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恋を必要としない令嬢に、皇帝の執着だけが通じない  作者: 絵宮 芳緒
第一章 効かない令嬢

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第九話 距離の近い男

庭に残る空気は、まだ変わらないままだった。


風が抜け、葉が揺れ、光がわずかに形を変える。


その中で、二人は動かないまま向き合っている。

距離だけが、そこにあった。


「――セレス」


柔らかな声が、空気をほどくように落ちた。


その響きは、先ほどまでの静けさとは明らかに異なり、わずかに温度を帯びている。


セレスティナはそちらへ視線を向けた。


「ノエル」と名を呼ぶ。

それだけで、十分だった。


近づいてきたのは、ノエル・リグナス。


軽く整えられた茶の髪に穏やかな笑みを浮かべ、その足取りは迷いなくセレスティナのもとへと向かう。


レオニスの存在に気づいていないわけではない。


それでも意識の向かう先は、明らかに別にあった。


「また庭にいたのか」


手元へ視線を落とし、やわらかく問う。


「ええ」


短い返答は、変わらない。


ノエルは、ほんの少しだけ目を細めた。

「……相変わらずだな」


どこか安堵するように言いながら、自然な動きで手を伸ばす。


「ついてる」


指先に触れかけた土を、触れるか触れないかの距離で

軽く払うようにしながら、小さく笑った。


その近さは、あまりにも自然だった。


レオニスの視線が、わずかに動く。

ほんの一瞬だが、確かにそこへ向けられる。


ノエルはそれを受けていた。


気づいていないはずがない。


それでも動じることはなく、ゆっくりと姿勢を正すと、初めてレオニスへ向き直る。


「……陛下」


一礼する。

深すぎず、軽すぎず、正確な角度。


「お目通り、失礼いたしました」


言葉も声音も整っている。だが、その奥にある温度までは隠していない。


レオニスは何も言わず、ただ見ている。

まっすぐに、逸らさずに。


ノエルもまた視線を外さない。

ほんのわずかな間、互いに動かず、しかし空気だけがわずかに張り詰める。


「……随分と、親しいようだな」


レオニスが静かに言う。

その声音は低く、問いでも確認でもなく、ただ置かれた言葉のようだった。


ノエルはわずかに微笑む。


「幼い頃より、共におりますので」


やわらかく答える。

その響きは穏やかだが、引く気配はない。


「そうか」


短く返る。

それ以上は続かない。


沈黙が落ちる。

先ほどとは違い、わずかに熱を帯びた沈黙。


その中で、セレスティナは何も変わらない。

視線も呼吸もそのままに、ただそこにいる。


やがてノエルは自然に視線を戻した。


「今日は何を見ていた?」


先ほどと同じ調子で問う。


「こちらを」


セレスティナは足元の葉へと視線を落とし、簡潔に答えた。


ノエルはその葉を覗き込む。


距離が近い。

まるで、それが当然であるかのように。


「……へえ」


興味を持ったように目を細める。


「それ、食べられるのか?」


セレスティナは少しだけ考えるように視線を動かし、答える。


「条件次第では」


同じ言葉、同じ調子。


レオニスはそれを聞いていた。


何も言わずに、ただ見ている。


距離を、空気を。

触れそうで触れない、その関係を。


そして――動かない自分を。


風が抜け、葉が揺れ、光が静かに形を変えていく。


その中で三人の位置は変わらないまま、ただ時間だけがゆっくりと流れていた。

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