第七話 宰相の視線
「……来たか」
低く落ちた声が、静かに室内へ広がった。
その響きが壁に触れて消えていくまでのわずかな間、
誰も動かなかった。
セレスティナは静かに一礼し、ゆっくりと顔を上げる。
「お呼びと伺いました」
整えられた言葉と所作。
だが、その声は軽く、場の重さを受け取る様子はない。
レオニスは答えなかった。
ただ、そのまま見ている。
距離も高さも変えずに、逸らさず、測るように。
セレスティナもまた視線を外さない。
何かを探るでもなく、何かを受け取るでもなく、ただそこに立っているだけだった。
短い沈黙が、静かに場へ落ちる。
その均衡を破ったのは、扉の外からの声だった。
「失礼いたします」
低く落ち着いた響き。
一拍の間のあと、扉がゆっくりと開かれる。
室内の空気がわずかに動き、そこへアルベルト・ラディアが足を踏み入れた。
現宰相。
その一歩だけで、見えない線がひとつ増えたように感じられる。
「陛下」
深く頭を下げる。
沈みすぎず、だが確実な礼。
顔を上げると、その視線はまっすぐにレオニスへ向けられ、そこで静かに止まった。
「早いな」
声の調子は変わらない。
だが、落ちる位置がわずかに低い。
アルベルトはすぐには答えず、ほんのわずかに間を置いてから口を開いた。
「呼び出しと聞きましたので」
それだけだった。
言葉は短く、だがその余白に、すでに状況を読み終えている気配が滲む。
レオニスは、そのまま視線を外さない。
受け止めたまま、返さない。
セレスティナは、そのやり取りの外にいる。
空気の流れにも触れず、ただ、そこに立っている。
ディオンは一歩後ろに控えたまま、位置も距離も変えない。
それでも、その存在は確かにそこにあった。
レオニスは、ゆっくりと口を開く。
「……確認したい」
言葉はそれだけで止まる。
続きは置かれたまま。
アルベルトはわずかに頷いた。
「承ります」
短い応答。
それだけで場が揃う。
レオニスの視線が、セレスティナへ流れる。
ほんの一瞬だけ触れ、すぐに戻る。
「お前の娘だな」
問いではなく、確かめるような声音。
アルベルトは、視線をセレスティナへ向けた。
その一瞥は短い。
だが、戻るまでの間が、わずかに長い。
「はい」
簡潔な肯定。
それ以上は続かない。
レオニスは、そこで言葉を置いた。
一度、沈黙が落ちる。
それからーー
「森で会った」
短く告げる。
説明も補足もない。
だが、それで十分だった。
アルベルトの瞳が、わずかに細まる。
その変化は一瞬で、次にはもう消えている。
「そうですか」
静かな返答。
問いは返さない。
ただ、受け取る。
沈黙が再び落ちる。
先ほどより、ほんの少しだけ長く、そしてわずかに重い。
レオニスは、その中で立っている。
視線を逸らさずに。
アルベルトも同じだった。
互いに動かず、ただ測るように向き合っている。
「……変わった娘だ」
レオニスが、遅れて言う。
その言葉が落ちるまでの間が、わずかに長かった。
アルベルトの口元が、ほんの少しだけ緩む。
それは一瞬で、すぐに消える。
「ええ」
短く答える。
否定も、補足もない。
そのまま受け入れる。
それで終わる。
再び、静寂。
だが、先ほどとは違う。
空気が、ほんのわずかに揺れている。
その場で。
ただ一人、セレスティナだけが変わらずに立っていた。
視線も、呼吸も、そのままに。
ただ――そこに在るだけのように。




