1、静かな邂逅
桜の木の下を結月はひたすら歩いた。
坂道を抜けて走るように最寄りの駅に向かった。
財布に入っているお金は小銭のみだったため、その中で一番遠くに行ける切符を購入し改札を抜けた。
終電間際なこともあり、大阪の中でも南に位置する静かな駅には、駅員も乗客もいなかった。
結月は3日前、最愛の祖母を失った。
7歳で両親が死んでから、貧乏暮らしながらも祖母と暮らすのは居心地が良かった。
病気に苦しんでいるのは理解していたが、急逝するとは思いもよらず、ただ驚くばかりだった。
祖母は口癖のように言っていた。
「笑うかどには福来たる。憂鬱な顔するんじゃないよ。」と。
そう言って笑う祖母は病気であることを感じさせず、いつも結月の頭を撫でてくれた。
祖母は自分が死ぬことを予感していたかのごとく、葬式や墓の準備は抜かりなかった。
私は遺言に書かれたとおり親戚に連絡し、お通夜とお葬式は早々に執り行われた。
葬式の間、結月は泣くこともなく、ただ手伝いをし続けた。
灰になった祖母を見ても現実味がわかず、二人で暮らしていた家に帰ってやっと、一人であるという現実が押し寄せてきた。
結月は泣くこともせず、自分の貯金箱からなけなしのお金を取り出し、逃げるように駅に向かったのだった。
守ってくれるものも、愛してくれるものも全てを失ったという現実から逃れるために、結月は必死で歩いたのだった。
千早口駅のホームは夜になると異様なほど静かだった。
「まもなく2番線を列車が通過いたします。危険ですので黄色い線の内側までお下がりください。」
機械的な声が、結月を現実に引き戻した。
結月は黄色い線より外側にいることに気づき、後ろに下がらなければと頭の中で思考を巡らせた。
しかし、体は意思に反して鉛のように動かず、電車が来る方向を見つめるしかなかった。
「何してんの、お嬢さん。」
突然背後から声が聞こえて、結月は驚いて体を震わせ、声の主を探した。
声は、駅のベンチに座っている足を組んだ男から聞こえたようだった。
「そこで飛び込んだら監視カメラに映るんだよな。他人が電車に轢かれたところを、後で見なきゃならねえやつが可哀想だろ」
「何の話?」
結月は驚き震えながら必死に声を振り絞った。
なぜかその男の圧倒的な存在感に恐怖を覚えた。
「どうせ死ぬんなら、その命俺にくれよ」
結月は、なぜか“死のうとなんてしてない“と言葉を発することもできず、ただ茫然としていた。
「給料は高校生のバイトよりずっといいぞ。」
「どれくらい?」
「そこは気になんのか。」
暗くてシルエットは見えないが、男の声は少し優しくなったようだった。
結月は高校生になり、アルバイトを始めたが、欲しい服を買うことができないほど貧乏暮らしだった。
何もかも無くなった今、お金が欲しいという気持ちが強くあったわけではない。
だが、今はそれ以外結月を動かす動機などなかった。
「いいよ。あげるよ、私の命。」
結月は自分の大切なものを奪われ、神様をも恨み、投げやりになっていた。
「そうか、もうこの町には戻れねえし、友達にも会えねえぞ。」
「友達はあんまりいないの。」
結月は、同級生の恋愛や陰口などについていけず、孤立しがちだった。
それを不満に思ったこともなく、大概本を読んでいた。
「それなら文句はねえな。」
そう言って男は結月に近づいてきた。
ぼさっとした髪と気だるそうな目が視界に入った。
結月は恐怖で震えていたが、なぜか少し高揚していた。
男は結月の腕を掴み、にやっと笑った。
「お前騙されやすいってよく言われんだろ。」
ひどく人を馬鹿にしたような顔で男は結月に注射針のようなものを打ち込んだ。
「何してるのっ」
結月は必死に男から離れようとしたが振り解くことはできず、急に体の力が入らなくなり、視界が真っ暗になった。
読んでいただきありがとうございます。




