第十四話 残された違和感
セレスティナが部屋を出たあとも、静けさはしばらくその場に残っていた。
閉じた扉の向こうへと足音は消えたはずなのに、気配だけが、まだ薄く漂っているようだった。
レオニスは、その扉を見たまま動かなかった。
窓から差し込む光が床を斜めに切り、室内には、淡い静寂だけが満ちている。
だが、それは落ち着きを与えるものではない。
むしろ――
ひどく、意識に残る静けさだった。
「必要がありませんので」
先ほどの声が、耳の奥に残っている。
感情を乗せることなく、ただ事実だけを置いていくような声音。
レオニスは、ゆっくりと息を吐いた。
理解できない。
そう思うたび、かえって思考はそこへ引き戻されていく。
揺れない。
近づいても。
問うても。
言葉を重ねても。
まるで、そこだけ別の理で動いているかのように。
「……厄介だな」
小さく落ちた声は、誰に向けたものでもなかった。
自嘲に近いのか、呆れに近いのか、自分でもよく分からない。
ただ、ひとつだけ確かなのは――
あのままでは終わらなかった、ということだった。
机へ戻る。
置きかけた手が、途中で止まる。
書類の束は変わらず整い、
ペンも、封蝋も、何一つ乱れてはいない。
それなのに、今はそれらすべてが妙に遠い。
ほんの短い時間だったはずだ。
それでも、部屋の空気が、少しだけ変わってしまったような気がした。
扉の外で、控えめな足音が止まる。
「陛下」
侍従の声だった。
レオニスは、視線だけをそちらへ向ける。
「申し伝えます。
ラディア公爵家のご令嬢は、お帰りになられました」
「そうか」
短く返す。
それだけで終わるはずだった。
だが、侍従がまだその場に気配を残していることに気づき、レオニスはわずかに眉を寄せた。
「まだ何かあるのか」
「いえ……その」
ためらうような間が落ちる。
「補佐官殿が、少々、鋭い目をしておられましたので」
レオニスは、一瞬だけ目を細めた。
ディオン・ラディア。
あの位置に立ち、何も言わず、何も崩さなかった男。
思い出すのは、その無言の在り方だ。
「……そうだろうな」
低く返す。
侍従はそれ以上何も言わず、一礼して下がっていった。
再び、静けさが戻る。
レオニスは窓辺へ歩み寄った。
外では、風が庭を揺らしている。
遠くに見える緑の中へ、視線が自然と向いた。
そこにいるはずもない。
もう帰ったのだから、当たり前だ。
だが、それでも目は探してしまう。
自分でも気づかないうちに。
「……分からないな」
今度の言葉は、先ほどよりも静かだった。
何が、ではない。
誰が、でもない。
ただ――
その存在そのものが、理解の外にある。
それが、こんなにも意識に残る理由もまた、まだ分からなかった。
しばらくそうしていた後、
レオニスは、ようやく視線を外した。
そして、机の上の鈴へ手を伸ばす。
澄んだ音が、小さく響く。
すぐに人の気配が現れる。
「陛下」
「ラディア公爵家について、もう一度まとめろ」
短い命令だった。
「令嬢のことも含めて」
その一言が加わったことで、意味は大きく変わる。
控えていた者は一瞬だけ息を呑んだが、すぐに深く頭を下げた。
「かしこまりました」
足音が遠ざかる。
レオニスは、何も言わなかった。
ただ、窓の外に揺れる光を見ている。
何も変わっていないようでいて、確かに何かが動き始めていた。
まだ名前のつかない感情のまま。
だがそれは、もう無視できないところまで来ていた。




