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恋を必要としない令嬢に、皇帝の執着だけが通じない  作者: 絵宮 芳緒
第一章 効かない令嬢

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第八話 距離を詰める者

執務室は、いつもと変わらない静けさに満ちていた。


整えられた書類、一定の角度で差し込む光。


すべては正しく保たれている――はずだった。


だが、ペン先が紙の上で止まっている。


次の一線が引かれないまま、わずかに滲んだインクが広がっていく。


それを、レオニスはしばらく見ていた。


やがて静かにペンを置くと、小さな音が机に吸い込まれる。


(……足りない)


何が、とは定まらない。

だが、確かに残っている。


あの場で、あの距離で、何一つ変わらなかったもの。


確かめたはずなのに、それでもなお届いていない何かがある。


レオニスは立ち上がる。


椅子がわずかに軋む音を残し、そのまま歩き出した。迷いはなかった。





ラディア公爵邸の庭は、やわらかな光に包まれていた。


葉の隙間から落ちる陽が揺れ、風に合わせて影がゆっくりと形を変える。

その中に、セレスティナはいる。


膝を折り、地面に近い位置で手を動かしていた。


葉を選び、指先でなぞり、わずかに香りを拾う。 


その一つ一つの動きに無駄はなく、そこにあるものだけで世界が閉じているようだった。


足音が近づく。ためらいなく、一定の速さで。


「……また、それか」


低い声が落ちた。

空気がわずかに揺れる。


セレスティナは顔を上げる。


「はい」


ほんの一拍だけ間を置いて、短く答えた。

その声も、表情も変わらない。


レオニスはそのまま立ち止まり、視線を落とす。


指先へ、葉へ、土へと、順に追うように見ていく。


「それは、使えるのか」


問いは同じだったが、わずかに低く響いた。

 

「条件次第では」


変わらず、セレスティナは葉を見たまま答える。


短く息を吐く。


(……変わらない)


この距離でも、この状況でも。


セレスティナは立ち上がり、指先についた土を軽く払った。


細かな粒が光を受けて落ちていく。

その動きを、レオニスは視線を逸らさずに見ていた。


「何か御用でしょうか」


少し遅れて、そう問う。


必要になったから口にした、それだけの声音だった。


レオニスはすぐには答えない。

ただ、そのまま見ている。


距離を保ったまま、視線だけで捉えるように。


「……確認した」


やがて、短く言う。


「だが、足りない」


それだけだった。


セレスティナは、わずかに首を傾げる。


「何が、でしょうか」


静かに返す。

問いに重さはない。


レオニスは一歩だけ近づいた。

距離がさらに縮まる。


呼吸の気配が、かすかに重なる。

それでも、セレスティナは動かない。


「分からない」


率直だった。


「だから、確かめる。

このままでは、終わらない」


言葉は途切れず、そのまま落ちる。


セレスティナは一度だけ視線を落とし、すぐに戻した。


「非効率ですね」


淡々と告げる。

それは否定でも拒絶でもなく、ただの評価だった。


レオニスの目がわずかに細められる。


「そうかもしれないな」


あっさり認めた上で、続ける。


「だが、やめるつもりはない」


言葉は揺れない。


「……そうですか」


セレスティナはそれを聞き、一拍だけ間を置いてからと短く返す。


風が抜ける。

葉が揺れる。

光が、わずかに形を変える。


その中で、レオニスは動かなかった。

理由は分からない。


ただ、離れる気もなかった。


セレスティナもまた動かない。ただそこにいる。


何も変わらないまま、距離だけが確かに残っていた。

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