ヒューズが切れる時
脳の中に世界があるのか、脳の外に世界があるのか。
頑張ればできる子だと、よく言われてきた。
その言葉を誇りにして、今までを生きてきた。頑張りさえすれば、自分は輝けるのだと思い込んできた。
親からすれば、作為や悪意などまったく含まれていない、率直な褒め言葉だったのだろう。
そんな悪意を含められる程、両親ともに狡猾でもないし、荒んでもいなかった。
独立した今だって、家族仲が悪いという訳でもない。たまに帰ってきて仕事の話をする時、職業が全然違うからか、何度か小首をかしげられることもあるが、「頑張ってるね」なんて言葉をくれる。
今だって、頑張ればできる子だ。そんな風に思っていたかった。
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なあ、我が右脳よ。本当に続けるのか、この作業。
論理と理性の象徴にして、効率化と将来計画が大好きな左脳はため息をついた。
発想と創造の化身にして、人生を遊び呆けたい右脳が考え出した謎の計画「ミリオン・ノベル・チャレンジ」。この1年間で100万文字を超える小説を作るという突飛な作業に、仕事帰りの左脳の疲れはみるみるうちに増している。
苦言を呈しながら文字をタイプする左脳を見かねて、右脳が口を開いた。
何を言ってるんだ。疲れているのは私も一緒だ。それにだな、冒頭の話を見てみろ。この立派な創作話。右脳の力がなくしては導き出せない話だろう?
そうやって、背をピンと伸ばす右脳。とは言え、そのままだとしわが伸びてしまうので、すぐに猫背に戻し、腕を使って背中の余剰部分をつまみ上げ、あくせくとたるみを作り出す。
左脳はその一部始終を見て、改めて大きなため息をついた。
ああ、そうだな。お前が咄嗟に作り出した話のせいで、学生時代、どれだけ友人に誤解されることになったか、今だって想像するに震えるものな……
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左脳がタイプをやめて、10分が経過した。
右脳は最初のうちは、構想でも練っているのかなと思っていた。なんだかんだで、作業に取り掛かってしまえば「効率的に」やり遂げようとするのが、自分の相棒である左脳であると認識していたからである。
しかし、しばらく待ってみても、うんともすんとも言わない。気になって、左脳の顔を覗き込んでみると、眼を閉じたまま前後に揺れているではないか。
これを居眠りと言わずして、何と言うのか。
右脳は覚悟を決めた。前回は自分がやられ、痙攣までしてしまったチョップを、今度はこの左脳にしてやるのだ。
息を吸い、そしてゆっくりと吐きながら、左脳のちょうど前までやってくる。全神経を集中させて、思い切り手刀を振り下ろした。
あわや、豆腐に鎹となる直前に、左脳の眼がカッと見開かれた。そして、両手を使い右脳の手刀を掴み、思い切り捻じり曲げた。
無理。
言葉にならない叫び声を上げる右脳を尻目に、左脳は結論を出した。
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脳科学者、ジル・ボルト・テイラー氏の話によると、左脳が見ている世界と、右脳が見ている世界は違うのだという。
左脳の構築する世界とは「個」の集まりで表現されるという。「他人」と「自分」は違う。「他人」と「他の他人」もこれまた違う。そして、「自分」が辿ってきた道と、辿るであろう道を重視する。
左脳にとって、世界は言葉である。形容出来るもの。形容出来なければならないもの。
対して、右脳の構築する世界とは全体が一つの「個」であるという。「他人」も「自分」は同じ。「他人」と「他の他人」もこれまた同じ。そして、「自分」が今いる場所を重視する。
右脳にとって、世界は映像である。形容出来ないもの。形容する必要のないもの。
左脳と右脳。見ている世界はまるで違う。脳梁という部位が左脳と右脳をつなぐことで、辛うじて我々は、自分達の世界を見ることが出来ている。
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別に私は、小説を100万文字書く方法の模索を諦めたわけではない。
というより、今日にだって書ききって完結させる方法を知っている。
「あ」を押し続けていればいい。そして、ある程度の文字数になったら、ずっとコピーとペーストをしていればミリオンの完成だ。
私がそんなことをしていないのは、それが小説ではないと、自分では思っているからだ。
「あ」がずっと続いている文章など、それは単なる文字列に過ぎない。芸術家の作品の中には、常人にはとても理解に負えない、下手すると酷い手抜きだと思えるものがある。その芸術家の中には深淵のような含意があるのだろう。そして、芸術家仲間や鑑定士はそれを理解しているからこそ、評価しているに違いない。
ああ、まったく。それに比べれば、なんと含蓄の少ないことだ。私の文章は。
しかし、そう私を卑下しないで欲しい。こんなにも退屈で薄っぺらな文章となってしまうのは、過去に全くと言っていいほど教養や作法と言ったものを嗜んでこなかったからなのだ。
本来ならば、文章の表現方法も比喩表現を勉強し、この文節を書いているまでに、伏線とか心理描写の1つも書いているべきなのだ。そうでなければ、話が膨らまないじゃないか。
こんなことで残りが書けるのか。書けたとして、納得のいく作品になっているのか。
いっそのこと、残りの99万文字、全部「あ」にしてしまおうか……
ああ、やっぱり駄目だ。私は選ばれない。選ばれることがない。
私には資格が必要なのだ。貧弱な私を、大きく、強く見せる為の、資格が……
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意識が回復した時、そこは病院のベッドの上であった。
ブドウ糖が沢山入った点滴が手首につながっている。どうやらあの後、ブドウ糖不足で気を失ってしまったようだ。
相棒もお目覚めのようだな、という聞き覚えのある声がした。
右を振り向いてみると、いつもの相棒である右脳がベッドに繋がれていた。傍らにはタンパク質のゼリーが置かれている。複雑に捻じれているであろう腕は、ギプスで隠れていて見えない。
申し訳なさを感じて、謝ろうとしたが、割り込むように口を挟まれた。
それより、これ。早く手伝ってくれないか。片腕でタイプするの大変なんだから。
そうか、そうだったな。小説、書き上げないといけないんだったな。
正直、今でも無理だという気持ちは変わらないし、諦めてもおかしくはないなどとは思っている。
それが過去のデータから導き出した結論であり、左脳である自分の主張であるからだ。
だが、なんだろう。このままデータ通りに事が終わってしまうというのも、少し寂しいようにも感じられるのだ。
右脳は、自分が何をしているのか、分かっているのだろうか。
悪意でも難癖でもなく、純粋な好奇心から、さりげなく訊いてみた。
何の意図もなく書く小説に、意味ってあるのかな。




