表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/18

弔いの空と、真紅の極上ジュレ

「……ありがとう。もう、大丈夫よ」


暴食の神を完全に消滅させた塔の最上階。吹き飛んだ天井から差し込む青空の下で、カノンは涙を拭い、静かに顔を上げた。

だが、その真紅の瞳の奥には、育ての親を自らの手で看取ったという、消えることのない深い悲しみが沈殿していた。気丈に振る舞おうとする彼女の細い肩が、微かに震えている。

その震えを止めるように、四人の眷属たちがカノンを囲むように身を寄せた。


「カノン。今はまだ、無理に前を向く必要はありません」

セラフィがカノンの隣に座り、その冷たい手を両手でそっと包み込む。天使の温かい体温が、カノンの凍えそうな心にじんわりと伝わっていく。

「そうよ。泣きたい時は泣いて、落ち込みたい時は落ち込めばいいの。あたしたちは、どこにも行かないから」

ミアが反対側からカノンの肩に頭をこつんと乗せた。普段の飄々とした態度はなく、ただ主の痛みに寄り添うような静かな声だった。

「カノン様……私、カノン様の背中、さすります。昔、その神様がカノン様にしてくれたみたいに……」

レヴィアがカノンの背中にそっと手を回し、不器用ながらも一定のリズムで優しく撫で続ける。その温もりは、かつて神の国で怠惰の神が与えてくれたものと酷似していて、カノンの胸をぎゅっと締め付けた。

「みんな……」

官能的な吸血や、魔力の交わりなど必要なかった。ただ互いの体温を感じ、言葉を交わす。それだけで、一人で重い運命を背負おうとしていたカノンの孤独は、確かに溶かされていく。彼女たちは主従を超え、真の『家族』としての絆を深めていた。


塔から降り、美食の都にある静かな隠れ家へと身を寄せた夜。

厨房を借りて夕食の準備をしていたリンが、ふと真剣な表情でカノンの元へとやってきた。

「カノン様。……お願いがあるアル」

「お願い?」

「カノン様の『血』を、少しだけあたしに分けてほしいアル。……眷属化の儀式じゃなくて、純粋な『食材』として」

リンの突拍子もない提案に、カノンは目を丸くした。だが、リンの特級料理人としての誇り高い瞳を見て、カノンは何も聞かずに自らの指先を少しだけ切り裂き、小さなガラスの小瓶に真紅の血を注いで手渡した。

「ありがとうアル! 絶対に、最高の料理にするアルよ!」


厨房に戻ったリンは、受け取ったカノンの血を前に、深く一礼した。

(カノン様の血は、それ自体が完成された究極の魔力と命の結晶アル。熱を加えれば、その神々しい風味と力が飛んでしまう……)

リンは火を一切使わなかった。特級の魔力を使って氷水でボウルを冷やし、そこに特殊な薬草の抽出液と、暴食の国で手に入れた最高級の海燕の巣からとろみ成分だけを抽出して合わせる。

そして、カノンの血を数滴垂らし、武術の歩法で培った完璧なブレンド技術で、空気を一切入れずに練り上げていく。

完成したのは、宝石のルビーのように透き通った、ゼリー状の『真紅のジュレ』だった。


「お待たせしたアル! 今夜は特別コースアルよ!」

円卓に並べられたのは、暴食の国で手に入れた極上の肉や魚介を使った、リン渾身の料理の数々だった。そしてそのすべての料理の傍らには、ソースとして添えられた真紅のジュレが輝いている。

「これを、料理と一緒に食べてみてほしいアル」

カノンたちは顔を見合わせ、ジュレを添えた肉料理を口に運んだ。

「……っ!?」

一口食べた瞬間、全員の動きが完全に停止した。

凄まじい衝撃だった。肉の旨味を極限まで引き立てる爽やかな酸味と、その後に口いっぱいに広がる、花畑にいるような甘く神々しい香り。

そして何より、咀嚼して飲み込んだ瞬間、腹の底から爆発的な『力』が全身の血管を駆け巡ったのだ。

「な、何これ……! すっごい力が湧いてくるわ! 身体が羽みたいに軽い……!」

ミアが目を輝かせて立ち上がる。

「素晴らしい……。私の聖なる魔力すらも、一段階上の次元へと引き上げられているのが分かります」

セラフィが己の手を見つめ、驚嘆の声を漏らした。

「おいひい……っ、こんなおいしいもの、食べたことないです……っ!」

レヴィアに至っては、感動のあまり泣きながら次々と料理を平らげていく。


カノンの血が持つ『エリクシル』の効能を、リンの技術が熱で壊すことなく完璧に閉じ込め、しかも料理の味と調和させていたのだ。それは、この絆で結ばれた眷属たちにだけ許された、最高のバフ(強化)料理だった。

「……美味しい。本当に、美味しいわ、リン」

カノンが、今日初めて、心からの柔らかな微笑みを浮かべた。

悲しみに沈んでいた彼女の表情が、料理の力と家族の温もりによって、優しく解きほぐされていく。

「へへ……料理人として、大好きな家族に最高の料理を作れたこと……これ以上の幸せはないアル」

リンは照れくさそうに鼻の頭を掻き、カノンの笑顔を見て胸を撫で下ろした。

これからの旅は、もっと過酷になる。神々をすべて殺さねばならないという残酷な使命。だが、この温かい食卓と、互いを想い合う絆さえあれば、きっと乗り越えられる。そう確信できる夜だった。


――だが。

その温かい団欒の裏で、世界の『理』はすでに静かに狂い始めていた。


窓の外。誰も気づかない暗闇の中で、一羽の『黄金の蝶』がヒラヒラと舞い降り、カノンたちの楽しげな様子をじっと見つめていた。

蝶は意志を持ったように羽を震わせ、カノンと同じ真紅の瞳を持つ『誰か』の声を、微かな幻聴のように夜風へ溶かした。


『――美味しい食事は済んだかな? 愛しい私の妹。……さあ、次は私と遊ぶ時間だよ』


その不吉な黄金の輝きは、最強の吸血姫と眷属たちの絆を引き裂く、次なる絶望の始まりを告げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ