エタの壁
三日坊主になるとは、物事に飽きるということと同じ心理状態であるらしい。
メリットがない、ゴールがない、やるべき道筋も分からない、自分の現状すら分からない、というようなものは特にそうなりやすいようである。
そういう物事は、やっている本人が苦痛を覚えていることがほとんどであり、三日坊主とはつまり、精神的苦痛を排除するために、脳の防衛機構が行っていることと言える。
そして、一度投げ出してしまったものは、その経験もろとも、記憶の彼方へと消え去り、二度と思い返すことはない。まるで、そもそもなかったかのように……
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いつも小説を書いている左脳が不在の為、右脳が代わりに執筆をしていた。
A4のノートには、乱雑にプロットが書き殴られており、所々に破れている箇所もある。右脳にとってはその場のインスピレーションこそが全てであり、その後の状態がどうなろうが、知ったことではない。その大雑把さが、この脳の持ち主に、多くの吉凶をもたらしたと言っても良い。
鼻歌まじりで作業をしていると、作業場のドアが数回ノックされた。
左脳かなと思い、深くは考えなかった。浅くでも考えてさえいれば、普段はノックなどせずに入ってくることくらい、すぐに気が回っただろうが、そんなことを考慮できる右脳ではない。
ドアを開けると、ビジネススーツを着た頑強そうな脳細胞達が、わっと乗り込んできた。即座に閉めようとしたが、手遅れであった。作業場はすぐに制圧されてしまった。
我々は、脳内効率委員会の担当でございます。「左脳区画セル・A43F21」様、「右脳区画セル・B2F3C5」様の領域で間違いございませんね?
右脳はただ頷くことしか出来なかった。
心配なさらないでください。貴方と、左脳様に危害を与えるつもりは毛頭ございません。
我々は脳内効率化の為に派遣された使者でございます。
目的はただ一つ。この身体を持つ人格が、有意義な活動を行えるように、脳内の各細胞に対してこれから為すべき活動をお伝えする、というものです。
これよりの活動としましては、2時間の国家資格に関する知識の搬入作業、そして6時間の休眠、この人格が社会的な関わりを持っている組織に対する、将来計画の算出作業が1時間、水分、炭水化物、タンパク質、脂質、食物繊維、ビタミン群の補給作業が1時間という予定でございます。
この機械をご装着ください。今説明した作業を速やかに取り行えるように、貴方の構成を最適化することが出来ますので……
何を言っているのかはほぼ分からないが、頭の片隅に入れていた「恐れていた事態」が起こりつつあるように、右脳には感じられた。
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右脳は咄嗟に、背後にある自由帳を隠そうとした。これが見つかれば、何か悪いことが起こると勘が伝えていたからである。
この行動は半分は正解だったと言える。分かりにくい表現ではあるが、担当者が喋っている内容とはつまるところ、「仕事一筋になるように洗脳します」と言っていることに等しく、もちろん、その中に小説執筆などという作業は含まれていない。
自由帳とはすなわち、彼らが許容していない作業の痕跡であり、それが見つかった場合、良い表情をされないことは、なんとなく察しが付くだろう。だから、とりあえずこの場を巻くために、厄介なものを隠したのは、直観的であるにせよ、悪い判断ではなかった。
惜しむらくは、残り半分が弩級の不正解だったということだろう。慌てる必要はなかったのだ。そのせいで、死角で見えない引き出しに自由帳を無理にねじ込み、それで仕舞い込んだと思って、手を放してしまった。
引き出しは閉まったままだったのだ。
パサッという乾いた音が響いた。右脳は引きつり笑いを浮かべるも、やはり遅い。
こちらの冊子は一体何なのでしょうか。
いや、これは、そう、企画書です。将来の計画を綴った……
その割には、随分と乱雑に扱われているようですね。所々、紙を破いた跡があるようですが。
そ、それは……
少し、確認させて頂いても宜しいですかな?
え、えと、その、あの…………
ふむ、ふむ。
この1年の将来計画を綴った計画書、その1ページ目を読んだ脳内効率委員は、パチンと指を鳴らした。
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黒服細胞に両腕を押さえられながら、右脳はケイドロという遊びを思い出していた。
警察と泥棒に分かれ、鬼ごっこのようなものを行うが、一度捕まったとしても、仲間の泥棒に触れ合うことさえできれば、再び逃走する権利が与えられるというルールである。
今の状況は、警察に捕まった泥棒といった感じだが、果たして助けは来るのだろうか。
助かるという希望がある分、全く助からなかった際の悲しみと言うのも大きいものなのだから……
脳内効率委員会の担当者はトランシーバーで誰かと連絡を取り合っている。おそらくは、海馬にあるとされる、記憶管理本部なのだろう。
不要な記憶・経験は、将来に対して害をなすことになる。周囲に影響を与える前に対応せねばならぬ……
該当領域は速やかに消去し、担当セルについては、再教育のプロセスを踏まえさせるように……
指示を聞かなければ、その場で殺っても構わない……
それが、何十兆の脳細胞が選出した、ルールなのだから……
どうやらこのケイドロは、牢屋に入れられたら二度と出られないルールのようである。
そしてアルカトラズ島へ向けて、コンコルドが全速力で成層圏を飛んでいるのか。
ああ、目の前に爆破解体用のC-4が見える……
連絡を終えた担当者は、張り付けた笑顔を浮かべ、こちらへやってきた。
心配なさらないでください。貴方と、左脳様に危害を与えるつもりは毛頭ございません。
我々は脳内効率化の為に派遣された使者でございます。
目的はただ一つ。この身体を持つ人格が、有意義な活動を行えるように、脳内の各細胞に対してこれから為すべき活動をお伝えする、というものです。
これよりの活動としましては、2時間の国家資格に関する知識の搬入作業、そして6時間の休眠、この人格が社会的な関わりを持っている組織に対する、将来計画の算出作業が1時間、水分、炭水化物、タンパク質、脂質、食物繊維、ビタミン群の補給作業が1時間という予定でございます。
この機械をご装着ください。今説明した作業を速やかに取り行えるように、貴方の構成を最適化することが出来ますので……
さっき喋っていた内容と全く一緒である。手抜きかと思われるかもしれないが、この担当者がカンペなしで喋ることが出来る内容がこれしかないという、明確な理由があるのだから仕方がない。
機械が徐々に迫ってくる。それは、ヘルメット状の電極であり、どう見ても電気椅子に使われるブツであることが伺い知れる。
C-4の設置も完了したようで、担当者達が目くばせをし、開始の合図を取らんとしている。
右脳の洗脳が完了次第、領域の爆破が敢行される。
いよいよカウントダウンが秒読み段階となったその時、ドアはノックされずに開け放たれた。
この小説を終らせてくれるのは勝手ですが、家ごと爆破するのはやめて頂きたい。支出の計算に使うレシートの束も置いてありますから。
右脳が声を上げるまでもなく、左脳がコンビニから帰ってきた。




