優人、悪役令嬢と語らう5
全ての生徒が教室から出ていって、後には生徒会の二人だけが残された。
天井から降り注ぐシャワーが止み、ぽつぽつと雫が落ちる音だけがする。
「……ひょっとして、助けてくれた?」
優人が独り言のように言った。
「おや、気がつきましたか」
とコーデリア。
「君がいくらぶっ飛んでいても、さすがに何の脈絡もなく殺虫剤を噴霧するとは思わないからね」
優人が苦笑する。
一方、コーデリアは並べられた机をぐるりと回って、真美の席のところまで行った。机の上からぐっしょり濡れた会議資料を取り上げる。
そこには優人の几帳面な字がびっしり書き込まれていた。明らかに優人が持っていたはずの資料だった。
「ほら、やっぱりここにありました」
「よくわかったね」
優人は意外に思った。コーデリアは真美が優人に対し害意があることを見抜いていたのだ。
彼女はそういう人の心の機微については疎いと思っていた。
なぜなら彼女は強い。強い人間は周囲の弱い人間達のつまらない企みやくだらない嫉妬など全部蹴散らしてしまえる。だからいちいち人の顔色を気にする必要がないのだ。
「彼女のことはマークしていたので」
コーデリアはそう言ってしまってから、慌てて口をつぐんだ。
別に彼女はもともと巻田真美の意図をはっきりわかっていたというわけではない。ただコーデリアは常日頃から静花のため、優人に近づく女子生徒をチェックしている。その中に真美もいたのである。
彼女もまた優人に片思いをしているから、静花の敵になる可能性があると前から睨んでいた。だから彼女の行動には気をつけていたのだ。だがそんな内情を優人に話すわけにはいかない。
「マーク?」
案の定、優人が怪訝そうな顔をする。
「ええ。何かやりそうだと。でも驚きましたわ。彼女もあなたのことが好きだったのでしょう?それなのにあなたに危害を加えるなんて」
コーデリアは何気なく話題を変えた。
「この間、彼女に告白されて断ったんだ。それでかなり怒ってたみたいでね」
優人が他の人間にこの話をするのは初めてだった。今まで誰に言う気もなかったのにコーデリアに話したのは、彼女が何にも動じそうになかったからだろう。
「逆恨みじゃないですか」
「まあ……そうなんだけどね。でもこんなことをするくらい、彼女を傷つけてしまったんだろうな」
「よく意味がわかりません。悪いことをしたのはマキタさんでしょう?」
コーデリアは不思議そうを通り越して不機嫌そうな顔をしていた。
「うん、でも僕にももう少しやりようがあったんじゃないかと思うんだ。もっと傷つけない言葉を選んだり、彼女を怒らせないような振る舞いをしたり……」
「それでそういう方法は思いついたんですか?」
「……」
「ほら、無いでしょう?当然です。人の悪意なんて天災のようなものなのだから」
コーデリアが鼻を鳴らす。
彼女からこういう意見を聞くのは新鮮な気がして、優人は目を丸くした。
「君はそういうふうに考えているんだね」
「ええ。人は皆、自分のことしか考えていません。誰もが身勝手な理由で他人に悪意を抱くのです。だからあなたがどんなに完璧な行動をしたところで、相手はおかまいなしに悪意を抱くでしょう。そんなものをいちいち気にしていたところでどうにもなりません」
「でもその悪意にうまく対処できるとは限らないだろう?僕は正直言って……、そこまで器用じゃない」
「そのときは周囲に助けを求めれば良いでしょう?」
コーデリアが何を自明のことを、という顔をする。
そのことが何となく不服に感じられて、
「……必ずしも誰かが助けてくれるとは限らないじゃないか」
と優人はすねるように言った。
だがコーデリアは、
「少なくとも私は助けますわ」
ときっぱり言った。
「他の人のことは知りません。ですが私はあなたを助けますわ」
優人は目を見開いた。
コーデリアはまるで正義の味方のような言葉を言っている。照れるでもなく、ふざけるでもなく。彼女は本気で言っているのだ。
「私は空気とかいうものを読むことはできませんが、」
「まあ、それはそうだろうね」
優人が反射的に相づちを打つ。
「でも「助けて」と言われたら、助けなければいけないことはわかります。いいですか、あなたがまずすべきことは一人で全てを解決できるよう努力することではなく、人に助けを求めることです。私でなくてもはっきり言ってくれなければ助けが必要だなんて、そうそうわかりませんよ。すぐにはそうするのは難しくても、私ならちょうど良い練習台になるでしょう?同じ生徒会なんですから」
「そうだね、君には言いやすいかもしれない」
言葉は自分でも驚くほど自然にこぼれた。
コーデリアがそれを聞いて、満足そうに微笑んだ。
彼女の笑みに心臓が大きく一つ音を立てる。
今、この瞬間、何か変化が起ころうとしている。優人はそう感じた。
「素直で良いことです。今言ったことをきちんと頭に叩き込んでおくように」
さあ、私達も着替えに行きましょうか、とコーデリアが戸口へと向かう。彼女は魔術を使って濡れないようにすることもできたのだが、一人だけ無事だと不審に思われるのであえて一緒に水を被っていた。
びしょ濡れでもいつもと同じようにやたら偉そうな後ろ姿に、優人は声をかけた。
「わかったけど……僕からも一つ言っていいかい?」
「何でしょうか?」
コーデリアが振り向く。
「理事長の鯉を吹っ飛ばしたのは、やっぱり自分でちゃんと謝りに行った方が良いと思うよ」
「……何で今、その話を蒸し返すんですか」
途端に眉をしかめるコーデリア。
その嫌そうな顔を見て、優人は数日ぶりに心から笑ったのだった。




