2、誓約書
結月は深い眠りの底からゆっくりと意識を浮上させた。
重い瞼を開くと見知らぬ白い天井が視界に入った。
ゆっくりと思考が戻り、祖母の死や駅のホームで出会った男のことを思い出した。
結月はあの男が自分を薬で眠らせ、ここに連れて来たことは間違いないと確信し、逃げ出す方法を考えることにした。
結月が眠らされていたのは病室のような場所で、窓一つなく、周りに誰もいない様子で物音もしなかった。
右手にはめられた手錠がベットの柵に繋がれていた。
手錠を外すため、力一杯手を引っ張ってみたが、右手に痛みが走っただけだった。
ここから逃げるのはかなり難しいな、と結月が考えていると、部屋の鍵を開ける金属音が聞こえ、扉が開いた。
そこに現れたのはホームにいた男だった。
男はかなり長身で、その上ホームで会った時と同じ圧倒的な存在感を感じ、結月は部屋が狭くなったように感じた。
「よく眠れたか。」と低く気だるげそうな声が聞こえてきた。
「眠らせたんでしょ。私をどうする気なの。」
「何もしねえよ。お前は俺に命をあげると言ったんだ。もう戻れねえぞ。」
この男の声は、気だるげなのにも関わらず、有無を言わせない圧力があった。
「これは誓約書だ。この世界に入るための。」
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誓約書
私は、自らの意思により本契約を締結する。
本誓約を持って、契約者の氏名、戸籍および社会的身分は消滅する。
契約者は新たな身分を与えられ、以後は一般法の適用対象ではなく、特別法「秘匿活動従事者管理法」の管轄下に置かれる。
契約者は、同法及び組織規律に従わなければならない。
また、本契約は撤回できない。
氏名____________
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結月が誓約書を血眼になって読んでいると
「そんな穴が開くほど見ても変わらねえぞ。お前はもう、この組織に入るんだから。」
と馬鹿にしたような声が聞こえた。
結月はムッとして言った。
「入らないっていう選択肢はないの?私こんなところに連れて来られるなんて聞いてない!」
「死ぬか、入るかだ。ここに来た時点で選択肢はねえよ。」
そう言いながら男は結月にボールペンを渡した。
結月はいまだに逃げることを諦めていなかった。
この誓約書を見てさらに不信感が高まっていたのだ。
こんなに怪しく、危険そうな誓約書など、聞いたことがなかった。
「この手錠があると、書きづらくて。」
手錠さえ外れれば、なんとか逃げられるかもしれないと考え、頼んでみた。
結月は昔からすばしっこさには自信があった。
小学生の時、学校で鬼ごっこをした時も、中学生の時に変な男に追いかけられた時も、そういう場面では必ず逃げ切り、一度も誰かに捕まったことはなかった。
この男がどんな男なのか結月にはわからなかったが、女と油断しているなら可能性はあるに違いない。
「はいはい。」
そう言いながら男はポケットから鍵のようなものを取り出し、手錠を外した。
そしての扉とは反対側の壁際にあった椅子に腰掛けたのだった。
結月は男の舐め切った態度を見て、この病室から逃げることができると考えた。
扉まで走ればなんとか逃げられる。
外に人の気配もない。
扉の外に出た後のことは後で考えるとして、一旦走ってここを出ることにした。
男が気だるげな表情でスマートフォンを取り出し、今しかチャンスはないと踏んだ結月は3度深呼吸をしてから勢いよくベットから飛び出した。
病室は5畳ほどの小さい空間だったため、扉には一瞬で辿り着き、ドアノブを掴み勢いよく扉を開けようとした瞬間、耳元で声がした。
「どこに行く気だ。」
背中に男の熱を感じ、結月は男の右腕が自分の首元に回されていることに気づいた。
左腕も掴まれ、反抗しようとしても結月の体は全くビクともしなかった。
「俺から逃げられるわけねえだろ。ばか。」
男の心底呆れたような声が聞こえた。
「ちょっとトイレに行きたくて。」
結月は、はははと笑いながら確実にバレるであろう嘘をつき、なんとか誤魔化すことにした。
「誓約書に名前を書いてから行け。」
ため息をつきながら男は結月から離れ、ボールペンを手に持たせた。
結月はいったん逃げることは諦めることにして、自分の名前【御影 結月】を誓約書に書いた。




