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ミリオン・ノベル・チャレンジ  作者: 潮路
1-A:脳内会話
1/7

痴的好奇心の果てに

これは、ただの単純なお話。


 思い立ったが吉日という言葉がある。

 何かをしようという気になったら、すぐに取り掛かるのが良いという意味合いであるが、私がこの計画を思い立った時、これ以上に形容できる言葉を見つけることができなかった。

 ミリオン・ノベル・チャレンジ。

 これからすることになる途方もない徒労の名前を、私はこう表現した。というより、直訳した。

 考えついたのは、ほんの10分前の話であった。近くに控えている資格試験の勉強をしていた時に、ふと浮かんだことだった。

 私は勉強をする時、効率を度外視したガリ勉スタイル、つまり、参考書に書かれている文章を、ノートに転写するという方法を採っている。要点の抜き出しや、書く代わりに、声に出して読むなどのことはしていない。えらく時間がかかる割には、参考書のページが数枚めくれただけだった、なんてこともザラだ。

 そんな方法をわざわざ選んだ理由は、これまたちんけな回答ではあるが「勉強をした後、積み重なったノートを見るのが、たまらないから」というものである。今更、長年愛用してきた手法(効率は悪くとも勉強はしているので効果はある。自由時間が少なくなるだけ)を捨て去り、新しい方法を考えつくのも億劫だという理由もあるのだが。


 ともかく、今日も物量ごり押し勉強作戦をしていた。小川のせせらぎや鳥の鳴き声、風のざわめきをサンプリングしたものを作業用BGMにしながら、私は半ば夢遊トランス状態でペンを動かしていた。

 タイマーがピピッと鳴る。90分間の勉強が1ループ分完了したことを表している。書き上げたノートには余白も関係なく、一面に文字や表が書かれている。それが数ページ分に渡って刻まれている。

 このペースでいけば、1日が終わる頃にはこのノートすべてに、ぎっちりと文字が入ることだろう。そしてそれを眺めて、私はうっとりすることだろう……などと、別の意味で恍惚トランス状態になっていた。

 良くも悪くも、神懸かりというものは、こういう常軌を逸している時に起きるものだ。私の脳髄に衝撃が走った。

 この作業を小説でやったらどうなるのか、と。

 ミリオン。

 人間はそれに憧れを抱く。何故かは知らない。ただ、ミリオンというのが「誇ってもいい数」に入っているからだと、個人的には推察している。

 ミリオンセラー、ミリオン再生は大人気の証。

 ミリオンダラーは絶景の証。

 色んなバラエティ番組が賞金として出すのも、やはり100万だ(年に一度とかだと1000万になったりもするが……)。

 ならば小説はどうなのか。100万文字というのは、多いことになるのか。

 400字詰め原稿用紙にして2500枚にもなる。文庫本1冊の小説文字数をネットで探してみると、小説の厚みにもよるが、10万文字から15万文字程度という。つまり、100万文字あれば文庫本が7、8冊は作れる計算になる。

 当サイトでは1分あたり500文字として読了時間を決めているので、100万文字を読み終えるには2000分かかるということだ。睡眠時間以外すべてを賭けてぶっ続けで読んだとしても、2日かかるのだ。

 そして何より。この数値は、私が今までの人生で書き上げた作品をすべて足し合わせようとも、半分にすら満たないものだ。


 まさに別格の値だ。数多の人間が憧れるのも分かる。とりあえず沢山という意味を含みたかったら「ミリオン」と付け足しとけと思う気持ちが分かる。

 今まで「ミリオン」の凄さを感じていなかった訳ではないのだろう。ただ、眼を逸らしていただけだったのだ。何気なく感じてはいたが、「所詮は雲の上の世界だ」と直視することを避けていた。

 だが。何気ない気まぐれとはいえ、直視してしまった。「凄え」と思ってしまった。井の中の蛙が大海を知ってしまった。


 ならば、やってみたいと思うのが、サガというものだろう。

 こうして文字数は決まった。

 しかし、一生をかけるほどのペースならば、100万文字と言えども容易にたどりつけてしまうのは明白と言える。

 小説どころか、Twitterの呟きだけで100万文字に到達してしまうだろう。これを単なる自由帳の落書きから挑戦チャレンジに昇華するには、何らかの制限リミットが必要となる。

 残酷・・にも、最適解はすぐに見つかってしまった。時間だ。時間を制限しよう。

 更に残酷なこと(・・・・・・・)に、時間期限すらも、他ならぬ自分自身の右脳が決定してしまった。

 そうだ、1年にしよう。ちょうど1年後に、この小説は完結し、100万文字の絶景が広がっているのだ。そしてその中で私はうっとりしているのだ……

 私はため息をついた。そう、何を隠そう、この小説を書いているのは、私の左脳なのだ。

 そしてこのやり取りは、資格勉強の休憩中、わずか5分の間に行われた。こうなれば、勉強どころではないと、作業用BGMのアンビエント音楽をミュートにし、ノートも参考書も端に片付けられてしまった。

「執筆中小説執筆」のページをぼんやりげに見つめながら、半ば現実逃避トランス状態で、書き上げている。

 右脳はどうしたかって?「書くのは苦手だから、よろしく」と言い、意識から抜け出て以来、戻っていないが。

 1年で100万文字を書く。

 これが簡単なことでないことくらいは良く分かる。他でもない自分自身が文字を書いてきたから、良く分かる。

 365日で100万文字ということは、1日当たりに換算すれば、約2740文字である。原稿用紙1枚分の内容を15分程度で作成したとしても、おおよそ2時間弱かかる。

 そしてこれが毎日続くのだ。残業が入っていようが、今のように資格試験前の勉強時だろうが、帰省中だろうが関係ない。

 私的な話とはなるが、「今年は資格を重点的に取れ」との会社からのご意向もある。今勉強している資格を含めて、4つもあるのだ。当然、最低限の勉強時間は確保しておかなければ、とても合格できる代物ではないことも、ここで告知しておこう。


「1年」という右脳が提示した期間についても、少し指摘したい。1年と言うのは、長いようでいて短いようでいて、やはり長いのだ。

 日本人男性の寿命は現在約80年とされるが、1年という期間はすなわち、その80分の1に該当する。言い換えれば、80回こんなことをしている間に、死ぬということだ。

 普段の生活の中では、専らその日のことしか考えてはいない。長くともその週、月の予定が限界だ。1年を通して作業をするということは、365回、その作業をするということで、それが無意味な徒労だった場合、365回意味のないことをしていたことになる。

 2、3回の誤りで相当落ち込む私が、今日から行われるこの作業に、正確に言えば、この作業に伴う虚無感に果たしてついていけるものなのだろうか……?

 いや、待て。待て待て待て。

 それどころじゃない問題が控えているじゃないか。

 100万文字も使って、何を書けっていうのだ。

 これだけ思いの丈を吐いても、3000文字も達していないのだ。これで1日分だと?こんなのを後、364回繰り返せと?

 仕事でやいのやいの言われ、どたどたにも巻き込まれ、夜遅く帰ってきてコンビニ弁当をレンジでチンしながら、「よし、明日も何とか頑張ろうよ、みんな」と疲れ切った身体の諸器官を必死に慰めているのにも関わらず、資格勉強して、その後十分に休まなければならないにも関わらず。

 そんな状態で2時間書け、だ?冗談も大概にしてほしい。

 私は「執筆中小説編集」から目を逸らした。よって、今タイプしている文章は、完全なる盲目ブラインドタッチで作られたものである。

 タイプするのにも、もう疲れた。脳内のベッドに潜り込もう。右脳も左脳も表に出ていない場合、人間と言うのは呼吸と代謝だけを行う置物になり果てる。何も考えずに、ただぼーっとするだけの存在になるということだ。起きながらにして実質眠っているのと同じだ。

 その間は無意識的存在である脳幹が頑張ってくれている。彼は人格を持たぬ代わりに、どんな時も休むことはない。まあ、休んだりしたら、それこそ一大事になるのだが……

 私は小説を書いてきた。

 それは趣味のつもりであった。

 趣味だから時間を潰してもよいのだと思った。

 だが、趣味と呼べるような作品を書いたのか、と言われれば、それは否定しなければならない。

 だから、周囲の人間にも小説執筆が趣味です、なんて言えるわけもない。その域に達していないことは自分が良く分かっているからだ。

 趣味というのは何なのだろう。どうしたら、「小説執筆が趣味です」って言えるんだろう。


 読書も趣味にしている。ありがちだ。ありがちだから、趣味にした。

 だが、お気に入りの作者はいるんですか、と言われれば、それは否定しなければならない。

 雑食性のネズミみたいに、色々読むけれども、心に残ったフレーズは、お気に入りの本はと言われても、うまく言い出せない。

 面白かった、怖かったという感想は言えるけど、具体的には、と言われると言葉に詰まってしまう。

 でも、読書を趣味にしておくことで、他の人達は(大体つまんなそうな顔をしつつも)納得して引き下がってくれるので、やはり読書は趣味の一つにしておきたいと思う。


 最近増えた趣味は勉強だ。色んなことについて勉強するようになったので、これも趣味にしていいよな、と思って趣味にした。

 上司の受けは良いが、大体一歩下がった目で見られるようになる。

 というより、同僚から「勉強は趣味じゃないよ」と面と向かって言われた。別にショックは受けなかった。ゲームが趣味よりかはマシだろ、と思ったくらいだ。

 でも実際のところはそうではないのだ。ゲームの方が、まだマシな趣味だったのだ。

 なんだろう、悪い訳じゃないけど、触りにくい人っているよね。雰囲気が喪中の人、みたいな?

 どうやら、私はそういう人になっているらしい。

 目を開けてみると、パソコンの日付はまだ数分しか経過していなかった。

 自分自身でも不思議に思っているが、どうして同じ生物個体の器官なのに、右脳はあんなに時間を使ってくれるのだろう。少し眠りに行くね、なんて行ったきり半日戻ってこなかった時があった。

 生活するのにしたってそうだ。将来設計のプランを検討する必要があったので、「都合があって半日開けるから、その間の勉強よろしく」って席を外したら、戻ったころにはポテチ片手に動画サイトでネットサーフィンしていると来た。もちろん勉強なんてまったく進んでいない。

 泣きたくなるのをこらえて追及してみると、「ああ、もうこんな時間だったのか」なんて言いやがるので、めでたく、三日三晩は口を利いてやらなかった。

 怒りよりも先に悲しみが来るのはなんでだろう。力任せにその豆腐みたいな大脳皮質を引きちぎってやりたいというのに。


 右脳に会ったら、「この計画は保留にする」と提案してやろう。保留と表現したのはもちろん、とりあえず受諾させて、その後は時間の経過でうやむやにさせるためだ。

 長期記憶のカゴの中に入れて、気持ちよく帰ろうとする右脳を尻目に、私はこっそりそのデータを短期記憶に移し替えるのだ。そうすれば、一日経たずにその記憶、ミリオン・ノベル・チャレンジに関する情報は脳内から消え去るのである……


 渋った割には、ちゃんと書いているじゃないか。左脳ちゃん。


 そっと作業机に向かうと、そこには右脳がいた。

 背中越しなので顔は分からないが、随分嬉しそうな声を出している。


 このペースで行けば、十分にたどりつけるな。あの夢にまでみたミリオン小説……いっひっひひひひ。


 嬉しそうというよりかは、狂おしそうだ。

 まあ、いい。もう少しでこの事象はなかったことになる。この3時間に渡る葛藤に、決着をつけることが出来るのだ。

 当然、これまでの時間を無駄にするのは、心苦しいことではあるが、この先1年を無駄にするよかマシな話だ。

 早く声をかけて、冷静にさせてやろう。この熱病を冷まさせてやろう。そして、作業机を使って、資格勉強をするのだ……

 私が右脳の肩に手を差し伸べようとしたその時、右脳が呟いた。


 これさえあれば、もう、私は馬鹿にされなくて、済むのだ。


 えっ、という声を上げた時にはもう遅かった。

 右脳はこちらを見ていた。それは、例えるならば窮鼠。追い詰められた者の顔。手段を選ばない、目をかっぴらき、口を引きつらせた、異常の顔。


「なあ、そうだろう。これさえあれば、私には正当な趣味が出来る。これが出来れば、馬鹿にされたりなんかしない。ちゃんと生きていけるのだ」


 一体、何を言っているのか分からなかった。

 正当な趣味?馬鹿にされる?ちゃんと生きる?話の繋がりが見つからない。

 右脳は、私が事象を把握していないことを察し、説明を始めた。



 私は考えていたのだ。どうしたら楽しく生きていけるのかを。

 左脳は左脳で、将来のことを考えていて、そのために勉強を必死にやっているのだろうが、それと同じで、私も将来について考えていた。主に幸福になるために、だ。

 知っての通り、私達はまだ未熟な存在だ。そして、今まで考えても……見なかったことにしていたが、同年齢の個体よりも、劣っている可能性が強く出てきている。

 劣ったのはなぜ、劣っていると考えてしまうのはなぜ、と考えた。

 そういえば最近、笑っていない。自分の生き方に喜びを感じていない。他人はあんなにも笑っているのに。感謝と歓喜に満ちているのに、どうして。

 そして至ったのだ。私達はいつも、他人のすることを外から見ているばかりだと。見ただけで、知った風になっていたのだと。やるにしても、試しに猿真似する程度だ。もちろん、楽しいと思ったことなど一回もない……

 左脳。お前の大好きな、効率重視の考え方からすれば、この「さわり」の部分だけ見て、他に移るというやり方は間違ってはいないのだろう。現に色々な分野の知識は貯まっている。そしてそれは、この100万文字小説の情報源にも大いに活かされることになると思う。


 だが、だがな。それでは所詮、喜びなど得られない。

 そんな生き方がもたらすのは、ただの薄っぺらい人間だ。表層だけ理知的に見えても、少し突かれればボロが出るし、自分でも何をしてるのか分からなくなる。勉強をするたって、何の勉強か、何の為の勉強かがわかってなきゃ、何冊参考書を読み解こうが、頭の中には入ってこないだろう。それと同じだ。

 そもそもこの生き方には、最終的な到達点がない。到達点がないということは、中継点となる目標もない……だから、散漫になる。ダラダラやろうとする。

 勉強が趣味って言って、一歩引かれる理由、ようやく分かったんだ。

 勉強するなんて、よくよく考えたら当たり前のことじゃないか。自分の仕事や趣味について、まったく勉強しないやつなんていないだろう。意識的にせよ、無意識的にせよ、研究してみたり、苦悩するのは当たり前のことだ。

 勉強するなんて当たり前。何を勉強するかを知りたいのだし、その「何か」を説明するべきだったんだ。

 結局、それが説明できないから、もやもやしたまま毎日を送るんだ。人生を捧げるにふさわしい物事を私達は何一つ手に入れていないのだ。

 

 いい加減、醍醐味っていうのを知りたくなったんだよ。

 何かに対して、真剣にぶつかってみる経験が欲しくなったんだ。

 報われるか、報われないかなんて知るかよ。これはそんな高尚な計画でもなんでもない。もっとありふれた活動なんだよ。ただ、今まで私達が目を背けてきた分、大きく見えるだけでな……

 


 右脳の話を聞いている間、左脳はずっと口をぽかんと開けていた。

 そして話が終わった瞬間、右脳の大脳皮質に、チョップをめり込ませた。

 これにより、運動機能を司る神経細胞がいくつか損傷し、右脳はびくりと痙攣しながら、驚いていた。

 そんな右脳を尻目に、左脳は席に座り、最後の文章を記述する。


 その話、10年前から口を酸っぱくして、言ってきたことだよなあ?


これは、単純な自己満足のお話。

行く当てもなく彷徨う、ヒトの形を模した原子の塊が、自分の拠り場を見つけるために、難題に挑戦するお話……

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