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恋を必要としない令嬢に、皇帝の執着だけが通じない  作者: 絵宮 芳緒
第一章 効かない令嬢

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第二話 庭園の異物

大広間を出た瞬間、空気が変わった。


張り詰めていた気配がほどけ、静かな風が頬を撫でる。


セレスティナは足を止め、わずかに息を整えた。


背後の喧騒は、もう遠い。


聞こえるのは、木々の葉が揺れる音と、鳥のさえずりだけ。


ようやく、余計なものの少ない場所に出た。


石畳の小道を、ゆっくりと進む。


磨き込まれた大広間とは違い、庭園の奥には人の手が入っていながらも、まだ自然の輪郭が残っていた。


整えられた低木の向こう。


石垣の脇。


陽を受ける草のあいだから、見慣れた葉が顔をのぞかせている。


セレスティナは足を止めた。


そっとしゃがみ込み、指先で一枚摘み取る。


葉脈の走り方。

縁の細かな鋸歯。

傷みの少ない色合い。


一目で状態を見極め、光に透かす。


(……これなら使える)


葉を鼻先に寄せる。


青さの残る匂い。

わずかな渋み。

そして、ほのかに混じる甘い香り。


躊躇いなく、口に運んだ。

噛む。

舌の上に、じわりと苦味が広がる。


けれど、その奥には予想通りの柔らかい甘みがあった。


(火を入れれば、角は取れる)


(油と合わせるか、あるいは塩を先に打つか)


思考が、自然に巡る。


味。

香り。

食感。

成分。

調理法。


いくつもの可能性が、頭の中で静かに組み上がっていく。

その時だった――


「……何をしている」


低い声が、背後から落ちた。

セレスティナは振り向かない。


もう一枚、葉を摘む。

同じように口に運び、噛みながら答えた。


「見て分かる通りです」


足音が近づく。

石を踏む、規則的な音。

やがて、隣に長い影が落ちた。


「毒の可能性は考えないのか」


声は静かだった。

だが、その奥にはわずかな不快が滲んでいる。


セレスティナはようやく顔を上げた。

そこに立っていたのは――


レオニス・ヴァルカ。

先ほどまで大広間の空気そのものを支配していた若き皇帝。


銀の髪が庭園の光を受け、淡く輝いている。


近くで見ると、その青い瞳はなおさら冷たく澄んでいた。


だが――

セレスティナの反応は変わらない。


「問題ありません」


即答する。


「この程度の毒性なら、致死には至りません」


まるで、天候でも説明するかのような口調だった。


レオニスの眉が、わずかに動く。


「……“程度”だと?」


「はい」


セレスティナは、手元の葉へ視線を戻した。


「量と処理次第です」


淡々とした説明。


恐れも、遠慮もない。


レオニスは、その横顔を見ていた。


まっすぐに、逸らさずに。

理解できない。


令嬢であることは、見れば分かる。

装いも、立ち居振る舞いも、それを否定しない。


だが、その在り方だけがあまりにも異質だった。


緊張がない。

警戒もない。


目の前にいるのが皇帝であることすら、行動を変える理由になっていない。


セレスティナは、そんな視線に気づいてもいないようだった。


別の葉へ手を伸ばし、指先で傷み具合を確かめる。


「こちらの方が良さそうですね」


独り言のように呟く。


(香りが弱い)


(でも、火を通せばまとまる)


考えているのは、それだけだ。

隣に立つ存在は、意識の外にある。


レオニスは、わずかに息を詰めた。

近い。

手を伸ばせば触れられるほどの距離だ。


それでも、彼女の空気は何一つ揺らがない。


「……お前」


名を問おうとして、言葉が止まる。

何を聞くべきなのか、一瞬分からなくなる。


代わりに口をついたのは、別の問いだった。


「それは、食べるものか」


セレスティナは、ほんの少しだけ首を傾げた。


「条件次第では」


そして、ようやく彼の方を見る。


初めて、正面から視線が交わった。

翡翠と、蒼。


ほんの一瞬ーー

それだけだった。


少なくとも、セレスティナにとっては。


「加熱処理が前提ですが」


淡々と続ける。

まるで、今ようやく相手の存在を認識したかのように。


レオニスは、返す言葉を失った。


他の令嬢たちのような反応はない。

緊張も、憧れも、計算も。


何一つ見えない。

ただ、そこにいる。


ただ、自分の興味に従っている。

その事実が、妙に意識に残った。


風が吹く。


木々が揺れ、葉擦れの音が静かに広がる。


セレスティナは立ち上がった。


摘み取った葉を軽く布で包み、何事もなかったかのように身を翻す。


「失礼いたします」


今度は、確かに彼へ向けて言った。


だが、それは礼儀として口にしただけのものだった。


許可を求めるでもなく、返答を待つでもなく。


そのまま歩き出す。

引き止めようと思えば、できたはずだった。


だが――


レオニスは動かなかった。

ただ、その背を見ていた。


庭園の奥へと消えていく、小柄な後ろ姿。


華やかな場には似つかわしくないほど、静かで。

それなのに、ひどく目を引く。


彼は、知らず目を細めた。


理解できない。

だが、意識から離れない。


それが何なのか、まだ分からないまま――


その日初めて、レオニスは、一人の令嬢の背中を長く見送っていた。

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