1 零印ね……
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「アクタにい!」
名前を呼ばれて振り返る。
土手の向こうから走ってくる小さな女の子。
ショートのサイドポニーの金髪を跳ねさせて、すごい勢いで近づいてくる。
「アクタにい、起きていいのか!? 頭、平気か!? 死んじまわねえよな!?」
小さな僕よりも頭一つ小さな子だけど、男の子っぽい話し方だなあ。
「ベル」
マリアベル、なんて可憐な名前のわりに男の子っぽい女の子だ。
一つ下の九歳になったばかりの妹分。
僕はしがみついてくるベルを受け止めて、安心させるように笑って見せた。
そうだった。彼女の目の前ですっころんで気絶したんだった。そりゃ心配もするか。
「久しぶりだね、アクタにいって呼んでくれるの」
「! ば、ばっかじゃねえの! そんなのどうでもいいだろ!」
途端に顔を赤くして、突き放すみたいに離れてしまう。
勢いあまって吹っ飛ばされそうになるのをなんとか耐える。
うーん。難しいお年頃だなあ。
早めの反抗期、といった感じだ。
「ごめんごめん。心配させちゃったかな。見ての通り、僕は平気だよ」
「心配なんてしてねえ! ダメアクタが起きねえから! バカ! さっさと起きろよな!」
口が悪いけど、その涙目のせいで本心がダダ漏れだからイラっともしない。
「アクタ、平気?」
久しぶりのベルとの掛け合いを楽しんでいると、影が差した。
いつの間にかやってきていた大きな体の青年、に見えるけど僕と同い年の男の子。
いかつい顔を心配そうにして見下ろしている。
「家まで、かつぐ?」
「ううん。大丈夫。まだちょっと痛いけど、歩けるよ」
「よかった」
同年代どころか大人を含めても村で一番大きな体。
彼の名前はヌイ。
気は優しくて力持ちという言葉がそのまま人になったみたいな奴だ。
ヌイは川辺まで下りて行って桶を持つと、ざばっと水を汲んで軽々と持ち上げる。
さすがは本当の持ち主。
扱い方に貫録まである。
「ったく。ヌイの桶を使おうなんてするからコケんだからな、ドジアクタ」
ジッと下から睨みあげてくるベル。
迫力ないなあ。
なんて、なごんでいると目つきがもっと鋭くなる。
このままだと説教が始まりそうだ。
「ゴメン。もうしないよ」
「ったりまえだ。ばーか」
反省を示すとやっとそっぽを向いてくれた。
うん。反省はしているんだ。
体の大きなヌイ専用の桶は、普通のよりも倍は大きい。
あんなのを僕が使えるわけがない。
二往復するより、あれ使って一往復で終わらせた方が楽なんじゃ、なんて考えた僕が間抜けすぎる。
「帰ろ」
「ごめんね、ヌイ。持つよ」
水汲みの日課は子供たち全員の仕事だ。
もうヌイは自分の分を終わらせているんだから、やらせるわけにはいかない。
「ダメ。無理しちゃいけない」
「アホアクタは余計なことすんな! またこけたらどうすんだよ!」
桶を受け取ろうと手を伸ばすけど、ヌイには首を振られて、ベルには手を叩き落とされてしまった。
特にベルが僕を見る目には怒りが宿っている。
仕方ないか。
頭を打ったんだから今日は安静にしないと本気で怒られそうだ。
実際、自覚はなかったけど実は……なんてシャレにならない。
「ありがとう、ヌイ。ベルも」
「うん」
「うっせ! バカアクタのためなんかじゃねえんだからな! お前の水汲みが終わらねえと次の仕事に行けねえんだよ!」
ははは。グッドツンデレ。
ベルはドシドシと足音を怒らせて歩いていってしまった。
でも、ちょっと先に行ったらチラチラとこっちを振り返るんだからかわいいなあ。
僕はヌイと小さく笑いあって、さっさと来いと今にも怒鳴りそうなベルについて歩き出した。
向かうのはヌイとベルの家で、僕の居候先。
二人は兄妹で、僕は従兄弟だったりする。
家まで歩いて十分程度。
歩きながら記憶を整理していく。
僕はアクタ。
どうやら頭を打って前世の記憶を思い出した、らしい。
自分でもはっきりしないと思うけど、実際にはっきりしないんだから仕方ない。
記憶が蘇ったのは完璧じゃなくて、前世の『俺』は穴だらけだった。
逆にアクタの事ははっきりわかる。
そんなアクタの人生はかなりやばい。
ゲームで例えるとナイトメア級。
辺境の開拓村の子供――いや、孤児というのが正しい。
僕の母親は九年前にいきなり村にやってきて、妹(僕から見たら叔母)の家に赤ん坊だった僕を置き去りにして、次の日にはいなくなっていたらしい。
いつか迎えに来るから、なんて書置きもなし。
叔母曰く『今日の事どころか目の前の事しか見えない子』なのだそうだ。
父親がどこの誰なのか、見当もつかないとか。
うーん。育児放棄とか、我が母ながら酷いな。
昔からそんな母に迷惑を掛けられていた叔母だけど、僕の事は見捨てずにちゃんと養ってくれた。
叔父も血の繋がりのない僕を、自分の子供と同じように扱ってくれている。
二人とも本当に優しい人たちだ。
ぶっちゃけ、記憶の欠片もない肉親よりも親だと思っているし、この二人に育ててもらえてよかったまである。
さて、そんなハートフル(失笑)な経歴の僕だけど、これだけで人生ナイトメアとは言わない。
いや、ハードだとは思うけど、この世界には僕よりも不遇な家庭環境にある子供がたくさんいる。
叔父叔母従兄妹のぶんだけ恵まれているぐらいかもしれない。
それでも、僕の人生は厳しい。
「零印ね……」
それは右手の甲に刻まれた印。
『〇』
濃厚な赤の線で描かれたきれいな円。
僕の人生をナイトメア級にした原因。
隣を歩くヌイのそこには【Ⅹ】の文字が。
だいぶ前を歩いているベルは【Ⅸ】の文字が。
その他の村の大人は【Ⅴ】で、一歳児以上の子供は【Ⅰ】から【Ⅳ】の文字。
誰もが右手に数字を刻印されている中で、僕だけは生まれてからずっと変わらない『〇』のまんま。
これ、今までは原因がわからなかったけど、僕が転生者だったからなのかな?
「アクタ?」
僕が右手を見ていた事に気付いたのか、ヌイがまた声を掛けてくる。
両手になみなみ水の入った桶を持っているのに、ちっとも疲れた様子もない。
同い年で、同性で、似た家庭環境に、近い血統。
そんな僕とヌイの間には決して追いつけない程の力の差ができていた。
右手の数字。
『〇』と【Ⅹ】
ヌイは何とも言えない心配そうな顔。
うーん。気を遣わせちゃってるなあ。
僕がこの数印にコンプレックスを抱いているってわかっているもんな。
「なんでもないよ。ほら、行こう。またベルを怒らせちゃうから」
「うん……」
いやいや、落ち込まないでよ。
本当の本当にヌイは全く悪くないし、今の僕は前よりもこのコンプレックスに向き合えているからさ。
なんて、話し始めると長くなりそうだし、わかってもらえるかどうか。
僕は強引にヌイの大きな背中を押して、家路を急いだ。
8月は毎日この時間に更新していきます。
よろしければお付き合いください。




