44.準備日
学園祭前日、金曜日。
今日は明日に控えた学園祭のため授業がなく、一日中準備にあてられている。
いつもの教室は学園祭で使用するため荷物は置けない。
その代わり各クラス、荷物置き場兼控え室が与えられる。
樹のクラスが割り振られた控室は地下にある生物室だ。
いつもと同じ時間に登校したらほとんどのクラスメイトはもう登校していた。
部活で店を出すものは朝からてんやわんやしている。
樹と永久は二人で生物室に入った。
登校中に真華に会える事を期待していた樹だったが、それは叶わずここまでたどり着いてしまった。
生物室は荷物の割に人が少なく、みんな荷物だけおいてどこかへ行ってしまったようだ。
樹は脚立の上に狛犬のように座り、水槽の中の肺魚と睨めっこしている葵を見つけた。
今日も葵がちゃんと一人で来られるか心配していたので一安心した。
「アオイ!」
樹が呼ぶと葵は首を捻って振り返った。
いつもより元気がない様に見えて樹は葵の側によった。
「イツキィ……桜のご飯食べたい……」
「元気のない理由はそれか」
樹は鞄の中に持っていたサンドイッチを出した。
葵は『上げる』と言う前に目を輝かせて、脚立から飛んでいた。
「ご飯だぁ!」
「食べていいよ。」
葵は『ありがと!』と言うとラップをはがしてかぶりついた。
「餌付けしてるみたい。良かったの?」
永久はどんどんなくなっていくサンドイッチを憐れむように見ていた。
「うん、昼ごはんは別にあるから。葵の分もね」
「桜、作ってくれたの?!」
樹が頷くと葵は目を潤ませた。
桜は山下と喧嘩した後も葵のご飯の心配はしていた。
葵がお腹を空かせていたら今日一緒に帰っておいでとまで言っていた。
「心の狭いケーニーとは大違いだね……!」
「葵、朝ごはん食べて来てないの?」
大きめに作ってあったサンドイッチはもうすでに無くなっていた。
葵は指に着いたカスまで食べて首を振った。
「ケーニー、ドーナッツ屋さん連れてってくれたけど、桜ののほうが美味しい。」
「しっかり食べてるじゃないか!お前は兄さんにもっと感謝するべきだよ。」
永久のセリフを葵はブスッとした表情で聞き流した。
「そっか……今日の帰り一緒にうちに帰る?」
樹が聞くと葵は一瞬目を輝かせたが、すぐに首を振った。
「行かない。ケーニー、アオがいなかったらご飯食べなさそうだもん。」
たしかに、山下なら平気でお腹がすくまで食べ無さそうだ。
それに前、『極限で一週間程度ならイケる』なんて豪語していたからそれは確かに心配だ。
「そっか、それは残念。」
樹は社交辞令でなく本心で肩を落とした。
沈んだ姉は部屋から出てこないだろうし、今日も一人寂しく部屋で過ごす事になりそうだ。
開け放ったままの扉の向こうから愛希が顔を出した。
「あ、宮野さん!おはようございます!」
愛希は樹に気づくと笑みを浮かべた。
「おはよう、王野君」
愛希は直ぐ顔を引っ込めようとしていたが、何か思い出したかのように『あ。』と呟き、こちらに向かって歩きながら問いかけた。
「王野君。朝、井上さんと会ってない?」
樹は首を振った。
「今日は会ってない」
「そう……。まだ朝礼まで時間があるけど……」
愛希が時計を見上げたので樹もつられて見上げた。
あと五分もしないうちに朝礼が始まる時間だった。
「まだ来てないの?」
「ええ。ついでに監督もいないし。優太もいないわ。」
もしかしたら真華と一緒にいるかもしれない。
走り去って行った真華を追いかけていった優太。
その後何があったのかは知らないが、知りたくはない。
なるべく想像もしないでおいた。
「えっと……松田君は後でリムジンか何かで来ると思うけど。キバに電話かけた?」
愛希は頷いて見せた。
「電話なら昨日も今朝も掛けたけど出ないわ。どこほつき歩いてるのかしら?」
愛希の眉間の皺の寄り具合で、彼女が相当苛立っているのが分かって、樹は少しだけうつむいて目を伏せた。
チャイムが鳴る前に担任が閻魔帳を手に生物室に入ってきた。
「もう報告したものは出てってヨシ。帰りもここで点呼。3時半だぞ3時半!こう言っても毎回誰か忘れるからな!忘れてたらフルネームで放送呼び出しだからな!」
生物室内に笑い声が響いたが、他人事でなくなる人はこの中から何人かでるのだろう。
樹は最後に葵が呼ばれるのを待って一緒に生物室を出た。
「樹!どこ行くの?」
葵は何の企画にも参加していないので今日一日中暇になる。
樹も永久も劇の練習があるだけになっている。
他のキャストのメンバーは他にも掛け持ちをしている者が多いので、個別に練習しようにも相手がいなかった。
「室内企画の手伝いかな?」
「じゃあA組?」
今日はそこでパネルの設置やら飾り付けをすることになってたはずだ。
樹は頷いたが、樹の足は遠回りになる筈の方向に向いている。
なにか言いたげな葵に永久が代わりに答えた。
「その前に隣のクラスを見にいくんだとさ。」
そう聞くと葵は樹の後に続いて、その後に永久が続いた。
真華のいるB組は、生物室の隣の化学室が控室として割り振られていた。
練習に気まずい空気を持ち込まないように真華に一度会っておきたかった。
今会ったところでその雰囲気は払しょくできるかはわからないけれども。
怪我の事なら目立たないようにしているから大丈夫だし。
その場から何も言わずに立ち去られたけどそれもどうにか大丈夫だ。
彼女が気負うことなんて何一つない。
だから明日だけは、明日だけはどうか一緒に舞台に出て成功させてください。
化学室の出入り口は開け放たれていて、点呼は既に終了しているようだった。
生物室よりも賑わっていて、樹は顔を出して室内を覗き込んだ。
葵は躊躇いなく踏み入れて、永久は部屋の外で樹の用事が済むのをまった。
室内には樹と同じ出演者たちがたむろっていた。
そこには一足早く生物室から出ていった愛希の姿もある。
葵が輪の中に飛び込んでいったのを見て、樹も永久を呼んで足を踏み入れた。
「どうしたの?」
樹が聞きたかった事を葵が先に愛希にきいていた。
愛希が答えなくとも何が起きているかすぐに理解した。
「井上さん朝から連絡取れないの。」
「遅れるなら連絡ぐらいしてくれてもいいのにね。」
口惜しさ、憤りがそのまま声になっているようで樹は胸がざわつくのを感じた。
樹は教室一体を見回すが彼女の姿はない。
樹は体の横で拳を握りしめた。
「まだっ、来てない、だけ、かもよ……?」
樹が消え入りそうな声で発言すると視線が集まって、樹は目を泳がせた末に俯いた。
「だとしても、主役が遅れたらなんもできないじゃない!」
「他のところほぼ完璧だし、直すところあればそこだし。来ないし……」
強い感情をぶつけられ慣れていない樹は反射的に謝りそうになるのをこらえて、相手の目を見ないようにするのが精いっぱいだった。
「王野君、真華に甘いなぁ」
小さい声で呟かれたのが冗談でなく本心だと言う事がよく分った。
「……ご、ごめん。なさい。」
ついに耐え切れなくなった樹は小声でつぶやいた。
溜息が数か所で聞こえたがそれが誰のものか知りたくないので視線は床に向いたままになった。
「ヒガミはそのくらいにして、どうすんの?」
「ちょっと、長居君『ヒガミ』ってどういうこと?!」
「そう聞こえたんだもん。」
永久はそっぽ向いてまた新たに敵を作った。
みんながピリピリしているのも無理はない。
実のところ完全な通し練習を失敗なく成功させられたのは今まで一回しかなくて、最後に一回練習するというのが今日の練習だ。
今日の練習だけは、みんなが無理やり予定を合わせ臨んでいるだけあって、気合いの入れ方は今まで以上だ。
皆が学年企画責任者である愛希に注目する。
「監督は、松田はもうすぐ来るみたいだから。無責任で悪いけど、講堂企画はほぼ彼に任せているの。」
愛希がきっぱり言い切ると誰も口答えはしなかった。
「本番来ないなんて事はさすがにないと思うわ。みんなも他に予定あるでしょ?まずそっちから片づけましょ。」
そうするより他ないので皆散り散りに動き始めた。
愛希は動き出さない樹達を視線の端に捕えた。
「リハーサルまで予定ないって言ってたけど、室内企画手伝ってもらえる?」
もとからそうするつもりでいたし、愛希に指示を仰いだ方が効率も良さそうなので樹はうんと頷いた。
「アオは?」
葵はお仕事ちょうだいと愛希の腕を引いた。
葵の扱いを心得ている愛希はえーと、と天井を仰いだ。
「パネル運ぶの手伝ってちょうだい。力持ちが欲しいって言ってたわ。」
愛希は次に言葉を発さずに指示を待っている永久に向いて指令を出した。
「できれば資材室にいって、葵を誘導して欲しいわ。パネルの枚数は資材係に聞けば分かるわ。それから……」
永久は言い終わる前に言葉をつないだ。
「そのあとはクラスにいる子に聞けばいいんでしょ?」
愛希はそうそうと頷いた。
「助かるわ。」
「永久、行こ!」
葵はすでに歩き出していて永久をせかした。
「資材室どこ~?」
永久はトコトコと急ぎ足でそのあとについていった。
「力仕事なら葵が一番早いわね、きっと。王野君は飾りつけ作業を手伝って。行くわよ!」
「はい!」
愛希に指示されると自然と背筋も伸びるし、言われたことを淡々とこなすだけなので、何も考えずにいれて楽だ。
愛希がわざと語尾を強めて喝を入れたことには気づいていたが、ありがとうございますと念じるだけにとどめた。
教室につくと、飾りつけをしていた生徒たちに混じった。
誰かが何かをしてそれを効率化するために補助要員が入っていく。
終わればまた違うところ、違うことをする。
樹が落ち着いた役職はセロテープを丸めて輪を作る地味な作業だった。
輪を並べて置いておくと『ありがと、持ってくね』と一言かけられて、生徒は指先にそれぞれ一個ずつ張って持っていった。
もくもくと細かい作業をするのは得意なのでそれに徹してテープを量産した。
しばらくして、手に一個ずつ張っていくのが面倒そうだと思い、定規の上に並べておいた。
とりに来た人が一瞬おっと驚いた顔をするのでちょっと面白かったが、定規ごと持っていってそれも順調に作業化された。
樹が丸めたテープを量産し始めてしばらくたった時、誰かが樹の手元に影を落とした。
「先輩、写真を撮ってもよろしいですか?」
樹が顔を上げると見覚えのある少女が大きなカメラを首に下げて樹の前に立っていた。
確かこの子は一つ下の学年にいた佐藤美沙という女子生徒だ。
「記録係として写真を集めていますっ!」
「あ、どうぞ。地味だけど……」
樹は記録係が文化祭の様子を毎年写真に収めていることを思い出して、自然を装って作業に戻った。
写真というものは緊張するもので早く終わらないかとシャッター音が聞こえるまでソワソワしていた。
カシャッ
カシャッ
カシャッ
「えっと……あの、ちょっと……」
戸惑う樹をよそに少女は樹の周りをゆっくりと回っている。
カシャッ
カシャッ
「素敵が止まりません!」
カシャッ
カシャッ
「写真撮ってる!アオも写りたい!」
葵が教室の出入口から飛んできて樹の机の上に着地した。
美沙のカメラには葵の足が映り込んだことだろう。
「記録係の人。腕章はどうしたの?」
永久が後からテクテクと歩いてきて美沙に詰め寄った。
「すいません教室に忘れてきてしまって。」
「フーン……」
永久は訝しげに美沙を睨んでいた。
「長居先輩、山下先輩も一緒にどうですか?」
美沙はカメラを構えた。
「なんで僕の名前も知ってるんだよ?」
「王野先輩のお友達ですからね。」
「それも、なんで知ってるんだよ?」
笑顔の美沙と顰め面の永久の対峙が続く。
「えっと……永久?どうしたの?」
「樹は黙って」
「……はい。」
「ねぇ、永久なんで怒ってるの?」
葵が樹をつつき、樹はさぁ?と笑って誤魔化した。
「みーちゃん!何してるの?!」
永久と葵がそうしたように背の高いメガネの少女が入口から入ってきた。
「し、失礼しました!みーちゃん行くよ!ホントにダメだからね?!」
一見おとなしそうなその少女は美沙をまくし立てて、強引に美沙を引きずっていった。
最後に樹達にぺこりとすると慌ただしく出ていった。
すると永久はふーと一息ついて樹を睨み付けた。
「ヒィっ……!どうしたの……?」
「『どうしたの?』じゃないよ全く。少しは警戒したらどうなの?」
「何を……?」
「あーこれだから……何か起きてからじゃ遅いんだから」
樹は訳が分からず首を傾げた。
次に教室に現れたのは美沙と同じく大きなカメラを首にぶら下げた和馬だった。
違う点は腕に深緑の腕章を付けていたことだ。
「ハイハイ皆!ピース!」
言われた通りにするとシャッターが切られた。
「記録係になれば写真撮り放題だからね!」
和馬は作業中の女子生徒の中に突入していった。
「ハーイ!笑って、笑って!」
最後かもしれない文化祭と言っていただけあって、和馬は出来ることすべてを満喫しているようだった。
「ところで記録係って何人いるの?」
写真を一通り撮り終えた和馬に永久が質問を投げかけた。
「僕と写真部の男の子が二人だけど。なんで?」
美沙は写真部の男子二人には該当しない。
ということは……?
永久が得意げに樹を見上げた。
「……えっ?怖い。なんだったの……?」
樹はぞわぞわと湧いて出てきた鳥肌を引っ込めるように肩を摩った。
「とられたのが写真だけで感謝するんだね。」
永久はこれ以上のことがのちに起こるかのような言い方をして鼻で笑った。
和馬は何事何事?と愉快そうに二人の少女が消えていった方向を見た。
「何?盗撮魔でも来たの?その選別のための腕章なのに意味ないじゃないか!」
「そうだよ。もっと言ってやってよ!」
樹はしょんぼりと肩を落とした。
「大丈夫だよ!アオが守ってあげるからね!」
「うん……ありがとう」
和馬はぐるりと教室を見回した。
「まだ井上さん来てないの?せっかく写真撮ろうと思ったのに」
「そいつなら朝からいないよ。そういえばあんたも朝いなかったね。監督なのに……」
永久が厭味ったらしく言うと和馬は意外そうに首を傾げた。
「僕は練習の時間まで必要ないはずだけど。何かあったのかい?」
「朝、真華がいないから皆怒っちゃったんだよ」
葵は包み隠さず見たままを伝えた。
「なるほどね。王野君のハの字眉はそのせいか!でも大丈夫。秘策があるから」
「秘策?」
樹が聞き返すといつものニヤケ顔で頷いた。
和馬は高級腕時計を眺めて時間を確認した。
「僕たちの前の学年、練習始まったみたい。もうしばらくしたら講堂に移ろうか!」
和馬がその秘策をあえて言わないということは聞いても言わないだろうし、見てのお楽しみということだ。
愛希は舞台袖で腕を組みながら『一応』と前置きした。
「セリフ言える人は?」
辺りがざわつく。
ついに真華は練習の集合時間になっても現れなかった。
「前橋さん、他のキャラも言えるって言ってなかった?」
「魔女と掛け持ちは無理!」
一人二役は勘弁と唯は手を振った。
「出来れば出てない人がいいんだけど。」
一瞬、葵に視線が集まったがホントに一瞬の事だった。
「この際、サイアク男子でもいいわ、今日の練習が出来ればいいんだから。」
「それじゃせっかく皆集まった意味って……」
「これは本当に最悪の場合。まだ開始まで五分ある」
まだ五分と愛希は言ったものの声の、ボリュームからも最悪の場合が決行されるのは明らかだった。
当然の如く誰も代役の名乗りを上げない。
「ねぇ、でも衣装どうするの?代役だと着替えがちゃんと時間通りにできるかとか分らないじゃない?」
「衣装はぶつけ本番になるかもしれないわね。」
また辺りから抗議の声が上がって、樹は肩をすくめた。
その時、樹の肩にグッと重量がかかった。
「諸君!お困りのようだね!」
和馬はチャオチャオと周りの人間に手を振った。
ヒーローは遅れて登場するといわんばかりのタイミングでの登場だ。
期待、呆れ、侮蔑と向けられる視線は様々だ。
「皆落ち着いて。一応策はあるんだ。……リン!ちょっと来て!」
和馬が呼ぶといつの間に舞台袖の入口に立っていた少女が中心部に来てペコリとお辞儀をした。
黒髪美少女の登場に周りはどよめいた。
真直ぐ伸びた黒い髪に、目尻に入った赤いラインのメイクが異国の雰囲気を漂わせている。
着ているワンピースは赤と黒が基調となっていて、和馬の関係者である事を主張していた。
「誰その子?!?!」
「リュウ・リンレイと言います。」
リン本人が澱みない口調で答えた。
「うちで働いてる子だよ。カッワイイでしょ!この子にセリフ全部覚えてもらってる。この子ならあの衣装も入るでしょ?」
たしかに身長や華奢な体型は真華とよく似ていて、衣装も問題なく入りそうだった。
「けどリンは最終兵器。なるだけ使っていただきたくないねぇ。今日、今だけはリンと練習して!」
茫然とする出演者達をもろともせずリンが口を開いた。
「王野様はどなたですか?」
リンは涼しげな目元に似合わず、キョロキョロと愛嬌のある動作で周りを見回した。
樹がおずおずと手を上げると、リンはそこにおりましたかとでも言うように小さく驚くと再びぺこりとお辞儀した。
「よろしくお願いします。王野様」
「さま?!いいよ様なんて!」
「では、来年度に新高校二年生に編入が決定しているので、『先輩』に代えさせて頂きます。」
「あ、はい……」
丁寧な口調の筈なのに樹の方がなぜかペコペコしてしまう。
「ちょっと待ってよ!いいの?!部外者のひとでも?!」
「どこにも禁止されてないからいいんじゃない?来年から禁止事項追加されちゃうだろうね!」
「だからって、今日初めてで大丈夫なの?」
和馬はそのセリフを待っていたと言わんばかりにフフンと鼻を鳴らした。
「リン!姫のセリフの8番目!」
リンは素早く樹の手を取った。
樹は当然の如く体をこわばらせた。
『約束ですよ!絶対にまた会いに来て!』
樹にはそれが姫の何番目のセリフか分らなかったが、たしかに真華が前半の方に言うセリフだった。
すかさず台本を手にもっていた者のチェックが入る。
「1、2、3……8。スゲェ、合ってる!」
歓声とともに周りから拍手が起きた。
「ね、問題ないでしょ?それともやりたかった?」
女子生徒は激しく首を振ると一歩引き下がり、リンも樹の手を離すと会釈し何事もなかったかのように和馬の横に立った。
「練習はこれで行くよ!君、キミ!登場は下手でしょ?スタンバイだよ、GO!」
和馬がまくし立てるとキャストたちは慌ただしく下手舞台袖に走った。
うんうんと和馬は満足そうに頷くと呆気にとられている樹に向き直った。
「どうどう王野君?うちの子、可愛いでしょ?」
可愛くはあったが口に出して言うのは憚られる。
しかし肯定しない方が失礼に当たると考え曖昧に頷く。
樹がどもっていると和馬はチッチッと舌打ちした。
「ダメだなぁ王野君は!女の子への褒め言葉は口に出して言ってあげないと!僕、毎日言ってるよ!」
「だって……」
「頼りないなぁ。まぁ、今日のリハーサル、期待してるよ!」
和馬は樹の返事は待たずリンの肩を抱いて控室に向かった。
数分後、リンは真華の衣装を着て樹の前に現れた。
「王野先輩。井上先輩だと思って動いてくださって結構ですから。」
「あ、はい……」
開始までには。
二人が出会うまでには。
手を握る前までには。
毒りんごを食べるまでには。
キスシーンの前までには。
何度も劇中に期限を更新したが結局彼女は現れなかった。
「最悪これでもいいんじゃない……?」
どこかから聞こえた声は同意の波となって広がる。
でもそれじゃあまりに寂しいじゃないか。
「仕方がないよ。」
永久が耳付カチューシャを気怠そうに外しながら呟いた。
「永久はそう思う?」
「樹はそう思ってないんだ。」
永久は呆れたように言った。
「だってこれじゃあまりにも……」
寂しすぎる。
口に出すとあまりにも情けなくて樹はごにょごにょと口ごもった。
「高三来るから移動して!」
愛希が叫ぶのが聞こえて慌てて撤収を始めたが、もうすぐそばまで人が押し寄せていた。
同級生と先輩が慌ただしく狭い廊下を交差した。
それに習って樹と永久も廊下に出た。
ところが行く手を阻むように大きな板が道を塞いだ。
「うわっ、ごめんね後輩くんたち!裏から出てもらえる?」
そちらは全く後ろに下がる気配はなく、言いながら押し寄せてきた。
「仕方がないわ。裏口に回りましょう」
愛希に先導される形で樹や永久は裏口から逃げるように退散した。
「もうちょっと待てばいいのに!これじゃ遠回りしなくちゃ。」
永久は苛立たしそうに手にしていたカチューシャをバイ~ンとはじいた。
「仕方がないよ……」
講堂の裏口から出ると閑散とした駐輪場に出る。
ここよりも校舎に近い駐輪場がいくつかあるので、錆びた自転車が数台とめてあるだけだった。
もしかしたら放置自転車置き場になっているのかもしれない。
樹が校舎まで戻るには左回り、右回りどっちが早いか考えていると、葵が樹のシャツの裾を掴んだ。
愛希と一緒に裏口から出てきたようだ。
「ずっとリンだったね。真華どうしたの?」
「俺も知りたい……」
「……教室戻ろ!」
「そうだね」
樹達が左回りを選択して歩き始めたとき、愛希の声が耳に入った。
「優太っ?!どうしたのっ?!」
声をした方を見ると、愛希がポニーテールを揺らしながら駐輪場の奥に飛び込むところだった。
ただ事ならぬ気配を感じて、初めは柱からのぞき込むようにしてみた。
「だ、大丈夫?!どうしたの?!」
そこにいるのはやはり優太だった。
「俺はいいんだって!」
優太は原付を乗り捨て、よろついて、愛希に腕を掴まれ支えられた。
「いいわけないでしょ?!傷だらけじゃない!」
「ホントにもう大丈夫!」
優太は愛希を手で制すると大きく息を吐き出して、愛希の肩を掴んだ。
「どうしよう愛希……!井上が連れてかれた!」
優太以外の全員が眉を顰めた。
愛希は優太を落ち着かせるように、肩を掴んだ優太の腕に自らの手を乗せた。
「落ち着きなさい。『連れていかれた』?」
優太は首がもげんばかりの勢いで頷いた。
「どこに行ったか分らないの?誘拐よ。警察に連絡したの?」
優太は首を振った。
「できねぇよ!違法だもん!アイツが壊される!」
「なんて……?」
「ロボットだもんアイツ!!!」
「……えっと……?」
愛希は何と返事したらいいかわからないようで優太を見つめ返している。
「俺がおかしいんじゃない!アイツらが……ちゃんと感情もあるのに、破棄するとかいうから!!!」
優太は愛希の肩を訴えるようにゆすった。
愛希はそれを振り払うと、優太の腕を押さえつけ『気を付け』の姿勢に正した。
「落ち着きなさい。」
「俺、間違ってないって……!」
愛希はバシンと音がする程強い力で優太の肩に手を置いた。
「優太は正しい。私は何をすればいいの?」
「何を……?」
優太は答えを探すように黒目を泳がせた。
「それをあなたに聞いてるの!どこかに行くとか、なんでもいい。誰がさらったとか。」
優太は仰天するように目を見開いた。
「信じるの?!俺のこと……?!」
愛希は片眉を吊り上げた。
「私が信じると思ったからここに来たんじゃないの?」
「愛希、マジで愛してる!!!」
優太は愛希を抱きしめて、怪我をしていたのを思い出したようで顔を歪めながら後退した。
「……どこでかって言われたら、無法地帯の倉庫街で!アイツら遺跡みたいな……三内と丸山だ!」
「三内丸山!!!」
葵が叫ぶと優太も驚いたように顔を上げた。
優太は今更愛希の他に人がいることに気が付いたようだ。
「葵、知ってるの?」
樹の問いに葵は大きく頷いた。
「知り合い?」
愛希の問いに葵は頷く。
「仁科の子分だもん。」
「今どこにいるかはわかる?」
「わかんない。色々行ってるもん……」
「そうなのね。ありがとう。その倉庫街で他に見てた人はいなかった?」
優太に問いかけるとそういえばと優太は呟いた。
「見た人はいるかも!大きい麻袋担いでたし!」
「倉庫街に行く価値はありそうかしら?」
愛希は既に歩きはじめて優太の乗り捨てた原付をたて直した。
「あ、ありそうです!」
優太は慌ててその後に続いた。
「俺も行く!」
愛希と優太は驚いて樹の方を振り返った。
「行くったってどうやって?」
樹は言葉を詰まらせた。
「……葵、助けてくれる?」
「当たり前だよ!走るよ!」
それを見た永久は大きくため息をついた。
「人頼みか……」
「永久も行く?!」
葵の呼びかけに永久は手を振って拒否した。
「僕は留守番。」
原付のエンジンが付いた。
前に優太、後ろに愛希が乗っている。
愛希を後ろに乗せてドライブするという優太の夢は思わぬ形で叶うことになった。
そのために積んでおいたヘルメットを愛希に手渡した。
「私は優太に付いてもといた場所にいくわ。二人は?」
愛希は体をひねって樹と葵に問いかけた。
「葵が心当たりあるみたいだから、手当たり次第に行ってみる。」
「わかったわ。何か分かったら連絡頂戴。」
会話が終わると優太はエンジンをかけて発進した。
優太ははミラー越しに葵が樹を抱えたのを見た。
樹が慌ててバタついて、葵が高く飛んだと同時に、後ろから樹の悲鳴が聞こえた。
樹が司令塔になり、葵は脚になることでなかなかいいコンビになるかもしれない。
「優太、その時の状況は?」
愛希はエンジン音のせいでいつもより大きな声で話した。
「自暴自棄というかさ。アイツ抵抗しないでついてった。まぁ最後の方微妙だったけど……」
優太も少し大きめの声で返した。
三内が首根っこを掴むと、真華は操り人形の糸がプツンと切れたように動かなくなってしまった。
「自暴自棄?やっぱ王野君の怪我、気にしてたのかしら」
「それもあると思うけど一番は……」
優太は自分の一言がとどめをさしてしまったので言いよどんだ。
真華に真実を告げていなければという後悔があるが今更どうしようもない。
「樹が、安藤姫乃のこと好きだったから」
「それと井上さんどんな関係が?」
背中で愛希が眉を顰めたのが分かった。
長年優太の思いに気づいていない愛希の事だ。
そういう話には疎いのだろうと思い、優太は簡単に説明した。
「井上、ラブズ、樹!」
愛希は今頃目を丸くしていることだろう。
実際に丸くしていた。
「井上さんと優太はなんだったの?」
そんなこと聞かれるとは思っていなかった。
優太は焦った末に冗談交じりに言い返した。
「……心の友的な?」
「そう……」
妙な間が空いてしまったが、愛希は追求する事はなかった。
優太も愛希に疑いをもたれた事は気が付いたが弁解しようとはしなかった。
「とにかく!樹が安藤姫乃のこと好きだって知っちゃって。色々諦めちゃったんだよ!」
「王野君と安藤姫乃はキョウダイよ。」
「へ?」
愛希は優太の耳元でしっかりとした口調で告げた。
「王野から口止めされてたけど。この際いい。安藤姫乃の本名は王野桜。王野君とはキョウダイなの。」
しばらく間が合った。
「ぐわぁっ?!え?!待てよ!いったん落ち着こう!」
「そうよ。事故らないでちょうだい!」
ぐらりと原付が揺れたので、愛希はシッカリと優太に捕まった。
そのことで余計に心拍数が増したが優太は落ち着け俺!と自分を制した。
「待てよ!だから樹はっ!……姉ちゃんが好きなの?」
「かなりシスコンなのは否定できないけど、王野が好きなのは井上さん。」
「はいぃっ?!」
背中に愛希の溜息を感じた。
「なんだと思ってたの?まあ、知ってたら付き合わないか……」
「だから付き合ってないって!心の友だってっ!!!」
優太の必死の抗議を愛希ははいはいと受け流した。
「王野君も探しに行ってるじゃない。その事はどう思ってたの?」
「樹、すっげぇいいヤツみたいな……?ってことはナニ?!俺の勘違いのせいじゃん!!!」
「あなたのせいじゃないわ。とりあえず今は井上さんの奪還に集中しましょう。」
「そうだなそうしよう!」
絶対に真華に知らせたい事ができた。
それが優太の大きなモチベーションとなった。




