新時代。

月に一度、満月の夜。雲海に浮かぶ天上の神殿には、東西南北と中央、五つの世界を護る『神の守護者』たちが、一つの欠けもなく帰還する。


それは、彼女たちが背負う重い使命と、世界から向けられる絶対的な信仰をすべて脱ぎ捨て、ただの『カノンを愛する少女』に戻るための、特別で神聖な安息日だった。


「……カノン、様っ」


神殿の最奥、真紅の天蓋が揺れる広大な寝室。

重厚な扉が開かれた瞬間、西の空を護る威厳ある竜の姿から、本来の小さな姿へと戻ったレヴィアが、弾かれたように飛び込んできた。

その細く震える身体を、豪奢な神のローブではなく、柔らかく薄い絹のネグリジェだけを纏ったカノンが、開いた両腕で愛おしそうに受け止める。


「おかえりなさい、レヴィア。今月も、よく頑張ったわね」

「カノン様、カノン様……っ! 会いたかったです……ずっと、ずっと、お傍にいたかった……っ」

レヴィアはカノンの華奢な肩に顔を埋め、まるで迷子からようやく見つかった子供のように、ポロポロと大粒の涙をこぼして泣きじゃくった。外の世界では決して見せない、弱くて脆い、等身大の少女の姿だった。


「ずるいアル、レヴィア。……あたしだって、一番に抱きつきたかったのに」

少し遅れて部屋に入ってきたリンが、ポツリとこぼす。その手にはいつも握られている中華包丁はなく、ただ主の体温を求めるように指先が微かに震えていた。

「……マスターの体温、心拍音、魔力の香り。すべてを再学習インストールします。……ああ、ノアの胸の奥でずっと鳴っていた警報ノイズが、ようやく……止まりました」

ノアが感情の宿った銀色の瞳からオイルの涙を溢れさせながら、カノンの腰にそっとしがみつく。


「カノン……! もう、一ヶ月も待たせるなんて酷いわよ……っ」

「女神様……私の祈りは、私のすべては、ずっとあなただけのものです……」

ミアとセラフィもたまらず駆け寄り、その白く柔らかな身体にすがりついた。

世界中から畏怖と信仰を集める偉大な守護者たちが、今この部屋では、たった一人の吸血鬼の温もりに縋って声を上げて泣いている。


「ええ、知っているわ。みんなの温かい心は、玉座にいる私の元へ、毎日ちゃんと届いていたもの」

カノンは長い銀髪を揺らしながら、一人ひとりの頭を優しく撫で、その頬を伝う涙を長い指先で拭ってやった。

触れる肌の温かさ、かすかに漂う世界中の風の匂い。五人がどれほど自分を想い、身を粉にして世界を護ってくれているか、カノンには痛いほどに伝わっていた。


「でも……ごめんなさいね。私を繋ぎ止めてくれたあなたたちに、こんな寂しい思いをさせてしまって」

カノンが目を伏せると、ミアが慌てて首を振った。

「違うわ、カノン! あたしたちは、あんたが愛したこの世界を護れることが誇りなの。それは本当よ。でも……でもね……」

ミアは、カノンの首筋にそっと額を押し当て、ひどく怯えたような、震える声で呟いた。


「……あんたが遠い『絶対神』になっちゃったみたいで。時々、どうしようもなく怖くなるのよ。あたしたちの届かないところに、一人で消えちゃいそうで……。あんたはもう、あたしたちがいなくても、完璧に生きていけるんじゃないかって……」


その言葉に、他の四人も痛ましそうにカノンの服の裾を強く握りしめた。

絶対神とは、己の欲求をすべて超越した概念だ。

どれだけ世界に愛を注いでも、彼女自身が抱えていた人間らしい『飢え』や『孤独』は、神になった瞬間に永遠に失われてしまったのではないか。自分たちはもう、彼女の心の隙間を満たすことはできないのではないか――。

一ヶ月という離れ離れの時間と、カノンのあまりにも神々しい存在感が、彼女たちの心にそんな呪いのような不安を植え付けていたのだ。


そんな彼女たちの切実で、愛おしすぎる不安を溶かすように。

カノンはふわりと、この世の何よりも妖艶で、愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「……馬鹿ね。私が、あなたたちを手放すわけないじゃない」


カノンは、ミアの顎をすくい上げると、その色素の薄い白い首筋に、自身の鋭い牙を、ちくりと優しく立てた。

「あ、んっ……」

同時に、カノン自身の手首を深く噛み切り、溢れ出す真紅の血を、レヴィアやノアたちの震える唇へと順番に分け与えていく。


「あぁっ……カノン、様……っ」

「甘い……カノンの、愛の味……温かい……っ」


与え、奪い合う、極上の血の交わり。

だがそれは、かつての生存や快楽のためだけのものではない。魂の奥底にある不安を塗り潰すための、最も深く、最も直接的な愛情の証明だった。


ドクン、ドクン。

互いの血が混ざり合うことで、カノンの胸の奥で打つ力強い鼓動が、五人の少女たちの心臓へと直接伝わっていく。

『私はここにいる』『あなたたちを愛している』『あなたたちがいなければダメだ』という、言葉よりも何倍も確かな、命の証明。


「私は世界を愛しているけれど、私の『心』をあげたのは、世界中であなたたち五人だけよ」

カノンは、涙と極上の快楽で顔を火照らせる少女たちを、愛おしくてたまらないというように力強く抱きしめた。

カノンの漆黒の翼と黄金の光輪が、五人を優しく包み込む。


「玉座に座る私は『神』かもしれないけれど。あなたたちの前では、ただ愛を乞う、一人の不完全な吸血鬼でありたいの。……私には、あなたたちの体温が必要なのよ」

「……カノンっ」

「カノン様ぁ……っ!」


世界で最も尊く、完全な存在であるはずの彼女が、自らその絶対性を降りて、自分たちと同じ目線で体温を求めてくれる。孤独を恐れ、自分たちの愛を欲しがってくれる。

その事実が、五人の少女たちの魂を縛っていた不安を完全に解き放ち、これ以上ないほどの『悦び』で満たしていった。


「さあ、今夜は私を甘やかしてちょうだい。……私の可愛い、永遠の伴侶たち」


月明かりだけが照らす、真紅の天蓋の下。

神と守護者という重い役割を忘れ、ただの不器用な少女たちとして、互いの存在を確かめ合うように愛を交わし合う六人。

何千年、何万年と続く永遠の時の中で、この甘く濃密な夜だけは、誰にも不可侵な彼女たちだけの『究極の聖域』として、静かに、そして限りなく幸せに更けていくのだった。

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