第六話 温室の距離
温室の中は、外とは切り離されたような空気に包まれていた。
湿った温度と、濃い緑の匂い。整えられた環境の中で、植物だけが静かに息づいている。
その中に立つレオニスの存在は、本来ならば場のすべてを支配するはずだった。
だが――
「そうなのですか」
返ってきた言葉は、あまりにも淡々としていた。
セレスティナは振り向いたまま、それ以上動こうとしない。視線は向けられているが、そこに特別な意味はない。
レオニスは、その様子を見ていた。
変わらない。
どこにいても、変わらない。
「許可が必要だ」
短く告げる。
「では、必要でしょうか」
間を置かずに返る。
問いとして。
レオニスの眉が、わずかに動いた。
「……通常はな」
低く答える。
それに重ねるように、セレスティナは言葉を続けた。
「ですが、私は問題なく利用できています。損失も発生していません」
事実だけを並べる声音だった。そこに遠慮はない。
レオニスは一瞬だけ言葉を止める。
否定する理由が見当たらない。
それでも――
「……勝手に判断するな」
低く落とす。
だが、その声音には押しつける強さがない。
セレスティナはその言葉を受け取りながら、近くの葉へと手を伸ばした。指先で状態を確かめ、軽く持ち上げて光にかざす。
「では、判断基準をご提示ください」
視線を向けないまま、言う。
問いとして、正確に。
レオニスは言葉を失う。
想定していたやり取りではない。
「……お前は」
言いかけて、止まる。
その先が続かない。
セレスティナは、葉の状態を見極めながら小さく呟いた。
「こちらは少し弱いですね」
まるで別の流れで思考が進んでいるかのように。
レオニスの視線が、その動きを追う。
近い。
手を伸ばせば届く距離。
それでも――意識されていない。
「……話をしている」
低く言う。
「はい」
即答だった。
「聞いています」
その言葉に、レオニスの目がわずかに細められる。
「聞いていて、それか」
「問題はありませんので」
やはり同じ結論だった。
変わらない。
レオニスは、ゆっくりと一歩踏み込む。
距離が縮まる。
温室の湿った空気が、わずかに揺れた。
それでも――
セレスティナは動かない。
逃げない。
ただ、そこにいる。
レオニスは、その距離で立ち止まった。
視線が、初めてわずかに落ちる。
セレスティナの手元へ。
葉を扱う指先。
迷いのない動き。
無駄のない選別。
「……それは」
言葉が、自然に落ちた。
セレスティナの手が、ほんのわずかに止まる。
一瞬だけ。
視線が、レオニスへ向いた。
「興味深いですね」
小さく呟く。
それは、感情ではない。
ただの評価だった。
だが――
これまでにはなかった反応だった。
レオニスの目が、わずかに見開かれる。
ほんのわずかに。
すぐに戻る。
「……何がだ」
低く問う。
セレスティナは、すぐに答える。
「判断基準です」
簡潔に。
「効率的ではありませんが、統制としては機能しています」
分析としての言葉。
レオニスは、言葉を返さなかった。
返せなかった、の方が正確だった。
それは賞賛ではない。
否定でもない。
ただ――
正確だった。
温室の空気が、わずかに変わる。
先ほどまでとは違う、重みを帯びた静けさ。
レオニスは、そのままセレスティナを見ていた。
今までと同じはずの存在。
それでも――
何かが、引っかかっている。
初めて。
ほんのわずかに。
理解の外にあったものが、
輪郭を持ち始めていた。




