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【日本昔ばなしクロスオーバー】昔話が語らなかった「なぜ」の終着点

騙すなら、傷つく覚悟を持て〜カチカチ山のうさぎが、母から学んだこと〜

作者: 本咲 サクラ
掲載日:2026/05/06

おばあさんの仇を討った夜は、不思議なほど静かだった。


おじいさんは焚き火の前に座って、炎をただ見ていた。

目が赤かった。泣いていたのか、それとも疲れていたのか、私には分からなかった。


「終わりましたよ」と私は告げた。


おじいさんはしばらく黙っていた。それからゆっくりと頷いた。


「ありがとう」と、焚き火が弾ける音に掻き消されそうな声で言った。


私は隣に腰を下ろした。

炎が揺れた。遠くで川の音がした。


おばあさんには、世話になっていた。

怪我をした私を拾って、手当てをしてくれた。心配してくれた。

あの温かさは本物だったから、手を貸すと決めた。

でも、それだけではなかった。


「なぜ引き受けてくれたんだ」とおじいさんが聞いた。炎を見たまま、静かに。


「おばあさんへの恩返しです」と私は答えた。

「それと、もう一つ」


「もう一つ?」


「自分のためでもありました」


おじいさんは少し顔を上げた。


「おじいさん、少し話を聞いてもらえますか」


薪が爆ぜる音がした。

おじいさんはただ静かに、その火を見ていた。私はそれを、続けてもいいという合図だと思った。


「これは私の母の話です。」


私は母のことを話した。

因幡(いなば)の白兎である母のことを。


海を渡りたくて、(わに)を騙して背中を踏み台にした。上手くやったと思っていた。

けれど最後の一匹に気づかれて、皮を剥がされた。

自分から仕掛けておいて、最後の最後で気を抜いた。それが母の失敗だった。


私はその話を聞くたびに、腹が立った。

騙すなら最後まで気を抜くな。それだけのことだ。

なのに母は詰めが甘かった。だから痛い目を見た。

自業自得だと、子どもながらに思った。

けれど話はそこで終わらなかった。


皮を剥がれて泣いていた母に、通りかかった旅人たちが声をかけた。

海水を浴びて風に当たれば治ると言った。

母は信じて、言われた通りにした。

もちろん、嘘だった。傷はさらにひどくなった。


私はその話を聞いた時、初めて本当に怒った。

皮を剥がれたのは母が先に騙したからだ。それは分かる。

けれど旅人たちは、傷ついて泣いている者にわざわざ嘘の治療法を教えた。それは別の話だ。ただの意地悪だ。そういう人間が、世の中にはいる。


「お母さんは、その旅人たちに何もしなかったの」と私は幼い頃に聞いた。


「しなかったわ」と母は答えた。

「その後、大国主命(おおくにぬしのみこと)に助けていただいたから」


「でも、騙されたんでしょう。腹が立たなかったの」


母は少し考えてから、言った。

「立ったわよ。でも、助けてもらったことの方が大きかった。それに、私も最初に騙したから」


私には、その答えが理解できなかった。

自分が先に騙したことと、傷ついているところに嘘をつかれたことは、別の話だ。なぜ一緒にするのか。

なぜ助けてもらったことで、騙した相手を許せるのか。

母は騙し、騙され、傷ついた。

騙すということは、自分も傷つく覚悟がいる。

母はその覚悟が足りなかったのか、優しすぎたのか、あるいは、諦めるのが上手すぎた。

私は、どちらもできない。したくないと思った。


「おじいさん」と私はそう切り出した。

「私がこうして騙す側にいるのは、母のせいかもしれません」


おじいさんは静かに聞いていた。


「母を見て育って、二つのことを学びました。一つは、騙すなら自分も傷つく覚悟を持って、最後まで気を抜いてはいけないということ。もう一つは、騙されたなら仕返しする権利があるということ。母はどちらもしなかった。だから私がすることにした」


焚き火の奥で、何かがじわりと燃え落ちた。


おじいさんの奥さんを殺した狸も、母を傷つけた旅人たちと同じだと思った。

傷ついている者に追い打ちをかける。そういう存在だ。そして、しっぺ返しを受けても自業自得の存在。

だから手を貸すことにした。

今度は最後まで気を抜かなかった。詰めが甘かった母の失敗を、繰り返さなかった。


「私は母と違って、覚悟した上でやりました。それでも怖かった。けれど、怖くてもやり遂げるのが覚悟というものだと思っています」


火の粉が舞い上がり、すぐに消えた。


「母は今も、助けてもらったことを話します」と私は続けた。

「私には、その感覚が分からない。助けてもらえるかどうかは、分からない。でも、自分が動くかどうかは、自分で決められる。だから、助けてもらう前に、まず自分で何とかしなければと思ってしまう」


「それは、お前が強いからだ」とおじいさんは火から目を離さないまま、言った。


私は少し黙った。

強いのかどうかは分からなかった。

ただ、母のように傷ついて泣いている自分を想像すると、どうしても耐えられなかった。

だから先に動くことにした。

騙すなら最後まで気を抜かない。騙されたなら騙し返す。

それが私の選んだ生き方だった。


「母を否定しているわけではありません」と言葉を選びながら、私は続けた。

「母の生き方は、母の答えです。助けてもらって、感謝して、それで生きていける母は、ある意味で私より強いのかもしれない」


「でも、お前にはできないのだろう」

「できません」


「狸はおばあさんを騙して、殺した」と私は続けた。

「あの旅人たちと同じだと思った。傷ついている者に追い打ちをかける存在。母はそういう相手にも何もしなかった。でも私は違う」


おじいさんの目が、少し揺れた。

「おばあさんは」とおじいさんはゆっくり言った。

「本当に優しい人だった。誰にでも笑いかけて、誰のことも悪く言わなかった」


「知っています」と私は答えた。

「だから余計に、許せなかった」


おじいさんはしばらく黙った。炎を見ながら、目の端に光るものがあった。

復讐が終わっても、悲しみは終わらない。当然だ。

狸がいなくなっても、おばあさんは戻らない。


「お前の母親は」とおじいさんがやがて言った。

「騙されても、恨まなかったんだな」


「恨まなかった。助けてもらったことの方が大きかったと言って、笑っていました」


「それも、またひとつの強さなんだろうな」


私は少し黙った。

「でも、私は同じ道は歩けなかった。その強さは私にはありませんでした。」


おじいさんは静かに頷いた。

「お前は、よくやってくれた」


その言葉が、思ったより胸に刺さった。

褒められたかったわけではなかった。ただ、おばあさんへの恩が少し返せた気がして、それだけで十分だった。


焚き火が、少しずつ小さくなっていった。


「母は今夜も、大国主命(おおくにぬしのみこと)に助けてもらった話をしているでしょう」と私は呟いた。

「私は今夜、狸を騙した話をしています。同じ血を持って、全然違う場所に辿り着いた」


おじいさんは、小さくなっていく炎を見たまま、静かに言った。

「どちらも、間違っていないと思うよ」


私は答えなかった。答える必要がなかった。


焚き火の炎が消えかけていた。

おじいさんはまだそこに座っていた。悲しみと安堵が混ざり合ったような顔で、ただ炎を見ていた。


私はその横顔を少しだけ見てから、立ち上がった。


母の傷跡を思い出した。

皮を剥がれて、さらに嘘をつかれて、それでも助けてもらったことだけを抱えて生きている母を。


理解はできない。けれど、嫌いではなかった。


夜が、静かに更けていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


騙すことも、恨まないことも、どちらも一つの答えです。皆さんはどちらの生き方を選びますか。


明日5/7(木) 20:00からは、「月から落ち、海の底に沈んだ女」の物語を投稿します。

本作は5/9(土)まで、毎日20:00に2話ずつ投稿し、全6話で完結いたします。


明日からの物語を読み逃さないよう、ぜひ今のうちにブックマーク登録をしてお待ちいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
騙されたらし返しする権利がある?……あるんでしょうかね。しないと自分が生きていけない、とかは理由になるのかなあと思いました。
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