第53話:本日の業務は終了しましたが
帰還の窓口には、来たときより人がいた。
荷物を二つ持った男が、順番を待っている。
小さな子供を連れた女性が、椅子の下へ落ちた布を拾った。
誰かが戻り、誰かがこれから行く。
俺だけが、どちらへ動けばいいのか分からずにいた。
神代さんが、受付の人と話を終えて戻ってきた。
さっき書いた三つの名前を持っている。
「ヴェルネへ寄る追加の許可は、今日のこの場では出せないそうだ。被災した区画へ入るには、受け入れる側の確認も必要になる」
「どれぐらい、かかりますか」
「まだ分からない。道を使えるか、誰が案内するかも含めて、向こうへ確認する」
俺は、窓口の奥にある地図を見た。
知らない町の名前が、幾つも並んでいる。
線を指でたどれば、つながっているように見えた。
足で進むときにも、同じとは限らない。
「行けば、誰かには会えるんじゃないですか」
桐生さんが、俺の横へ立った。
「その誰かを今、探してんだろ」
「でも、ここにいても」
「あっち行けば分かるって、今は決まってねえ。治療してる奴が、崩れた町にいるとは限らねえだろ」
言い返せなかった。
行きたい。
その気持ちに、行けば確かめられるという理由を付けていた。
神代さんが時計を見た。
「今から向かうなら、今日の帰宅には間に合わない。君だけでなく、現地側にも予定のない受け入れを頼むことになる」
「俺が、未成年だからですか」
「それは条件の一つだよ。ただ、大人なら今ここで勝手に行っていい、という話でもない」
声は、いつもと同じだった。
怒ってもいない。
それが、俺の焦りをどこへ置けばいいのか、余計に分からなくさせた。
「神代さんたちは、残れますよね」
言うと、彼はうなずいた。
「残る必要があるか、現地へ確認している。必要なら、誰を送るかも班長へ相談する。でも、君を帰すだけで、その話を終わりにはしない」
桐生さんが、小部屋の入口にいた担当の人へ、道を尋ねた。
今から先へ行くには、どの道を使うのか。
渡れるところは残っているのか。
俺に説明するためだけの、形だけの質問には聞こえなかった。
返事を聞き、桐生さんは地図の端を押さえた。
担当の人が示したのは、町の中ではなく、手前の連絡所だった。
そこから先へ入るには、別に案内と受け入れの確認が要るという。
「ここまで行っても、名前の三人がいるとは分かんねえんだな」
「はい。移送された方は、別の場所にいます」
桐生さんが、手を離した。
机の端へ置いた拳が、ゆっくり開く。
「俺も、あっちで話聞けるなら行きてえよ」
言われて、俺は顔を向けた。
「でも、行きてえのと、行けばできるのは違う。俺が一人で走って、誰かに迎え来させたら、その分、手が減る」
声は、いつもより低かった。
止める側にいるから、行きたくないのだと思っていた。
その違いが、俺にはまだ見えていなかった。
俺は、神代さんの手を見た。
さっきから、連絡する先と、返事を待つ名前が書かれた紙を持っている。
何もしてくれていないわけではない。
それでも、歩いていく人の方が、何かをしているように感じてしまう。
「……分かりました」
納得したとは、言えなかった。
神代さんも、そうは受け取らなかった。
***
窓口の横の小部屋で、最初の返事を聞いた。
扉を閉めると、待合の声が少し遠くなる。
壁に掛かった布の端が、空気の流れで揺れていた。
照会を受けた担当の人は、言える範囲を先に説明した。
現地の機関から返された記録に基づくこと。
まだ、全員の名簿がそろっているわけではないこと。
誰がどこへ移ったかも、確認を続けていること。
俺はうなずいた。
話を短くしてほしいと思った。
でも、違っていたら困るのだから、聞かなければならない。
被害の発生日が、紙へ書かれた。
神代さんが、以前の訪問の控えを開く。
並んだ二つの日付を見て、俺は指で数えた。
一週間ほど。
俺たちが町を出てから、それだけしか、経っていなかった。
その間、俺は現世で何をしていたのだろう。
学校へ行って、買い物をして。
ある日、莉緒さんと会った。
第五班へ呼ばれ、眼鏡の使い方を考えた。
そのどこか、あるいはその前に、あの灯りの下で別のことが起きていた。
「半分以上、亡くなったという記録ですか」
神代さんが聞いた。
俺は顔を上げた。
担当の人が、小さくうなずいた。
建物の被害は町の広い範囲に及び、住人の半数以上が死亡。
生き残った人にも、重い怪我をした人が多い。
その数字に、机の前に座っていた顔が入るのかどうか、分からなかった。
「エイリクさんは」
俺の口から、先に名前が出た。
担当の人が、別の紙を見た。
「技師の、エイリクさんですね。重傷を負って、治療を受けた記録があります。現在の容体は、治療先へ改めて確認が必要です」
俺は、息を吐いた。
生きていた。
そう思ってから、いま無事なのかはまだ聞けていないと気づく。
「リーネさんは」
紙をめくる音がした。
すぐには返事がなかった。
「行方不明として、照会が出ています。今のところ、所在の確認は取れていません」
俺は、口を閉じた。
同じ言葉をもう一度聞けば、何かが変わる気がした。
でも、口にできなかった。
桐生さんが聞いた。
「ヴェーガンって男は」
「その名前で、現地の確認に協力した者の記録があります。事件後に到着したと。本人が負傷したという記載はありません」
無傷。
それは、そこで戦っていたという意味ではない。
あの人が来たときにも、もう遅かった。
俺は椅子の縁を握った。
床へ落ちた自分の影を見た。
眼鏡を通す伝力を、増やしていないのに、頭が重かった。
***
何が町を襲ったのか。
それを聞いたのは、桐生さんだった。
担当の人は、紙をいったん伏せた。
「人による加害として調べられています。ですが、こちらの窓口から犯人の名を確定して伝えられる段階ではありません」
「干衝体じゃなくて?」
俺が聞いた。
「そのように受け取っています。ただ、経緯と証言の詳細は、調査を担当したところへ」
神代さんが、相手の部署と、次に照会できる先を確かめた。
犯人が残っているのかという問いには、公的機関の到着前に現場から去っていたとの説明があった。
いま進行している交戦へ、俺たちが遅れて加わろうとしているのではない。
救えたかもしれないその時間は、とっくに過ぎていた。
「どうして、知らされなかったんですか」
言ってから、自分が誰を責めているのか分からなかった。
目の前の担当の人は、連絡を取ってくれた人だった。
神代さんが、紙を見た。
「概要は、私たちにも届いていた。君たちには、まだ伝えていなかった。その説明は、帰って班長とする」
担当の人が、現世向けの連絡を調べ直した。
少し時間を置いて戻り、陰陽寮の窓口へ概要が送られていると告げた。
神代さんは送信先を確かめ、手帳に控えた日付と照らし合わせた。
第二班。
俺は、神代さんを見た。
「陰陽寮には、来てたんですか」
「概要は来ていた。ただ、今の三人の安否まで確認できていたわけじゃない。何がどこまで分かったのか、改めて照合する」
神代さんは、そう答えた。
神代さんたちは、知っていた。
その言葉をどう受け取ればいいのか、俺にはまだ分からなかった。
さっきまで一緒に探してくれていた手が、急に、別のところにも置かれていたように思えた。
分からないことが増えていく。
今日は、分かることが増える日だったはずなのに。
***
返事を待ち続けても、すぐには増えない情報があった。
神代さんは、俺の書いた名前と連絡先を窓口へ残した。
エイリクさんの容体、リーネさんの所在、ヴェーガンさんへ伝言を届けられるか。
確認が取れたら、まず第十一班へ。
どこへ返事をするかも、相手と読み合わせた。
「ここへいる間に分かったことは、これです」
神代さんが、俺に紙を見せた。
三つの名前の横へ、短い文字が入っている。
重傷。現状照会中。
行方不明。所在未確認。
事件後到着。連絡を依頼。
どれも、俺が聞きたかった答えそのものではない。
それでも、さっきの空白とは違った。
「帰ろう」
俺はすぐにはうなずけなかった。
窓口の向こうにある通路を見た。
外へ出る人が、一人歩いている。
あちらへ行けば、まだ何かが変わる気がした。
桐生さんが、俺の鞄を持ち上げた。
渡され、受け取る。
「逃げるために帰るんじゃねえよ」
言われて、顔を上げた。
「戻ったら、聞くんだろ。第二班に」
俺は、ようやくうなずいた。
窓口を出る前に、ローヴァさんへ礼を伝えた。
彼女は、見つかった道具の確認へ戻るところだった。
俺の鞄へ目を向け、袋をつぶさないようにと言いかけて、口を閉じる。
「今日のことは、こちらからも報告しておきます。ヴェルネの方で追加の話が聞けたら、それも」
「ありがとうございます」
「それから、あの運搬具の持ち主が、使えるところまで戻るなら直すって。捨てなくて済むかもしれない」
俺は、乾燥室の床にあった車輪を思い出した。
白い膜が絡んでいた握り。
全部壊れていたわけではない。
「よかったです」
言ってから、その言葉が本当に口から出たことに気づいた。
別の町のことを考えている間にも、ここの道具を使う人は、続きを生きている。
ローヴァさんはうなずいた。
「ええ。あなたたちが戻ってからのことは、こちらで。結果は、窓口へ送ります」
神代さんが、連絡先をもう一度確かめた。
帰ったあとに届く話が、今度は誰へ伝わるのか。
俺も横から聞き、十一班と書かれた箇所を見た。
知らないままでいい話ばかりではなかった。
***
認証具を返すと、受付の人が帰還の確認をした。
指先から離れた小さな物を、目で追った。
ここから先へは、今日は行けない。
受け取ったときには何でもなかった手続きが、ひどく重かった。
現世の空気は、冷たかった。
上着の前を閉じる。
駅へ向かう人の足元で、乾いた落ち葉が動いた。
自分たちだけが元の場所へ戻ってきたようで、歩く速さが定まらない。
電車の窓に、眼鏡をかけた顔が映った。
細い光の帯は出ていない。
窓へ映った顔の向こうを、明かりのついた家が流れていく。
知らない誰かが、その中で夕飯の支度をしている。
俺はスマホを開いた。
母から、何時頃になるかと届いている。
予定より遅くなるわけではない。
いつも通り、と返しそうになり、指を止めた。
『七時半ぐらい。帰ってから少し話してもいい?』
送ってから、鞄へしまった。
***
第十一班の事務所では、黒江班長が待っていた。
神代さんから、途中で連絡が入っていたらしい。
ひかりさんもいて、俺の顔を見てから、何も言わず椅子を引いた。
神代さんが、今日の依頼の完了と、ヴェルネで起きたことを別々に報告した。
俺は、途中で何度か自分の名前が出るのを聞いた。
どこを見て、何を伝えたか。
今日の仕事の話が、まだある。
黒江班長は最後まで聞き、照会先を確かめた。
「第二班には、私から確認する。今回分かったことと、前に受け取った報告を突き合わせる。君たちへ伝えていなかったことも、改めて説明する」
俺は顔を上げた。
「俺も、聞いていいですか」
「君が確かめたいことは、今、出しておけ。返答が来ていない段階で答えは作れない」
俺はノートを開いた。
エイリクさんへ会えるのか。
リーネさんの消息を、誰が調べているのか。
町へ行く手続きをするには、何が要るのか。
一つずつ、書いた。
黒江班長は、その紙を見た。
「分かった。今日は家へ帰れ。返事が来たら連絡する。明日も、こちらから進み具合を伝える」
何も分からなかった、と言われたら、またここへ来てしまうかもしれない。
その前に、次にいつ聞けるかを決めてくれた。
ひかりさんが、俺のノートを横から見た。
「今日は、こっちも書いときなよ」
指したのは、乾燥室の図だった。
「何もできなかった、って顔してるけど。そこでは、できたんでしょ」
「でも、ヴェルネは」
「うん。それと、今日助かった人のこと、両方あるじゃん」
簡単に言われて、少し腹が立った。
でも、ひかりさんは笑っていなかった。
「どっちか消さなくていいから。今、喜べなくても」
俺は、ペンを持った。
今日、見えた流れ。
桐生さんが、届く場所を作ったこと。
三つの名前の安否。
同じ頁には入らず、隣の頁へ分けて書いた。
***
家へ着くと、台所から、汁物の匂いがした。
靴を脱いでいる間に、母が廊下へ出てきた。
「おかえり。寒かった?」
「うん」
「ご飯、先に食べられる?」
返事をする前に、鞄の中の袋を思い出した。
ローヴァさんが持たせてくれた生地が、少し割れていた。
俺は取り出し、母へ渡した。
「今日、行ったところで、もらった」
「そう。あとで、いただこうか」
母は、どこで何をしたかを玄関で全部聞かなかった。
手を洗っておいで、と言った。
洗面台の前で眼鏡を外す。
細かな線も、見つけた起点も、いまは要らない。
蛇口から流れる水を見ていると、あの町で、灯りを寄せてくれた手を思い出した。
次に来たら。
俺は、置いた眼鏡を持ち直した。
帰ってから話したいことは、まだ言葉になっていなかった。
でも、今日は何もなかったとは言いたくなかった。
手を拭き、台所へ向かった。
温かいものを食べられる場所へ戻ってきたことが、安心で、少し苦しかった。




