【日本昔ばなしクロスオーバー】昔話が語らなかった「なぜ」の終着点
騙すなら、傷つく覚悟を持て〜カチカチ山のうさぎが、母から学んだこと〜
おばあさんの仇を討った夜は、不思議なほど静かだった。
おじいさんは焚き火の前に座って、炎をただ見ていた。
目が赤かった。泣いていたのか、それとも疲れていたのか、私には分からなかった。
「終わりましたよ」と私は告げた。
おじいさんはしばらく黙っていた。それからゆっくりと頷いた。
「ありがとう」と、焚き火が弾ける音に掻き消されそうな声で言った。
私は隣に腰を下ろした。
炎が揺れた。遠くで川の音がした。
おばあさんには、世話になっていた。
怪我をした私を拾って、手当てをしてくれた。心配してくれた。
あの温かさは本物だったから、手を貸すと決めた。
でも、それだけではなかった。
「なぜ引き受けてくれたんだ」とおじいさんが聞いた。炎を見たまま、静かに。
「おばあさんへの恩返しです」と私は答えた。
「それと、もう一つ」
「もう一つ?」
「自分のためでもありました」
おじいさんは少し顔を上げた。
「おじいさん、少し話を聞いてもらえますか」
薪が爆ぜる音がした。
おじいさんはただ静かに、その火を見ていた。私はそれを、続けてもいいという合図だと思った。
「これは私の母の話です。」
私は母のことを話した。
因幡の白兎である母のことを。
海を渡りたくて、鰐を騙して背中を踏み台にした。上手くやったと思っていた。
けれど最後の一匹に気づかれて、皮を剥がされた。
自分から仕掛けておいて、最後の最後で気を抜いた。それが母の失敗だった。
私はその話を聞くたびに、腹が立った。
騙すなら最後まで気を抜くな。それだけのことだ。
なのに母は詰めが甘かった。だから痛い目を見た。
自業自得だと、子どもながらに思った。
けれど話はそこで終わらなかった。
皮を剥がれて泣いていた母に、通りかかった旅人たちが声をかけた。
海水を浴びて風に当たれば治ると言った。
母は信じて、言われた通りにした。
もちろん、嘘だった。傷はさらにひどくなった。
私はその話を聞いた時、初めて本当に怒った。
皮を剥がれたのは母が先に騙したからだ。それは分かる。
けれど旅人たちは、傷ついて泣いている者にわざわざ嘘の治療法を教えた。それは別の話だ。ただの意地悪だ。そういう人間が、世の中にはいる。
「お母さんは、その旅人たちに何もしなかったの」と私は幼い頃に聞いた。
「しなかったわ」と母は答えた。
「その後、大国主命に助けていただいたから」
「でも、騙されたんでしょう。腹が立たなかったの」
母は少し考えてから、言った。
「立ったわよ。でも、助けてもらったことの方が大きかった。それに、私も最初に騙したから」
私には、その答えが理解できなかった。
自分が先に騙したことと、傷ついているところに嘘をつかれたことは、別の話だ。なぜ一緒にするのか。
なぜ助けてもらったことで、騙した相手を許せるのか。
母は騙し、騙され、傷ついた。
騙すということは、自分も傷つく覚悟がいる。
母はその覚悟が足りなかったのか、優しすぎたのか、あるいは、諦めるのが上手すぎた。
私は、どちらもできない。したくないと思った。
「おじいさん」と私はそう切り出した。
「私がこうして騙す側にいるのは、母のせいかもしれません」
おじいさんは静かに聞いていた。
「母を見て育って、二つのことを学びました。一つは、騙すなら自分も傷つく覚悟を持って、最後まで気を抜いてはいけないということ。もう一つは、騙されたなら仕返しする権利があるということ。母はどちらもしなかった。だから私がすることにした」
焚き火の奥で、何かがじわりと燃え落ちた。
おじいさんの奥さんを殺した狸も、母を傷つけた旅人たちと同じだと思った。
傷ついている者に追い打ちをかける。そういう存在だ。そして、しっぺ返しを受けても自業自得の存在。
だから手を貸すことにした。
今度は最後まで気を抜かなかった。詰めが甘かった母の失敗を、繰り返さなかった。
「私は母と違って、覚悟した上でやりました。それでも怖かった。けれど、怖くてもやり遂げるのが覚悟というものだと思っています」
火の粉が舞い上がり、すぐに消えた。
「母は今も、助けてもらったことを話します」と私は続けた。
「私には、その感覚が分からない。助けてもらえるかどうかは、分からない。でも、自分が動くかどうかは、自分で決められる。だから、助けてもらう前に、まず自分で何とかしなければと思ってしまう」
「それは、お前が強いからだ」とおじいさんは火から目を離さないまま、言った。
私は少し黙った。
強いのかどうかは分からなかった。
ただ、母のように傷ついて泣いている自分を想像すると、どうしても耐えられなかった。
だから先に動くことにした。
騙すなら最後まで気を抜かない。騙されたなら騙し返す。
それが私の選んだ生き方だった。
「母を否定しているわけではありません」と言葉を選びながら、私は続けた。
「母の生き方は、母の答えです。助けてもらって、感謝して、それで生きていける母は、ある意味で私より強いのかもしれない」
「でも、お前にはできないのだろう」
「できません」
「狸はおばあさんを騙して、殺した」と私は続けた。
「あの旅人たちと同じだと思った。傷ついている者に追い打ちをかける存在。母はそういう相手にも何もしなかった。でも私は違う」
おじいさんの目が、少し揺れた。
「おばあさんは」とおじいさんはゆっくり言った。
「本当に優しい人だった。誰にでも笑いかけて、誰のことも悪く言わなかった」
「知っています」と私は答えた。
「だから余計に、許せなかった」
おじいさんはしばらく黙った。炎を見ながら、目の端に光るものがあった。
復讐が終わっても、悲しみは終わらない。当然だ。
狸がいなくなっても、おばあさんは戻らない。
「お前の母親は」とおじいさんがやがて言った。
「騙されても、恨まなかったんだな」
「恨まなかった。助けてもらったことの方が大きかったと言って、笑っていました」
「それも、またひとつの強さなんだろうな」
私は少し黙った。
「でも、私は同じ道は歩けなかった。その強さは私にはありませんでした。」
おじいさんは静かに頷いた。
「お前は、よくやってくれた」
その言葉が、思ったより胸に刺さった。
褒められたかったわけではなかった。ただ、おばあさんへの恩が少し返せた気がして、それだけで十分だった。
焚き火が、少しずつ小さくなっていった。
「母は今夜も、大国主命に助けてもらった話をしているでしょう」と私は呟いた。
「私は今夜、狸を騙した話をしています。同じ血を持って、全然違う場所に辿り着いた」
おじいさんは、小さくなっていく炎を見たまま、静かに言った。
「どちらも、間違っていないと思うよ」
私は答えなかった。答える必要がなかった。
焚き火の炎が消えかけていた。
おじいさんはまだそこに座っていた。悲しみと安堵が混ざり合ったような顔で、ただ炎を見ていた。
私はその横顔を少しだけ見てから、立ち上がった。
母の傷跡を思い出した。
皮を剥がれて、さらに嘘をつかれて、それでも助けてもらったことだけを抱えて生きている母を。
理解はできない。けれど、嫌いではなかった。
夜が、静かに更けていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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