帝国編 20.龍は図書館へ
大図書館は、帝都の北区にあった。
組合支部への登録を済ませた翌日、レイアは一人で向かうつもりで宿を出た。
「どこ行くんだ?」
路地の角でルイが待っていた。
「図書館」
「ついていくよ」
「一人で大丈夫」
「暇だからな」
レイアはルイを見た。ルイは特に表情を変えなかった。
「……好きにすれば」
二人で歩いた。
大図書館は、遠くからでも分かった。
石造りの建物が、周囲の建物より一段高く、広い。正面の柱が太く、扉が大きい。帝都の中でも古い建物のひとつだと、道すがらルイが言った。
「何百年も前からあるらしい。東大陸中から文献が集まってくるんだと」
「そうか」
「何を調べるんだ?」
「古い記録を探してて」
「どんな記録だ?」
「龍の……記録」
ルイは少し間を置いた。それ以上聞かなかった。
扉を開けると、空気が変わった。
外の帝都の喧騒が、分厚い石の壁の向こうへ消えた。中は静かだった。天井が高い。棚が何列も並び、上の段は梯子を使わないと届かない高さまで続いている。窓から入る光が、埃をゆっくりと浮かばせていた。
ルイが小声で「……すごいな、これ」と言った。
レイアは何も言わなかった。しかし、少しだけ足が止まった。
司書のところへ行った。
年配の女性だった。眼鏡をかけていて、手元の台帳から目を上げずに「何をお探しですか」と言った。
「龍族の古い記録を見たい。ゴルンの保管所にあった写本に似たものがあれば」
「龍族の記録は制限区画にあります。一般の方はご覧になれません」
「冒険者組合の者だ。公式調査の名目で入れるか」
司書がようやく目を上げた。レイアを見て、ルイを見た。
「身分証をお見せください」
ルイが組合の証を出した。司書はそれを確認し、台帳に何かを書いた。
「少しお待ちください」
奥へ引っ込んだ。
しばらく待って、戻ってきた。
「上席の許可が出ました。ただし——」
司書は眼鏡の奥でレイアを見た。
「閲覧のみです。持ち出しはできません。筆記用具はお貸しします」
「分かった」
制限区画は、図書館の奥の奥にあった。
重い扉を開けると、さらに静かになった。棚が低くなり、照明が減り、空気がひんやりしている。文献の保存のためだろう、窓がない。
レイアは棚を端から見ていった。
龍族の記録は少なかった。数百年前のものがほとんどで、状態の悪いものが多い。焼けた跡のあるもの、虫食いのもの、ページが欠けているもの。
ゴルンの保管所で見た写本に似た装丁のものが一冊あった。
取り出して、机に置いた。
開いた。
文字が古い。艶桜でも使っていた古語に近いが、少し違う。ラヴァガンが教えてくれた文字に似た部分がある。ゆっくりと読んでいった。
読める部分と、読めない部分がある。
ページを繰る。
断片が出てくる。龍の血を引く者について書かれた箇所がある。しかし文章が途中で切れている。次のページが欠けている。
また繰る。
別の箇所に、艶桜という地名が出てきた。
レイアの手が止まった。
隠れ里、という言葉が続いていた。その次の行が、虫食いで消えていた。
「……読める?」
ルイが隣で覗き込んでいた。
「少しだけ……」
「何が書いてある?」
「……龍の里のこと、出てくる。ただ」
「ただ……?」
「続きが……読めない」
ルイは黙った。レイアも黙った。
ページを繰り続けた。答えは出てこない。断片が増えるだけだ。なぜ龍人が外の世界では滅びた種族として認識されているのか——その問いに近づく記述はあるが、繋がらない。
別の一冊を手に取った。こちらはさらに古く、文字の判読が難しい。
読める文字だけを拾っていく。
龍神、という言葉が出た。
その前後が読めない。
また出た。今度は別の文脈で。龍神と契約した者、という記述の後が、また消えている。
「……なんで肝心なところが全部消えてるの」
声に出るつもりはなかった。
ルイが小さく「呪われてるんじゃないか、それ」と言った。
「そういうこと言わないで」
「……悪い」
レイアは文献を閉じた。
ここにある情報は断片だ。繋がらない。答えより問いが増える。なぜ龍人は滅びたと言われているのか。艶桜はなぜ隠れ里になったのか。龍神との契約とは何か。
全部が霧の中にある。
しかし——霧の濃さが、少し変わった気がした。何かがある、という感触は確かになった。
筆記用具を返して、制限区画を出た。
帰り道、ルイが聞いた。
「何か……分かったか?」
レイアは少しの間、前を向いたまま歩いた。
「……少し、かな」
「少し、か……」
「……うん」
ルイはそれ以上聞かなかった。
その「少し」が嘘ではないことは、ルイには何となく分かった。そしてそれ以上を話す気がないことも。
二人で並んで歩いた。
帝都の北区の通りは、昼間でも少し静かだった。南の市場とは違う空気だ。古い建物が多く、歴史の重さがある。
「ルイ」
「なんだ?」
「龍神という言葉を聞いたことある?」
ルイは少し考えた。
「伝承では聞いたことがあるな。龍人が信仰していた存在だとか」
「それだけ?」
「俺が知ってるのはそれだけだ。もっと詳しいことは……神学者か、古い文献を研究してる者に聞いた方がいいな」
「そっか」
「何か……関係があるのか?」
「……まだ、分からない」
レイアは前を向いたまま言った。
ルイは頷いて、それ以上は聞かなかった。
組合の方角へ向かって、二人は歩き続けた。




